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猫と話す少女(1)

 この街に来て初めての朝、妙な時間に目が覚めた。

 太陽が地平線から顔を出す寸前の、何か薄ぼんやりとした闇の中。布団のまわりの引越し荷物のダンボール箱を眺めながら、俺は奇妙に気持ちが澄んでいるのを感じていた。

 かすかな興奮と、静かな満足感。思い出すことは出来ないが、何かいい夢を見た、そんな気がする。

 枕元の目覚まし時計に手を伸ばしてアラームを解除。起きるのにはまだ早い時間だったが、このまま寝直すのも何かもったいない気がして、大きく伸びをした。

 欠伸をしながら起き上がると、肩が少し、ひんやりとした。四月とはいえ、朝はまだまだ寒い。昨夜脱ぎ捨てたはずの半纏を探すと、敷布団の下から袖が出ていた。はぁ、と息を吐いて、肩をすくめながら寝巻き代わりのトレーナーの上に羽織ると、多少は寒さが和らいだ。

 しん、と音が聞こえるほどの静寂。まだ暗い部屋の中、電気をつけようとしてふと、朝日でも拝もうかと思いついた。

 まだ眠っている、静かな静かな街に、新聞配達だろうか、スクーターらしきエンジン音が遠くからかすかに響く。

 両手で頬を叩いて気合を入れて、よし、と口に出して布団から抜け出す。

 ベランダに続く窓のカーテンをわずかにめくると、いくらか雲は出ているが、概ね空は晴れているようだった。

 洗面所で顔を洗い、それからまだ箱も開けていない引越し荷物のダンボールをひとつ持ってベランダに出る。ダンボール箱を縦にして適当な場所に下ろし、その上に腰掛けた。

 丘の上に、ぽつんと佇む、古びたアパート。その二階のベランダで。

 丘の上から海までまっすぐに続く道路をぼんやりと眺める。

 まだ日が昇る前の町は、薄い紫のような薄闇に包まれていた。

 さすがに外は室内とは比べるべくも無く寒く、腕を組むようにして両手を半纏の袖の中に入れて、そのまましばらく、寒さに耐えながら街を眺める。

 これが、俺がこれから暮らす街。

 いろいろと思うところはあったけれど、やはり家を出たのは正解だったのだろうと思う。

 ぼんやりとしているうちに、遠くに見える水平線に、かすかに白い光の線が浮かんだ。

 水平線が、真っ白になって伸びてゆき、雲が神々しい光に照らされて、くっきりと陰影を浮かび上がらせる。

「はじまったね」

 ああ、始まった。

 かすかに、朝日が顔を出した。真っ直ぐな光がさっと差し込んで、街に影を形作る。

 闇の中から、影がふわりと浮き出てくる様は幻想的で、すごくて、ただ心の中が白くなる、そんな感覚が全身を覆った。

「……すごい」

 薄い紫の闇が、薄れて消えていく。

 光で、塗りつぶされていく。

 直接、太陽を見ないように手でさえぎる。

 鳥のさえずりが聞こえる。

 街が、動き出す。

 そして、朝が、始まった。

 ……うん。今日も良いものを見た。

「日の出って、初日の出とかじゃなくてもいいものだよね?」

「ああ、そうだな」

 脇からかけられた声に応えてから気がついた。今の声は何だ?

 声の方を見ると、すぐ隣に、タンクトップにショートパンツの女の子が、俺と同じようにダンボール箱を椅子にしてベランダから海の方を眺めていた。

 ぱっと見には、俺より二つか三つは年下に見える。ずいぶんと寒そうな格好だが、寒さに震えている様子は無い。腰まで届きそうな長い黒髪を、くくりもせずにただ背中に流している。

 ずいぶんと薄着だが、寒くないのだろうか。まるで暖かい部屋から、ちょっとだけ出てきましたというような格好に見える。

 しばらくそのまま、海を眺める少女の横顔を眺めていた。

 俺の知り合いでないことは確かで、昨日挨拶したこのアパートの住人でもないように思う。

「……聞かないの?」

 海の方を眺めたまま、少女が言った。

「何を?」

 俺が尋ねると、少女はちらりとこちらを見て、ふう、と息を吐いた。

「謎の美少女が、突然現れてあげたっていうのに、反応薄すぎるとおもうな。わたしは」

「自分で自分のことを美少女だと言うのは、ちょっとどうかと思うな。俺は」

 口調を真似して返したら、少女はちょっとむっとしたらしく、形の良い眉をちょっと歪ませた。

「そこにつっこむの? もっと違った反応があるでしょう?」

「……不法侵入で警察に訴えた方がいいと?」

 携帯電話はどこに置いたかな。

「もう! せっかくこういう凝ったシチュエーション用意してあげたのにさ、なんでそゆこと言うかな?」

 少女が立ち上がって、苛立つように両手を上下に振った。

「わたし、八年も待ったんだからね、この日を!」

「そんなこと言われても、見知らぬ他人が自室に侵入していたら、普通はまず退去を命じて、言うことを聞かなければ警察に通報するものじゃないのか?」

「……主人公になれないタイプみたいね。もういいや、変に再会を演出しようとしたわたしがバカだったみたい」

 少女は息をひとつ吐いて、ダンボール箱に腰掛けた。

「さっきから八年待ったとか再会とか、俺達どこかで会ったことあったか?」

 俺がこの街に引っ越して来たのは昨夜のことで、この少女に会うのも初めてなはずなのだが、どうやら少女にとってはそうでないと先ほどから言っているように聞こえる。

「しゅんちろにとっては、たぶんわたしは初対面なのかな? でもね、わたしにとっては八年ぶりなの。たぶんきっと、しゅんちろはこの先の未来において、過去でわたしと出会うんだと思う」

 思わせぶりな言い方で、少女が小さく笑みを浮かべた。

「しゅんちろ?」

 俺のことだろうか?

「状況わからなくていいからさ、再会を祝してのお茶に付き合ってくれない?」

「別にお茶くらい付き合うのはかまわないが。まだ荷物ほどいてないから、茶の用意はできんぞ? 近くに自販機でもあったかな」

「ああ、だいじょぶ。持参してるから。コーヒーと紅茶、どっちがいい?」

 目の前の少女は手ぶらで、何の荷物も持っていないように見える。タンクトップにショートパンツという格好のどこにもそんな荷物を隠しているようには見えなかったが、近くに置いてあるのだろうか?

「では、コーヒーを」

 飲み物に特にこだわりはなかったが、今の気分はコーヒーだった。

「ちょっとまってね」

 言うなり少女はタンクトップの胸元から手を突っ込んで、なにやらごそごそとやり始める。

 ああ、上の方、つけてないよなーって思ってたらやっぱりこいつブラとかつけてねぇ。

 俺は年下に興味はないので平坦な胸など見てもなんとも思わないが、ブラを必要としないほど胸が無いわけでもないようだ。

「おい、見えてんぞ?」

「バカ、みせてんのよ。わたしも少しは成長したでしょ、って見せ付けてるの! でもそんなにガン見しないで、紳士なら横向くふりをしてこっそり眺めなさい。それが作法ってもんです」

「そういうものか?」

 成長したでしょう?と言われても、そもそも初対面なので比べようもないと思うのだが。

 別に少女の薄っぺらい胸に興味があるわけではなかったが、何をしようとしているのかには興味があったので、彼女の言葉にならって、やや目をそらすふりをして、横目で彼女の様子を伺うようにする。

「そういうものなの。でも、見て嬉しくなるほどいいもんでもないでしょ?」

 ちっちゃいしね、と笑いながら少女は懐からジョージアの缶コーヒーを一本取り出した。

「ジョージアでいい? BOSSとかもあるけど」

「銘柄に文句は言わないが、なんか生あったかそうな、ってうお」

 手渡されたコーヒーの缶は熱々で、今、自販機から出てきたかのようだった。

 こんなものを懐に入れていただって?

「ちゃんとあっつあつでしょー?」

 言いながら、少女が次々と缶を懐から取り出す。

 見る間に紅茶花伝やら午後の紅茶やら、お~いお茶やらが次々に並ぶ。

 コーヒーの一本くらいならそこまで驚きはしないが、都合十数本も懐にしまっていたとはとても信じられない。

「おかわりもあるから、さ。まずは乾杯といこうよ、ね?」

「なぁ、今どこからそんなに出したんだ?」

「見てたくせにぃ~」

 ニヤニヤと少女は笑う。

「見ていてわからなかったから聞いている」

 タンクトップなので、袖に隠した缶ジュースを懐から取り出したように見せる手品というのも考えにくいし。いったいどういった仕組みなんだろう。

「企業秘密~♪ 女の子の胸には夢と希望が詰まっているのです」

 えへん、と薄い胸を張って左の人差し指を唇にあてる少女。

「なら、自分で確認させてもらう」

 俺は、胸を張って仁王立ちする少女のタンクトップの襟に指をかけ、ひょいと中をのぞきこんだ。見た所とくに不審な点は無い。

「え、ちょ、ちょっと?」

 見た目でわからないなら、手で探ってみるか。

 半纏を片袖脱いで、少女のタンクトップの内側へと手を伸ばす。

「……っ?!」

 すべすべした肌にはおかしなところは無く、やや寒いのかかすかに鳥肌が立っているようだった。染みも傷もなく、白い肌のどこにも継ぎ目のようなものはない。

 腹が保温庫になっている説はハズレか。

 鳥肌がたってたってことは、寒くないわけじゃないのだろうと、半纏を脱いで、少女の肩に羽織らせてやる。

「え、あ、ありがとう?」

 それから、少女の前にしゃがみこんで、タンクトップのすそを引っ張って、胸の辺りまで一気に持ち上げる。裏返してみるが、タンクトップの生地自体にもおかしなところは無いようだ。

「あの、えっと、さ?」

 ずいぶんと奥の方まで手を突っ込んでごそごそやっていたようだったから、下の方だろうか、と少女のショートパンツに手をかけたところで、妙な気配に気がついた。

「……む、なにやら殺気のようなものを感じる?」

「えーっとね、それ以上はさすがに遠慮してくれるかな? 自分が今やっていることが犯罪行為だっていう自覚、ある?」

 ショートパンツに手をかけたまま、見上げると、少女が笑ったような顔で怒っていた。

 なんで怒っているのかわからない。

「いや、教えてくれないというから自分で調べているだけの話で、何も悪いことをしているつもりはないが?」

「客観的に言ってさ、断りも無く女の子の服を脱がしたり、身体に触る行為をしておいてさ、悪いことしてないってどゆこと? 立派な痴漢だと思うんだけどな、わたし!」

「知的好奇心の探究においてはどのような行動も正当化されるというのが俺の持論なんだが」

「恥的好奇心とかどーでもいいの! わたしの魅力に耐えられなくて、つい魔が差しちゃった、てへ♪ とかいうならまだしも掃除機でも分解するみたいに女の子脱がすのはどーなのよ? 中身にまったく興味ないそぶりで脱がされるのってすっごく屈辱なんだけどっ!」

「俺が知りたいのはあれだけの缶ジュースを熱々のまま大量に服の仲に隠し持っておける秘密であって、」

 ロリコンじゃないからお前の身体なんかに興味は無い、と言いかけた俺の言葉をさえぎって、少女がめくりあがったタンクトップの裾を直しながら怒鳴った。

「早朝っていったって人が全然通らないってわけでもないのにさ、まったく! もう、はじめからやり直し! いい、やり直すからね。今までのはぜんぶ夢ですっ! まだ、わたしと会ってないことにするんだからね?」

 言いながら、少女が金属製のバットのようなものをどこからとも無く取り出した。

 俺の部屋にはバットなんてないし、目の前の少女が持ち込んだのだろうがタンクトップとショートパンツという格好でどこにこんな長物を隠し持っていたというのだろう。

「なぁ、そのバットどこから出したんだ?」

「問答無用!」

 少女がバットを頭上に大きく振りかぶった。

 この時点でもまだ俺は少女が何をしようとしているのか理解していなかった。

「記憶を失え~っ!」

 少女のバットが、俺の脳天に振り下ろされて、そこで初めて、ああ、なるほど、頭ぶつけると記憶なくすっていうしな、と少女の行動に納得しながら意識を失った。

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