夜を歌う少女(2)
数日後、学校で後ろの席の朱雀が無言で何かのプリントを差し出してきたので受け取ると、日時と集合場所、集合場所への道順と必要な物などが簡潔に書かれていた。
行き先についての詳細ははっきりしないものの、どうやらどこかの島であるらしい。海水浴場があるので水着持参と書かれていた。
「朱雀も行くんだろう?」
尋ねると、朱雀はすこしためらいがちに無言でうなずいた。
「どんなとこなんだ? 葉摘ちゃんは行った事があるような口ぶりだったが、朱雀も行ったことあるのか?」
「……元は国の福利厚生用の施設だったらしい。しかしまわりに観光地があるわけでもなく、あまりに辺鄙なところなんで利用者が少なくて民間に売りに出されたものを、父が購入して別荘にしたものだ。何度か行った事がある」
「朱雀の家は、別荘とか持ってるようなお金持ちだったのか……」
「……まあな。金を持っているのは親であって僕ではないが」
言ってから、そういうことを言われるのはたぶん朱雀にとってあまり愉快ではないだろうということに気がついた。
「いや、すまない。これまで別荘を持っているような友人が身近にいなかったから、ちょっと驚いただけだ。他意はない」
慌てて謝ると、朱雀のやつは怪訝そうに俺と、それから俺の前の席の桜葉の方をちらりと見た。なんだ?と俺も桜葉を見るが、いつきさんは特に気付いた様子も泣く次の授業の準備をしていた。
「桜葉とは随分親しくしていると思っていたが……。水無神、お前もしかして知らないのか?」
「何をだ?」
「家の話をするなら、桜葉の方がよっぽど金持ちだってことをだ。桜葉の家は、この辺一帯の大地主だからな。病院経営程度のうちとは比べ物にならん」
「……そうなのか?」
思わず前の席の桜葉を見てしまう。
いつきさんが七代目とか言っていたし、漠然と歴史のある家柄なのだとは思っていたがまさかそんな資産家なのだとは知らなかった。
いや、よく考えてみると俺の住んでいるアパートもいつきさんの物だって言っていたし、そこまで意外な話でもないはずなのだが、そんなことすら知らなかった、知ろうともしていなかったことにちょっと衝撃を受けた。
朱雀に話をしよう、なんて偉そうに言っておきながら、俺はあまり桜葉とそういった話をしたことが無いことに今更のように気がついた。いつきさんが、最初からあまりにも俺の近くに踏み込んできたものだからその必要性を感じなかったと言えば、それはただの言い訳に過ぎないのだろう。
「いつきさん」
前の席の桜葉に声をかけると、大人モードのいつきさんが「なんですか、俊一郎」と振り向いて俺の机の上に頬杖をついた。
「今の話は、聞こえていただろうか?」
「ええ、間違いではありません。確かに桜葉の家はこのあたりではそれなりに大きな家です。お金持ちかどうかというところには少々異論はありますが」
それが何か?とでも言いたげに、ちょっと不機嫌そうに俺を見つめてくる桜葉。
「昔からこのあたりに住んでいる人などからは、桜葉姫、なんて呼ばれることもあります。世が世なら本当にお姫様だったかもしれませんね?」
「桜葉姫……」
確かに大人モードの凛とした佇まいはどこか上品な、本当にお姫様な雰囲気を感じるが。
一瞬、今まで桜葉と親しくしていたのが何か恐れ多いことでもしでかしていたように思われてかぶりを振る。
「桜葉、すまない。僕は水無神に余計なことを言ってしまっただろうか?」
朱雀が俺の肩越しに前の席の桜葉に声をかける。
「いえ」
桜葉が首を左右に振る。
「別に隠していたわけではありませんし。それに俊一郎はそんなことで見る目を変えるような人ではないですから」
上目遣いに小さく睨まれて、俺はパン、と自分で自分の頬をはった。
「ああすまない、いつきさん。そんなことも知らなかったのかとちょっと衝撃を受けはしたが」
「……わたしこそ、ごめんなさい。他所の土地から来た俊一郎が何も知らないのをいいことに、何も言わなかったのは事実です」
「いや、そんな、謝らないでくれ」
そうは言ったものの、言われてみると桜葉のクラスでの立ち位置というものが随分と奇妙であったことに気がついた。これまであまり気にしていなかったが、桜葉に自分から話しかける人が俺をのぞいてほとんどいないのだ。
それはいつきさんが普段から俺以外には大人モードというか、やや冷淡にも感じられる態度を取っているせいか、あるいはいつきさんがクラス委員長なんぞをやっているせいだと思っていたが、そもそも投票などをしたわけでもないのにいつのまにかクラス委員長のような立場に収まっているのも変だし、それが桜葉の家のせいだというのならば、……俺は今までいつきさんのことを何も見ていなかったことになる。
……もしかして、いつきさんって朱雀のやつより大変な問題があるんじゃないだろうか。
そう思った瞬間。
「……」
桜葉に無言でにらまれてもう一度かぶりをふる。
何か言おうとして、すでに謝罪の言葉を言ってしまった以上、重ねて謝罪を告げるのも何か違う気がして口をつぐむ。
「……」
「それはこの間言っていた夏休みの計画ですか?」
桜葉の方から話題を変えてきたので正直少しほっとしながら、朱雀から渡されたプリントを差し出す。
「ああ」
「……この日時であれば、わたしの都合も大丈夫です。」
さっと目を通して桜葉が俺にプリントをつき返す。
受け取ろうとしたそのプリントが、不意ににすっと上の方に浮いた。
「ほえー、ふむふむ」
のーてんきな声がして、見上げると妖精さんがプリントを引っ張りあげて目を通していた。
「なんだ?」
「というわけなのですよ!」
空中でプリントを抱えたまま胸を張る妖精さん。
「いやいきなり、というわけだ!とかいわれても訳がわからん。説明を要求する」
「それは私から説明しよっかなー?」
妖精さんがいるので当然といえば当然だったのだが、水流先生までやってきたのでぎょっとする。相変わらず妙なタイミングで現れる人だ。
「要するに、まさか学生だけで旅行とかしないよねー? 引率の先生とかいらんかねー? ってことなんだけどね」
朱雀の方を向いて水流先生が言った。
朱雀のやつもいきなり出てきた先生に驚いた様子だったが、何度か瞬きしてから首を横に振った。
「……いえ、家の者がいますので学生だけというわけでは」
「……邪魔はしないから、私も連れて行きなさい」
先生が珍しく強い口調で言った。
「大丈夫。悪いようにはしないし、あなたがすることは何も邪魔しないから」
もう一度先生が言って、それから朱雀の耳元で何かを囁いたように見えた。
「わかり、ました」
なぜか朱雀が驚いた表情で先生を見つめながらうなずいて、それから俺の顔をじっと見つめて、ふいっと目をそらした。
よくわからない。
「んじゃ、そういうことでー」
水流先生と妖精さんが、小さく手を振って、来た時と同じように風のように去っていってしまった。
なんだろう、出てきたタイミングといい、もしかして夏の小旅行は先生にとっても何か重要なイベントだったりするんだろうか?
考え込んで込んでいると、ためらいがちな朱雀の声に意識を戻された。
「あー、水無神」
目をそらしたまま朱雀が携帯電話を取り出す。
「その、なんだ。いざという時のためにだな、連絡先を交換しておきたいのだが……」
今までの態度が態度だったし、自分からは言づらかったのだろう。頬を染めた朱雀はためらいがちに上目遣いでこちらをうかがってきた。
元から女としか見えないやつだが、こういう態度でこられるとマジでやばい。
「あ、ああ、かまわないぞ」
冷静を装いながら、俺も携帯電話を取り出して番号を交換する。
いつきさんは、と前の席をみるが桜葉は無言で首を振った。どうやら番号の交換をする気はないらしい。それになんだか妙に俺を見つめる視線が冷たい。
勘の鋭いいつきさんのことだから、一瞬、俺が朱雀に見惚れかけたのに気がついてむっとしているのだろうか。
「……ああそうだ。葉摘ちゃんは携帯とか持ってないのか?」
とりあえずいつきさんのことは後で考えることにして前からの疑問をぶつけてみると、朱雀はやや無表情に首を横に振った。
「そっか、まぁ、中学生だしな」
「……何かあったら、僕の方に連絡をくれ」
ややぎこちない表情で朱雀が言った。
手紙の仲介等でだいぶ兄妹間の関係は改善できたような気がしていたが、やはりそう簡単にわだかまりというものはとけたりしないもののようだった。
「それと、葉摘から伝言だ。今度の休みに、あいつの買い物に付き合ってやってくれないか?」
「それはかまわないが……。俺なんかが付き合って何かの役に立つのか?」
「ではそう伝えておく。当日は僕の携帯を妹に渡しておくのでそれで連絡を取って欲しい」
「了解した」
ふと背中に視線を感じて前の席を見ると、いつきさんがじと目で俺を睨んでいた。
無言でわたしも一緒に行きます、と主張されているように感じてうなずくと、桜葉が小さく微笑んだ。
「その、なんだ。目で会話しないで、こちらにもわかる言葉で話してくれないか?」
朱雀が困惑気に首を斜めにする。
「いつきさんも買い物一緒に行きたいって、それだけだ」
「――水着選んで下さいね俊一郎、が抜けてます。そこまでちゃんと読み取ってください」
桜葉がちいさく頬を膨らませて、俺は心の中で超能力者じゃないからそこまでわかるわけないだろう、とつぶやいた。
そうしたらまた桜葉に睨まれた。
……どうやらあっちの方は、完璧にこっちの心の中をお見通しのようだった。
一場面の登場人物が多いとぐだぐだですね……。