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汗をかいたソーダ水のグラスの中で、氷がカランと小さな音を立てた。




「そっかぁ、元気にやってるんだね~」

目の前で甘いケーキをほおばる彼女は、しらゆり孤児院で一緒に働いていた、アン。

そばかすと赤毛がチャーミングなうら若き乙女である・・・はずである。

私の後見話と就職話が突然降って湧いたから、ほとんどお別れらしいお別れが出来ないままになっていた。

王都に来てからも、お付き合いやら図書館通いやら、落ち着いて手紙を書く時間も持てずにいた。

だから偶然とはいえ、会えて本当に良かった。


菓子店で奇跡的な偶然の再会を果たした私達は、アンの買い物が済んでから、とりあえずどこかで落ち着いて話そうということになって。

場所のせいか、路地にあるレストランは店内にはそれなりに客がいたけれど、この混み具合なら少しくらい長居しても大丈夫そうだ、とアンが言って。

そして昼食を摂ってから、彼女は幸せそうな表情でデザートをほおばり、私はレモンとミントのソーダ水で喉を潤しながら、お喋りに興じているというわけだ。

「うん、なんとかやってるよ」

私は王都に来てからの毎日を思い出す。

試された翌日に仕事が決まって・・・初日こそ精神ダメージを与えられたけれど、そこにさえ目を瞑ってしまえば、たくさんの人に良くして貰って、私は何とかやっている。

特に団長には、手を貸して貰いっぱなしだ。

初日には部屋の片付けを手伝って貰ったし、その夜には勇気付けて貰ったりもした。

きっと私1人では受け止めきれなかっただろうことを、あの大きな手が助けてくれた。

図書館の史料も、閲覧出来るように手配してくれたりもして。

・・・感謝を見える形で表現しないと、いつか罰が当たりそうだ。

そして、マートン先生との出会いも、私にとっては衝撃だった。

・・・本当に、ここに来てから急に歯車が回り出したようで、不思議で仕方がない。

思い出したり、考えたりしながらなんとなくグラスを傾けていると、いつの間にかケーキを平らげたアンが、にやにやと笑顔を浮かべて私を見ていたのに気づく。

何が言いたいのかと首を傾げると、彼女は目を細めて言った。

「そ・れ・で?

 蒼鬼とはうまくいってるのかなー?」

自分でもあまり考えないようにしていたところを突っ込まれ、うっ、と言葉に詰まってしまう。

それがいけなかったのだろう、そんな私の反応に、彼女はますます目を細めた。

・・・何かな、その目。

獲物を見つけたキツネですか。

私、被捕食者ですか。

年頃女子の主食といえば、恋愛話とダイエット話だと相場が決まっていると思うのだ。

世界を超えても女子は女子。

目の前のアンも、私が女子高生だった頃の友人達と似たような瞳の輝きを放っている。

この目をしている女子の尋問は、かなりしつこいことも、私は知っているのだ。

「うーん、後見人と被後見人としては、かなりうまくいってる・・・と思うけど」

無難な答えを返して、そっと息を吐いた。

心臓がばくばくしている。

・・・きっと、こんな答えでは彼女が納得しないと、知っているからか。

「もぉ・・・そうじゃなくて!」

思った通りに、私の言葉を鵜呑みにはしてくれなかった彼女は、どれだけ焦れているのか、テーブルをバシバシ叩いて抗議する。

周囲の視線も気になってしまった私は、途端に顔に熱が集まってくるのを感じた。

興奮した様子の彼女は、そんな私の変化をいちいち指摘してはこなかったけれど。

小心者の私は、周囲の反応が気になって気になって仕方ない。

「ああもう、だから!

 騎士のコインを身につけといて何言ってんの?!」

「・・・えぇ・・・?」

彼女のぶつけるような物言いに、私は少しだけ身を引いて声を漏らす。

「ユタさんや料理長が言ってたの!

 蒼の団長は、ほんっとうに堅物で、他人を近づけるような人じゃないって。

 だから、ミーナのこと相当気に入って連れて行ったんだろうって・・・!」

・・・なるほど。

そこまで聞いて、私はやっと彼女の興奮ぶりが腑に落ちた。

周囲の話が、彼女の疑問に拍車をかけたのだろう。

・・・でもそれ、団長が犬猫かのように私を連れて行った、みたいな言い方だ。

どんな言葉を返せばいいのかと考えているところで、彼女が再び口を開く。

私を、気遣わしげに見つめて。

「・・・ねぇ、ほんとのこと話してよ。

 コインまで渡して、蒼鬼はちゃんと、ミーナのこと気にかけてくれてるの?」

どうやらアンは、団長が面白半分で、渡り人をコインで釣り上げたとでも思っているのだろう。

そばかす顔をくしゃくしゃにしている彼女と目が合う。

・・・私に上手くはぐらかされていると思っているのかも知れない。

・・・コイン1つであっさりついて行った私を、心配してくれているのかも知れない。

それに失念していたけれど、この世界では、騎士がコインを誰かに託すのは、半ばプロポーズめいた意味合いも込められているのが常識なのだった。

「心配してくれて、ありがとね」

いろいろを頭の中で纏めて微笑んだ私に、彼女はただ、うぅ、と唸る。

孤児院で育ったからか、自分の生まれた世界との繋がりが希薄に感じられると弱音を零した彼女は、私の中にあった異世界への不安と孤独を分かち合ってくれた、初めての相手だ。

「あのね、私この間まで、騎士がコインを異性に渡すことの意味、知らなかったんだよね」

「・・・え?そうなの?」

「うん、コイン渡された時に、そういうこと何も言われなかったから」

「・・・なにそれ・・・」

アンが思い切り眉根を寄せた。

このままでは、団長が悪者になってしまう。

そう直感した私は、急いで言葉を紡いだ。

「でも、その時は私も仕事をもらえるっていうだけで、舞い上がってたし・・・」

顔色を窺いながら言えば、彼女が口を開きかけたのが分かって、慌てて言い募る。

「それに、私の身を守るために、コインをくれたの。

 渡り人だって知られると、興味本位で絡まれることもあるみたいだから。

 ・・・だからね、いろいろ、良くしてもらってるよ」

「ふぅん・・・」

どこか納得いかない様子のアンが、低い声を漏らす。

そして、私の言葉を聞いて何かを考えていたと思えば、急に話し始めた。

「でもさ、後見する相手に、身を守るためだからってコインを与えるっていうのは、

 やっぱりおかしいと思うよ」

「・・・そういうものなの?」

「うーん、あたしも騎士じゃないから絶対とは言えないけど。

 騎士にとって、コインを渡すって、すっごく大きいことなんだって」

私はふぅーん、と相槌を打つ。

・・・孤児院の誰かから、詳しく聞いたのだろうか。

そんなことを考えていると、ふいにアンが体を乗り出した。

「・・・言わないだけで、本当はミーナのこと、好きなんじゃないの・・・?」

何故か小声になって、そっと囁かれれば、鼓動が跳ね上がった。

自分でも可笑しいくらいに狼狽してしまった私は、変な声が出る前に、とソーダ水をひと口含んで落ち着こうと深呼吸する。

氷も溶けて炭酸も抜けて、薄くなってもいたけれど、そんなことは気にならなかった。

「いやいやいや、それはないって」

手をぱたぱた振って否定しても、アンは断固として譲らなかった。

相変わらず鼓動が煩く騒いでいる。

「じゃあなんで今、そんなに挙動不審になったの?」

「・・・えと・・・」

「何かあったんでしょ」

「う・・・」

核心を突く台詞に言いよどむと、「素直に吐け」と目で言われた。

大きく動揺した自分の鼓動が、「そんなこと出来るか」と主張しているのを感じて、私は首を激しく振る。

何があったかと問われれば、ありすぎて何を言葉にすればいいのか途方に暮れてしまうくらいだ。

そんな私を見て、彼女は大きく息を吐いた。

「ミーナ、往生際悪すぎ」

剣呑な光が瞳の奥にきらりと光ったのを見た私は、彼女が、私と団長の関係を興味本位で聞き出そうとしているわけではない、と分かってしまった。

「・・・あのね、アン・・・」

心配をかけていたことも分かっているのだ。本当は。

私は観念して、彼女に向かって口を開いた。

「・・・自分の部屋に呼んで、一緒に夕食を食べたり・・・。

 買い物に付き合うって言ってくれたりとか、って・・・」

「蒼鬼が?」

彼女が目を見開いて息を飲んだ。

「うん・・・」

こんな話をするのも恥ずかしい私は、彼女の目を見ることが出来ない。

基本的に、自分のことを話すのはあまり得意な方ではないのだ。

「他にもあるんでしょ」

「えっ?」

鋭い声に、間抜けな声が返る。

自分の口から出た声だったというのに、耳がどこかずれた場所から音を拾っているような感じだ。

私は鼓動が強く重くなっていく気がして、ゆっくりと息を吐いた。

「だって、そんなのただの友達じゃない。

 ・・・もっと、何か、ミーナが取り乱すようなことがあったんじゃないの?」

見た目よりも人の機微に敏感なところのある彼女は、私のこともしっかり見ていたようだ。

今度こそ、観念するしかないのかも知れない、と私は内心で諦めに似た呟きを漏らす。

ちらり、と視線を上げれば、彼女が思いのほか優しい表情でこちらを見ていた。

そんな表情をされたら安心して、張り詰めていたものが解けていってしまうではないか。

「・・・おでこにキス、されちゃった」


ああ、今の私はどんな顔をしているのだろう。

恥ずかしさを通り越して途方に暮れた私は、目の前で真っ赤になった彼女を見て、そんなことを思ってしまう。

少なくとも、彼女よりも真っ赤になっているはずだ。

自分の口から台詞と一緒に大事な何かが出て行ってしまった私は、呆然と彼女の反応を窺う。

すると、彼女は真っ赤になっていたはずの顔で、眉間にしわを寄せて唸った。

「蒼鬼め・・・」

「あ、アン・・・?」

言い知れないものを感じて、私はそっと声をかける。

けれど、彼女は険悪な眼差しを何故か私に向けた。

「・・・それで何とも思ってない、なんて言ったら、いっそのこと刺してやるわ」

その台詞に、私の向こうにいる団長を見ていたのか、と思い至った。

「そんな、天下の蒼鬼に向かって・・・」

なんとも穏やかではない雰囲気に、年頃の女子が2人でお喋りに興じているとは思えなくなった私は、可笑しくて苦笑してしまう。

恥ずかしいことを白状して、頭のネジがどこかに飛んでいってしまったようだ。

すると、彼女が私を睨みつける。

苦笑していたのが気に障ったのか、と思わず身構えた私に、彼女は言葉を投げつけた。

「もういいや、ミーナはどうなのよ」

・・・そこで矛先が私に向きますか。

団長に出会ってからというもの、ずっと目を逸らしてきたことだった。

目の前で真っ直ぐにぶつけられては、もう、受け止めるしかない気がしてしまう。

分かっているのに、それでも正面から向かい合えない私はきっと、弱いのだ。弱いから、口に出したら言葉に飲み込まれてしまいそうで。

「・・・私が渡り人だから、って、思うことにしてたんだけど・・・」

「・・・なんでそういう時だけ、必要以上に謙虚で卑屈なの」

呆れたような一言が向けられたのを、居心地の悪い思いで受け止める。

そんな殊勝な気持ちが、底辺にあるわけじゃないのだ。

そして、自嘲気味に微笑んで、重い口を開いた。

・・・素直に、今の私が抱える思いを言葉にしても、いいのかも知れないな。

そう思ったら、するすると言葉が出てきた。

もしかしたら私はずっと、誰かに聞いて欲しかったのかも知れない。

「・・・好意は、ずっと感じてたよ」

「え?」



「でも、私が珍しくて構ってるだけかも知れないでしょ?

 ほんとは、優しくされたり甘やかされたりして、好きになっちゃいそうだけど・・・。

 今の関係が壊れたら、私は夢から覚めなくちゃいけない。

 ・・・それは、今の私には耐えられそうにないから・・・」


ずっと燻っていた思いを言葉にすると、なんだか胸がすっとした。

・・・1人で考え込んじゃいけないんだな。

そっと、息をつく。

「あたしは、ミーナが幸せになってくれれば、それでいい・・・」

自分の中に起きた変化を感じていると、彼女が目を伏せたまま呟いた。

思わずその表情を確かめたくて、じっと見つめる。

すると、彼女が私の視線に気づいたのか、顔を上げて柔らかく微笑んで。

「それが、誰とであっても。

 ・・・1人きりでも、幸せだって言える人も、いるもの・・・」

「・・・ありがと、アン」

 




もうアンでいいよ、なんて言ったら、結構本気で怒られてしまった。








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