猫と話す少女(3)
当座の食料として持ってきたカップラーメンがあったはず、とあちこち箱を開けて探している途中で、脱衣所のドアがガチャリと開いた。
「……」
出てきたのはいいが、桜葉はバスタオル一枚を身体にまいただけの格好だった。
「トレーナー、気に入らなかったか?」
「……」
声をかけたが、桜葉は答えずにバスタオルの胸元を押さえたまま、とことこと俺の側にやってきた。
「……いただきます、する?」
「しない」
俺が答えると、「……そう」とつぶやいて、またとことこと脱衣所に戻っていった。
次に出てきたときにはちゃんとトレーナーを着ていたので安心した。
「おこた、ないの?」
出てきた桜葉が、そういって部屋の中を見回した。
「おこた? コタツのことか? ないぞ」
俺は夏にはクーラーを使うが、冬は敷きっぱなしの布団にくるまる主義だ。ついでに言うと毛布は入れない。
コタツなどという邪悪な存在など、俺の部屋には必要ない。あれの魔力は人を堕落させる、まさしく悪魔の道具だ。
「寒けりゃ、そこの布団にもぐりこんでろ」
「……やっぱり、する、の?」
「しないってば」
「でもさ、ひとりよりふたりの方があったかいし?」
桜葉はそう言って、俺の布団の下の方から、もそもそと足を差し込んだ。
俺は、着ていた半纏を桜葉の肩にかけてやって、それから枕側から布団に足を入れた。
さすがにだいぶ時間が経っているのですっかり布団は冷え切っていた。
風呂から上がったばかりの桜葉の足に、俺の冷え切った足先が当たって、桜葉が「にゃ」と鳴いて、俺はあったけーなと思った。
「たしかに、あったかいかもな」
俺が言うと、桜葉は、にこりと微笑んで、突然布団の中に全身をもぐりこませた。
もぞもぞと布団の中で動いている気配。
なんかすべすべしたものが足に、ってまさか中で脱いでんのか?
「おい、何してるんだ?」
声をかけたら、布団の中からぐいっと足を引っ張られた。
「!」
声を上げるまもなく、布団の中に引きずり込まれる。
おかしい、普通のシングルタイプの布団なのに、二人ももぐりこめるほど掛け布団も大きくないはずなのに。
手を伸ばしても、足を伸ばしても、どこまでも布と綿の手触りで、抜け出すこともできない。
いっぱいに手足を伸ばしても、掛け布団を跳ね除けることが出来ない。いったいなんだ。なんなんだ。この状況は。
そのとき、布団の暖かく柔らかい闇の中で、二つのきらめきが、こちらを伺っているのに気がついた。
「桜葉、か?」
「にゃ」
ごろごろとのどを鳴らしながら、俺の鼻をペロりとなめたのは、先ほど桜葉が抱えていた三毛猫のようだった。みけぞうといったか。いつのまにこいつまで部屋の中に入ってきていたんだろう。
みけぞうは、もそもそと布団のなかを這って来て、俺の腹の辺りで丸くなった。
にゃーと鳴くので、背中をなでてやると、落ち着いたように目を閉じたらしく、布団の中は再び闇に包まれた。
「いったい、なんなんだこの布団空間は」
つぶやいたその時、俺の背中に、何かがぺたりと張り付くように寄り添ってきた。
小さくともまったく無いわけではないその二つの主張は、トレーナーごしにでもしっかりと感じられて、すこしドキドキした。手で直接触れたときには何も感じなかったはずなのに。
「小さい頃さ、おふとんのなかで、潜りっこってしたことなぁい?」
俺の背中に張り付いたまま、桜葉が言った。
言いながら、背中側から、そっと手を伸ばしてきて、三毛猫の背をなでる俺の手の上に、そっと重ねる。
「ちっちゃいころってさ、おふとんって海だったよね。潜って、泳いで、反対側にたどりついて、ぷはぁ、って息をするの」
「悪いが、俺にはそんな経験はない。っていうかその前に服着てくれ」
「裸でお布団に入るのが一番あったかいって知ってた?」
「知らん」
暖かくて、暗い場所というのはおそらく母親の胎内にいたころを思い出すからなのだろう。
落ち着くと同時に不思議な気持ちになる。
猫と裸の少女にサンドイッチされて、俺はどうにもわけがわからなくなってきていた。
もしかしたら、頭まで中に潜りこんでいるからのぼせてきたのかもしれない。
「じゃあさ、しゅんちろのこと教えて。ちっちゃいころとか」
背中に張り付いた桜葉が言った。
「起きたら、わたしのことも、最初からちゃんと説明してあげるからさ」
「起きたら……?」
なんだろう、意識が。
「おやすみ、しゅんちろ」
「……」
囁くような桜葉の言葉を聞きながら、俺の意識は闇に沈んだ。