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小話 家族になるまでに8








「行くぞ」

大佐が低い声で囁いてノックをする。

小気味良い音に合わせて呼吸を整えた私は、目を閉じて胸の前で手を組んで祈ってみる。

・・・上手くいきますように。結局傷つき損だったなんて展開は、あんまりだ。

彼の吐息が耳のすぐ傍を通り過ぎていったのを感じて目を開けると、私を覗き込んでいたらしい深い緑色の瞳が、柔らかく細められた。

ノックの返事はなく、大佐が舌打ちする。

私はそれを、それまでよりも近い場所で聞いていた。

手荒な扱いを受けて傷を付けられたことになっている私は、番が突然いなくなり、呼び声を聞いて駆けつけた蒼鬼に抱きかかえられているのだ。

ちなみに、大佐は蒼鬼が私を見つけた際に殴りかかったことになっている。

確かに私が傷付けられた経緯はほぼ事実だから、嘘はついていない。

違うのは、立った今私が救出されて院長を迎えに来たところ、ということになっている点だ。

そういうことがあって、私は分かりやすく袖を捲り上げて、滲んでいた血が固まった手首を晒したまま抱きかかえられ、祈っていたのだ。

「無視か」

呟いた大佐が、もう一度ノックをするけれど、やはり返事が返ってくることはなかった。

「それなら・・・蒼鬼が乱入してみるか」

言いながら、ちらりと視線を投げた大佐に、彼が頷く。

「え、ちょ、」

彼は今両手が塞がっているのだ。私を抱きかかえているのだから。

ちょっと待て何をしようとしてる、と口を挟もうとした、その刹那。


バキっ

メリっ、ばりばり、バキっ


いっそのこと痛快な音を立てて、目の前のドアに穴が開いた。

その穴から手を入れた大佐が内側から鍵を開けて、ドーナツ状になってしまったドアを開ける。ぎぎぎ・・・という音が、泣いているように聞こえて居た堪れない。

・・・この2人が一緒にいたら、いつか判断を誤ると思うのは私だけか。

「・・・壊すことないよね・・・」

普通の感覚とは違う選択肢だぞ、という意味を込めて呟いてみるものの、それを聞き取っていたらしい彼は鼻を鳴らした。

「両手が塞がってたんだから仕方ないだろ。

 ・・・ああ、請求するなら補佐官宛てで頼む」

「ジェイドさんとばっちり・・・」

思わず反論すると、彼の目つきが悪くなった。

「心配するな。請求は・・・」

大佐が、開いたドアの向こうで固まって動けずにいる、壮年と言うには少し年を重ねた男性を見据えて、顎をしゃくった。

彼がお荷物大使か。

「大使宛てで用意しよう」

「それなら、もっと派手にやっておくべきだった」

・・・やはりこの2人が一緒に行動するのは、間違っていると思う。


「大佐・・・?!」

「あちらでの仕事が思ったよりも早く片付いてしまいまして。

 早めに着いて、久しぶりに羽を伸ばそうかと思っていたのですが・・・よもや、」

破壊されて散らばった、ドアだったものを踏みしめながら大佐が中へと入る。

一歩踏み出した瞬間から、私にはその背中しか見えなかったけれど、この首に手をかけて脅かした時よりも、更に低い声が聞こえてきた。

その刹那、背中を暗いものが走っていくのを感じた私は、思わず彼の首にしがみついてしまった。

背中の辺りをぐるりと包んでくれる大きな手が、ほんの少しだけ力を込めてくれる。

その間にも、大佐の地を這うような、空恐ろしい声が聞こえてくる。

「こんな失態をなさっておいでとは・・・」

大佐の背中を追うように、彼が私を抱えたまま部屋の中へと足を踏み入れた。ばき、とかバリ、なんていう音がする。

ところでドアの修理はいくらかかるんだろうか、などと、私は半ば現実逃避気味に考えながら、応接室の様子を眺めていた。

すると、視界の隅の人影に気がついた。

「あら」

「・・・院長っ」

ソファに腰掛けて、優雅にカップを傾けていた彼女に向けて、悲鳴のような声を上げてしまった私は、慌てて口を噤んでから、彼に向かって囁いた。

「下ろして」

自分でも珍しく口調がきつくなっているのを自覚する。それを受けた彼の方も、少なからず戸惑っているのが分かる。

「いや、」

今の私は、そこまで気を回すことが出来ないのだ。許して欲しい。

「いいから下ろして、お願いっ」

彼の肩を掴んで揺さぶれば、戸惑いながらも彼がそっと私の足を床に着けてくれる。

「ありがとうっ」

「あ、おい・・・っ」

彼の声を聞きながらも、両足が着く前に駆け出した私は、転がるようにして院長の座っているソファに辿り着いたのだった。

それに驚いたのは院長の方で、慌てたようにカップを置いて腰を浮かせた。

「ミーナ・・・っ」

「院長、大丈夫でした?!」

私が守る、と言ってくれた彼女は、話で聞いただけだけれど、途方もなく面倒な人とこれまで食事をして過ごしていたはずなのだ。嫌な話題にもなっただろうし、露骨な嫌味や皮肉に晒されたかも知れない。もともと自由奔放な人なのだ。きっと、我慢していたと思う。

そんな想像が頭の中を駆け巡って、私は彼女の両手を握り締めた。

視界にも入り込まない場所で、大使が何かを喚いているのが聞こえてくる。きっと、大佐に向かって言葉をぶつけているのだろう。

そんな雑音には目もくれずに、彼女は私を見て微笑む。いつもと変わらない、この世界に来たばかりで、途方に暮れていた私を溶かしてくれた温かい笑みだ。

「ありがとう、心配してくれて。

 ・・・あなたの方こそ・・・ミーナ・・・」

「え?」

言葉の途中で微笑みが凍り付いて、声が低くなる。

いつの間にか握ったはずの両手に、私の両手が飲み込まれていた。そして、物凄い力を加えられた私は、思わず仰け反りそうになってしまう。

「これは、一体なあに」

まるでホラーだ。声が低い。一体誰を呪うつもりなのか。

彼女の目が凝視しているのは、私の手首だった。滲んだ血が固まった、私としては、もう消化しかけている傷のある部分。

・・・確かに、この傷を見せるために袖を捲り上げたけれど。それは院長にではなくて、大使に分かりやすくするためで・・・。

何と言うべきなのか視線を彷徨わせた私に、彼女はもう一度尋ねた。

「可哀想に・・・あの子は一体何をしていたのかしら。

 ・・・大丈夫よ。母さまが、あなたを傷付けた人間に報復してあげる。

 さあ、言いなさい。あなたをこんなふうにしたのは誰?」

・・・怖い。怖すぎる。

視線を上げれば、彼女の目がすでに据わっていることに気がついた。そして、怒りを隠さない彼女は紛れもなく、蒼鬼の母だと悟る。

あの恐ろしい表情は、遺伝によるものだったのか・・・。私の血が混じれば、いくらか和らぐのだろうか・・・。

頭の隅ではそんなことを思いながらも、口は意志に反して勝手に言葉を紡いでいく。

「ああああの、た、大佐・・・」

「ミナ」

言葉の隙間を縫うようにして、大佐本人から声をかけられて、私ははっと我に返った。

いけない。大佐が悪者になってしまっては、大使を罷免出来なくなってしまう。王様の思惑からも外れて、大佐の計画を狂わせて、最終的には私が傷付けられ損だ。

私は慌てて言い直した。

「・・・の、部下の人達に、あの、車に乗せられた後に、」

院長の片眉が跳ね上がる。

怒りの矛先がそちらに向いたのだと気がついて、私は更に言い募った。

「でもあの、シュウが助けに来てくれて、それで、大佐を殴って、大佐はシュウに謝って。

 あ、私も謝られて。

 だから、あの、大佐は部下がそんなことしてるなんて知らなくて!」

ああもう、言葉が上手く繋がってくれない。

苛立ちが余計に言葉を頼りないものにしてしまっているのを感じて、私は咄嗟に院長に抱きついた。本当に、頭の中が混乱していたのだ。決して、取ろうと思って取った行動ではなかった。

「とにかく、もう、こわ、くって・・・院長と離れちゃってから・・・!」

どれくらいの間そうしていたのか分からないけれど、抱きついた私を、一度だけぎゅっと抱きしめ返した院長は、ゆっくりと体を離した。

体が離れたら、視線が合う。口元は柔らかく微笑んでいるのに、その眼差しが鋭くなっているのを、私は見てしまった。

いつの間にか大使も言葉が尽きたのか黙っているようで、辺りには何も、いや、時折破壊されたドアが軋む音だけが聞こえている。その合間に、誰かが生唾を飲み込んだ音。そして、ため息を吐いた気配。

そして、彼女が口を開いた。

「そう、怖い思いをさせられたのね・・・」

私に向けていた視線を、少し離れた所へと投げた彼女が目を細める。

・・・ああそれ、シュウにそっくりだ。

「私が食事に応じれば済むかと思っていましたけれど・・・残念です、大使」

ついに怒りの矛先が大使に向けられたのが分かって、私は役目を終えた安心感と、院長の変貌ぶりに慄いてしまったのとで、その場にへたり込む。

するとすぐにシュウが大股で近寄ってきて、私を抱き上げた。

自分の収まる場所に戻ってきたことに息を吐くと、深い緑の瞳がそっと細められる。お疲れ、とでも言いたそうに。

私も思わず頬を緩めた頃、院長は大使に向かって人差し指を突きつけていた・・・。






月明かりの中を、車に乗せられて帰路につく。

バスの最終便からずいぶん経つ時間なのだろう、人が出歩いている気配はない。

いつもよりも広く感じる大通りを走る車の、その揺れが心地良くてつい、目を閉じてしまった。

「疲れましたね」

「・・・今回のは、私のせいではなくてよ」

「いや、そうですが・・・」

「申し訳ありません。代わってお詫びを・・・」

「いいのよ、大使がぜーんぶ悪いの!

 本当にしつこくて、正直参っていたのよね・・・かえって助かったわ。

 何もなければ私が適当な理由をつけて、あなたのお父上に直訴しようかと思っていたの」

私も会話に加わりたいと思うのに、一度瞼を閉じてしまったら開けようとする意志とは逆に、なかなか体が言うことをきかなくなってしまったらしい。

早々に諦めた私は、そのまま心地良い揺れと彼の体温に身を任せて、ふわふわと浅い眠りに沈もうとしていた。

そして、それぞれの声がゆっくりと遠のいていくのを感じながら、安心して目を閉じる。

「それならそれで、他にやりようがあったような・・・まあ、もう済んだことだが」

「彼女には、本当に申し訳ないことをしました。

 ・・・もし痕が残るようなら、私が、」

「必要ない」

「あららら・・・彼女、うちの息子のお嫁さんになるのよねぇ・・・」

「承知していますが、念のために申し上げておこうかと」

「念のため?・・・必要ないな。

 こちらは今後一切の関わりを遠慮願いたいくらいだ」

「そうねぇ・・・。

 まあ、この人にもいつ何があるか分からないものね」

「その通りです」

「母上、あなたは一体誰の味方なのです・・・」

「それはもちろん、彼女の味方よ。当然でしょ」







「・・・ん、ぅ・・・」

窓から太陽の光が入ってきて、瞼の向こうが明るい。思わずその明るさから逃れるように、目元を手で覆った私は、記憶を辿った。

・・・院長が大使を指差して、北の王様に書状を送ると言い放って・・・。そして、帰りの車の中で感じた揺れの心地良さに目を閉じて・・・どうやらそのまま、寝入ってしまったらしい。

もちろん彼がベッドまで運んでくれたのだろうけれど、目を開けた視界の中に彼の姿は見当たらなかった。

「シュウ・・・?」

なんとなく不安になって、思わず鼻にかかった声で彼を呼んでしまう。

分かっていたけれど返事はなく、私はそっと息を吐いた。そして、ふいに自分の手首に包帯が巻かれているのが目に入る。それが、昨日の出来事は夢ではなかったのだと私に実感させた。

ひとつ息を吐いた私は、どこかふわふわとした意識のままゆっくりと体を起こして、簡単に身なりを整える。階段を下りてリビングに足を踏み入れると、そこには庭を背景に優雅にお茶を啜る彼の姿があった。

・・・なんだか、昨日の朝も似たような光景を見たような気がする・・・。

急に現実が戻ってきた気がした私は、そっと息を吐いて口を開く。

「おはよ」

「ああ、おはよう。

 ・・・眠れたか?」

「ん。

 ・・・これ、ありがとね」

いつもと変わらない、変わったことと言えば私の両手に包帯が巻かれていることくらいか。

両手を振ってお礼を言うと、彼が目を細めて頷いた。

「ああ。

 ・・・さ、食事を済ませて仕事に行くか」

「うん。

 お腹すいた・・・」

「昨日の夜、何も食べてないからだろ」

「そっか。

 ・・・あれ、そういえば院長は?」

「ジェイドに話がある、と言って王宮に向かった。

 ・・・昨日のことは伝えておくから、時間は気にせず来い、だそうだ」

「え、嘘。もしかして遅刻してる?」

「ああ、少しな。

 いいんじゃないか、心配かけた方が信憑性があるだろ。

 アッシュもジェイドも、すぐに動いてくれると思うぞ」

「・・・シャワー浴びてくる!

 やだもう、どうして起こしてくれなかったのー?!」

「あ、おい、」


戻ってきた日常は少し忙しなかったけれど、私にはそれくらいが丁度いいのかも知れない。

毎日の生活なんて、気を抜いたらあっという間に流れていくものだ。

「・・・行くか」

「うんっ」

春の日差しが街を照らす。

もうすぐ、結婚式だ。








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