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もうひとりの君へ~まだ見ぬあなたへ~  作者: 三毛猫
 2.空を見つめる少年
5/22

空を見つめる少年(1)

 小さい頃から、空ばかり見ていた気がする。

 一番古い記憶は、父の腕に抱かれて、去っていく母を見送る赤い夕焼けの空。

 当時おそらく一歳にもなっていなかったのではないだろうか。母の顔など覚えてはいないのだが、なぜかその夕焼けの空がひどく綺麗だったことだけは覚えている。記憶の中の母は、一度も振り返ることなく、俺と父の前から夕日に溶けるように消えた。

 三歳の時、父が再婚した。再婚相手には連れ子がいて、俺には三つ上の義兄が出来た。

 その日の夜、三歳にして我ながらよくやったと思うのだが、自宅の屋根に登ってひとりで星空を眺めた。それを義母は、俺の実母を求める行為で義母自身に対する否定だと感じたらしく、義母には大きな声で泣かれ、父には拳骨で殴られたのを覚えている。

 穿った見方をするなら、義母は夫を病気で亡くして、小学校に上がる子供をひとりで育てるのが困難と感じて再婚に踏み切ったのだろうと思う。父の方にしたって、男手一人で俺を育てるのは大変だったろう。夫婦間に愛があったのかなんて俺が知るよしもないが、たぶん、俺は義母と家族になることに失敗した。義理の母として大切に思うし、尊敬もしているがただ彼女を「おかあさん」と呼ぶことだけが出来なかった。

 それから一年経たない内に、妹が生まれた。

 俺はよく覚えていないのだが、妹の名前をつけたのは俺であるらしい。

 生まれる前から、義母のお腹に向かって「りょーこ、はやくでておいで」などと呼びかけていたらしい。初めは不思議そうに、でもにこやかにしていた義母ではあったが、りょうこというのが俺の実母、つまり先妻の名前であると知ってからは複雑な気分であったようだ。

 結局のところ父も思うところがあったのか、妹の名前は実母と漢字が違うが同じ読みで、涼子ということになった。

 涼子が生まれて少しして、俺は星空を見せようと涼子を背負って屋根に登った。

 まだ目もよく見えてはいないだろうに、涼子は満天の星空を見上げて、驚いたような顔で何度も俺の顔と、星空を交互に見つめていたのを覚えている。

 もちろん父と義母にはものすごく怒られた。

 それでもその後も、俺はこっそり涼子をつれては屋根に登った。星空を眺めて喜ぶ、妹の顔を見たかったから。

 義母と俺とは血のつながりがない。義兄とも血のつながりはない。

 だが、妹だけは半分とはいえ血がつながっている。

 父と、妹だけが、本当の家族なんだと当時は思っていたのだと思う。

 小学校に上がり俺の活動範囲が広がってからは、涼子を連れて川原に寝転がって空を見つめるのが日課になった。そのうちに涼子も小学生になり、一緒に登下校をしながら寄り道をしては空を見上げた。

 一緒に寄り道をするうちに、涼子はいつのまにかスケッチブックを持ち歩くようになった。空を見つめて川原に寝転ぶ俺の隣で、涼子はせっせといつも何かを描いていた。

 一度見せてもらおうと思って、描いている横から覗きこもうとしたことがあったのだが、みちゃだめ!とスケッチブックで殴られて以来、何を描いているのかは詮索しないことにした。

 俺が中学に上がって学校の行き帰りが涼子と別になったら、次第に俺が川原へ誘うよりも、絵を描きにいくという涼子に引っ張られてあちこちへ出かけることの方が多くなった。

 どこに行っても、結局俺は空をただ眺めるだけだったのだけれど。



 ……中学二年の夏、父が死んだ。交通事故だった。

 真昼間に、飲酒運転のトラックが、交差点で左折しようとしてハンドル操作を誤って歩道に突っ込んだのだ。歩道で信号待ちをしていた歩行者の中に父がいた。

 ほとんどの被害者は街路樹などがクッションになってそれほどひどい怪我は負わなかったのだが、父だけは打ち所がわるかったらしく、病院に運ばれたあと一度も意識を取り戻すことなく、そのまま逝ってしまった。

 俺は、悲しいとは思わなかった。涙など、流しはしなかった。

 父のことは好きだったし、尊敬もしていたが、どうしても悲しいとは思えなかった。

 ただ、何かを失ったと言う大きな喪失感と、母だけではなく、父にも置いていかれたという不満、あるいは怒りにも似た感情を覚えていた。

 父がいなくなったら、あの家は俺の居場所ではなくなってしまった。

 義母や義兄とは父を通してつながっていたから、その父がいなくなってしまったら、俺にはどう義母や義兄と接していいのかわからなかった。父がいなくなった以上、義母も義兄も、一緒に暮らしている他人でしかなくなったのだから。義母は父の妻ではあったが俺の母親ではなかったし、義兄はその子供であったが、俺の兄ではなかった。ひどく近い存在だったけれど、俺の認識では他人だった。他人が住む家にいること自体が耐え難くなってきつつあり、俺は自分の居場所を見失っていた。



 俺が中学三年になり、高校三年の義兄と共に受験のために忙しくなり始めた頃、俺は自分から壁を作っているのはわかっていたが、それでも義母や義兄と本心から付き合うことが出来なくなっていた。特に険悪な関係でもなく、端からみたら仲のいい家族にしか見えなかっただろうが、それでも奇妙なわだかまりがあって、自分が妙な遠慮をしているという自覚があった。

 義母を、「歩さん」と名前で呼ぶようになったのもこの頃だった。同じ頃、涼子が俺のことを「俊兄」と呼ばなくなった。義兄の貴志のことは相変わらず「貴兄」と呼ぶくせに、俺のことは「俊一郎」と呼び捨てになった。その涼子に対しても、自分が妙に気を使っているのに気がついたとき、俺は家を出る決心をした。

 だから志望を変えて、自宅から通えないくらい遠くの高校を受験することにした。家を出るために、一人暮らしをするためだけに、遠くの高校を受けた。

 幸い学力にはそれほど不自由していなかったし、志望校のランクを上げることになったので学校からも反対はなかった。これは幸いと言ってしまっては語弊があるだろうが、父の保険が降り、とりあえず食うに困っていなかったのも俺を後押しした。

 ただ義母だけが、俺を見てはいつも、泣きそうな、悲しそうな顔をしていた。



 無事に目的の高校に合格し、引越しを数日先に控えたある日、涼子が久しぶりに空を見に行こうと俺を誘った。

 父が死んでからは、涼子との関係もややギクシャクしたものになりつつあり、あまり二人で出かけることはなくなっていた。以前は毎日のように二人で出かけていたのに、最後に二人で出かけたのがいつだったのかも思い出せないくらい長く、二人で出かけていなかった。

 行くか、と涼子に答えて、二人で川原に向かった。涼子はいつものようにスケッチブックを抱えていて、ふと気になって何冊目だと尋ねたら、いっぱいすぎて、ちょっとわからない、と涼子は答えた。

 そんなにたくさん、一緒に出かけていたのに、これが最後になるのかもしれないと俺は思っていて、涼子もそのことを薄々感じているようだった。

 川原にごろんと横になって、空を眺めた。空は概ね晴れていたが、上空に薄い雲がゆっくりと流れていた。

 いっちゃうんだね、と絵を描きながら涼子が言った。

 ああ、と寝転がったまま俺は答えた。

 いつものようにスケッチブックに何やら書いていた涼子は、ふいに手を止めて、俺の側に寄り添うようにごろんと川原に横になった。

 雲が流れてるね、と涼子が空を見つめながら言った。

 そうだな、と俺は同意して、涼子の横顔を眺めた。

 たまには空以外をながめるのもいいな、と言ったら、俺の視線に気付いた涼子にスケッチブックで殴られた。そのまま、スケッチブックを手渡される。

 見ていいのかと尋ねると、無言で涼子は起き上がって膝を抱えた。

 同意を得たと判断して、俺は川原に寝転がったまま涼子のスケッチブックを広げた。

 ……全部、寝転んで空を見上げる俺の絵だった。俺に見せたがらないわけだ、とその時初めて理解した。

 感想は?と聞かれたので、ブラコンきもい、と答えたら無言で肘を鳩尾に入れられた。妹がにーちゃん愛してるって告白してるんだから、喜びなさいと怒られた。

 しばらく黙って、流れる雲を眺めていたら、突然、涼子が、好きだよ、と言った。何が、と尋ねたら、俊一郎のことよ、と涼子は少し頬を染めて言った。俺の方が年上なんだから、いいかげんその俊一郎ってのやめないか、と言ったら、兄さんって呼んだら好きの意味が変わっちゃうから、と返された。

 兄妹じゃねーか、って言ったら、半分だけね、と返された。

 生まれた時から一緒だったから、俺は涼子がそのことを知っているとは思っていなかった。父も義母も、あえて涼子に話すようなことはしていなかったと思う。だから、驚いた。

 腹違いでも兄妹は結婚できないんだぞ、と言うと、涼子は口を押さえて大笑いした。俊兄、今えっちな想像したでしょ、と転げまわって大笑いした。あたしは、俊一郎兄さんのこと大好きだけど、俊一郎はあたしのこと好き?と言って涼子は俺の顔をじっと見つめた。最愛の妹だな、と俺が答えたら、兄妹だけど適度に他人なのがいいんだと涼子は言った。

 あたしの好きは、兄妹以上、だけど恋人未満の好き! あたしと俊兄は、半分しか血がつながってないから、普通の兄妹よりもうちょっとだけ親しくなれるんだ、と言って、涼子は俺の方を向いたまま目を閉じた。

 何を期待しているのかはすぐにわかったので、俺は起き上がって、涼子の額にそっとキスをした。目を開けた涼子が、何やら不満そうな顔をしていたので、唇は未来の恋人にとっておけ、と言ったら、ほっぺにちゅってして欲しかったの!と返された。危ないところだった。

 この日、義母や義兄に対するわだかまりが、ちょっとだけ少なくなった。



 引越し前日。俺があまりにも何でも持っていこうとするので不安になったらしく、電話もするし、手紙も書くから、夏休みにはちゃんと帰ってきてね? きっとだよ? と何度も涼子に念押しされた。もちろん俺は、二度とこの家に帰らないつもりで荷造りしていたので、ああ、と生返事でごまかして荷造りを続けた。涼子が無言で、一冊のスケッチブックを差し出してきたので、もらっていいのかと尋ねると、小さくうなずいたのでダンボール箱に入れた。


 引越し当日。義兄が引越し業者をキャンセルして、どこからか小型のトラックを借りて来た。

 既に地元の大学に進学が決まっていた義兄は、暇だからおれが運んでやる、といって荷造りした俺の荷物をどんどんトラックに積んだ。

 いつ免許とったんだ、と尋ねたら義兄はゲーセンで修行して試験場で一発合格だ、と言ってニヤリと笑った。教習所には通わなかったらしい。大丈夫なんだろうか。

 父の位牌に手を合わせて、心の中で「さようなら」を言った。

 涼子の頭を軽くなでてやり、それから義母の前に立ち、「じゃあ」とだけ言った。

 義母は、「いってらっしゃい」とだけ答えた。

 義母は、最後まで泣きそうな、悲しそうな顔のままだった。


 車中では特に変わったこともなかった。

 ふたことみこと、ジュースのむか? ありがとう、程度のやりとり。

 義兄が車内でかけていた、アニメのものらしき軽快な音楽だけがただ響いていた。

 目的地に着いた時には、もう日が暮れていた。

 管理人のおばさんに挨拶をして鍵を開けてもらい、義兄と二人で荷物を二階の部屋に運び入れた。洗濯機や冷蔵庫などの大物は前もってアパート近くの電器屋に電話で注文し、管理人さんにお願いして運び入れてあったので、引越し荷物はそれほどたいした量でもなく、作業はすぐに終わった。

 一息いれて茶でも飲まないか、という俺に、義兄は、飲んでたら帰り着くのが零時過ぎそうだしな、と言って軽く手を振った。

 荷解きは自分でしろよ、それから、がんばれ、と言って義兄はそのまま帰ってしまった。

 再度管理人のおばさんを訪ね、手土産を渡して改めて挨拶をした。

 それから、アパートに住むもうひとりの住人を訪ねて挨拶をしたところ、ゲーム狂の女子大生で、いきなりゲームしようぜぃ、と言われて部屋に連れ込まれた。ゲームをやりなれていない俺があっさり連勝してしまう程度の腕で、負けず嫌いなのか、もう一回だけ、もう一回だけと何度も引き止められてずるずると時間が過ぎ、夜中過ぎまで対戦ゲームに付き合わされた。

 結局その日は荷解きをあきらめ、なんとか布団だけ敷いてその日は倒れこむように眠りについた。

 そして……。

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