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傷を持つ少年(1)

 入学式の翌日、特に約束をしたわけではなかったが、桜葉が一緒に学校に行こう、とやって来た。今日のおにぎりは焼鮭の切り身が入っていた。

 もしかして、これから学校のある日は毎日作って来てくれるのだろうか。

 好意はありがたく受け取るとしても、食費くらいは出さないとまずいかもしれない。



「昨日、水流先生の言ったこと、本当だと思う?」

 学校に向かう途中、桜葉が言った。

「さあな」

 過去で俺に会ったという桜葉にとっては、その未来につながる糸の一本なのだろうが、まだ時間移動を経験していない身としては、話としては面白かったが、ほんとかどうかと言われてもわからないとしか答えようがない。

 目の前で消えてしまったのは見たから、そういう一瞬でどこかに移動する何らかの手段を持っていることは確かだと思うが、それが並行世界だったり、過去や未来だったりするのかまではなんとも判断がつかない。

 それによく考えたら、先生が話したのは並行世界の概念だけで、時間移動のことに関してはほとんど話していなかったような気がする。

「今日、あの教室に来るって言ってたよね?」

「言ってたな」

 先生から預かった紙袋は、昨日教室にそのまま置いてきた。手紙は一応、制服のポケットに入れてきた。冗談でもドッキリでも、頼まれた以上は責任を果たさねばなるまい。

「来ると思う? 来るとしたらどこから? 普通に入り口のドアから入ってきたら、わたし笑っちゃうかも?」

 桜葉が、微妙なテンションで微笑んだ。

「昨日のはドッキリでしたーって普通に入り口から入ってきたら、俺も笑うだろうな」

 俺も微妙な顔で桜葉に微笑んでみせる。

 登校中は、笑い話で済んだのだが、実際にはちょっと笑えない状態で先生はやってきた。




「えー、昨日連絡があったとは思うが、水流先生は本日所要があって少し遅れるということなので、今朝のホームルームは私が行います」

 期待を裏切って、俺たちの教室にやって来たのは隣のクラスの担任だった。

「……以上で連絡を終わります。一時間目は水流先生の授業ですね。先生がいらっしゃるまでは自習をしていてください」

 男性教諭が手短に、本日の連絡事項を告げ、去って行った後、前の席の桜葉が、俺の方に身体ごと向き直って、ため息をついた。

「どういうことでしょう?」

「さあな」

 仮に昨日の先生の話が本当だとした場合、並行世界とやらは無限に存在するわけなので先生が予言どおりに今日この教室に現れないという状況も当然起こりうるのではないだろうか。

 タイムパラドックスを起こさないための並行世界の考えだが、これは逆説的に、本来の自分の過去には絶対に行けないという考えでもある。行けてしまえば、矛盾が発生するからだ。

 ということはつまり、先生が過ごしたという先生にとっての過去と、俺たちがこれから過ごす未来がまったく同じではない可能性があるということであり、あれだけ意味深に語った先生の言葉が、今の俺たちにとって何の意味もなさない可能性があるということでもある。

 収束だのなんだのという概念からして先生が過ごした過去と、俺たちがこれから過ごす未来がほとんど同じになる可能性も大いにあるのだろうけれど。

「一時間目は、水流先生の担当です。昨日、自己紹介は明日しろと言っていたのはこの時間にやるつもりなのだと思っていましたが、一時間目に、間に合うのでしょうか?」

「さあな」

 桜葉の問いに、適当に答えながら教室の黒板の上にかかっている壁掛けの時計を見つめる。

 あと五分で始業の鐘が鳴る。

「今日は、さあな、が多いですね?」

 視線に気がついて、桜葉を見ると、ちょっと眉をひそめて、少し怒ったような顔をしていた。

「すまない。昨日の先生の話についていろいろ考えていたので、いつきさんとの会話が適当になっていたかもしれない」

 素直に謝ると、桜葉は俺の机に片肘をついて頬杖をした。

 反対の手で手招きするので、耳を寄せると、口調だけ子供バージョンに戻って囁くような声で桜葉が言った。

「(……明日菜先生、フラグだとか選択肢とか、妙なこと言ってたよね? それに会えなくて残念がってた朱雀って子、今日も欠席してる、しゅんちろの後ろの席の子だよね?)」

 一度後ろの席を振り返る。今日も朱雀なんとかは欠席のようだった。

「(先生の話の通り、世界がゲームのようなつくりなんだとして、しゅんちろは、わたしのルートをえらんでくれるのかな、くれないのかな?)」

 なんとも答えにくい質問だったので答えないでいると、続けて桜葉が言った。

「(先生の話した内容ってさ、朱雀って子としゅんちろを関わらせようとしてたっぽいよね? 先生は、朱雀って子の味方なのかな? 朱雀って子のルートに進ませたいのかな?)」

「それは、どうだろうか」

 小声で答える。

 先生の言う並行世界の概念で考えると、そもそも選択肢やフラグに意味なんてないはずなのだ。世界が無数にあって、無限にあって、それぞれの世界にそれぞれの自分がいるならば、例えある世界で何らかの悲劇が起こったとして、別の世界ではそもそもその悲劇が起きない可能性もあるはずなのだ。

 過去に戻ってその悲劇を避けようとしても、タイムパラドックスを避けるために、自分の過ごした過去には戻れない。つまり、過去は書き換わらない。未来も変わらない。

 そして、過去へ行った事により一見変わったように思える別の世界の未来だが、正確には未来が書き換わったわけではなくて、因果として過去へのタイムトラベルをも含んだ結果になるので、その世界では最初から未来はそうなるようになっていた、と考えることが出来る。

 タイムパトロールなんてナンセンスだと言っていた先生の言葉が、納得行く。

「おそらく、先生の言う並行世界の概念では、過去も未来も、変えることは出来ない。そして、ルートが複数あるとして、そのルートにはそれぞれの世界の俺がいることになるので、今の俺がどのルートにいて、先生がどのルートの未来から来たのかは知らないが、先生が何か言ったところで未来が変わるとは思えない」

「でも、俊一郎、ちょっとまって下さい」

 桜葉が目を閉じて、何か考えるようにした。

「先生は、一番最初の説明で、フラグや選択肢によって、あるルートから別のルートに移れるようなことを言っていましたし、それに世界の収束という概念を拡大解釈してみると……ルートという概念自体をひとつの世界ととらえてみれば、ルート自体が収束する可能性があるのではないでしょうか?」

「世界自体には壁はない、ルート間にも壁はない。ならば、ルートが収束してもおかしくはなさそうだな」

 ということはつまり……。収束するルートによっては過去や未来が変わる可能性はでてくるのか? Aルートである人物が死亡したとして、Bルートでは生きている。この状態でAとBが収束したならば……その人物は生きているのか死んでいるのか。

 しかしこれではタイムパラドックスが発生する可能性がある。どこかにおかしな点がある。

「……本当かどうかもわからない概念について仮説を立ててみても、立証のしようがないな」

「それはそうですね」

 黒板の上の時計を見上げる。そろそろ始業の鐘がなるか、と思った瞬間、何かが空中に現れ、現れたと同時にものすごい勢いで落下して教卓を粉々にした。

 なぜか、大きな音はしなかった。たまたま教室の前の方を見ていた俺のようなヤツや、席が前列のヤツなど、数人が気がついて騒ぎだす。

「なんだ?」

 教室がざわめく。

 立ち上がって、教壇に駆け寄る。

 教卓を粉々にしたのは、白い全身タイツのようなものを着て、ヘルメットのようなものをかぶった人、だった。ヘルメットのバイザーの中は暗くなっていて顔はわからない。着ている全身タイツのようなものは、体の線がはっきりと出ている。どちらかと言うとレオタードに近いのだろうか。肩と、胸部、股間の辺りに申し訳程度に何か金属のようなパーツがついているが、明らかに女性とわかるその肢体を隠すものではなく、正直すこし目のやり場に困った。

 あの落下スピードからみて、天井に張り付いていたのが落っこちたと言う感じではなかった。もっと、ずっと高いところから落ちてきたような感じだった。生きてるんだろうか、この人。

 ぱっと見には手足が妙な方向に折れ曲がっていたりはしていないようだが、確実に骨が何本かは折れていそうな落下の仕方だった。

「あの、大丈夫ですか?」

 声をかけるも、へんじがない、ただのしかばねのようだって冗談を言っている状況でもない。

「俊一郎?」

 桜葉も駆け寄ってきた。

「もしかして、これって、水流先生?」

 言われて初めて、気がついた。

「だいじょうぶですか?」

 桜葉が、白い全身タイツにヘルメットの女性の肩を叩く。

 その時、ヘルメットのバイザーが上がって、中から小さな人影が現れた。昨日先生が連れていた、妖精さんのようだ。

「ますたー、おきて、おきて」

 トンボのような光る翅を振るわせて、ふわふわと宙に浮かびながら、小さな手で女性の頬をぽかぽかと殴りつける。

 女性は髪形で印象がずいぶん変わる。ヘルメットで顔しか見えていない状態では、はっきり昨日会った水流先生だと断言は出来なかったが、妖精さんが一緒ならば、この人は水流先生なのだろう。

「う……っ?」

 気がついたのか、うっすらと目を開けた先生は、すぐに妖精さんを抱きかかえ、起き上がって周囲を見回すと、走って教室の隅に張り付いた。

 大腿についたホルスターのようなものから、武器のように見える何かを取り出して、構えてこちらに向ける。

 なんで俺に?

「アスカ、ここどこ?」

「わかんないよ?」

 二人して、こそこそ喋っている。

「あの、先生?」

 代表して俺が声をかけてみるものの、武器のようなものは俺に突きつけられたままで、正直ちょっと怖かった。

「……せんせい?」

 きょとん、とした顔で何を言っているのかわからないという様子の先生。

 これが演技だとするならば、アカデミー賞モノだなと思った。

「何を警戒しているのかわかりませんが、とりあえずその武器のようなものをこちらに向けるのはやめてもらえないでしょうか?」

「……ここって、学校なの?」

 先生がようやく周りの状況に気がついたように言った。

「先生がどういう状況にあるのかさっぱりわかりませんが、たぶんこれを見ればわかるのではないかと」

 俺は昨日先生から預かった封筒を、差し出す。

「これは?」

 先生自身は受け取らず、妖精さんが俺の手から封筒を持っていった。まだ武器をこちらにつきつけたまま、警戒を緩めていない。

「昨日、先生自身から受け取ったもので、今日この教室に現れる先生に手渡ししてくれと頼まれました」

「さっきからせんせいって言ってるのは私のこと?」

「ええ。水流、明日菜、先生です」

「アスカ、読んで」

 まだ武器をこちらに突きつけたまま、先生が妖精さんに言う。

 妖精さんは封筒の口をびりびりと手で破って、両手で中の紙を広げてふんふん、と読み始める。

「ありゃー」

 妖精さんが妙な声を上げた。

「ますたー、だいじょぶ。TPのトラップじゃなさそう」

「根拠は?」

 まだ周囲の警戒を怠らない先生。こちらの様子を伺いつつも、黒板下に張り付いたままじりじりと、教室のドアの方へ移動しつつある。

 いったい何があったらここまで他人を警戒できるんだろう……。

「この手紙の汚い字はますたーのです」

「筆跡くらい、簡単に真似られるでしょう?」

「最初に、暗号化したますたーのナイショの秘密が書いてあるから、たぶん、これ書いたのはあたしが最初に読むって知ってた人。たぶん、未来のますたー本人」

 妖精さんが手紙をもったまま、ふわふわと先生の頭の上に乗った。

 そこでようやく先生は武器を納めて、妖精さんから手紙を受け取った。

「……」

 周囲を警戒しつつも、さっと手紙に目を通したらしい先生は、何度もまばたきをして、それからなぜか、俺の顔をじっと見つめた。それから何度も手紙を読み直し、教室をぐるりと見回して、それからまた俺の顔をじっと見つめる。

「紙袋を預けた、と手紙にあるけれど?」

 俺は無言で粉々になった教卓を指差した。

「着替えと聞いていたので、うちに持って帰るのがはばかられまして。教卓の下に入れておいたんですが」

 先生は、無言で粉々になった教卓を見つめて、それから自分の首の辺りに触れた。

 音もなく、先生のヘルメットが後方に転げ落ちるようにして襟周りに吸い込まれた。昨日の先生は短めの髪だったが、今日の先生は背中の中ほどまで届きそうな長い髪が肩を流れた。

「悪いけど、君、手伝ってくれる?」

 言いながら、先生が教卓の残骸を指差した。

 天板部分は粉々で、本体部分は金属の板がぐしゃぐしゃになってつぶれている。

 おそらくそのぐしゃぐしゃの金属の塊の中に紙袋が挟まっていると思われるのだが、これはどうしたものか。

「わたしが」

 前に出てきた桜葉が、人差し指で宙に輪をひとつ描きながら言った。

「いつきさん?」

 桜葉の指先から出てきた猫魂は、にゃん、と鳴いて教卓の残骸に潜り込む。

 人前で見せていいものなのか、と桜葉の耳元で尋ねるが、桜葉は無言でもうひとつ人差し指で輪を作る。

「これですね?」

 今書いたばかりの輪がひゅ、と一瞬大きく広がったと思ったら、そこからぼろぼろの紙袋が落ちてきた。

「ありがとう。面白い技術をもってるのね?」

 先生は紙袋を受け取ると、その場でバリバリと破り捨て、中身を取り出す。

「衆人環視の中で着替える趣味はないんだけれど……」

 言いながら、全身タイツの上に、取り出したスーツを着始める。

「いつまでもエヴァのコスプレ衣装みたいなの晒してるよりはましよね?」

 地味目な紺色のスーツに身を包んだ先生が、また首のあたりに触れると靴の部分だけを残して全身タイツのようなものが透明になった。

 髪の長さ以外は、昨日見た先生と同じ格好だ。

 ……あれ、下着のようなものは入ってなかったみたいだけど、もしかして俺、昨日の先生にからかわれた?

「さて、よくわからないんだけど、わたし先生らしいので」

 先生は、教壇に立って教室を見回した。

「……何すればいいのかな?」

 途方にくれたように、教卓の残骸を蹴飛ばしてみる先生。なんか子供っぽい。

「昨日の先生には、今日の時間は自己紹介等をするように言われています」

 桜葉が言うと、先生は、ぽん、と手を叩いて。

「それ、採用! じゃ、まずわたしから自己紹介」

 黒板の方を向いてチョークを探す先生。

「いや、先生、先生のは昨日聞きました」

「む」

 黒板に名前を書きかけていた先生の手が止まる。

「じゃ、そっちの列から、順番に前に出てきて自己紹介してね……」

 つまらなそうに、そういって、教室の隅にあったパイプ椅子に腰掛ける。

 何だかんだ言って、先生は状況に慣れるのは早いようだった。

 いったいどういう人生を歩んできたのか。見た目の割にはいろいろな場数は踏んできているらしい。




「朱雀くんって子は欠席なのかな?」

 全員の自己紹介が終わった後、出席簿とにらめっこしながら先生が言った。

「いないようです」

 前の席の俺が答えると、先生は困ったように腕組みした。

「私からの手紙によると、なんだかいろいろありそうなんだけど」

 なんで先生が朱雀なんとかを気にしてるのか不思議でしょうがない。

「まぁいいかな。なるようにしかならないものだし。皆には悪いんだけど、私もちょっといろいろやらなきゃいけないことあるみたいなので、後の時間は自習しててね」

 誰か職員室どこか教えて~、と言いながら教室を出ようとした先生を、城之崎さんが手を上げて案内します、と追いかけた。

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