ひとりぼっちの少年(3)
「おはよう」
声をかけながら教室に飛び込む。いつもよりだいぶ遅い時間で、HRにはぎりぎりで間に合った、というところだった。相変わらず、俺の扱いは困った立場のようで、何人かが軽く会釈のようなものを返してはくれたが、どうにも腫れ物扱い感は変わっていないようだ。
ため息をつきながら、自分の席に向かって、後ろの朱雀が珍しく席についているのに気がついた。
「おはよう、朱雀」
これまで一度も返って来たことはないが、後ろの朱雀に挨拶しながら席に着くと、驚いたことに挨拶が返って来た。
「……おはよう」
思わず振り返って朱雀の顔を見る。
「こっちを見るな。……気持ち悪い」
朱雀はいつもの冷たい眼差しではあったが、教科書などで顔を隠すことなく俺の顔を睨み返してきた。しかし、すぐににらめっこ状態を嫌うように目をそらし、
「変態とわかっている貴様に問うのもなんだが、それは、君の趣味なのか?」
と目をそらしたまま、俺の胸ポケットを朱雀が指差してきた。
「いや、朱雀は、水流先生の授業受けたこと無かったか?」
胸ポケットの前に、右手を差し出すと、妖精さんは、んしょんしょ、とポケットから這い出して俺の手の平に移った。そっと、朱雀の机の上に妖精さんを乗せてやると、妖精さんはにっこりわらって、朱雀に小さくお辞儀をした。
「これは、あの変態教師の人形か。よく出来ているな」
「ちょ~~~っとまったぁ~~~っ!!」
朱雀が妖精さんに手を伸ばそうとした瞬間、そこに突然、朱雀と俺の間に割り込むようにして誰かが顔を突き出してきた。
「水無神くん、ねぇ、ちょっと、どういうこと? なんでアスカちゃんここにいるの? ねぇ、ねぇってば、ねぇ?!」
何やらハァハァと怪しい息を吐いて、ちょっと尋常でない様子の城之崎さんが、目を爛々と輝かせて妖精さんを見つめている。
「いや、水流先生が、今日一日頼むって……」
……城之崎さんって、こんな人だったろうか? もう少し、知的でクールなイメージを持っていたのだが。
「ね、ね、さわっていい?」
人の話を聞いちゃいねぇ。
城之崎さんは、ハァハァと息を吐きながら妖精さんにそっと手を伸ばして、それからぴたりと急にその手を止めた。
「アスカちゃんっ! ちょっと待っててっ!!」
バタバタと自分の席に戻り、鞄をひっくり返すと何かをつかんで戻ってくる。
「こ、こんなこともあろうかと、作っておいたアスカちゃんの服があるの、着てくれないかな、かな?」
なんだかフリルとレースのいっぱいついた、いかにも人形の服、という感じのドレスを妖精さんに突き出して、城之崎さんが怪しい笑みを浮かべている。
「……」
「……」
俺と朱雀が、城之崎さんの妙なテンションに圧倒されるばかりで、何も言えずにいると、まったく動じていない当の本人の妖精さんは、にっこり笑って城之崎さんからドレスを受け取った。白い全身タイツというか、レオタードというか、謎の服を身にまとっている妖精さんは、もぞもぞとレオタードの上に受け取ったドレスを着込んで、またにっこりと微笑んだ。
「か、か、か、かわいい! 写メ、いえ、動画! と、撮らなきゃ! って痛っ!」
えへへ、えへへ、とかなり壊れた感じで携帯を取り出した城之崎さんの脳天を、1時間目の現国教師の出席簿が直撃した。
「城之崎、何をやっとるんだ。……っ?!」
あきれた顔の現国の瀬戸先生が、朱雀の机の上の妖精さんを見て固まった。
「こ、これは……水流先生のっ?!」
「そうです! アスカちゃんです! いっつも水流先生の頭の上にのってて、なかなか間近で見られないアスカちゃんです!」
「おおお。職員室じゃ、水流先生はポケットにしまってて見せてくれないんだ。まさかこんなところで見られるとは!」
瀬戸先生と城之崎さんが、なんだか意気投合したらしく、二人して熱い視線を妖精さんに注いでいる。いつの間にか、他の生徒達も俺と朱雀の席の周りに集まって来ていて、なにやらヒソヒソ、ざわざわ、と囁きあいながら、朱雀の席の妖精さんに好奇の視線を向けている。
……なんか、珍獣あつかいだな。妖精さん。
視線を妖精さんに落とすと、妖精さんは、俺の顔を見上げて、親指を立ててウインクをした。
あたしに、まかせろです! 営業がんばるですよー!
という言葉が聞こえた気がした。桜葉に対抗して目で語ってくるとは、妖精さんもなかなかやる。いや、というか、何で俺、理解できてるんだ? 妖精さんは、何かテレパシー的な能力でも持っていたりするんだろうか。
「……なに」「あれ」「どういうこと?」「なんか、通じ合ってるかんじ?」
ざわざわの視線が、妖精さんから、なぜか俺に向いた気がした。
「水無神、おまえ、これ、どうしたんだ?」
瀬戸先生が、妖精さんを指差しながら俺に尋ねてきたので、「水流先生から、今日一日頼むと言われて、預かりました」と簡潔に答えた。
「それより、先生、授業は?」
「バカモノ! 授業なんてやってる場合じゃないだろう!」
「……いや先生。授業時間なんですけど」
そう言えばHRも無かった様な気がする。水流先生は来なかったのか?
「世の中、勉強より大切なことはいくらでもあるんだよ!」
「そうよそうよ!」
「いや、瀬戸先生に城之崎さん。もう少し、落ち着いたらどうかと……」
勉強より大事なことがあるというのには同意するが、それにしたってちっちゃな妖精さんをよってたかって取り囲むのは、それには当てはまらないだろうと思う。このまま好きにさせていたら、妖精さんがぐちゃぐちゃにされてしまいそうな気がして、妖精さんをそっと、右手で覆う、と。
「独り占めするのはずるいよっ!?」
城之崎さんが、叫んで、俺の右手につかみかかった。ぎりぎりと、女の子とは思えない、かなり強い力で握り締められて、あせる。
「お、おい、落ち着け、城之崎!」
「これが落ち着いていられますかっ!」
周りのザワザワが、熱気が、朱雀の机の上の妖精さんに迫ろうとした、その時。
「……僭越ながら、この場を仕切らせていただきます」
前の席の桜葉が立ち上がって、すっ、と左手を水平に払った。
気圧された様に、周囲の生徒がガタガタと音を立てて後ずさる。
「アスカさんとお近づきになりたい方は、三名づつこちらへ。持ち時間は三分づつとします」
桜葉が、ちらり、と妖精さんを見る。
妖精さんは、ちょっと首を傾けて、それから「ん」とうなずいた。
桜葉の仕切りは完璧だった。先ほどのザワザワや熱気がウソのように、みんな大人しくきちんと整列していた。順番に朱雀の机の上の妖精さんに挨拶し、おやつを積み上げ、ちょっと妖精さんを手のひらの上に乗せたりして、皆、満足げに自分の席に戻っていった。
妖精さんがこんなに人気があったとは。
ちらりと朱雀の様子をうかがうと、朱雀は自分の机の上にお供え物のように積み上げられていくおやつの山に困惑しているようで、これまで見たことの無い、不思議な表情で窓の外を眺めていた。
「はい、これ、水無神くんと、朱雀くんにも」
「ああ、ありがとう」
「……」
妖精さんだけでなくて、ついでにという形ではあったが、俺や朱雀にもおやつのおすそ分けがあって、それが朱雀の困惑に拍車をかけているようだった。窓の外を眺めながら、時々、妖精さんや俺の顔をちらちらとうかがう朱雀に、何か言葉をかけようと思ったが、なんとなく今はこちらから声をかけるべきではないような気がして、俺は黙って、愛想を振りまく妖精さんの方を眺めていた。
「俊一郎はアスカさんに興味はないのですか?」
携帯で前列の持ち時間をはかりながら、ちらりと目だけでこちらを向いて桜葉が言った。
「恥的好奇心旺盛な俊一郎なら、なんで飛べるのか調べさせろ、とか、どれだけ人間そっくりなのか調べさせろ、とか言って、真っ先にアスカちゃんを裸にしてしまいそうに思っていましたが」
桜葉のセリフに、前列にいた女子生徒が「……っ?!」と警戒の眼差しを俺に向けた。
これはロリコン疑惑追加されたかな、と思いながら、桜葉に顔を向けることなく答える。
「……水流先生が、妖精さんのことを電池式の人形だって言っていたら、分解しようと思ったかもな。とてもそうは思えないから。先生が、妖精だと言い実際に見た目も妖精であるならば、それ以上何を調べる必要がある?」
「見たまんまだから、興味を惹かれないと?」
桜葉が、時間です、と列を入れ替えながら言った。
「さっき、ちょっと話したから、妖精とかそういうことじゃなくて、こいつ自身にはちょっと興味出てきたけどな」
目を向けると、ちょっと疲れてきたのか机の上にぺたりと女の子座りで座り込んでいた妖精さんが、両手を頬に当てて、にやにやしながら俺の顔を見上げた。
あたしに惚れるなですよ?
という声が聞こえた気がしたので、ばーか、と目で返してやる。
「ずいぶんと仲がいいようにみえるが、あの変態教師やこの人形とは前から親しかったのか?」
窓の外を向いたまま、不意に朱雀が言った。
「いや。どうも向こうはこっちのことをよく知ってるようなんだが、水流先生とは授業以外であまりまともな会話はしたことがないし、妖精さんとまともに話をしたのは今朝が初めてだな」
「……信じがたいな。貴様とこの人形、目と目で通じ合っているように見える。そんな短時間で、築きあげられるような関係には見えない」
珍しく、朱雀が口数多く話しているので、みなの興味が妖精さんだけでなくて、朱雀にも向いたのが感じられた。
「なぁ、朱雀」
「……」
窓の外を向いていた朱雀が、無言で俺の顔をにらみつけた。
「話をしないか。お前が俺のことを嫌っていようが、どう思っていようがかまわない。色々話した結果、それでもどうしてもそりが合わないとか、口もききたくないほど虫が好かないというならそれでもかまわない」
「今更、僕と貴様で何を話すことがある?」
「そうだな、何でもいいんだが、例えば葉摘ちゃんのこととか」
「……っ!」
「言葉は時に人を傷つけるが、分かり合うために必要なのも言葉だと思う。言葉を交わすことは、人と人の関係を形作る上で、とても大切なことだ」
「……」
俺の言葉に朱雀は何も答えず、ただじっと俺の顔を睨みつけてきた。
同時に、終業の鐘が一時間目の終わりを告げる。結局、現国の授業は全部つぶれてしまったようだ。
ぴょん、ぴょん、と妖精さんが俺の右腕を踏み台にして、俺の頭の上に駆け上がって、うつぶせになって大の字になった。
ぱいるだー、おーん、です!
という声が聞こえた気がしたが、聞こえなかったことにした。
「アスカさんも疲れてしまったようですし、ちょうど最後まで回ったようですから後の授業時間はみなさん大人しくできますね?」
桜葉の問いに、みなが「はーい」とうなずき、妖精さんとお近づきになる会は終了となった。
前に向き直ろうとした俺に、「……葉摘の件で、あとで貴様に話がある」と朱雀の囁くような呟きが耳に入った。振り返ると、朱雀は教室から出るところだった。
「なかなか大変なイベントのようですね?」
桜葉が、教室から出て行く朱雀の方を見ながら言った。
「水流先生が何を意図していたのかはわからないが……。確かに、色々動いたような気がする」
頭の上から、くぅくぅ、と小さな寝息が聞こえてきた。
おつかれさん。
頭の中で声をかけたら、髪の毛が、くいっと軽く引っ張られた感触があり、重心がずれたらしく、ずり落ちてきた妖精さんが、片手を髪に絡ませたまま俺の右の耳に引っかかった。
「おちるぞ?」
そっと妖精さんの腰の辺りをつかんで、頭の上に乗せようとしたら、妖精さんが俺の耳元で何かをつぶやいた。何といったのかはよく聞き取れなかったが、日本語ではなかったような気もする。
内容はわからなかったが、なぜかそれは謝罪の言葉のように思えた。
「……なぁ、どういう意味だ?」
頭上の妖精さんに問いかけるも、返ってきたのは、小さな寝息だけだった。