20
「ミーミ!」
幼く明るい声が廊下に響いて、続いてぱたぱたと足音が近づいてくる。
小さな姿の向こうには、子守初日からずっと護衛としてついてくれている白の騎士が見えた。
着かず離れず、リオン君が気にならない程度の距離感を保ってそばにいてくれるのは、とっても安心できる。男の人の手が必要な時もあるからだ。
それにしても、リオン君の無邪気な笑顔には、本当に癒される。
なんだかひどく疲れた休日が明けて、今日からまたリオン君の子守だ。
リオン君は可愛いし、一緒にいて気を配ることは多いけど、楽しい。
一瞬でも目を離すことが出来ないくらいに、彼の表情はくるくると変わって、刹那の間に成長してしまうのだ。
・・・連休でなくて、本当に良かったと思う。
1人でいると考え込んでしまうし、リオン君と目まぐるしく一日を過ごしている方が気も紛れて、正直有り難い。
「おはよ、リオン君」
駆け寄ってきた小さな体を抱きとめて、少し汗ばんだ頭をなでた。
子どもと接していると、自然と笑顔になってしまうから不思議だ。
少しでも元気を分けてもらいたくて、思わず小さな体をぎゅっと抱きしめる。
「おはようミミ!」
・・・今日も元気だね。
「バードさんも、おはようございます」
後ろに控えた彼に声をかければ、少し威圧感のある風貌からは想像できないほど、柔らかい口調で挨拶を返される。
子どもの護衛だから、腕の立つ、人当たりの良い人が選ばれたのだろう。
今のところ、王宮内で部屋の外を歩くときは、私達は3人で行動していることが多い。
騎士1人で大丈夫かと思ったけれど、王宮内であれば、合図をすればどこからでも白と紅の騎士たちが駆けつけることが出来るそうだ。
それが分かっているから、バードさんが言うには、王宮の隅の方や死角に入らなければ大丈夫だという。
実際、今までに周辺諸国からの客人などが訪れても、王宮内で襲撃された例はないそうだ。
万が一何かが水面下で動き始めていたとしても、その芽をつむのが紅の騎士団の仕事でもある。そういった事例がいくつあったのかは知らないけれど、王宮が安全であることは、話を聞いてよく分かった。
白の本部で1日の予定を確認して、リオン君のお勉強に付き添う。
彼はまだ4歳だけれど、ゆくゆくは陛下や兄皇子と一緒に国を守るために、今からいろいろなことを学ぶことになっているのだ。
まずは、絵本の読み聞かせのようにして、この国の歴史や周辺諸国との関わり、国内で生産される物や問題となっていることなどを、学ぶことになるのだそう。
リオン君は、この時間を「お話の時間」と呼ぶ。
実はこれ、この国の歴史に疎い私でも分かりやすくて、良い勉強になるので助かっている。
お勉強は空いている客室で行うことになっていて、どの部屋で行うかは当日の朝になってから、白の団長と事務官が話し合って決めるようにしてあるのだそうだ。
というのも警備は万全だけど、念のために毎回、それも当日に場所を決めることで、襲われる危険性を少なくするため。
陛下の判断で行われるようになったというけれど、内通者対策なのだという。
蒼で内通者が出てしまったことが、大きく影響していると、ジェイドさんが言っていた。
まだ白も紅もそういった事態は起きていないけれど、予防が出来るのなら、するべきだと団長達からも進言があったらしい。
・・・子どもの世界には、そんなことは関係がないのだけれど。
本人は今日のお話の時間の部屋に入るなり、置いてあったボードゲームに熱中している。相手は護衛のバードさんだ。
部屋の外には、紅の侍女が控えているから、何かあったらすぐ分かるそうなので、こういう時はリオン君にお願いされれば一緒に遊んでくれる。
「皇子、もうすぐ駒が囲われてしまいますよ」
「・・・あーっ」
2人が遊んでいるのは、囲碁のようなゲームだ。
こういうゲームも、戦略を立てるアイディアを養うのに使われるのだそうだ。だから、相手は私じゃ役不足なので、バードさんにお願いしている。
今はただの遊びだけれど、そのうちに本格的な訓練に変わるのだろう。
この無邪気な笑顔がいつまで守られるのかを思うと、なんだか切ない。
けれど、バードさんのリオン君を見る目がとても優しくて、こうして遊ぶ2人を見ていると、親子のようでいいな、と思う。
渋くて格好良い夫に、無邪気で可愛らしい子ども。そんな家族に恵まれて、毎日楽しく暮らせたらいいなぁ、なんて、普通の夢を持っている私。
・・・今は、とても普通とは言えない環境に身を置いているけれど。
いろいろなことに考えを巡らせていると、ふいにノックの音が響いた。
「失礼いたします。
マートン氏がお越しです」
無機質な声で、紅の侍女がドア越しに告げた。
私はそれに答える。
「わかりました、お通ししてください」
そして、悔しそうにも充実した遊びをしているリオン君にひと声かけた。
「リオン君、先生がいらしたから、お片づけしようか」
声をかければ、遊んでいたものを片付けて、彼は急いで部屋の中央にあるテーブルへ駆け寄ってきた。
聞き分けの良いところは、皇子様だからなのか、それとも周りの大人たちの愛情で包まれているからなのかは、まだ分からない。
「リオルレイド皇子、この国の街のことは、覚えていますか?」
初老だと思われる、白髪交じりの恰幅のいいオジサンが、リオン君の社会の先生。
名前を、マートン氏という。
彼の話してくれる歴史や地理の話は、本当に為になる。
確か前回は、この国に点在している街の名前や、特産品などの話だった。
私が思い返していると、隣に座ったリオン君が「はい」と返事をして語りだした。
「えっとー、ちちうえの王宮から、北に行ったらホルンの街があります。
ホルンは、大きな学校があって、いま、兄上がお勉強してるところです」
ホルンの街は、学問の街と称されて、王立学校には周辺諸国からの留学生も多いという。
チェルニー様と陛下のお子様で、王位を継ぐ予定のオーディエ皇子も在学中だ。
「そうですね、よく覚えていますね」
褒められて、ちょっと照れくさそうにしているリオン君に、先生がまた質問する。
「では、東に行くと、どんな大きな街がありましたか?」
「はい、えーと・・・」
先生の質問に、宙を見つめながら思い出そうとしているようだ。
「東には、ヘイナという大きな街があります。
大きなかいどうが通っているので、いろんな国の物があつまってきます。
・・・悪い人もあつまってきます」
・・・不法入国が多いとか、関税をちょろまかそうとする輩が多いとか、いい話じゃなかった上に、4歳にはちょっと難しい内容だったらしい。
大きな商業の街で、外国との繋がりが強い街だということが分かれば、今は十分なのではないだろうか。私も、それくらいの理解しか出来ていない。
そう思いながら先生を一瞥すると、さすがに先生もこれは難しいと分かっていたのだろう、うんうん頷いて、リオン君に言う。
「それだけ覚えていれば大丈夫ですね。
それでは、西の街の話もしてもらいましょうかな」
「はい!
・・・西の街は、イルベです。
イルベは、僕が生まれる前は、となりの国と仲良くしてたけど、戦争があって、いまは
絶交してるところです。
昨日、ちちうえが、西の方に、となりの国からにげてきた人たちが、たくさん集まって
きてるって言ってました」
これにはバードさんも、マートン先生も驚きを隠せない表情をしてリオン君を見ていた。
実は、難民が西の街に押し寄せているということを聞いたのは、つい先日のことなのだ。
それも、大人たちが話していたのを、リオン君はちらりと聞いたに過ぎないはずだ。
「では、最後に南の街のことを・・・」
「・・・はい!
ええと、海があります。ララノという街があって、みんなで遊びに行ったことがあって、
りきゅーがあります。
お魚がたくさんとれて、漁師さんたちが、王宮まで持ってきてくれます」
・・・どうやら思い出が優先されたらしい。
リオン君、ほとんど家族旅行の話になってるけど大丈夫かな・・・。
心配になって先生を見てみると、彼も若干頬を引きつらせて、話し終わって楽しそうにしているリオン君を見ていた。
先生が苦笑しながらも、もう一度ララノの街について説明するようだ。
ちなみに南のララノという街は、観光が盛んなところだ。
庶民も少し奮発すれば、気軽にリゾート気分が味わえることで有名で、人気があるらしい。
前にアンが「ララノのホテルのバルコニーでプロポーズされるのが夢!」だとか、乙女発言をしていたのを思い出す。
また、この国で唯一海に面した土地なので、王都で売られている魚のほとんどは、ララノの漁業に頼っているそうだ。
「では、今日のお話をしましょう」
4つの主要都市について復習を終えたところで、先生が一冊の本を取り出した。
リオン君が、食い入るように何が出てくるのかを見つめている。
先生が開いた本の1ページ目を見て、私は自分の目を疑ってしまった。
思わず声が出そうになって、口元を引き締める。
「これ、なんの絵??」
リオン君が身を乗り出して、その小さな指で絵を指差した。
「これは、ずっと昔のこの国の様子ですよ」
「むかしって、どのくらい?」
「そうですねぇ、皇子の、父君の父君の父君の・・・ずーっと前の時です」
「ふぅーん・・・そっか!」
たぶん百年単位での昔の話なのだと伝えたいのだろうけれど、リオン君は分かったのか何なのか、とりあえず納得した様子で、頷いた。
その様子を見て、先生もひとつ頷くと、話の続きを始める。
「その昔、この世界は今よりも高い文明を持っていたのです」
「ぶんめーって何?」
リオン君が首を傾げた。
私は2人のやり取りを聞き流しながら、先生の広げた本に描かれた絵を凝視していた。
まだ信じられない気持ちでいる。
そこには、高層ビルや飛行機、電車などが描かれていたのだ。それも、私がもといた世界でよく目にしていたようなものばかり。
この本は、本当に史実に基づいているのだろうか・・・?
疑ってしまう気持ちを止められないでいると、なんとかリオン君が理解をして、2人は次の話に移るようだった。
「さて、では続きを・・・。
大昔、この世界にはとても高度な文明が栄えていました。
空を飛ぶ機械があり、馬の何倍も速く走るものがあり、人々の生活はとても便利でした。
さらには、なんと魔法も使うことができたのです」
「まほう?!」
目をキラキラさせて、リオン君が先生のことを見ている。
ページをめくれば、そこには人に手から炎が上がる様子が描かれていた。
子どもは魔法が大好きだ。そういう響きのあるもの、目には見えないものの存在を信じて遊ぶことが楽しくて仕方ない時期が、ある。
魔法・・・心の中で反芻して、そうか、と思い至った。
エルゴンは血液に含まれている「魔力のようなもの」から作るから、本当にそれが滅びた文明で言う「魔力」なのだとすれば、理屈では無理な話ではないということか・・・。
・・・ということは、現代に生きる人々がその存在を知らないだけで、実は今もこの世界の人々は魔法を使う潜在能力を秘めている、ということなのだろうか。
内心首をひねっていると、先生がリオン君の疑問に答えていた。
「そうです、魔法ですよ。
何もないところに火をおこしたり、風を起こしたり・・・人の傷を癒したりする、
とても便利な力だったようですよ。
でも、便利な力というものは、人々をだらけさせ、楽をすることを当然だと思わせ、
使う人間がしっかりしていないと、いつしか心を麻痺させるものでもありました」
「ふぅん・・・」
「ですから、人々の心が荒れてゆき、やがて世界全体を巻き込んだ戦争が起きました」
「せんそう・・・」
リオン君の反応も気になるけれど、私は先生の話の続きの方が気になってしまっていた。
「・・・そうです。
世界全体で魔法が飛び交い、たくさんの人が犠牲になりました。
それぞれの国の王様たちは、戦争が終わって、世界はボロボロになっていたことに
やっと気づきました。
そして、魔法や高度な文明の世界は、一度滅びることにしたのです」
一度、滅びることにした・・・?
話の内容をしっかり反芻しながら、先生の言葉を待つ。
「魔法に関するものを処分し、エルゴンのような便利なものも、全てを破壊しました。
そして、馬や牛の力に頼り、人の手で全てをこなすという古来からの生活に変えて
いったのです。
ですから、今の私達には、魔法は使えませんよ。どうやったらいいのか、後の世に
伝わらないように、先人達が工夫したのですからね」
先生はそこまで話して、一旦沈黙した。
その様子に、部屋の中に一瞬の緊張が走る。
「そして、このお話は、一般の人には知られない歴史として、こうやって伝えられて
きたのです。ですから、皇子も、今日この話を聞いた子守の方も、もちろんそこの
護衛の方も、このことは他言無用ですよ」
機密事項を話したんです、と付け加えて、私達大人に注意をする先生。
思わず私とバードさんが目を見合わせた。
彼はこの話を信じてはいないのだろう、先生が本を閉じている間に、目が合っていた私に向かって肩を竦める。
・・・それはそうだ。魔法だなんて、大の大人が、頭がどうかしてしまったようにしか見えないのだろうから・・・。
けれど私は、先生の話がやけに現実味を持って脳裏に焼きついてしまっていた。
「公式な歴史は、文明が滅んだあとから始まっていて、いくつか史実とは違う流れが
出来ているかも知れませんが・・・・・・
これが、今日のお話ですよ、皇子」
先生は、真剣な表情を崩して、リオン君に笑いかけた。
その後、昼食を済ませてからお庭で遊んで、今日の仕事は終わった。
なるべくマートン先生の話の内容は思い出さないようにしながら。
滅ぶ前の文明が、あっちの世界に瓜二つだなんて、気味が悪かった。
・・・どちらも人間の世界だから、文明の発達なんて似たようなものなのかも知れないけれど・・・。
それにしても、科学と魔法が混在していた世界だったのなら、もしかしたら、調べれば帰る方法も見つけられそうな気がする・・・。
どこかに、隠した何かがありはしないかと、心のどこかが囁いた。
期待をしてはいけないと思うけれど、図書館に行けば、機密性の高い資料も見せてもらえるかも知れない。もちろん、陛下やジェイドさん、白の騎士団の許可をもらう必要があるのだろうけれど・・・。
渡り人の資料の件もあることだし、これは絶対、図書館に行かなければ。
そんなことを考えながら寮の前までやって来ると、人影が目に付いた。
・・・誰だろう・・・?
一歩一歩近づくにつれて、その姿の輪郭がハッキリしてくる。
この時私が、すぐに気づいて回れ右をしていれば、最悪の事態は避けられたのだ・・・。




