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あとがきにかえて








日記・・・書いているその時は、気持ちや記憶の整理にちょうど良いと感じるけれど、あとになって見返すと、少し恥ずかしい気持ちになる。ないだろうと思いつつも、いざ自分の夫に覗き見られたらと想像するだけで、恥ずかしさに爆発しそうになる。

それでも私がこうして日記を書いているのには、ちゃんと理由があるのだ。



「ミナ?」

ドアの隙間から顔を覗かせた彼に、私は慌てて日記帳を閉じながら返事をする。

「・・・ん?」

「子ども達が寝入った」

言われて天体盤を見上げると、昼から少し針が進んだところだった。お昼寝の時間だ。

「もうそんな時間だったんだ・・・お茶、淹れよっか」


子ども達は、子ども部屋で眠っているらしい。話し合いを重ねた結果、客室の1つを子ども部屋に改装したのだ。男の子でも女の子でもいいように、ベージュを基調にして黄色やオレンジの温かみのある部屋にしてもらった。出来たら私のものにしたいくらい、素敵な部屋だ。

「ね、」

昼下がり、カップを2つ用意しながら言葉を紡ぐ。

「ん?」

子ども達のいないリビングは、とても静かだ。彼の気配を肌で感じられるほど。

「夕飯、何食べたい?

 最近あの子達のリクエストが続いてたから、今日はシュウの好きなものにするね」

「そうか・・・?」

並んで座るソファが広い。自然と伸びてくる腕は、数年前よりもずっと強く頼もしくなったと思う。彼の目は相変わらず片方黒くて、視力が回復してくれる兆しもないままだけれど。

「なら肉がいいな、かたまりの」

「にく、ですか・・・」

ぼんやりしたリクエストに呟いてみると、喉の奥でくつくつと笑う気配がする。彼は知っているのだ、私が最近、肉類を食べたがらないことを。

「・・・いじわる」

「そうかな」

苦笑しながらもその手はそっと、私の膨らんだお腹を撫でる。家族みんなで新しい命に喜んで、もうどれくらい経っただろうか。

4歳になった男の子は、すでにお兄ちゃんになっているからなのか、弟か妹の存在を理解していて喜んでくれた。2歳になる女の子の方は、よく分からないながらもお兄ちゃんが喜んでいるから楽しい、とでも言うかのような反応だった。これはきっと、赤ちゃんの出現に戸惑って甘えん坊さんになること間違いなしだ。

ともかく、もともと肉類を好んで食べることのなかった私は、新しい命を宿して、さらに肉類を避けるようになっていた。

「そんなカオするな。

 ・・・これでも心配してるんだ」

口を尖らせた私に、彼はやはり苦笑混じりに言葉を紡ぐ。低くて耳に心地良い声は、ずっと好きなままだ。それにこの手。触れられると、体中が歓喜しているような気すらしてしまう。

すると、手のひらの温かさにお腹の中が反応した。

「お」

「動いたね」

小さく声を上げた彼に、私の声が重なる。2階で子ども達が寝ているからなのか、2人共囁くように会話していた。

片方ずつ色は違っても、私を見下ろして微笑む瞳は、両方共優しい輝きを放っている。

今では漆黒の瞳も綺麗だな、と思えるようになった。罪悪感は消えないだろうけれど、それでいいとも思えるようになった。

起きてしまったことを誰かのせいに、たとえ自分のせいにしていても、そこから生まれるものなど微々たるものだと思う・・・思えるようになった。子ども達と出会って。

「何て言ってるんだろうな」

お腹を撫で撫で呟く彼に、私は頬を緩めて口を開いた。

「ママを苛めるな、じゃない?」

「・・・ちゃんと肉も食え、じゃないか」

「違うよねー、お肉なんか食べなくても平気だよねー」

むすっとしてお腹の中に話しかけていると、やはり苦笑が返ってくる。

「・・・最初は、お腹も触りたがらなかったのにね」

「未知の領域だったからな」

思い出し笑いをしながら呟いた私に、彼は肩を竦めて言う。

私がこちらの世界に戻ったばかりの頃、お腹が膨らめば膨らんだだけ、彼は触るのを躊躇うようになっていった。風船に手を当てるような、不思議な気持ちだったらしい。

「でも今は、あの蒼鬼が、すっかりパパだね」

「・・・だといいんだが」

微笑んで見上げれば彼は小さく息を吐いて、私を抱き寄せた。お腹の中が、小さく跳ねる。こめかみに口付けが降ってきた。

「お前は、最初から母親だったな」

「そりゃまあ、発覚したのが向こうの世界に居た時だったから・・・」

あの頃は、途方に暮れている場合ではなかったのだ。私1人でも、と必死だった。抱き返す自分の腕が、ほんの少し力強くなったと思えるのは、きっと離れ離れだった期間があるからだ。

「3人目か・・・」

「名前、お願いね」

感慨深そうに呟いた彼を見上げて囁くと、困ったような視線が返ってくる。

「センスがないんじゃなかったか」

「もう、お母さまにも伝えてあるからね?

 まだ男の子か女の子か全然分からないから、両方考えておいて欲しいな」

「まいったな・・・もう聞かれないと思っていた」

「ええ・・・2回ダメだったくらいで諦めないで下さいよ・・・」

「いや、さすがに自分の子どもだから考えてはいるが・・・突然責任が重くなったな」

「そりゃ、親ですから」

沈痛な面持ちで額を覆った彼に、くすくす笑いながら言葉を返す。すると、小さな声が聞こえて私は振り返った。

「シエル?

 目が覚めちゃったの?」

リビングの入り口で、どうしたらいいのか分からない、といったふうに佇んでいる男の子。

4歳になった彼は、父親であるシュウにそっくりだ。黒い髪は私に似たけれど、瞳の色は彼の緑色をしっかり引き継いでいる。嫌なことを我慢する時の眉間のしわなんて、本人かと思うくらいに似ているのだ。そのあたりは将来が若干、心配ではある。

「ん、と・・・うん」

視線が泳いでいる。

手招きすると、私のそばへ駆け寄ってきた。そんな我が子の目を覗き込んだ私は、そっと尋ねる。

「もしかして、パパが居なくなるまで寝たふり、してた?」

「え、あ、ううん」

どきっとしたのだろう、またしても目が泳ぐ。右へ左へ、私の目を通過していくのを確認したら、可笑しくて吹き出してしまった。

シエルも、私を抱き寄せたままのシュウも、きょとん、としているのが分かる。

「シュウと一緒。

 ちょっとした嘘をつく時、目が泳ぐんだよね」

「・・・そう、なのか?」

彼が知らなかった、とでも言いたげに呟くのに頷いて、私はシエルの小さな手を取った。

「嘘つかなくても大丈夫。

 別に、無理してお昼寝することないの」

小首を傾げれば、小さな頭が小さく上下する。

その様子が可愛らしくて、いとおしい気持ちで胸がいっぱいになっていく。息を吸い込んだら酸素が肺に広がるのと同じ、ごく自然に胸を満たす気持ち。こんなこと、リオン君の子守をしている時には感じることはなかった。

「シエル、」

シュウがそっと名前を呼ぶと、ててて、と小さな足が動く。ルームシューズを履くのはまだ慣れていないから、普段は裸足だ。靴下のままでいると転ぶので、彼が走るとぺたぺた、とか、たたた、とか、そんな音が家に響く。

音にまで体温が宿るなんて、私は小さな彼に出会うまで思いもしなかった。

すっかり夫からパパの顔つきになった彼が、生き写しのようなシエルを抱き上げて膝の上に乗せる。そして、にやりと笑って囁いた。その前に、ちらりと私に視線を投げて。

「仲間だな」

「・・・うんっ」

嘘つきのくだりを思い出したのだろう、シエルが嬉しそうに頷いた。

・・・こんなの見たら、もうメロメロだ。

「ミナ」

「うん?」

唐突に名前を呼ばれて小首を傾げた私に、彼が困ったように微笑んで囁く。

「エシュも来るぞ」

「え?」

思わず声をあげた私に苦笑して、彼が顎で廊下の方を指す。それを見て振り返ると、そこには私に向かって走ってくる小さな女の子の姿が。

「わっ、エシュっ」

ちょっと待って、と言いかけた私を遮るようにして、彼女は突進してくる。まだ分からないのだ、ママのお腹の中に赤ちゃんがいる、ということが、一体どういうことなのか。

大丈夫だとは思うけれど、と一応お腹を庇うようにしながら彼女を受け止めた私は、ゆるゆると息を吐きながら腕を解く。

覗き込んでみると、小さな女の子は顔を上げて泣き出した。

「まま~っ」

「ん、大丈夫よ、大丈夫・・・」

宥めていると、ふいにシュウの腕が伸びてきて彼女を抱き上げる。先客であるシエルは、落ち着いたのか膝の上から下りていたらしく、私とシュウの間にちょこん、と座った。

「どうしたんだ」

ぐすぐす言いながら涙を拭く娘に、蒼鬼の面影もない彼が苦笑している。抱いた途端に我が子に泣かれて慌てふためいた記憶は、もう忘却の彼方なのだろう。頼もしい限りだ。

手の空いた私は、天体盤を見上げて口を開く。

「ちょっと早いけど、おやつにしよっか」


手を叩いて喜ぶ子ども達に微笑んで、冷蔵庫から取り出したゼリーを盛り付けて運ぼうとしていると、ソファから下りた3人が床に座ってテーブルの上で顔をつき合わせている光景が目に入った。

大きな彼の背中の両脇に、小さな背中と小さな裸足の足がある。今カメラを持っていたら、完璧なアングルからこの光景を保存して、それをどこかの何かに応募したい。

そんな小さな感動を飲み込んだ私は、なにやら真剣に取り組んでいるらしい3人を驚かさないようにして近づいた。そして、回り込んで子どもたちのゼリーをテーブルに載せる。

「・・・名前、考えてたの?」

「ああ」

ゼリーの登場に、子ども達の視線は彼の手元から離れたらしい。歓声をあげて、スプーンを構えている。

私はそれに気づいて苦笑しながら、目をきらきらさせる2人に頷いた。

「どうぞ、召し上がれ」

「いただきまーす」

「いただきますっ」

競うようにして言葉を紡いだ口をいっぱいに開けて、子ども達はゼリーを食べ始める。

私はその様子を見ながら、彼の隣に腰を下ろした。

「グランシエルと、エシュノアか・・・」

呟いた彼の手元には紙とペンがあって、紙には、すでに子ども達の名前が書かれている。それに手を伸ばした私は、そっと続きを綴っていく。

「シュバリエルガと、ミナも・・・ね?」

一列に並んだ4つの名前を見せると、彼の頬が緩んだ。

その表情のまま、彼が私にそっと口付ける。子ども達の前でも何でも、彼は関係ないらしい。やめるように言わない私も私だけれど。

唇が名残惜しそうに離れていって、ちらりとシエルを盗み見る。すると、彼はすくったゼリーを口元に持っていったまま固まっていた。

対して、にこにこしているのはエシュだ。こちらは、おそらくよく分かっていない。

・・・シエルが、将来かなりの奥手になって苦労したらどうしよう。

・・・いや、手慣れてしまっても困る。






日記を・・・日記という名の、遺言めいたものを書き残すのは、もう習慣になっていた。

日記帳の最後のページに、新しく書いたものを入れた封筒を挟んだら、古いものは細かく刻んで処分する。たくさん残すのは、よくないと思うから。




~シュウへ~


眠れていますか?

食事は摂ってますか?

子ども達はどうしていますか?

・・・きっと、私はそばに居ないのでしょうね。向こうの世界に渡ってしまったか、こちらの世界で事故にでも遭ったのか・・・ともかく、これを読んでいるということは、私はあなたの前から消えてしまっているのでしょう。


想像したくもないけど、絶対ないとは言えないから、こうして手紙を書いています。


もし私が、以前のように向こうの世界に行ってしまっているなら、もう呼び戻したりしないで下さい。これは私のわがままです。

どうか子ども達を選んで下さい。私の分まで、たくさん愛情を注いであげて。

・・・これも私のわがままです。

どうか、私以外のひとに触れないで。

・・・そばに居られないくせに、なんて酷い台詞だと自分でも思います。でも、どうしても嫌です。ごめんなさい。可愛くないけど、ちょっと想像しただけで発狂しそう・・・。


たくさん言いたいことがあるはずなのに、いざ言葉にするとなると、上手く書けそうにありません。もう何度も書いては捨て、書いては捨てを繰り返しているのに・・・いつになっても、心の準備というか、覚悟が決まらなくて。

だからただの、わがままを書き連ねたような手紙になってしまいます。ごめんね。


シュウ、愛しています。

ありがとう。

私、あなたに会えて幸せです。ずっと幸せでした。



でもやっぱり・・・この手紙の封を切るのが、私自身でありますように。

出来ればこれから何十年も先、皺だらけの老人になった私が手紙を用意することをやめて、あなたに手紙のことを打ち明けられますように。

そして、その時にあなたが、いつものように私の不安を鼻で笑ってくれることを祈って。


~ミナより~




彼がシャワーを浴びている短い時間で綴った手紙を、そっと日記帳にしのばせる。

「・・・よろしく、お願いします」

祈りを込めながら表紙を閉じたら、それを静かに鏡台の引き出しの一番奥にしまうのだ。

鍵はつけない。いつでも、彼が開けられるように。

日記の存在は知らせてある。ただし、勝手に読んだら家出をする、と言い含めて。






こうして、私が静かに祈る夜は続いた。何年も、何十年も。

彼が皺くちゃになっても大きなままの手で、手紙を書き続けた私の手を握って、ただひと言「ありがとう」と、囁いてくれるまで。









++++++++++++++++++++++++++++++













こんにちは、作者のマリーです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


おかげさまで、「渡り廊下を渡ったら」も完結となりました。

こうして後書きを書くまでに至ったこと、これまでずっと楽しんで書くことが出来たことは、読んで下さる方の存在があったからです。


感謝の気持ちを言葉では表現しきれないので、ほんの少しですが小話を用意しました。完結から数年後、2人が築いている家庭の様子です。いかがでしたか・・・?


最後になりましたが、長期にわたって足をお運び下さいました皆様、本当にありがとうございました。

「渡り廊下を渡ったら」は、読んで下さる方々に、一緒に作っていただいたお話でした。

皆様に、心から感謝しています。





マリーゴールド

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