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ジェイドさんは車から降りると、「くどいようですが・・・」という前置きをした上で、「体調が思わしくないと感じたら、すぐに言ってくださいね」と言い聞かせるようにしてから、陛下の執務室へ半ば走るようにして向かって行った。
私がちゃんと頷くのを見届けてから仕事に戻っていったけれど・・・あの様子では、こちらが何度頷いても、心配そうに同じことを繰り返し言い聞かせるのだろう。
・・・本当に、お父さんと呼びたくなってしまう。
彼のペースで移動するのは辛いので、手を振ってその後姿を見送りながら、胸の内で呟いた。
そして私は、まずは白の本部に向かって、無断で仕事を抜けた理由を説明して、謝ってきた・・・と言っても、白薔薇ことヴィエッタさんは、今朝の打ち合わせで私の顔色を見て、何か感じるものがあったらしい。
「ちょっと様子が気になる」と、ディディアさんにも報告していたとのことで、仕事を抜けたことを咎めるよりも、体調を心配する言葉をかけてもらえた。
ジェイドさんも、バードさん経由で伝言をしてくれていたようだけれど・・・補佐官からの伝言というのは重みがあるようで、正直、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
自己管理は社会人の基本スキルだと言われてきた私だから、病院に行っただけで罪悪感でいっぱいなのだ。
・・・次の休日にでも、お詫びの気持ちを配って歩こう。
頭の中で手土産を何にするか考えつつ、なるべく急いでレイラさんの私室へ向かう。
悪阻や体のだるさが辛い時期だから私が雇われているというのに、その私がダウンしてしまったら全く意味がない。
きれいに頭痛が消えたら、今度は猛烈な罪悪感が湧き上がってきた。
途中、前だけを見て急いで歩いていた私は、突然声をかけられて足を止めた。
周りが見えていなかった私は、はっとして声の主を探す。
ほどなくして、警備のために配置されているのだろう紅騎士を目に留めて、小首を傾げた。
これまで王宮の中を歩いていても、紅騎士と接点を持ったことがなかったのだ。
「病院に行かれたと聞きましたが、体調がよろしくないのでは?」
彼は不思議そうに一歩離れた私を気にするふうでもなく、心配そうな表情で問いかける。
もしかして、今朝の一場面を目撃していて、覚えてくれていたのだろうか。
「おかげさまで、もう大丈夫です」
笑顔で返したけれど、やはり腑に落ちないものを抱えて私は内心で小首を傾げた。
ノックの返事を待って、ドアを開けたところで元気な声が耳に飛び込んでくる。
「ミミーっ」
声を合図にして、続いて小さくて温かい体温が勢い良く飛び込んできた。
それを両手で受け止めて、頭を撫でる。
「ごめんね、遅くなっちゃって」
「・・・ミミ、大丈夫?」
目線を合わせるように身をかがめれば、リオン君が心配そうに私の顔を覗きこんだ。
きゅるん、とした瞳が、純粋な好意を宿していることに気づいて、胸がきゅんきゅんする。
・・・犬を飼いたいなんて言ったら、怒られるだろうか。
ははうえーっ。
ミミが帰ってきたよーっ」
私が呆けた隙に、リオン君はレイラさんを呼びながら部屋の奥へ駆けていった。
入れ替わるように、今朝大いに迷惑をかけてしまったバードさんがやってくる。
「・・・もう体調は落ち着きましたか?」
体調を崩すと、いろんな人に心配してもらえるらしい。
温かみのある笑顔を浮かべた彼が、私の目の前で立ち止まった。
団長に仇なす者は許さない、というような発言をした彼とは、どこか違う人のように思えてしまう。
「おかげさまで、もう大丈夫です。
今朝はご迷惑おかけして、すみませんでした」
本当に迷惑をかけてしまったと反省している私は、深々と頭を下げた。
すると、彼が肩を揺らす。
「私は白の本部に伝言に行ったくらいですから。
まあでも・・・次は、不調を感じたらすぐ病院に行くことをお勧めします」
苦笑しながら言った彼の目が、優しく細められる。
「・・・う、はい。
ジェイドさんからも同じことを言われたので、耳が痛いです・・・」
小言と温かい視線の板ばさみで、どんな反応を返したらいいのか、内心狼狽してしまう。
そうこうしていると、奥からレイラさんが出てきてくれた。
「ミーナさん!
・・・倒れたって、バードさんから聞いて・・・」
「もう大丈夫です、ご迷惑おかけしました」
明らかに私よりも儚げなレイラさんに心配されると、なんだか複雑な気持ちになる。
彼女は体調が安定せず、あまり食事が取れていないのだ。
「午後からは、いつも通り子守をしますね。
・・・ちゃんと薬も貰って来ましたし」
心配そうな目を向けるレイラさんにそう言って、はたと気づいた。
リュケル先生に、自分がどういう状況なのか聞いておくのを忘れていたのを思い出したのだ。
偏頭痛のようなものなのか、それとも疲れからくる不調だったのか・・・薬は貰ったけれど、原因を聞かずに来たから、どうしたら予防出来るのかも分からないままだ。
・・・緊迫した雰囲気でもなかったから、大丈夫だとは思うけれど・・・。
そう結論づけて、私は午後の仕事に戻ったのだった。
・・・そう、仕事に戻ったはずなのだ。
「さあ、合わせてみましょう!」
「はあ・・・」
目をキラキラさせて、レイラさんが両手をぱちん、と鳴らす。
子守に戻って、お勉強やらお稽古やら、することがあるのかと思いきや、だ。
私は何故かレイラさんの寝室に案内されていた。
そして目の前に広がっていた光景に言葉を失っていたところで、レイラさんのるんるんとした言葉が追い討ちをかけた。
大きくて寝心地も最高なのだろう、と想像がつくベッドの上に、零れ落ちそうなほどの量の服が乗せられているのだ。
そして、彼女は合わせてみよう、と言う。
・・・今日はレイラさんの遊び相手になれ、ということですか・・・。
お人形になるには、私の体形では普通過ぎて服が可哀想だと思うのだけれど。
ちなみにリオン君は、食卓でお絵かきをしている。側にいるのはバードさんだ。
本来ならば私がリオン君とお絵かきを・・・などと内心で唸っていると、いつの間にかレイラさんが山のようにある服の中から、1着を私の体に合わせて唸っていた。
「どの色が似合うのかしら・・・」
向こうの世界の、ショップ店員のようだ。私の顔色に合う色を探そうと、衣装をとっかえひっかえしている。
赤、黄、茶、黒、緑、水色・・・ずいぶんと多彩な品揃えだ。
そんなことを思っていると、ふいにレイラさんが言う。
「今度、夜会を開くんですって」
その一言を聞いて、なんとなく嫌な予感がした。
「・・・もしかして、そのための試着ですか・・・?」
「そうなんです。
私の懐妊を公にしてなかったので、そのお知らせと・・・。
あと、オーディエくんが、もうすぐ帰ってくるんですって」
「オーディエ皇子が・・・」
「はい。
数日ですけど、学校がお休みになるから帰ってくるみたいです。
で、おかえり夜会と、お知らせ夜会を一緒に済ませてしまおうって、陛下が。
ああ、夜会とは別に、身内だけでおかえり晩餐をしたい、ってチェルニー様が」
姿見の前に立たされた私は、大きな鏡の中で忙しく動き回る彼女を心配しながらも、私は自分にあてられる衣装を見て固まっていた。
・・・あまり豪華なものは、完全に顔が負けていると思う。
それにしてもその言い回し、夜会や晩餐は、打ち上げか何かなのだだろうか。
「それで、早いうちに衣装を選んでおかないと、手直しする場合に間に合わないので」
「・・・その夜会・・・私も、出席するんですか?」
こういう時、答えが分かっているのに聞かずにはいられない。
私の言葉に、レイラさんは間髪入れずに答えてくれた。
「もちろんです。
といっても、最初だけですけど・・・。
リオンの顔も見せておかないといけませんから、その付き添いをお願いします。
顔を出したら、あとはリオンと部屋に戻ってもらって、わたくしが戻るまで一緒に
いていただこうと思っています」
「なるほど・・・分かりました」
どうやら会場に居るための衣装が必要なのだろう、と納得した私は、彼女の言葉に頷いて大人しく鏡の中の自分を見つめた。
会話の合間にも、とっかえひっかえ衣装の顔映えを見ては、首を捻ったり頷いたり、レイラさんが忙しそうに動く。
「チェルニー様とレイラさんの衣装は、もう決まってるんですか?」
「はい、わたくしとチェルニー様は、公式の場で身につける宝石や衣装の色が、
あらかじめ決まっているので悩むことがないんです」
そう言いながら、彼女は手際よく、衣装を2種類に分別しているようだった。
「チェルニー様は紫で、わたくしは桃色です。
だから、それ以外の色で衣装を選ぼうと思っているんですけど・・・」
なるほど、それで紫とピンクが見当たらなかったわけだ。
感心していると、2種類に分けたうちの片方の山を片付けて欲しいと、白侍女さん達を呼んでお願いするレイラさん。
忙しく衣装の顔映えを見ていたのは、必要な衣装とそうでないものを分けるためだったのか。
おっとりとした天然な様子ばかりを見てきたから、誰かに指示を出す姿は新鮮だ。
「・・・さ、ミーナさん。
この中から好きな服を選んで下さいね」
そう言って指差す先には、数着の衣装。
ドレスほどの派手さはないけれど、向こうの世界で言うところのパーティードレスくらいの華やかさはある。
本当に私が着ても問題ないのかと思うくらい、上等なものばかりだ。見て分かるほど。
・・・試着の前に、王宮の周りを走りこんだ方がいいような・・・。
服にだって、着られる人を選ぶ権利があるのではないかと、思わず怯んでしまう私だった。
試着を開始してからは、あっという間だった。
幸い手直しは必要なく、靴のサイズを合わせるところまで済ませてリオン君のもとへ戻ると、彼は長いこと待たされたのにも関わらず、人懐こい笑顔で迎えてくれた。
そして、お絵かきを見せてくれたと思えば、なんと、バードさんをお供にお庭で花を摘んできたのだと、小さな花束をくれたのだ。
「私、リオン君と結婚したいと思います」と思わず呟いてしまった私を見て、バードさんが苦笑していた。
その日の夜、軽い眩暈と頭痛が起きた。
薬を飲んで早めに就寝しようとしても、漠然とした不安が邪魔をして。
あの綺麗な便箋の中身を読み返しても、数日後に作る予定のメニューを考えてみても、心の収まる場所がないような、変な感覚が消えなかったのだ。
どうしてだろう、と突き詰めて考えるのも怖くなった私は、静かに窓を開けた。
そして結局、夜空に浮かぶ月を眺めているうちに、感覚が霧になってかき消えていこうとするのを自覚した後、意識が沈んでいったのだった・・・。




