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きゅるる


「・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・」

甘いようで甘くはない雰囲気を、気持ちいい程に綺麗に壊す可愛い音に、私達はほとんど同時に顔を見合わせた。


ああだめだ、我慢できない。

「・・・ぷっ・・・」

腕に囲われているにも関わらず、思わず噴出してしまった。

そう、沈黙を破って響いた可愛い音は、団長のおなかの虫が鳴いた音。

悪いとは思いつつ、どうしても我慢できなくて俯いたまま肩を震わせる。

心が張り詰めていたから、笑いのツボがおかしくなってしまったようだ。

回されていた腕がいつの間にか離れていく。

そして、がっ、と頭を掴まれた。

「わわわわ」

ものすごくやんわりと捕まれているのに、絶妙な圧迫感を与えられて、身動きが取れない。

ただ言葉を連ねていると、頭上から、重々しいため息が聞こえた。

何かを呟いているのも、かすかに聞こえる。

魔王様が何かの呪文を唱えているようにも見えて、また笑いがこみ上げてしまう。

孤児院のあの部屋でのやり取りからは想像もつかない彼の素顔を知ってしまうことには、少し躊躇してしまうけれど・・・。

この時間を楽しい、と感じる心はあってもいいのかな、とも思う。

そんな取り留めのないことを考えていると、今度は顎をくいっ、と指先で持ち上げられた。

「・・・え?」

瞬く間に、甘くて濃い何かが2人の間に流れ落ちる。

目の前で揺れる深い緑の光に、視線を縫い付けられたように逸らせなくなる。

引き付けられるように見つめ合っていると、ふと、彼の目が柔らかく細められた。

「・・・ミナ」

彼の顔が間近に迫ってくる。

熱に浮かされた時のように、背中をぞくぞくと何かが駆け抜けていくのと同時に、思考回路が所々焼き切れていく。

私は何も言えないまま、彼が壮絶な色気を振りまいて迫ってくるのを、ドクドクと耳元で鳴る自分の鼓動を聞きながら待っていた。

ほどなくして、鼻先に彼の体温と、吐息を感じる。

その瞬間、私の体中を駆け巡っていた熱がすっと引いた。

そんなことを考えている場合ではないのに、そうか、と頭の隅で納得する。

そして、言葉にはならない何かを自覚した時だ。


「行くぞ」

壮絶に色気のある、バリトンの囁きが耳に届いた。

鼻先にあった体温が、ゆっくりと離れていくのを感じて、私は我に返る。



仕返しされた、と気がついた瞬間、私は彼の背中を思いきり、平手で叩いていた。

私なんかの力では、びくともしない背中だと思っていたのに、「うっ」という呻き声がかすかに聞こえたのには、気づかない振りをしておこう。








「えっと、無事の帰還、おめでとうございます・・・?」

「あ、ああ・・・そうだな・・・?」

2人でグラスを軽く持ち上げつつ、首を捻る。

目の前にはあり合わせで用意した夕食が並び、お腹の虫が、早く食べろと催促する。

団長に至っては、作っているそばから手が出ていたのを思い出す。

一度お腹が鳴るのを聞いてしまっていたしと、目を瞑っているうちに、最初に想定していたよりも量が少なくなってしまった。

それでもこれだけの短時間で用意出来たのはきっと、この部屋のキッチンが広いからだ。

「いやあの、とにかく。

 おかえりなさい。

 お疲れさまでした」

「ああ」

乾杯するのに時間がかかってしまったけど、彼は満足そうに笑みを浮かべて、グラスをかちん、と合わせてくれた。

「どうでしたか、西の方は?」

食べながら尋ねる。

彼はしばしの沈黙の後、首を振った。

「難民の数が多すぎるな。

 10年前の侵略を今も忘れられない国民は多い。

 街に溢れるようになっては、迫害や事件が起こり、治安が悪くなることも考えられる。

 陛下とジェイドには、一時的に受け入れるよう天幕を用意することを提案しておいたが」

憂い顔で料理をつつく彼。

その苦虫を噛み潰したような表情に、私は軽い気持ちで言葉にしてしまったことを後悔した。

紛争被害にあった国の人達や、難民キャンプを見たことがあったのを思い出す。

・・・私の場合は、映像でしかないけれど・・・。

「ごめんなさい、食事がまずくなりますね・・・」

「いや、いい」

基本的に、彼はとても優しい。

今だって西で見てきた現実を、思い出しているのだろうに・・・聞かれれば、ちゃんと答えてくれるのだ、この人は。

「・・・何か、楽しい話でも出来ればいいんだけど・・・」

せっかく帰って来たのだからと、何か気分を変えられるような話を探す。

料理に手を伸ばしている彼の姿を眺めながら、私はここ数日の出来事を思い出していた。

「あっ」

そうだった、と思わず声を上げてしまった私を、彼はグラスを傾けながら見ている。

その様子に、話してみろ、と言われている気がして、私は話し出した。

「そういえば今日の昼間、しらゆり孤児院の同僚に会ったんです。

 ・・・アン、って言うんですけど。

 たまたま院長の用事について来たって・・・」

彼がそれを聞いて、器用に片方の眉を上げる。

「それで、ちょっと話をしてたんですけど・・・。

 騎士団でも事務官でもいいから、とにかく誰か紹介してほしいって」

団長は9割方恋愛方面の話題には、興味を持たないだろうとは思うけれど、巡回や仕事の話よりはましだろう。

彼は私から目を逸らして口の中のものを飲み込むと、開口一番にこう言った。

「それなら、そのアンとかいう同僚に、騎士団の雑用でもさせたらどうだ。

 あとは、そうだな。食堂の洗い場なんかも、人手はいくらあっても困らないだろう」

「・・・そんなこと、出来るんですか?」

鼻で笑うんだとばかり思っていたから、彼がまともに言葉を発したことが意外だった。

けれど、驚いている私に、彼は面倒くさそうに言い放つ。

「ただし、然るべき手順で応募するんだな。

 番が欲しければ、自分の力でなんとかすればいいだろ」

「つがいって・・・動物じゃないんですから・・・」

仕事についてというよりも、その恋愛に対する姿勢に半ば呆れて呟くと、彼はその手をひと振りした。

「似たようなものだ。

 動物のように感情に名前を付けずに生きた方が、上手くいく時もある」

いつもより饒舌な彼は、変に説得力を備えた台詞の後に付け加えた。

「・・・人の恋愛沙汰には、興味がない」

その言葉に、明らかに話を終わりにしたい色が滲んできたので、私は口を噤む。

次の話題を探している間にも、沈黙が真冬の雪のように積もっていくのを感じた私が、どうしたものかと目の前の料理に手を伸ばしていると、目の前から声がかかった。

「ミナ、巡回で留守にしていた間は、お前は何をしてたんだ?」

珍しく私のことをお前呼わばりだ。

アルコールのせいなのかと、ちらりと横目にワインのボトルを盗み見る。

そういえば、つまみ食いの時から飲み続けているような・・・。

綺麗なラベルのワインは、1本が空になって、もう少しで2本目も空になろうとしていた。

・・・2本目だったのか・・・。

この顔で強くて魔王で酒豪なのか。

よく分からない畏敬の念を抱きつつ、私は口を開いた。

「お仕事してました。

 あとは、買い物したり、図書館で史料を読んだり・・・」

そうして言葉にしながら、ここ数日の自分を思い出していた私は固まった。

そんな私の様子に気づかない彼ではない。

2本目を空にしようとしているのを止めて、強い視線を向けてきた。

「どうした、何かあったのか」

もうすでに確定したかのような言い方で、尋ねられる。

私は曖昧に首を傾げて、言葉を選んだ。



気になるのは、マートン先生の存在と、古代史。

それから、何年もの渡り人の記録だ。








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