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あの日・・・。

私はある嵐の夜に、孤児院の渡り廊下で院長に保護された。



孤児院のある地域周辺では雷鳴がとどろき、稲光が空を引き裂く様子を、誰もが家の中から恐々と伺っているような、混沌とした夜だったと後から聞いた。

子ども達のほとんどは当然怖がって、いつもより早くベッドに潜りこんだそうだ。

院長は、雨風がはげしく窓をたたくのを聞いて、料理長と戸の補強をしようとしたのだという。

私室を出て、1階へ降り、渡り廊下を早足で通過しようとして、気づいたのだそうだ。

私が、倒れていたことに。

後日、それはそれは驚いたと、やわらかく微笑んで教えてくれた。


幸いなことに、院長は慈愛に満ちた方だった。

外から誰かが侵入したとは思えない状況で現れた不審な人物を、愛情もって迎え入れて下さった上に、戸惑うばかりの私に、様々なことを教えてくれた。

そればかりか、2年経った今では、孤児院で働かせてくれてもいる。



私は、恵まれている方だと思う。

ただ、

今でも夢に見る。

職場の渡り廊下を、小走りに渡る自分を。


私は、もといた場所から遥か遠い世界へ来てしまった。

ある日突然、世界から消えるように。









私は、今年で24歳だ。

こちらの暦は、ひと月が約25日。1年は14ヶ月。

計算すると、もといた世界と1年に必要な日数は大体同じだ。

けれど私の誕生日が、こちらでも同じ日にしても良いのかよく分からない、と言っていたら、院長は「あなたが私のところへ来てくれた日が、あなたの誕生日よ」なんて、ほんわか笑顔で言ってくれたのだけれど。

もう今更だ。思い悩んだって、嘆き悲しんだって、いくら待ってもヒーローは現れなかったし、不思議な力だって発現しなかった。

そのうちに現実を見つめるだけの強さが回復した私は、腹を括って、この土地に根を下ろすことにしたのだ。

始めは、朝がくるたびに世界を呪いたい気持ちになったけれど・・・。

鏡の中の自分の髪が、だんだんと伸びてきたのに気づいて「あぁ、時間は流れているんだ」と思ったのだ。

そしてその瞬間、すとん、と何かが自分の中におちてきて、やっと私は歩き出すことができた。



私の一日は、子ども達を起こすことから始まる。

肩ほどに伸ばした髪を無造作に結わき、朝日を浴びて眠い目をこする。

この、しらゆり孤児院には、0歳から6歳まで、様々な子ども達が暮らしている。それぞれ、災害や事故で遺児になってしまったり、経済的な理由で預けられたり、いろいろだ。

この世界の子ども達にとっては、親がいないことは、そう特別なことではない。

十年ほど前には大きな戦争があったそうだし、夜盗が村を一つ襲い潰すことだって、日常とはいえないが、けっして少なくはない。

誰かから奪わなければ生きていけない人が、どこかにはいるのだ。

病気やけがも、経済的に医療を満足に受けられない場合だってあるし、医療の技術自体、王都以外ではある程度の規模の町でなければ満足な内容ではないと思う。


考えはじめると、もとの世界で得た中途半端な知識を手に、こちらで革命でも起こしてやろうかと思ってしまうけど、そんなことをしたら、真っ先に権力者に握りつぶされると思うので、胸にしまっておくことにした。

人生のスパイスは異世界トリップだけで十分おつりがくるし、私には、手の届く範囲の幸せな生活を守ることの方が、全体を大きく変えるよりも大事なことなのだ。

私はこの世界に数多に散らばっている点の中の、ごく小さな1つでしかない、と十分自覚しているから。



子ども部屋に入り、窓をあける。

今日もいい天気。

「はーい朝だよー!

 みんなおはよー!!」

朝日を背に、声を張り上げる。

子ども達が、むにゃむにゃ寝ぼけながら返事をした。

楽しくて笑っていても、友達と喧嘩して泣いていても、寝ぼけて何を話しているか全然分からなくても、いつ何時も子どもは可愛い。

この世界に渡ってきて、私に自然な笑顔をくれたのは子ども達が最初だったような気がする。

窓からは、朝ごはんのいいにおいがしてきた。

野菜スープかな、と見当をつけて、私は寝ぼけている子の着替えを手伝う。

ちなみに、食堂と厨房の真上には子ども部屋がいくつか配置されている。

院長が「朝起きていいにおいがしたら、子ども達はおなかがすいて飛び起きるでしょ?」という、なんとも平和な発案によって、子ども部屋の位置が決まったそうな。

ともあれ、目の覚めた子ども達を着替えさせて、濡れたタオルで顔を拭いたら、順番に食堂に移動を始める。

そして、大家族のように食卓を囲むのだ。



「あのね、今日の午後に蒼の騎士団の方たちが、いらっしゃる予定なの」

「蒼の騎士団の方が・・・ですか」

思わずこぼしたつぶやきが、食堂に響いた。

朝食を済ませ、大きな子ども達は学校へ、小さな子ども達は庭へ遊びに出ている。

院長は、料理長と片付けをしようと腰を浮かせた私を引きとめ、話を切り出した。

料理長が院長に言われた通りに、お茶のセットを運んでくるのが目に入る。

どうやら長い話になるようだ。

お茶のセットを受け取って、私がお茶を淹れていると、院長は話の続きを口にした。

やわらかく光る藍色の瞳が、ほわん、と微笑む。

「そう。ここから西に、一日ほど馬を走らせたところに、イルベの街があるでしょう?

 あそこが昨夜、夜盗に襲われたそうなの。

 定期巡回していた蒼の騎士団が、さくっと夜盗を捕縛したから被害はそれほど・・・

 でも、騎士団の中にどうやら負傷者が出てしまったみたいなの」

庭から、子ども達のはしゃぐ声が聞こえる。

食堂の中は雲行きが怪しいというのに、子ども達は今日も平和だ。

「それで、王都へ帰還する前に、少し休ませてほしいそうなのね。

 負傷した騎士以外は、孤児院の近くに野営してくれるんですって。

 残党はいないと思うけれど、防犯にもなるし・・・」

・・・ああ何か、嫌な予感・・・。

お茶を院長と自分の手前に置く。

いつもこなしている動作なのに、なんだか茶器が重く感じた。

庭からは、あいかわらず子ども達の声。

厨房からは、料理長の鼻歌が聞こえてくる。

何か割れた音がした気がするけれど、きっと気のせいだ。

ありがとう、とお茶に口をつけてから、院長がいくらか身を乗り出して、言葉を続ける。

「それで、その負傷した騎士の・・・・」

「世話を、私がするんですか・・・?」

一瞬の間。

やわらかい瞳が、またたく。

違ったのか、と私もきょとんとしてしまう。

けれど違和感は一瞬で、目の前の院長はすぐに微笑むと、ゆっくり頷いた。

「そうなの。

 子ども達が静養の邪魔をしないように、なるべくそばに控えていてほしいの。

 自分のことは自分でやれるでしょうから、お話相手になるくらいかしらね」

「わかりました・・・あの、普段どおりの格好で、大丈夫でしょうか・・・?」

私はこの時期、ブラウスにパンツ、編み上げブーツで過ごしている。

この世界では、女性はいくら短くても膝丈くらいのスカートをはいて、髪を結い上げているのが鉄則だ。

院長や孤児院の大人たちは、この格好で過ごしていても何も言わずにいてくれるけれど、私は自分が異端な格好をしていると分かっていた。

まだ孤児院の外で生活したことがないから分からないけど、たぶん私は白い目で見られる種類の人間なのだろう。

「そうね・・・。まだ、ダメなのかしら・・・?」

院長が私の顔色をうかがうようにして、覗き込んでくる。

そんな寂しそうな表情をされたら、いじめっこになった気分だ。

私は苦笑して返す。

「そう、ですね。まだちょっと、気持ちの整理がついてないのかも知れません」

「何度も言うようだけれど、あなたが気に病むことではないのよ・・・?」

「すみません」

庭の喧騒が、いくらか遠く、ぼんやりと聞こえる。

子ども達仲良く遊んでるかな、なんて現実逃避をしてしまうのは、私がその話題に触れたくないと無意識に感じているからかも知れない。

「もう、あのことがあってから、1年になるのかしら」

院長の声が、私を現実へ引き戻す。

「はい」


季節は初夏。

この世界にも四季はある。孤児院のある土地は、冬が少し長いのだけれど、それぞれの季節の花が咲き、もといた世界とさして変わらない。

私が渡ってきた季節は、初夏。青葉の茂る、気持ちの良い時期だった。

それから1年経ち、私はこまごまとした事を手伝うようになった。

子ども達の服を洗濯したり、厨房に入って皿洗いをしたり。田園風景の中を15分ほど歩いて、近くの村へのちょっとしたおつかいも、こなせるようになっていた。

そんな時。

私は、子ども達の服を縫うための、生地を買いに行くよう頼まれたのだ。

一度に10人分買い込めば、一人で持って歩いて帰るのは大変だと、院長は帰りの馬車代までくれた。

そして、村へ向かう途中で、ひったくりにあった。

必死で追いかけたけれど、長いスカートが邪魔してまったく走れなかった。

それから、私はすぐに女性だと分からないような服装を選んで、身に着けるようになった。

たいしたことじゃない、と笑われてもいい。

あの時の自分には、孤児院に置いてもらえることが全てだった。

たとえ私が被害者だったのだとしても、何がきっかけで追い出されるか、不安でいっぱいだった。

今となってはもう、この服装は楽で習慣になっているし、孤児院が自分の居場所だと言い切れる。

院長の老後の世話だって、不安はあるけど出来る限り頑張るつもりでいるのだ。



「あの時は、すぐに蒼の騎士団が犯人を捕まえてくれたし、お金だって戻ってきたわ。

 どんな理由があったにせよ、やっぱり他人様のものを盗る側がいけないのよ。

 だから、あなたが気に病む必要は、これっぽっちもないの」

そう静かに言って、院長は微笑む。

「分かってるんです・・・」

無意識に唇をかむ。

「でも、どうしても自分が許せなくて。

 まだどこか、観光気分で生活してたんだって、分かっちゃったんです。

 気が緩んでたのを、見透かされてただけなんだと思うんですよ。

 隙を作ったのは私なんです。

 だから・・・せめてすぐ動けるように、と思って・・・」

「わかっているわ。

 あなたの気持ちが落ち着くまで、待っているつもり。

 でもね、かわいい年頃の娘に、花のように着飾ってもらいたいのも、親心なのよ。

 近いうちに、一緒に仕立て屋さんに行けるとうれしいわ。

 ・・・ね、だから顔をあげてちょうだい」


そう言われて初めて、私は自分がうつむいていたことを知る。

いけない、と自分に言い聞かせて、院長に心配をかけないようにと視線を上げた。

藍色の目が、静かに私を見つめている。

「はい、その時にはかわいい服、おねだりさせてくださいね?」

私だって、院長と仲良くおでかけしたい。

そんな思いが伝わったのか、院長は私の発言ににっこり微笑んでくれた。




その時だ。


バン!と扉が勢いよく開いた。

荒い息遣いとともに、顔を赤らめた家令のユタさんが。

肩で息をしながら、時折むせ返っている。

ひと目で普通ではないと分かるのに、やはり院長は慌てることはない。

「あらあらユタ、息が上がっているわ。お茶でもいかが?

 今ね、ちょうど・・・」

「院長、」

「料理長~、レモンのケーキまだ残っていたかしら~?」

「いやあの、」

「チーズケーキならありますよー!!!」

院長がわざとこんな、とぼけた会話をしているのではないことを祈りたい。

私はちらりとユタさんに視線を移した。

息が荒くなっていたのは治まったようだけれど、口元がいくらかひくついているように見えるのは、きっと気のせいではないだろう。

院長とユタさんの、こういったやり取りを何度も見ている私は、内心で息を吐いた。

「料理長もいっしょにいただきましょう?

 お昼ごはんの仕込みは、少し時間がずれても大丈夫でしょう?」

「外にですね、」

「んもう何ユタ?

 チーズケーキでもいいでしょう?」

これは本格的に、ユタさんの言いたいことは握りつぶされる方向に動いている。

私は心の中だけでユタさんに同情してから、彼が「外に」と言いかけていたのを思い出して、そっと立ち上がった。



ユタさんの半泣きな声や、院長の笑い声を背に、玄関ホールへ急ぐ。

小走りになってしまうのは、彼が肩で息をするほど急いでいたから。

きっと普段来る、農場のおじさんといった類の来客ではないのだろうと思うのだ。

・・・誰だろう?

「お待たせしましたー」

戸に手をかけると、ぎぎ・・・と重い音が響く。

外のやわらかい光と、初夏の風がふわっと入る。

屋内の薄暗さに目の慣れていた私には、突然の明るい光はとてもじゃないけれど、直視出来るようなものではなかった。

ほんの少し目を瞬かせて明るさに慣れさせる。

「院長に御用ですか?」

目を細めて見上げながら尋ねて、固まった。

そこにいたのは、背の高い、茶色の髪に深いグリーンの瞳のお兄さん。

きわめて無表情。

目が合った。

「すまないが」

声はバリトン。

凄まじいほどの破壊力を孕んでいた。

「はい」

無表情のお兄さんは、若干眉間にしわを寄せて、戸に手をかけた。

訪問販売の、少し性質の悪い人のようにも見えてしまって、私は半歩後ろへ退く。

ぎぎぎ、と戸が歪な音を立てた。

お兄さんの身に着けている、簡素な鎧がガチャリ、と戸にぶつかる。

そこでふと、鉄のさびたようなにおいが鼻をついたのに気づいて思わず眉をひそめた。

「医師を・・・」

お兄さんの顔が、逆光で良く見えない。

そのままゆっくり、顔が近づいてきて・・・近すぎると思ったと同時に、少し顔色が悪そうだ、なんて心の中で呆然と呟いた。

そして、遅かった。

「えっ、ちょ、待っ・・・・」

ドサっというよりは、ガツ、と硬い音が脳にきた。

「・・・・・っ」

どうやら傾いてきた彼の体を私は全身で受け止めたらしい。

身体が圧迫されて、肺に入ってくる酸素が極端に少なくなったせいか、息が上手く出来なくなってしまった。

頭も打ったようだ。

・・・頭蓋骨が割れそうに痛い。

重力が増したように感じているのが、彼の体重のせいだと気づいた頃には、目の前がぐるぐるし始めていた。


セットしてあったビデオカメラが倒れて録画しているかのような映像が目から流れてくる。

誰かが走ってくるのが見えて、それに合わせてバタバタという足音がいくつか聞こえた。

院長の声もしたような・・・。


そして重力から解放されたのをおぼろげに感じ取って、誰かの腕に抱き上げられた気がしたところで、私はふわっと意識を手放した・・・。







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