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猫と話す少女(2)

 目を覚ますと、俺は自分の布団の中にいた。枕元の目覚まし時計で時間を確認すると、先ほど起きた時からそれほど時間は経っていなかった。

 バットで殴られたにしては、それほど頭は痛くない。頭の中がややぼんやりはしているが、それも起きぬけと考えれば異常な状態というほどでもない。

 まさか、さっきのはほんとうに夢だったというのだろうか?

 引越し早々、変な少女にバットで殴られる夢というのは、いったいどういう精神状態が現れたものなのだろうか。少女は記憶を失え的なことを叫んでいたが、記憶はしっかりと残っていて、夢とも現実とも判断がつかない。

 ベランダに出したはずのダンボール箱も元の位置に戻っていて、引っ張り出して着込んだはずの半纏も、先ほど起きる前のように敷布団の下から袖を出していた。

 先ほどの出会いを夢とするなら残った記憶はあまりにもリアルすぎて、しかし缶ジュースやバットの出所など夢にありがちなファンタジーな要素も多すぎる。

 ふと考える。ベランダに出たら、またさっきの少女が居るんじゃないだろうか。……彼女は、俺に何を望んでいたのだろうか。

 さっきのが現実にあったこととして考えてみると、また彼女の意に沿わないことをしてしまったら「やり直し」と称してまたバットで殴られるはめになるのかもしれない。

 聞かないの、と言っていたな。そういえばひどく単純なことを聞き忘れていた気がする。

 ベランダに続く窓のカーテンを開け放って外を見ると、ジーンズ地のスカートに毛糸のセーターを着た少女が、ダンボール箱に座ったままぼんやりと海を眺めているのが見えた。

 さっきの格好は寒かったので着込んだのだろうか。

 少女の服装は変わっていたが、どうやら先ほどのは夢ではなかったようだ。

 ベランダに続く窓を開けようとして、ふと少女の頭になぜか三毛猫がでろんとのっているのに気がついた。さっきはあんな猫はいなかったと思うが。

 無言で鍵を開け、窓を開け放つと、音で気付いたのか少女が頭に乗せた猫ごとこちらを振り返って、「おはよう、ねぼすけさんだね」と言って微笑んだ。

 言われて初めて、先ほどあったときは挨拶すらしていないことに気がついた。

「おはよう。一般的に言って、まだネボスケなどと言われるような時間ではないと思うけれど」

 俺の言い返しに反応せず、少女は再び海の方をぼんやりと眺め始めた。

 どうやら日の出を見終わった場面からやり直すつもりらしい。

「……状況もわからずに茶番にのるのは好きじゃないんだが、またやり直しと称してバットで殴られちゃかなわないんでな」

 俺はダンボール箱に腰掛けている少女の横に立ち、目の高さを合わせる様にしゃがんで、

「君は誰だ?」

 と尋ねた。

 俺の問いかけに、少女は満足げにうなずいてこちらを向いた。

「他人に名前を尋ねる時は、自分から名乗るものだよ?」

「おまえさっき、俺のことしゅんちろとか呼んでたろ? 俺のこと知ってんじゃないのか?」

 おまえ、という言葉に少女が妙な反応をしたのが気になった。

 何か、痛みを感じたような? 俺がまるで、少女を殴りでもしたような、そんな表情を一瞬したように見えた。

「……」

 少女が無言でこちらを睨んでいる。

 年下相手に我を張るのもバカらしい。どうせ茶番とわかっているのだから茶々をいれずに最後まで大人しく付き合うことにしたんだろう、俺は。

「俺の名前は、水無神、俊一郎だ。水の無い、神さまという字を書く」

 俊一郎のほうはどう説明したものかと思いながら少女に名乗ると、少女は身体ごとこちらに向き直って、小さく微笑んだ。それから、頭に乗せた三毛猫をひょいと持ち上げて膝の上に乗せる。

「わたしは桜葉、樹。桜の葉っぱに、樹木の上のほうの樹って言う漢字でいつき。こっちは、お友達のみけぞうちゃんだよ」

 膝の上の三毛猫をなでながら少女が言うと、猫はよろしくとでも言いたげに、にゃーと鳴いた。挨拶をされては返すのが礼儀なので、俺も少女の膝の上の猫に、にゃーと挨拶を返す。

「わたし、名乗ったからね? もう二度と、おまえ、なんて呼ばないで欲しい」

「了解した。桜葉さん」

 俺は自分の主義主張を他人に押し付ける人間なので、他人の主義主張もなるだけ受け入れるようにしている。今後この少女に話しかける際には気をつけることにしよう。

「ごめん、説明が足りなかったね。わたしのことは、いつきって呼んでほしい。わたしは、わたし自身を指さない言葉で自分を呼ばれるのがキライなの。あと、さんとか敬称もつけないで」

「つまり、名前で呼び捨てにしろと?」

「そういうこと」

「悪いが、初対面の女の子をいきなり名前で呼び捨てにするのは抵抗があるな。妥協案として、桜葉、と苗字を呼び捨てにするのはどうだろう?」

 俺の提案に、桜葉は小さく首を横に振って応えた。

「桜葉という苗字は、家を指す言葉だから、紅おばあちゃんも朱音おねえちゃんも、みんな桜葉なんだよ。それは、わたし自身を指す言葉じゃない」

「家の中ではそうかもしれないが、家の外に出れば、その家の人間は家の名前を背負うのが普通だと思うんだが? 桜葉樹と交友のある人物にとって桜葉さん、という言葉は桜葉樹自身を指す言葉でしかないはずだろう?」

「桜葉という家に所属するわたし自身は、桜葉という言葉がわたし自身を指すと認識できないから、嫌だといってるの」

「……その主張を受けた上で、俺の主張を言わせてもらうなら、俺は女を名前で呼び捨てにするのは、恋人と妹だけと決めている。自分の主張を受け入れることを俺に望むなら、俺の主張も考慮するべきだと思うんだが?」

「……それって、しゅんちろがわたしを恋人にしてくれるってこと?」

「いや、名前で呼び捨てに出来ないと言っている。お互いの妥協案として、再度、桜葉と呼び捨てにすることを提案する。もう少し譲るなら樹さん、だな」

「……それって、わたしがしゅんちろの恋人にはなり得ないということ?」

「将来のことまでは言及できないが、今は少なくとも恋人とは認識できないな。初対面だし」

 俺の言葉に、ぽろり、と桜葉の頬を何かが転がった。

 涙? と思ったとき、ベランダの薄いプラスチック製のトタン屋根に、たん、と何かが当たった音がした。続けて、たん、たん、といくつも音が続き、空を見上げるといつの間にか空はすっかり曇っており、大粒の雨が降り始めていた。

 それは、まるで桜葉の感情に呼応するかのようだった。

 先ほど二人で日の出を眺めたのが嘘のように思える。

「わかってたけどさ、やっぱりわかってもらえないのは寂しいね?」

 膝の上の猫に話しかけるように、桜葉が言った。

「しゅんちろ、ごめん。わたしが自分のことだけ考えすぎたんだと思う。今日は帰るね」

 膝の上の三毛猫をベランダの床に下ろして、桜葉は立ち上がった。

 最初はタンクトップにショートパンツという格好だったし、二度目は着替えていたし、桜葉の家はそう遠くもないのだろう。

 本格的に雨が降ってきた。一瞬、空が光って、数秒送れてごろごろと雷鳴が轟く。

「傘か何か持ってるのか?」

「ん、だいじょうぶ」

 尋ねると、桜葉は小さくうなずいた。

 持っているようには見えなかったが、ジュースの缶や金属バットのようにどこかに隠し持っているのだろうと思い、追求しなかった。

「今度来るときは、普通に玄関から訪ねてきてくれ」

 俺が背中に声をかけると、桜葉は小さくうなずいてダンボール箱の上に登り、そのままベランダの手すりを乗り越えようと……っておいまて。

「こら、ちょとまて」

 慌てて桜葉の腰をつかんで止める。

「危ないだろうが! 二階っていったって飛び降りて出て行くような場所じゃないだろう? 帰るんなら、玄関から帰れ!」

「……放して欲しいな?」

 半身をベランダの外に出して、雨にうたれながら桜葉が言った。

「放してくれないと、大声で、ちかーんとか叫んじゃうかも?」

 状況的にはベランダから落っこちそうな少女を助けているように見えるといんだが、と思った俺の視界に妙な物が映った。

「ウサギ?」

「は?」

「……にんじんをくわえた、ウサギ」

 俺が目の前のソレを口にすると、桜葉の頬が赤く染まった。

「ちょ、ちょっと! 見ちゃだめ」

 桜葉が手すりを越えようとまたがった時に、ジーンズ地のスカートはまくりあがっていて、小学生が好みそうな動物プリント柄のステキなショーツを俺の前に晒していた。

「手すりからこちら側に降りてくれば、お子様パンツなんざ俺に見せ付けなくてすむぞ?」

 胸は平気で晒しておいてパンツは嫌がるというのもやや不思議だったが、これはこちらのペースに持っていくチャンスだ。

「放して欲しくて、パンツ見せびらかしたくないのなら、大人しくこっち側に降りて来い」

「放して! それから、みちゃだめ!」

 桜葉は強情に動こうとしない。

「さっきは生乳ほりだしといて、パンツはダメというのもよくわからんが、こちら側に降りてこない限りこのままの状態が続くぞ?」

「自分から見せるのと勝手に見られるのは違うの! だめだめなの!」

「なるほど、子供パンツは見せる予定じゃなかったわけだ?」

 ショートパンツに手をかけたときに怒った理由もなんとなくわかったような気がする。

「……」

「……」

 膠着状態に陥った。しかし雨は容赦なく桜葉の体を濡らしていたし、半身乗り出した形の俺の腕も、雨に打たれつつあった。このままの状態が続くと、お互いに風邪を引いてしまいそうだ。

 らちがあかないので、桜葉の腰に手を回して、ぐいっと身体ごと持ち上げてベランダの内側にひっぱりこむ。思ったより軽くてびっくりしたが、手すりからひっぺがしてお嬢様抱っこのように胸に抱えると、「にゃー?!」と桜葉がまるで猫のように鳴いた。

「ねこみたいだな」

 なぜか大人しくなったので、桜葉を抱えたまま部屋に戻る。

「靴ぬげ」

 運びながら言うと、桜葉は大人しくスニーカーの紐を解き、自分の腹の上に乗せた。

 だいぶ濡れたせいか、桜葉は少し震えていた。確かもうガスは通っていたはずだな、と桜葉を風呂場に放り込んだ。

「ガスは通ってるからお湯は出るはずだ」

 靴を受け取りながら言う。

「……?」

「使い方はわかるな?」

 俺の問いに桜葉はうなずいたが、なぜか小さく首をかしげている。

「ああ、着替えか。さすがに女物の下着はないが、なんか適当に持ってくる。洗って乾かすから、服は脱いだらこの洗濯機に入れといてくれ」

「……」

「なんだ、ずいぶんと静かだな? さっきまでは大騒ぎだったのに」

「……」

「ああ、とっとと出て行けってことか」

 桜葉の無言をそう解釈した俺は、

「タオルととりあえずの着替えはすぐに持ってくるから、お湯溜めながら、まずはシャワーでも浴びとけ」

と言って、脱衣所を出ようとしたのだが、トレーナーの裾を桜葉に引っ張られて立ち止まった。

「……いただきます、するの?」

「飯か? ああ、そういえば腹減ったな。買出しに行かないと飯はないな」

「そうじゃなくて、……わたし、を?」

「……は?」

 言われて、客観的に今の状況を見つめ直してみる。

 帰ろうとしていた初対面の女の子を、抱きしめて無理やり部屋に連れ込んで、シャワーを浴びろと強要……。でもって、いただきます……って、いや、そんなつもりはまったくないんだが、そうとられてもおかしくない状況か……。

「あー、断りも無く服を脱がすようなことをしといてなんだが、別に変な意図はない。それより早く、シャワー浴びとけ。体温めないと、風邪引くぞ?」

 やんわりと、俺の服の裾をつかむ桜葉の手を払って脱衣所の外に出た。

 玄関に桜葉の靴を置いて、引越し荷物から衣料品と書かれたダンボール箱を探し出して開ける。

 俺自身、半身を乗り出してずぶぬれの桜葉を抱きかかえたので、上はすっかり濡れていた。

まずは自分の上を着替える。タオルで身体を拭きながら箱を漁ると男物だが新品のブリーフとランニングがあったので、着ないだろうな、思いながら一枚ずつ用意する。

 トレーナーなら男女関係ないし、とこれまた新品のトレーナーを見つけたので先の下着と合わせて、バスタオルと一緒に持ち、脱衣所のドアをノックする。

 シャワーの音が響いていて、桜葉はシャワーを浴びているようだった。

「入るぞ」

 言いながら中に入り、洗濯機の上に着替えとタオルを乗せる。

 洗濯機をまわそうと思ったら、中には桜葉の服は入っていなかった。

 シャワーを浴びながら手洗いしているのだろうか。

「着替えはここにおいとくぞ、全部新品だから遠慮しないで着てくれ」

 風呂場からは何の反応も無かったが、俺は気にせずに脱衣所を出た。

 俺自身着替えはしたものの、腕が濡れたのでちょっと寒くなっていたので、敷布団の下から

半纏を引っ張り出して袖を通した。桜葉が出たら、俺も一風呂浴びるとしよう。

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