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目が覚めると、頭が痛かった。




「うぅ・・・飲んでないのに・・・」

こめかみを指で押しつつ歩いていると、隣を歩くバードさんが声をかけてきた。

「珍しいですね、頭痛ですか」

私は首を縦に振るのも躊躇してしまって、ただ彼を見上げた。

ありがたいことに、彼は気遣わしげに私を見ている。

「そ、なんです・・・今朝起きたら、痛くて・・・」

青い空が目に痛かった。

目が覚めた時に感じた鈍痛は、ストレッチをしても、こめかみを揉んでも、しつこく私の頭に居座るつもりらしい。

部屋から出たら、また一段と痛くなり、今となっては歩くのすら嫌になってきた。

喉も痛くないし、生理痛でもないし、熱がないんだから、もちろん風邪なはずがない。

「・・・あ゛ー・・・」

バードさんの前で女子らしからぬ声が出てしまっても、今日だけは許して欲しい。

そんな私を目の当たりにして、彼も戸惑っているのか、しばらく静かに隣を歩いていたのだけれど・・・。

「・・・ミーナ殿、今日は休ませてもらって、病院で診察を受けてはどうです?

 レイラ様や白百合殿には、お伝えしておきますから・・・」

「・・・でも・・・せっかく、打ち合わせしたのに・・・」

3つの騎士団は毎朝、大体同じ時間帯に打ち合わせをすることになっている。

私も例に漏れず、リオン君のところに行く前に、白の本部で白薔薇ことヴィエッタさんと、その日1日の簡単な連絡事項などを打ち合わせる。

紅の騎士団だけは、王宮警備の都合上、入れ替わりで連絡事項を共有するらしいけれど・・・。

・・・ちなみに白百合ことディディアさんは、朝議に出席したりと毎日同じ時間に顔を合わせるのが難しいので、いつもその場にいないことが多い。

実はほんの少し前に、その打ち合わせを頑張って済ませたばかりだった。

よく考えれば、あの時にヴィエッタさんに体調が悪いことも伝えておくべきだったか。

「そういったことを言っていると、手遅れになるかも知れませんよ」

彼はため息混じりに言って、私の肩をやんわりと掴んだ。

そして、ゆっくりと顔を覗き込むようにして、目を合わせてくる。

せっかく私好みの渋い彼が見つめてくれているというのに、頭の痛さがときめくことを許してくれそうにないのが残念でならない。

「・・・バードさん、病院まで・・・抱っこして、連れてってくれます・・・?」

いつもならこんな間近で目を合わせる勇気も持てないけれど、痛みが緊張を上回っているのだろう。こちらから覗き込むようにしてお願いする。

すると、彼は口元だけで笑った。

「お断りします。仕事がありますから。

 それだけ軽口を叩けるのなら、ひとりで行けるでしょう」

「・・・う・・・です、よね・・・」

こんな意味のないやり取りをしている間にも、鈍痛が絶え間なくやってくる。

・・・駄目だ、ふざけてても気が紛れない・・・。

しかも心なしか、今朝目が覚めた時よりも頻度が高くなってきているような気がする。

「・・・じゃあ、あの、お言葉に、甘えて・・・」

・・・皆さんにお伝え願いますか、と言おうとして、膝が折れた。

そして視界がひしゃげて、世界が歪んで回った瞬間、私は崩れ落ちていた。

「ミーナ殿・・・?!」

がくん、と頭が揺れて、鈍痛が大波でやってくる。

痛みに一瞬息が詰まって、息を吐いた刹那にまた大波が。

どこに手をついているのか分からないまま、しばらく座り込んでやり過ごそうと、私は浅く息を吸っては吐き、乱れた呼吸を整えようとする。

・・・頭痛って、立ってられなくなるようなものだったっけ・・・?!

痛みに耐えながら、自分の身に起こった事態に混乱してしまった。

どうして、どうして、と繰り返すけれど、繰り返すほどに痛みがやってくる。

そうして、自分が今、どこにいるのかもおぼろげになってきた頃だ。

いつのまにか背中に手が添えられたのに気づいた。

温かくて優しくて・・・突き放したバードさんが、してくれているのだろうか。

「あ、あり・・・」

ありがとうございます、と言おうとしたところで、声がかかった。

「大丈夫ですか?」

「・・・え・・・」

バードさんの声とは違う、もう少しだけ高い声。

私は痛みのせいで耳までチューニングがおかしくなってしまったのか。

鈍痛の大波に飲まれて息も絶え絶えの私は、振り返ろうにも怖くて頭が動かせない。

「・・・マツダさん・・・?」

耳元で、囁きが聞こえた。

痛みの狭間で、途切れ途切れに考えて気がついた。

・・・この手はジェイドさんだったのか。

「マツダさん・・・立てます?」

そっと、伺うように尋ねられた。

囁くような大きさの声に応えたいのに、声が上手く出せない。

どう頑張っても、細い息が口先から漏れ出るだけだった。

意思表示が出来ないことが、こんなにも苦しいものだなんて、思いもしなかった・・・。

「・・・今すぐ病院に行きましょう。

 バードさん、すみませんが陛下に伝えてもらえますか?

 あと・・・白から誰でも良いので、臨時で陛下の補佐に回してもらえると助かります」

「・・・あ・・・っ」

言いながら、私の膝をすくう。

何度か経験しても、やはり慣れることのない浮遊感に目を瞑る。

ぐわん、とまた大波がやって来た。

思わず息を飲んだ私に、彼がそっと囁く。

「・・・ほんの少しだけ、我慢して下さい」

その言葉に薄っすらと目を開くと、目の前でジェイドさんの透き通った青い目が瞬いた。

私は頷くことも出来ずにその瞳を見返して、またやって来た痛みに目を閉じる。

小さく息を吐くと、ほんの少しだけ痛みが宙へと逃げていく。

痛いのとフラフラするのとで、私は何がなんだか理解できないまま、彼の腕の中で目を閉じることにした。

・・・ああもう、今年は厄年なのかな・・・。

おぼろげに解けてゆく意識から手を離した瞬間、誰かが私を呼んだ。





温かい、大きな手が、私の手を握っている。


ああ、そっか・・・。

私、風邪引いて仕事休んじゃったんだね。

看病してくれてるの、お母さんなの・・・?

小さい時もこうやって、風邪引くと家族の誰かが手を握って、眠るまで側にいてくれたっけ。

もう、頭も痛くないし、大丈夫だよ。

ねぇ、お母さん、おかゆ、食べたいな・・・。

おなか、すいたな・・・。


きゅるるるるる


「・・・ぷっ・・・」

誰かの声が聞こえて、私は意識を浮上させた。

・・・この声は・・・違う。私の家族じゃない。

それが解ってしまう絶望は、初めてではなかった。

それなのに、もう大丈夫だと思っていたのに、呼吸をする度に、どうしようもない切なさが胸の中に広がるのを抑えられない。

・・・まだ、目覚めたくない。

手のひらに感じる温かさが本物だと理解したら、もう、現実に戻らなくてはいけない。

「・・・あなたって人は、本当に・・・」

穏やかな声が、力を失った体にとても心地よく響いた。

咄嗟に団長が帰ってきたのかと思って、そんなわけがない、と思い至る。

彼は今、遠い西の土地で仕事をしているのだから。

・・・そういえば、私、王宮で限界が来て・・・。

記憶を辿るうちに現実を受け止めるだけの勇気が湧いて、私は目を開けた。

飛び込んできた眩しさに、思わず顔をしかめてしまう。

「・・・ん・・・ぅ・・・」

そしてもう一度瞼を閉じて深呼吸をすると、その向こうの明るさが透けて、段々と目がそれに馴染んでいく気がする。

やっとの思いで目を開けて、最初に飛び込んできたのはシミひとつない真っ白な天井。

「頭は、もう痛くないですか・・・?」

これ以上ないくらいに優しい声で、ジェイドさんが聞いてくれる。

彼はそっと私の頭を撫でてから、額に手のひらを当てた。

私は彼の体温が、額の上でじんわり溶けていくのを感じながら、目を閉じる。

「・・・全然痛くないです・・・どこ行っちゃったんだろ・・・」

不思議なことに、あの鈍痛の大波はどこかへと消えてしまっていた。

私は恐々と息を吐きながら、痛みの名残がないか気配を探る。

「病院で、治療してもらったんですよ」

「・・・病院・・・」

そういえば、気を失う前にそんな単語を聞いた気がする。

私は目を瞬かせながら、彼を見上げた。

すると、綺麗な水色の瞳が柔らかく細められる。

「そう、病院です。

 鎮痛剤を時間をかけて吸引したので、今日はもう心配ないはずですよ」

ゆっくりと、噛んで含めるように言い聞かされて、私はやっと頷くことが出来た。

それを見た彼は、私の額に手を置いたまま、そっと眉間を親指で撫でる。

気持ちが良くて、つい目を閉じてしまった私は、そのまま言葉を紡ぐ。

「ありがとうございました・・・。

 ・・・あの、お仕事・・・放り出させてしまって、ごめんなさい・・・」

陛下、怒ってませんか?・・・と付け足そうとしたところで、額にびしっと痛みが走る。

びっくりして目を開けると、その手の形から、ジェイドさんが私にデコピンしたのだと知った。

「・・・え、え・・・?」

・・・この人、こんなことするの・・・?

わけが分からず目が合ったところで、彼が目を細めた。

どういうわけか、その瞳にちらつくのは、怒りのようだ。

そして、彼はひとつ息を吐いて、もう一度目元を和らげると言った。

「全く・・・言ったはずですよ、私のことも頼りなさいと」

まなじりを下げて言われて、甘やかされている気になってしまう。

弱っている時にそんなふうに優しくされてしまったら、簡単に頷いてしまいそうだ。

彼はデコピンをしたその手で、目が溶けて落ちてしまうんじゃないかと思う程、甘く甘く微笑みながら、私の頭をそっと撫で続ける。

・・・こんなふうに優しくされると困るのに。

そう思いながらも、どうしようもなく心地良くて、私はそっと目を閉じた。

このまま、もう一度眠りに堕ちてゆけそうだと思いつつ、口を開く。

「・・・お父さん・・・って、呼んでもいいですか・・・。

 そしたら、すぐ頼っちゃうんですけどね・・・」

お父さん、と言った瞬間に、撫で続けていた彼の手が止まった。

そこに留まったままなのが気になって、そっと目を開ける。

すると、私の頭に手をのせたまま、彼が私を凝視したまま固まっていた。

「・・・ジェイドさん?」

恐る恐る声をかければ、彼はあろうことか不敵に笑ったのだ。

「言ってくれますね」

放たれた言葉が、鋭すぎて目を見開いてしまう。

・・・この人は誰。

そう思っている間に、頭に添えられていた手が、頬に移動してきた。

同時に、顔が近づく。

彼は椅子に腰掛けているというのに、とても体が柔らかいようだ、なんて、どうしようもない現実逃避をしてみる。

もちろんそんなことをしても何も起こらないので、私は気だるい体に鞭打って、なんとか彼と距離を取ろうともがく。

けれど、ベッドに横になっているのだ。これ以上後ろに下がれるわけもなかった。

そして気づけば、分かりやすい体勢で、私は追い詰められていった。

「父親なら、無茶をする小娘にはお仕置きが必要ですねぇ」

悪の手先さながらの台詞を吐いて、彼がさらに顔を近づける。

もう少しで吐息が、口移しにされそうなほどに。

「まっ、あのっ、ごめ・・・っ」

言葉が言葉として出てこないけど、とにかく必死に謝った。

どうか伝わって、というか、汲み取って欲しい。

「ちょっ・・・!」

ジェイドさんに繋がれていない方の手を毛布から出して、彼の体を押そうと試みるけど、力がうまく入らない。

そうこうしているうちに、その手が彼に捕まって、もう片方と一緒に頭の上に持っていかれた。

「・・・っ」

声にならない声が、口からひゅっと出て、目をぎゅっと瞑る。

・・・なんでこんなことに。ここは病院だし私は病人なのに。

心臓の音が早鐘のように耳元で響いて、何も考えられない。

頬に手が触れる。

目を閉じているからか、その感触が生々しい。

何をされるのかと戦々恐々としていたら、耳元に気配を感じた。

「目を開けなさい」

そっと耳元で囁かれれば、吐息がうなじにかかって思わず首を竦めてしまった。

喉元にせり上がってきた小さな悲鳴を飲み込んで、私は頭の上に上げられた両手を握りこむ。

そして、言うことは聞いておいた方がいいだろうと、私は窺うようにして目を開けた。

目の前には、彼の顔が。

青空のような瞳に浮かぶものに無意識に見入ってしまっていたら、彼がふっと目元を和らげた。

いまだに両手は拘束されたままだけれど。

「・・・私は、あなたの父親になるつもりは、さらさらないですよ。

 実力行使で申し訳ないですが、分かっていただけました・・・?」

どうやら「お父さん」と呼ばれるのは嫌らしい。

私は心からの謝罪を込めて、勢いよく首を縦に振った。

眩暈がしそうだけれど、そんなことはどうでもいい。この状況を脱したい。

そんな私の気持ちは残念ながら伝わらなかったのだろう。

彼は表情を強張らせる私を、また甘く微笑んで一瞥する。

「・・・あなただって、」

頬に手を触れたままで、言葉を紡ぎながら、彼は顔をさらに近づけた。

鼻先に吐息がかかっているような気がして、咄嗟に息を止める。

そんな私を見て、彼はふっと口元を緩めた。

そして、頬に触れていた手を、今度は私の心臓の辺りに当てた。

暑さをしのぐための薄い布地の服越しに、彼の体温を感じて思わず息を飲む。

直接触れられたわけではないのに、恥ずかしいやら、何をされるか分からない不安やらで、顔が熱くなってきた。

彼は私の反応を楽しんでいるのか、どこか楽しそうだ。

もしかしたら、お仕置きなんて言葉を囁いた彼は、少し意地悪するつもりなのかも知れない。

ただの仕返しのつもりなら、必要以上の色気を向けないで欲しいのに。

「こんなに鼓動が早いのに、私を『お父さん』と呼びたいだなんて・・・」

じっと見つめられて、私は息を潜めたまま彼の目を見る。

それは水色をしているのに、熱がそこにあるように見えて視線を剥がせなくなってしまった私は、震えそうになる声を振り絞って謝った。

「・・・ごめんなさい・・・」

しかし彼はそれを爽やかに無視して、笑みを深くする。

そして心臓の音を吸い込んでいた手を、再び私の頬に添えた。

柔らかく細められた目に、私は、ああ、と気がつく。

・・・この目は、私に勘違いをさせる目だ・・・。

「・・・ミナ・・・」

間近で囁かれた言葉に、私は息を飲んだ。

目を見開いて、呆然と目の前の男の人を見つめる。

すると彼は、甘く微笑んだ。

「たくさん、練習しましたから。

 あなたの名前を、きちんと呼びたくて」

びっくりしたでしょう?・・・と得意気に囁く彼。

私はといえば、名前を呼ばれた衝撃に言葉を失ってしまっていた。

緊張も恥ずかしさも、何もかもが一瞬真っ白に染められて。

そんな私に満足したのだろうか、彼はにっこりと微笑んだ。

「・・・少し、時間がかかってしまいましたけれどね」

「・・・ありがとうございます・・・?

 ええと・・・練習、して下さったんですね・・・?」

別にマツダの方で呼ばれていても、名字で呼ばれることの多い国からやって来たのだから構わなかった・・・とも言えず、私は曖昧にお礼を述べた。

すると彼は、私の反応にあてが外れたのか、ふうっと息をついて、私の両手を捕まえていた手をそっと離した。

私は、返ってきた手を握ったり開いたりして感触を確かめる。

強く握られていたわけではないのに、返ってきた両手は熱くて、彼の熱がまだ内側で燻っているような気分にさせた。

彼が、思わず両手を握りこんだ私の頭を、そっと撫でる。

その手つきはやはり優しくて、鼓動が跳ねるのを止められない。

「もう、ちゃんと言いましょうか」

「・・・え?」

起き上がってベッドの上に座り込んだまま、彼の言葉を聞き返した。

結い上げていた髪がほつれて、ゆるゆると解けて肩に流れ落ちているのを、そっと払う。

「・・・私はね、あなたに男として見てもらいたいと思ってるんですよ」

控えめな言葉とは裏腹に、そこにいるのは、綺麗な空色の瞳を静かに私に向けるひと。




・・・どうして、この世界の男の人は、こんなにも真っ直ぐなのだろう。








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