時をかける教師(2)
体育館での地味な入学式が終わった。自分のクラスの教室に入ると、当然のように桜葉が俺の後についてきた。名簿を見ると、確かに桜葉の名前がある。
なんか仕組まれてるんじゃないだろうかと、ちょっと運命の神様を疑った。
そして、「待たせたなー、窓側から出席番号順に席についてー」と言って教室に入ってきたのは、もちろん朝会ったスーツの女性だった。
出席番号を確認しようとして妙なことに気がついた。
俺の名前はみなかみ、でマ行なので出席番号は割と後ろの方になることが多いのだが、プリントされた名簿によると俺の番号は一桁台だった。男女混合で名前順に並んでいるようだが、並び順がおかしい。まさか、ア行からマ行までが数人しかいないってことはあるまい。
「俊一郎、こっちです」
先に席に着いた桜葉が、俺を呼んだ。自分の後ろの席を指している。
おかしい。なんで「さくらば」の次が「みなかみ」なんだ? 名簿によると俺の次が、朱雀一純。すざく、か。もしかして、俺の名前、すいなんとかって勘違いされてる?
水無神。すいむしん。スイム神。なんだか泳ぎが速そうな感じだ。
「こら、水無神くん! ぼーっと突っ立ってないで早く席に着いてー」
教壇に立ったスーツ姿の女性が、ぴしっと俺を指差す。
「出席番号の付け方、おかしくないですか?」
「おかしいですよ? ただし意図的な間違いだから、おかしいけど間違ってはいないの。いいから早く座りなさい。ちょっと、時間がないの」
「よくわからないけど、わかりました」
しぶしぶと、桜葉の後ろの席に座る。桜葉が、ちらりとこちらを向いてにっこり笑う。
俺の後ろの席には誰も座っていない。皆、既に席についていて誰も立っていないから、朱雀なんとかは、入学式を欠席したのだろう。
ぼんやりとそんなことを考えていたら、教壇のスーツ姿の女性……まぁほぼ担任の先生確定なのだろうが、先生が手を二回叩いた。
「はいはい、ちゅうもーく」
先生はそう言って、教室全体を見回した。
「ありゃ、朱雀は欠席かー。言っとかなきゃならないことあったのになー。入学式だから、会えると思ってたんだけどなー。しまったなー」
がりがりと頭をかく先生。頭に乗せた人形が、ずるっと滑って、落ちた、と思ったら先生の頭の横にふわふわと浮かんだ。
トンボのような、小さな光で出来た翅のようなものが人形の背中に生えている。
ふわふわと、浮かび上がった人形がふたたび先生の頭の上に落ち着くと、背中の翅が消えた。
教室がざわめく。
「ん、どうかした? 静かにしてね」
なんで教室がざわめいたのかわからなかったらしく、先生が言った。
俺自身気になったので、挙手して立ち上がる。
「先生の頭の上の、その人形は何者ですか?」
「ただの妖精だけど?」
「は?」
「あ、えーっと。そうだねぇ……朱雀のことはしょうがない、水無神に全部まかせちゃうか。
順番ぐちゃぐちゃになるけど時間もないし。出来ることからやっておきましょう」
なにやら腕組みして、先生は黒板に大きく書かれた「入学おめでとう!」という文字をガシガシと黒板消しで消し始めた。
「あー、これからいろいろ説明するから静かにしてねー。それと本来お互いの自己紹介とかする時間なんだけど、それは明日やってねー」
黒板を綺麗にすると、先生はもう一度教室をぐるりと見回して言った。
それから、黒板に、「水流明日菜、明日香、アスカ」と書いた。
明日香とアスカって同じじゃないのだろうか……?
「とりあえず私の自己紹介をします。ややこしいからちゃんと覚えておくよーに。私はみずる、あすな、です。明日菜、です。名簿とか学校のもろもろでは明日香ってなってますけど、私は明日菜です。覚えた~? ただし学校では明日香で通します。ここ重要だからね? 気軽に明日菜せんせーとか呼ばれるのも捨てがたいけど、できれば水流先生でお願いします」
手元の名簿を確認する。確かに名簿には、担任として水流明日香と書いてある。それが明日菜だというのはどういうことなのだろう?
「なんで明日香で通すかと言うと、本来この学校に赴任してくるのは私の妹の明日香だったからです。この世界では、今事故で入院中……っていうかこのあと事故に遭うんだったかな? なので私は本人だけど代理なんです。ややこしいことに」
この世界では? 気になる言葉が出てきたな。
「でもって、私の頭の上のこの子が、アスカです。片仮名でアスカ、です。私がタマゴから孵した、私の相棒です。見た目はいわゆる妖精さんです。お菓子好きだけど太るからあんまりあげないように!」
先生がそう言うと、不満げに先生の頭の上の妖精さんが、先生の髪の毛を引っ張った。
「髪引っ張らないで、アスカ。でもって、これ重要だから覚えておいて。アスカは、電池式のお人形で通します。単三電池二個で動いている設定です。ここまでみんな、わかった?」
もちろん、教室の皆はこの電波女、何言ってんだ?って表情をしていた。
ひそひそと、電波、とかイタイ女とかいう囁きが聞こえてくる。
「みんなー、ちゃんとついてきてね。ここからもっとぶっ飛ぶから」
教室のざわめきも気にせず、先生は続けることにしたようだ。
「私にとってはこれが最後なので最初に言っておきますが、私は、時をかける教師です。いろいろ問題があるので正確な日時は伏せますが、未来から来ました」
「じゃあ、未来人なんですか?」
桜葉が立ち上がって、先生に言った。
「そこがややこしいところでねー」
先生は、微妙な表情を浮かべた。
「生まれたのは二十世紀なんだけどね。いろいろあって、六百年くらい寝過ごしちゃって、二十六世紀でタイムマシンをゲットして、二十一世紀に戻ってきたって感じなの」
「妹さんが本来はこの学校に赴任してくるはずだったと先ほどおっしゃいましたが、それでは今この時代にもうひとり明日菜先生がいらっしゃるのでしょうか?」
桜葉の前の席の女生徒が、立ち上がって言った。
「いえ、今のこの世界には、水流明日菜はいません。私が六百年寝過ごすことになったとある事件はこの世界では起きず、代わりにただの交通事故で死んでいます。崖から車ごと、海にどぼんと落ちてね」
「先ほどから、この世界、と妙な言い回しをしてるみたいですがどういうことですか? 先生の話だと、死んだはずの先生が二十六世紀から帰ってきているように聞こえて、過去と未来がつながらないように思えますが、それと関係がありますか?」
また別の生徒が立ち上がって発言する。
意外と、先生の突拍子もない話についていけてるやつも多いようだ。
「うーん」
先生はちらりと右腕にしている腕時計をちらりと見た。今気がついたがかなり大きめでごつい感じがするもので、女性用には見えなかった。
「よし、じゃ、最後の授業しましょうか。十五分くらいしかないけど」
先生はそう言って黒板に向き直ると、先ほど書いた名前を消して、大きくギャルゲー的並行世界理論と書いた。
なんだそれは。
教室に、押し殺した笑い声が上がる。
「あんまり騒ぐとよそに迷惑だから、笑うのは我慢してねー」
言いながら、先生は頭の上に乗っていたアスカをひょいとつまんで教卓の上に置いた。
「男の子なら、ギャルゲーとかってやったことある子も多いと思うけど、要するにいわゆるタイムパラドックスってやつが発生しないように、時間と空間の成り立ちをギャルゲーに例えた考え方です。ほら、アドベンチャーゲーム型のギャルゲーって、どのキャラでも大抵はある程度決まった時間軸で話が進んでいて、途中の選択肢によって別ルートに入っていくでしょう?」
先生はそう言いながら、黒板に縦に何本も線を引いた。
「右端、Aを樹ルート、Bを葉摘ルート、Cを護ルート、オマケでDにアスカルートもつけちゃおう。縦軸が時間軸で、上の方を過去、下の方を未来とします。で、例えが生々しくていやなんだけど、Aルートを進めた結果、私、明日菜が死んでしまったとします。でも、BルートやCルートでは私は死んでいません。このBやCの私が、Aルートにやって来た、みたいな感じですね。今の私は。この世界では、既に水流明日菜は死んでいますが、私は私が死ななかった世界から来た、ということです」
「なんか変にギャルゲーなんていうから、余計にわかりにくくなっている気がします。要するに並行世界的な世界観ということですね?」
タイムパラドックスというのは、例えば自分が過去に行き、過去の自分を殺したらどうなるのかという矛盾のことだ。過去の自分が死んだら、未来の自分もいなくなる。そうすると未来から殺しに来ることもないから、過去の自分は死なない。死ななければまた過去に殺しに行く……と堂々巡りになるような状態のことで、これを避ける解決方法のひとつとして、並行世界という考え方がある。
今挙げた例の場合、二つの似たような世界があって、ある世界Aの人間が世界Bの過去の自分を殺したというような考え方をする。当然Bの世界の自分は殺されているので未来になっても誰も殺しに行かない。Aの自分とBの自分は似ているが別人なので、Bの自分が過去に死ん
だとしても未来のAの自分にはまったく影響がないし、世界Aの過去で自分が殺されたということになったりはしない。過去は書き換わらないし、未来も変わらない。少しややこしいが概ねこういう感じの考え方だ。
俺が問いかけると先生はうなずいた。
「並行世界、知らない人いるー? 今いるこの世界と、まったく同じようでチョットだけ違う世界がいくつも世の中には存在するっていう考え方で、よくマンガやアニメなんかで使われる概念だから知ってる人も多いよね?」
言いながら、先生は両手の指の間にいくつもチョークを挟んでいる。
「ここまでは良くあるお話。ここからも少し深くいくからちゃんとついてきてねー」
先生は両手の指の間に挟んだチョークで、一気に縦線を増やした。
「私達がいる、この時間系統樹には、無限の並行世界があります。文字通り無限です。昨晩食べたおかずが違うだけであとはまったく同じなんて並行世界もあり」
言いながら、今度はアミダクジのように横線をいくつも書き入れる。
「そして、隣接する並行世界は壁とかがあって行き来できないわけじゃなくて、歩いていける場所にあります。というかぶっちゃけ三次元座標上は同じ場所にあります」
先生はさらに何本も何本も縦線を引く。黒板はもう、真っ白になってしまってしまった。
「極端な話、あなた達が今日会った級友と、明日会う級友が別の世界の人である可能性はゼロじゃないのです。というかむしろまったく同じ世界の人間である可能性のほうがゼロに近いです。もっとも、実際には別人と言えるほど違いのある並行世界はすごく遠いので、あなたの隣にいるひとが昨日食べたのがハンバーグなのかエビフライなのかが違ったところで概ね同じ人間とみなしていいはずです」
言いながら、先生はちらりと腕時計を見た。
「この並行世界は、観測者を中心に収束します」
ただの塗りつぶした四角のようになってしまったアミダクジの隣に、先生は今度は大きく×の字を書いた。何度も何度も同じように×を書き、▼と▲が縦につながったような、砂時計のようなようなものが出来上がる。
「この×が交わった地点が現在です。上が過去、下が未来」
「先生、それだと、ある時点から見た過去が複数あるように思えますが? 過去がひとつでないというのはどういうことなんでしょうか?」
先ほどの女生徒がまた立ち上がって発言した。
「並行世界は無限。ということは、今現在の状態に至るルートもひとつじゃないってこと。ギャルゲーで言うなら、Aルートを進めていたけど、選択肢の結果Bルートに入っちゃったみたいな感じね。この場合同じBのある地点から見た過去が、Aルートからのものと、最初からBルートのものと二つあるってこと。過去は、未来と同じくらい無限に広がっているの。過去の事件がよく捏造ってことになったりするのは割と違う別の並行世界が収束した結果なのかもね?」
「その、世界の収束というのは?」
俺が尋ねると、先生はまたちらりと時計をみた。どうやらあまり時間がないらしい。
「並行世界の間には壁はないけれど、移動する場合に世界の抵抗みたいなものは存在するの。観測者を中心として、そこからずれればずれるほど、その抵抗は大きくなります」
真っ白くなったアミダクジを指差す。
「さっき縦軸は時間と言ったけれど、横軸はこの抵抗になります。似た世界から似た世界に移動することは簡単だけど、右端、Aルートのこの線から、左端のDルートのこの線にいきなり移動するのは、現実には徒歩では無理です。私のように何らかの機械を使わないと無理。つまり、並行世界は無限に存在するんだけど、ある観測者にとって、ある時点においてその人間が観測出来る並行世界というのは有限で、それが収束するっていうこと。この収束は観測者がどれだけ世界を認識できるかによって内包できる並行世界の数が変わるから、意外と隣にいる人間と自分とで世界に対する認識が違ってたりします」
またちらりと腕時計を見る先生。配られたプリントによればオリエンテーションの時間はまだ十分にあるはずなのに、何の時間を気にしているのだろう?
「先生、それは最初の説明と矛盾してきませんか?」
桜葉が立ち上がって言った。
「先生は、自分は別の並行世界から来た、この世界の水流明日菜は死んでいるというようなことを最初におっしゃいましたが、今先生は観測者を中心に無限の並行世界が収束している、つまり複数の並行世界に観測者、先生は一人しかいないと言ったように思えます」
「先ほど言ったように、並行世界の間に壁はありませんが、無限の並行世界は観測者を中心に収束します。ただし、あくまでその観測者から見ての話です。並行世界が無限にある以上、観測者もまた無限に存在するんです」
言いながら、先生は真っ白に塗りつぶした四角にしか見えないアミダクジの一部を指でこすって薄くした。真っ白な四角が、一番最初に先生が書いたA、B、C、Dのルートを中心とした濃淡のある縦じま模様になった。
「この濃い部分が収束した世界。そして、いわゆる××ルートというような括りですね。そしてここからがギャルゲー理論の本筋なのですが、もう時間があまりありません」
またちらりと時計を見ながら先生が言った。
「重要なのは、いわゆるフラグを立てること。そして、選択肢を間違えないこと」
なぜか、俺を見つめて先生が言った。
「水無神くん、こっちおいで」
先生が俺を呼ぶ。素直に前に出た俺に、先生は教卓の下から紙袋と封筒を取り出して俺に差し出してきた。
「これを、明日来る私に渡してちょうだい」
「なんですか、これ」
紙袋の中を確認しようとした俺を、先生が制止した。
「中身は私の当座の着替え。水無神くんは、私の下着に興味があるのかなー?」
「いえ」
慌てて紙袋から目をそらす。
「こっちの封筒は私自身に当てた手紙。確実に手渡ししてねー」
「着替えとか、手紙とかどういうことですか?」
「手短に言うと、このルートに私が一番最初に来るのが明日、この教室ということ。明日、君達の前に現れる私は、君たちのことを何も知らない。これから起こることもまったく知らない。そして、数年を君達と過ごしたあと、今日この日にやってきて、君達に最後の授業をするってわけ。この先数年の私自身の安全を確保するために、今日この後ここで、私はこのルート、この世界から去らなければならないの」
また、ちらりと時計を見る。間近でみると、ずいぶんと不思議な時計だった。文字盤もなければ、デジタル表示の数字が並んでいるわけでもない。なにやら不思議な模様のようなものがくるくる回っているだけにみえる。
「本当はここの教室にいる全員に、未来の指針を一言ずつ残したかったんだけど、時間がないから、水無神くん、君にだけ言葉を残しとく」
時計をなにやら操作しながら先生が言った。
「この物語の観測者は、君。君の選択がたくさんの人間の未来を決める。変える。だから、しっかりとフラグを立てて、そしていざと言う時に選択肢を間違えないで。やり直しは出来ないんだから」
その時、廊下の方から、何かどたどたと数人が走ってくるような足音が聞こえて来た。
なんだろう? と廊下の方を向いた俺の耳に先生が囁いた。
「(私の好感度も上げないと、いつきちゃんのルートには入れないぞー。それから、朱雀と仲良くしてあげて)」
え? と先生の方を振り向こうとした時、ほとんど同時に教室のドアが開いた。
黒服の男達が、手に銃のようなものを持って、一斉に先生に向かってそれを突きつける。
「ほんとナンセンスよね、タイムパトロールなんて。存在そのものが矛盾だっていうのに」
どん、と先生に突き飛ばされた。
「それじゃ、ね。頑張りなさい、少年!」
教卓の上にいたアスカをつかんで、先生が時計を操作した。
時間の流れが遅くなる。それなのに、思考だけは同じ速さで動いていてもどかしい。
先生に伸ばそうとした手が、いつまでも届かない。
黒服が発砲したのか、オンオンと鳴り響く何か大きな音と、やまない光。
何か小さなものが、ゆっくりとした時間の中で先生に向かって飛んでいくのが見えて。
先生は黒服にあっかんべーと舌をだして、その場から消えた。文字通り、まばたきする間に目の前から消えた。
時間が元に戻る。気がつくと黒服もいなくなっていた。
「なんだったんだ、今のは」
立ち上がって、教室を見回す。全員、ぽかんとした顔をしていた。
「タイムパトロールって言ってた……?」「消えた?」「MIB?」「怖い」
「せんせ、今パッて消えたよな? あの与太話、ほんとだったのか?」「何」
ざわざわと教室がざわめく。
桜葉が、つかつかと教壇にやってきて、俺の手を引いた。
「立てますか?」
「ああ」
起き上がって、立ち上がる。
「先生が消えてしまったので、僭越ながらこの場を仕切らせていただきます」
桜葉は手にしたオリエンテーションの内容が書かれたプリントを見ながら、何度かうなずいた。
「自己紹介などは明日でいいという話でしたし、事務的なことを済ませましょう。男子何人か
で、教科書を取りに行ってください。廊下側の一列目が丁度全員男子ですね、お願いします」
先生が教卓の上に残していったメモとプリントをもとに、てきぱきと桜葉が指示を出す。
俺は桜葉の隣で、プリントを配ったり、黒板に板書したりとサポートに徹した。
そのうち、先生に質問した女生徒や男子生徒も前に出てきて手伝ってくれた。
「……これで概ね事務的なことは終わったようです」
ちょうど、終業の鐘が鳴った。
「先生がいないのでその他の連絡事項等は不明ですが、とりあえずこのまま解散します。また明日、会いましょう」
桜葉が一礼して、教室の皆も席についたまま一礼した。
「わたし達も帰りましょう、俊一郎」
「ああ」
俺は桜葉に応えてから、一緒に手伝ってくれた二人に向き直って一礼した。
「手伝ってくれてありがとう。俺は水無神だ。これからもよろしく頼む」
「僕は高木。これからもよろしくな、水無神」
「あたしは城之崎。よろしくね、水無神君」
二人は桜葉の方を向いたが、桜葉は二人に何も言わなかった。
「いつきさん?」
呼びかけるが、桜葉は無言で、俺の方を見て、帰ろう、と目で告げた。
しょうがないので、アゴをつかんで桜葉の顔を、ぐいっと二人の方に向けてやった。
「こっちは桜葉樹。微妙に人見知りが激しいみたいだが、許して欲しい。あと、いつきさんは苗字で呼ばれることを好まないので……もが」
言いかけた言葉を、桜葉の手でふさがれた。
「あなたたちは、わたしのことを桜葉と呼びなさい。敬称は不要です」
桜葉が、俺の口をふさいだまま、微妙に怒った口調で二人に向かって言った。
「よろしくな」
「よろしくね」
二人は苦笑しながら、桜葉の名前を呼ぶことなく、挨拶をして去っていった。
「苗字で呼ばれるのキライだって言ったじゃないか。今のはどういうことだ?」
「誰にでも、名前で呼び捨てにされるのを望むわけじゃないの!」
まだ怒った口調で、桜葉が俺をにらみつけた。微妙に子供バージョンに戻りつつある。
「かえろ、しゅんちろ。ご飯作ったげるから、帰りは商店街によっていくよ」
俺の手を引いて、桜葉が言った。
よくわからんなーと思った。俺が桜葉と呼ぶことを提案した時には、樹と呼び捨てにしろと言い張って、クラスメイトには桜葉と呼ばせるというのは。
さっぱりだ。謎だ。でも、この様子では理由を教えてくれそうにはない。
しょうがないので、今日は何を食わせてもらえるのかなと今夜の晩御飯に思いを馳せる事にした。