22
2人の男の人が、険悪な雰囲気の中、視線を交えている。
私は卒倒しそうになる自分を叱咤して、なんとかその場に立ち尽くしていた。
何を言うでもない2人は今、一体何を考えているのだろうか。
そもそも、ノルガには好きだと言われたりもしたけれど、団長からは一切そういったことを告げられた記憶がないのだから、2人が睨み合う必要もないと思うのだけれど・・・。
・・・いや、団長の眼差しが険悪なのは、親心なのかも知れない。
そう自分を納得させて、私は額を押さえた。
・・・頭が痛い・・・。
昨日の丘の上での出来事は、私も無防備で甘かったと思うけれど、それでも私の気持ちも聞かずに行動に出たノルガに対して、憤慨したい気持ちがあることは、決して間違ってはいないと思うのだ。
・・・それに、一度好きだとは言われたけれど、あれが本気だなんてとても信じられない。
・・・気の迷いか、寝ぼけて錯覚したのか知らないけれど、時間が経てば我に返るだろうと思って、避けようのなかった事故のようなものだったのだと、忘れることにしたのに・・・。
私は、どうしたら穏便にこの場をおさめることが出来るのかと考えて、小さく息をついた。
すると、団長が沈黙を破る。
「ミナ」
「・・・はい・・・」
何故か後ろめたい気持ちがこみ上げて、そんな自分に動揺してしまう。
揺れる視線で、深いグリーンの瞳を受け止めていると、こちらをじっと見ている団長がゆっくりと口を開くのが分かった。
「どうする?」
「どうする、って・・・?」
投げかけられた問いに、私は掠れた声で呟いた。
「どちらに送ってもらうつもりだ?」
彼はゆっくりと告げる。
そう言いながら、思いの外穏やかに尋ねられて、私は鼓動が走り出すのを感じていた。
そんなふうに選択を委ねられてしまっては、繋いでいた手を急に離されたようで、心許無い気持ちになってしまう。
私がどうしたらいいのか分からなくなってノルガに視線を投げると、優しく微笑まれた。
その表情があまりにも甘くて、頭がクラクラしてしまう。
・・・そんなカオされたら、勘違いしてしまいそうだ。勘弁して欲しい。
「・・・あの・・・」
とにかく何か言わなくては、と焦る心で口を開いた。
彼らの視線が注がれるのを感じて、頭の中がさらに真っ白になる。
喉元が苦しくなって思わず手を這わせると、一本の紐に指先が引っかかった。その紐を辿って、指先がコインに触れる。
ぷっくりと浮かび上がる紋章の存在を感じた私は、気づけば言葉を紡いでいた。
「・・・シュウと夕飯を・・・約束したから・・・」
自分の口から飛び出た言葉に、自分で驚いてしまった。
私の無意識は、団長を選んだらしい。
驚きに言葉を失ったまま見上げれば、団長の目が細められる。
その表情が穏やかで優しくて、素直に嬉しいと感じてしまった私は、どうかしているのかも知れない。
「・・・じゃあ、」
ノルガの明るい声が響いて、我に返る。
振り向けば、彼がにこにこして私に話しかけてきた。
「俺とも約束してよ。
巡回から戻ったら、一緒に出かける時間作ってくれる?」
・・・約束したから、と理由をつけたのがいけなかったのか。
お小遣いを強請る弟さながらに、視線を送られてしまって、私はため息をつく。
「・・・私なんかと一緒に出かけてどうするの・・・」
ため息の次について出た台詞は、素直な気持ちだった。
本当に、彼が私に興味を持つ理由が分からないのだ。
けれど彼は、困惑したままの私には気づかないのか、気づいていない振りをしているのか、小首を傾げて言い放つ。
「どうするって、言われても・・・。
もっとミイナちゃんのこと知りたいんだよ。
もっと、ちゃんと好きになりたいだけ」
「・・・っ」
・・・真っ直ぐな言葉が、凶器になるだなんて初めて知った。
彼の返答に大きく動揺させられた私は、絶句したまま立ち尽くす。
それを気にしたふうでもなく、彼はにっこり笑って私の言葉を待っているようだった。
団長は、特に動く様子もない。
私はノルガの真っ直ぐな言葉をどう交わすべきか少しの間考えて、言葉を選んだ。
「・・・毎日仕事に励んでいる人からそう言われたら、すごく嬉しいと思うんだけど」
卑怯だと思われても仕方ない。
彼の言動を真正面から受け止めていたら、私は恥ずかしさに悶えて失神出来そうなのだ。
そんな私の言葉に、頭上で「ほぅ」と団長が声を漏らすのを聞いた。
途端にノルガが、ずさっ、と1歩下がる。
「・・・ミイナちゃ、」
顔を引きつらせて止めようとする彼に、私はにっこり微笑んで、言ってやった。
「お給料の分は、ちゃんと働かないとね」
「えっと・・・」
もう彼が見ているのは私ではなく団長だ。
私は、彼の言動が向けられなくなったことに安堵して、頬が緩むのを抑えられない。
すると、団長は彼を鼻で笑った。
「よく分かった。
・・・今回は見逃してやろう」
彼からしても、団長の台詞は意外だったのだろう。
口を開けたまま、呆けてしまっている。
「これで、1つ貸しだ」
そして、魔王のような壮絶な笑顔で、団長が言い放った。
きっと彼は今、自分の普段の行いを悔いていることだろう。
「・・・えぇぇ・・・」
口から漏れたか細い悲鳴が、それを物語っていた。
・・・少し可哀想なことをしたのかも知れないな。
そんな気持ちを抱いて団長を見上げれば、その瞳が細められる様子に、ノルガの心配をするのはやめておこう、と思い直した。
「ミイナちゃん」
団長と目を合わせている間に復活したのか、ノルガが笑顔で私を呼んだ。
私は呼ばれるままに振り返る。
すると、いつかのように手を取られた。
思わず身構えたところで、団長の声がかかる。
「おい」
「ミイナちゃんの嫌がることはしません」
咎められたノルガが、口を尖らせた。
そして、今までに見たことのない表情で私を見る。
その真剣で真摯な目つきに、思わず逸らしそうになる視線を、必死に彼に縫い付けた。
彼が自分で蒔いた種とはいえ、申し訳ない気持ちがあるから、なのかも知れない。
嫌がることはしないという言葉を信じて、これから何を言われるのかと待っていると、彼は甘く微笑んだ。
「もう一回言っとく。
ミイナちゃんのこと好きなのは、本当だよ。
昨日は自分で気づいて、ビックリしちゃったんだけど・・・。
俺のこと好きになってもらえるまで、真面目に働いて頑張るから。見てて」
その目が熱を含んでいることに気づいてしまった私は、直視してはいけないと思いながらも、送られる視線から逃げることが出来なかった。
もとの世界にいて、こんな男前と甘い雰囲気を経験することはなかった私には、少々刺激が強すぎて、頭がクラクラしてしまう。
この手を早く離してほしい。心臓がもたない。
「わかった、わかったから離して・・・」
きっと顔が真っ赤になっていることだろう。
目の前で、ノルガが微笑んだ。
そして、そっと握った手を口元まで持っていく。
脳裏に、以前にも似たことがあったな、なんて思いが浮かんで、一瞬意識が逸れる。
そうしている間に、さらっと私の手に口づけて、彼は数歩下がった。
油断していただけに、体温が急上昇していくのを感じて眩暈がする。
「ちょ・・・っ」
私が自分に起きたことに慌てふためいている間にも、彼はにこにこと笑みを浮かべていた。
「赤くなるってことは、全くの対象外ってわけでもないんだよね」
無駄に元気な声を上げている彼を見ていると、一瞬こみ上げた怒りがしぼんでしまった。
この無邪気さに、昨日は一時でも救われた気がしたからだ。
熱くなった頬を両手で押さえて放心していると、ふいに大きな手が私の目の前を通り過ぎた。
「・・・ノルガ、彼女の荷物を」
団長が、いつの間にか地面に置き去りになっていた私の荷物を、ノルガから受け取る。
そして、ひと言。
「お前も帰って休め」
静かに様子を見ていた時よりも、いくらか態度が硬いのは気のせいだろうか。
気になって団長の横顔を見ていると、私にも声がかかった。
「・・・帰るぞ。
腹が減った・・・」
一応丸く収まって、約束した通りに夕食を一緒に摂ることになったというのに、その不機嫌さは一体どこからやってくるというのか。
私が半ば呆然と彼を見上げていると、くいっ、と体が引っ張られた。
「ぅわっ、と・・・」
数歩よろけて、団長にぶつかった。
手元を見れば、団長の手が私の手をしっかりと握っていた。
この大きな手は咄嗟に動いてしまったのだろう、私の手を固く握り締めていて、その強さに思わず顔を顰めてしまう。
・・・だから、もう少し手加減というものを・・・。
「ちょ、いた・・・」
抗議の声をあげる間もなく、団長の手に引かれて最初の一歩を踏み出す。
「ミイナちゃん、次会ったら、ちゃんと話をさせてねー!!」
ノルガが手をぶんぶん振って言うのを、視界の隅で受け止めて、私は彼に手を引かれるままに寮までの短くも長い道のりを歩き始めた。
寮までの道をほとんど無言で歩いた後、私は自分の部屋で荷物を片付けていた。
団長は荷物のバッグを置いて、先に自分の部屋に戻っているとのこと。
夕食を作って待っていると言っていたけれど、体調が悪いのにそんなことして大丈夫なのか。
しかも明日から巡回で遠出するというのに、だ。
・・・心配しても、また鼻で笑われると思うので、黙って頷いたけれど。
そんなふうにして、いろいろ考えつつも買ったものの片付けがひと段落したところで、昨日新しく買った服が目に入った。
汗を流してから着替えをして、部屋の鍵をかける。
ここ数日のもやもやが晴れたせいか、階段を上がる自分の体が軽くなったようだ。
そんなことを考えながら、私は団長の部屋の前に立った。
ひとつ深呼吸して、ドアをノックする。
もうすっかり日が落ちて、薄暗い照明が廊下を照らしていた。
廊下の窓から、月明かりが差し込んでいる。
・・・明日の出発は、晴れているといいな・・・。
胸の中で呟いてから視線を戻すと、すぐにドアが開いて、団長が顔を出した。
「早かったな」
目で入るよう促される。
「はい。
・・・お邪魔します」
そう言った私は、部屋の中へと1歩踏み出したところで、違和感を覚えて首を捻った。
その様子を見ていたのか、彼が笑みを浮かべて言う。
「あぁ・・・、部屋では靴を脱ぎたいんだろ?」
・・・違和感の正体はこれだったのか。
足元に、靴を脱ぐためのラグが敷いてあったことに気がついた。
団長の言葉に私は曖昧に頷いて言う。
「・・・まぁ、私はそうですけど・・・。
誰か、お客様でも来る機会があったんですか?」
ずいぶん綺麗なラグだ。
「いや?」
即答された。
・・・もしかして、私を部屋に呼ぶつもりで敷いてくれたのかな・・・。
淡い期待がふわりと浮き上がるのを感じて、私は慌ててそれを打ち払う。
すると、彼はそんな私に気づくことなく声をかけてきた。
「ミナの部屋は、まだ新聞紙のままか?」
「はい、大きな物は、1人じゃ持てないから・・・」
「それなら次は、1人で行かないことだ」
スリッパを出して、彼が笑った。
「・・・そうします」
私も笑顔を浮かべて言って、ありがたくスリッパに換えて、部屋の中へ入る。
「・・・あれ?
髪、濡れてますよ?」
部屋に入る彼の後姿を見て、髪から水が滴っているのに気づいた。
ぽたぽた雫が肩に落ちていく。
すると、彼が顔だけ振り返った。
「ああ。
シャワーを浴びた」
・・・水も滴るなんとやら。
そのえりあしに漂う色気を吸い込まないように、私はそっと息を吐いた。
以前私が打ちのめされた夜に連れてきてもらった場所は、リビングだったのを思い出す。
大きなソファに腰掛けて、彼の淹れてくれたお茶をいただいたのだった。
ソファを見つめている私の肩に手を置いて、彼が言う。
「・・・ほら、こっちに来て座れ」
「あ・・・。はい」
言われるままについて行った先には、美味しそうな匂いを漂わせる食事が用意されていた。
体調が良くないというのに、シャワーを浴びたり食事を作ったりして大丈夫なのだろうか。
私はありがたさに舞い上がる暇もなく、彼の様子を伺ってしまう。
すると彼は私の視線に気づいたのか、苦笑しながらも椅子を引いてくれた。
何もするなと言う彼と、それを黙らせて洗い物を済ませた私は、一緒に食後のお茶を飲みながら明日の話などをしていた。
話をしているうちに、彼が思い出したように告げる。
「・・・陛下とジェイド、白の団長に、図書館での資料の閲覧の許可を貰った」
カップから立ち上る湯気を吹いていた私は、目線を彼に戻して首を傾げる。
すると、彼は一度カップを置いて、頬杖をついた。
「渡り人の史料、読みたかったんじゃないのか?」
「・・・許可って、私が見てもいいってことですか?」
思わぬ展開に、身を乗り出してしまう。
彼は私の反応を予想していたのか、微笑んで頷いた。
「ありがとうございます、すごく嬉しいです・・・!」
話を聞いてから、ずっと気になっていたことだったので、素直にお礼の言葉がついて出る。
彼はそんな私を見て「ああ」と満足そうに囁いてから、ふいに眉間にしわを寄せた。
「・・・放っておくと、ジェイドに相談しかねないからな」
「え?」
「・・・いや、こちらの話だ・・・」
いまいち意味が掴めなかったけれど、そんなことはどうでもいい程、私は舞い上がっていた。
「明日、行ってみてもいいんですか?」
「ああ」
「やったぁ!」
小さく声を上げてしまってから、はた、と気が付いた。
「・・・ごめんなさい・・・。
忙しくて体調も良くなかったのに、私が余計な仕事を増やしてたんですね・・・」
難民が国境を越えて進入していることは、国家としては侵略戦争をしかけてきた隣国との間の火種になりかねない、きっと一大事に違いないのだ。
耳に挟んでからずっと、私には遠い世界の話だと高を括っていたけれど、彼にとっては目の前に迫り来る脅威だろう。
国の中心にいる人達と話し合ったり、騎士団で訓練や鍛錬をしたりと、体がいくつあっても足りない状況だったことは、今の私なら簡単に想像出来る。
それなのに、私は勘違いをして勝手に心の中をもやもやさせて、彼を避けて・・・。
考えを巡らせているうちに無意識に眉が下がっていたのだろうか、彼は私を見つめて、優しく微笑んだ。
「気にするな。
仕事ではないし、余計でもない。
・・・早く閲覧させてやりたかっただけだ」
「・・・ありがとうございます」
せめて、と浮かべた私の笑顔を見て、団長は満足そうに頷いてくれたのだった。
「それじゃ、巡回から戻ったらメモでも入れておいて下さいね」
玄関先で、靴を履きながら団長を振り返る。
正確な日数が分からないので、巡回から戻ったら私の部屋のドアの下から、メモを入れてもらう約束をしたのだ。
もしかしたら、抜刀する機会もあるかも知れないということだけれど・・・それについては、心配してもどうしようもないことだ。
必要に迫られれば仕方ない。これが彼の仕事なのだから。
そう思った私は、これから起こり得る危険について話すよりも、戻った後の楽しみについて話をした方が健全だと思った。
「・・・帰ってきたら、一緒にごはん食べましょ。
次は私が作りますから。・・・味は、保障しませんけど」
「ああ、楽しみだ」
最後のセリフで目を逸らした私に、彼は楽しそうに微笑んだ。
その顔を見て、私も自然と笑顔になる。
「本当に1人で大丈夫か?」
過保護な団長は、ひとつ下の階の私の部屋に行くのにも、送るつもりだったらしい。
自分の体調も考えて、今日はこのまま休む約束をしたばかりだっていうのに・・・。
私は心配そうな彼に、意地悪く口元を緩めた。
「そんなに心配なら、私がこの部屋に居座りますよ?」
それじゃ困るでしょ?という意味で言うと、彼は目を見開いて固まった。
滅多に見ない顔だったので、思わず吹きだしてしまう。
「驚きすぎですよ、冗談じゃないですか。
・・・それじゃ、おやすみなさい」
手をぱたぱた振りながら言って、ドアノブを握った時だった。
がばっ、という言葉がぴったりなくらい、背中に衝撃が走った。
「え・・・?」
「ここに居ろ・・・」
耳元に、彼のバリトンが響く。
その声が、彼が私を後ろから抱きしめているのだと理解させた。
分かったとたんに、心臓がうるさい位に騒ぎ出す。
体中の熱が顔に集まってきたように感じるくらいに、顔が熱い。
「あの、」
「心配だ」
低く、彼の言葉が響く。
背中から伝わる彼の鼓動が、私の鼓動を追いかけるようだった。
「ここに、居てくれないか」
今、彼はどんな表情をしているんだろうか。
彼の温もりと、言葉と、息遣いが、一瞬沸騰しかけた心を落ち着かせてくれた。
私の肩の辺りをぐるりと、彼の腕が優しく包んでいるのを感じる。
今までの、からかうような意地悪な触れ方とは違う気がするのは何故だろう。
そう思う自分を意識の端に寄せてから、彼の腕にそっと触れた。
「・・・シュウ・・・?」
そして名を呼べば、静かに彼の声が返ってくる。
「ん・・・?」
その声に私は、巡回を前に不安定になっているのかも知れないな、なんて感想を抱いて彼の腕をゆっくりと擦った。
それに呼応するかのように、腕が強張ったのが分かって、私は思わず頬を緩める。
「・・・私を心配してる場合じゃないですよ」
返事はない。
その代わりに、包んでくれる腕が一瞬、強張ったのが分かる。
「・・・戻ってくるの待ってます。何を作るか考えながら。
だから、今度はナイフが刺さらないように、気をつけて行って来て・・・」
静寂の中、彼のかすかな声を聞くために、私はそっと、目を閉じた。
不思議なことに、その夜はとても良く眠れた。




