ひとりぼっちの少年(5)
中間テスト明けの学校帰り、近場の本屋では目当ての本が売切れていたので、久しぶりに三駅先の本屋まで出かけることにした。
前回よりはテンション低めで普通に駅に下り立ったのだが、よく思い出してみるが前回どうやって本屋に行ったのかが思い出せなかった。まぁ、適当に歩けばなんとかなるだろう、とふらふら歩いたのが悪かったのか。気がついたら自分がどこにいるのかわからなくなっていた。
いつものように勘にしたがって適当に歩けば、本屋にたどり着けると思っていたのだが、その勘が、本屋はこっちでないといっているように感じられた。こんなことは初めてだった。
「……むぅ。この歳で迷子は、ちょっと恥ずかしいな」
思わずつぶやいたひとりごとに、どこからか問いかける声があった。
「おにいちゃんも、まいごなの?」
誰だろうと辺りを見回すと、小学校に上がるかどうかくらいの男の子が、ガードレールに両手を乗せて顔だけこちらを見つめているのに気が付いた。
「なんだ、お前も迷子なのか?」
問いかけると、少年はふるふると首を左右に振った。
「いもうとが、みつからないんだ」
「名前は?」
「はづみ、どこにいるんだろう。ぼく、ずっとここでまっているんだ」
葉摘?
「よし、俺が一緒に探してやろう。はぐれたのはどこだ? まずはそこまで一緒に……」
少年の手を取って、一歩歩き出そうとしたところに声をかけられた。
「……もしかして、水無神さんじゃありませんか?」
声の方を振り向くと、道路の向かい側に、朱雀がこのあたりの中学校のものらしい制服姿で立っていた。いや、髪が長いし、スカートをはいているし、口調も違うし、葉摘ちゃんなのだろう。
ぶるんぶるんと首を左右に振って妙な認識を頭から追い出し、葉摘ちゃんに手を振ると、丁度信号が変わったところで、葉摘ちゃんは微妙にふらふらと左右に揺れながらこちら側にやって来た。
「いいところで会った。葉摘ちゃんはこのあたり、詳しいか? この子の妹が迷子らしいんだが」
「この子、って、どの子ですか?」
葉摘ちゃんが、まばたきをして、俺の周りを見回す。
「いや、見てわかるだろう? 俺が手をつないでいる、この……」
言いかけて気がついた。つい先ほどまで感じられていたはずの、少年の手の感触が消えている。手を離したつもりはないし、少年が手を離したようにも感じられなかったし、握った状態のまま、まるで突然少年が消えてしまったかのように、俺の右手は何かを握った状態のまま空気をつかんでいた。
「……」
「さっきから、おひとり、でしたよね?」
葉摘ちゃんが、怪訝そうに俺の顔を見つめた。
「いや、小さな男の子が……」
夢でも見たのか、夕方とはいえ幽霊が出るような時間でもあるまいに。俺は一体、何と話していたというのだろう。しかし、俺が見たものが何であったのかはわからないが、葉摘ちゃんに見えていなかったのならば、たぶんそれは、今、葉摘ちゃんに存在を主張してもしょうがないものなのだろう。
「というか……実は俺が迷子だったりするんだ」
「まぁ、ずいぶんと大きな迷子ですね?」
葉摘ちゃんは、口元を押さえてくすくすと笑った。
「挨拶が遅れた。直接会うのは久しぶりだな、葉摘ちゃん。手紙とか弁当とかのやりとりをしているから、あんまり久しぶりって感じはしないんだが」
「お久しぶりです。偶然とはいえ、本当にまた会えましたね。今日はどちらに?」
「実は、本屋に行こうとしていたんだが……」
「あら、全然反対方向ですよ? もしかして、駅で西口から出たんじゃないですか? ここからだと、あっちのほうに向かって、二つめの信号を右にいくと踏切が見えますから、そこを渡って、大通りに出たら……」
「すまない、時間があるなら案内してもらえないだろうか?」
頭の中のメモ帳に書ききれなくて、ギブアップする。
葉摘ちゃんはしばらく何か考えていたようだったが、すぐに小さくうなずいて右手をこちらに差し出してきた。そっと左手を乗せると、葉摘ちゃんはきゅ、と俺の手を握って、それからゆっくり、ふらふらと歩き始めた。
「……迷子の手は、引いてあげないと、また迷っちゃいそうですから」
葉摘ちゃんが、前を向いたまま小さくつぶやいた。
なぜだか、一瞬、空気をつかんだままだった俺の右手にも、少年の腕の感覚が戻ったような気がして右手の先を見たが、そこには何も見えなかった。
「ねえ、水無神さん。夏休みに、一緒に出かけませんか?」
先をゆっくりと歩きながら、葉摘ちゃんが言った。
「どこか、行きたいところでもあるのか?」
「ちょっと、いいところがあるんです。海も、山も楽しめる、素敵なところが。兄を通じて連絡しますから。桜葉さんでしたっけ、お友達もご一緒に。わたしも、友達を連れて行きますから」
「直接会うのが二回目で、もう一緒にお出かけとか。わたしたちに係わるなって言った、初対面の時のあの剣幕がウソみたいだな」
ちょっと頬が緩む。手紙とはいえ、それなりに言葉を交わしはしたし、今ではそれなりに仲良くやれているという自信もあった。
「あら、前に会ったときに言いましたよね? わたし、とっても嘘つきなんですよ?」
相変わらず前を向いたまま、こちらを見ようとせずに葉摘ちゃんが言った。
「今、水無神さんとにこやかに会話していたとしても、わたしが内心どう思っているのかなんて、きっと想像もできないでしょう?」
「葉摘ちゃんは、俺と楽しくにこやかに会話しているし、夏休みに楽しくお出かけしたいと思っているに違いない」
きゅ、と軽く葉摘ちゃんを握る左手に力をこめると、「わかっていましたけど、相変わらず馬鹿で無責任なんですね……」と葉摘ちゃんがため息をついた。
本屋につくと、俺は礼を言ってつないだ手を離した。
「案内してくれて、ありがとう。助かった」
「もう、迷子になっちゃだめですよ?」
小さく手を振って、葉摘ちゃんとは一階で別れた。
三十分後、本屋を出ると、葉摘ちゃんは別れたときのまま一階で待っていた。
「もしかしたら、駅に行くのにも案内が必要なのかな、と思いまして……」
小さく微笑んで、葉摘ちゃんは俺に右手を差し出してきた。
「また迷子になったら、大変でしょう?」
「すまない、ありがとう」
そっと触れた葉摘ちゃんの手は、相変わらず、壊れてしまいそうに華奢だった。