ひとりぼっちの少年(2)
「それで、結局、俊一郎はどうするつもりなんですか?」
話しかけてきたのは桜葉の方からだった。俺の方を見ようともせず、まっすぐに前を向いたまま。責める様な口調ではなく、ただ確認するだけといった淡々とした様子なのが返って堪えた。
「俺は自分が最低なことをしているという自覚はあるが、それでも葉摘ちゃんをなんとかしてあげたいという気持ちは、間違いではないと思っている」
開き直っているように聞こえなければいいがと思いながらも、今の気持ちを正直に言葉にしたら、なぜか桜葉はまばたきを数回して立ち止まり、首を傾げながら俺の方を向いた。
「……葉摘ちゃん、というのはどなたですか?」
「は?」
会話がかみ合っていない。
「いつきさん、俺が葉摘ちゃんに告白したことを怒ってるんじゃなかったのか?」
「怒っていないと言ったはずです。ですが……どうもすれ違いがあるようですね?」
桜葉がさらに首をかしげた。それからちょっと上を見上げて、ぽん、と軽く手を叩いて、「俊一郎、これ、見えますか?」と人差し指を小さく回して、宙に円を描く。
宙に描かれた円から猫魂がひょこんと顔をだして、俺の顔を見てにゃーと鳴いた。
「ああ」
俺がうなずくと、桜葉は大きくため息を吐いた。同時にみるみる背が縮み、子供バージョンになる。
「しゅんちろ、さいってー!」
口にした内容の割には、やや嬉しげに微笑みながら桜葉が言った。
「わたしに心を残したまま、他の人に告白するだなんて、さいってーだよ?」
「すまんがよくわからん。説明してくれないか?」
いきなり機嫌が直ったようだが、さっぱりわからない。いつきさんは、一体なんで急に機嫌が直ったのだろう?
俺が肩をすくめてお手上げのポーズをすると、桜葉はパチンと指を鳴らして猫魂を消した。
「その前に、しゅんちろの方、説明して欲しいな? 前にも言ったけど、桜葉の家には未来視の能力とかないんだよ」
「いや、すごくタイミングよくあんなメールが来たから、いつきさんは全て承知のものと思って、だから怒ってるのかなって思ってたんだが?」
「女の勘ってやつを馬鹿にしちゃだめだよ? しゅんちろが、誰かに心移りしそうになったのはわかってるけど、わたしはその相手って朱雀くんだと思ってた。さすがに男の子にしゅんちろ取られちゃうとは思ってなかったから、わたし魅力足りないのかな、ってすっごく落ち込んでた。何度も言うけど、怒ってたわけじゃないんだよ?」
「いや、俺、男に告白したりはしないぞ?」
まだそんな誤解を。
「……でもさ、朱雀くんだったんでしょ? 少なくともしゅんちろは朱雀くんだと認識してたと思うんだけどな?」
何か確証でもあるのか、確信ありげに桜葉が微笑む。
髪の長さでなんとか区別がつけられるとはいえ、朱雀も葉摘ちゃんも、俺の認識ではどちらも同じ人物のように感じられたというのは間違いない。
「いや、確かに朱雀は朱雀なんだが、妹の方だ」
「……へぇー? 朱雀くん、妹さんなんていたんだ? 朱雀くんに似て、やっぱりかわいかったりするのかな?」
「朱雀のやつが、そのままスカートを穿いたところを想像すればいい」
「……それは、びしょうじょ、だねぇ」
桜葉が苦笑する。
「簡単に順を追って話すと、マンガを探しに三駅先まで遠征して、そこで朱雀そっくりの女の子に会った。最初見たときは朱雀だと思ったんだが、本人に妹だと否定された。ちゃんと女の子の格好してたし、髪の長さが違ったんで別人だと認めざるを得なかった」
「朱雀くんと間違えて、今日は胸あるんだな、確認のため触らせろと言っている様子が目に浮かぶようだね?」
「……本人に拒否されたので触ってないぞ?」
一応自己弁護しておく。
「やっぱり、さわろうとはしたんだ……」
呆れたように桜葉がため息を吐いた。
「本人の居ないところで言うのはあれなんで詳細は伏せておくが、妹の葉摘ちゃんの方から、あいつの事情を少し聞くことができた。妹の方にもはっきり言われたよ、わたしたち兄妹に係わるなって」
「それで、どうしてその妹さんに告白なんて展開になるのかな?」
「……自分の人生が、既に終わってるって言ったんだ。俺は、どうしてもその言葉を許せなかった」
「……そっか、そうなんだ。なるほど、そういうことなんだ……」
なぜだか桜葉は何度もうなずいて、小さく、どこか寂しげに微笑んだ。
「意外だな。なんでそれで告白になるのかな、とか言われると思ったんだが」
「だって、わたしの知ってるしゅんちろって、そういうひとだもの」
遠くを見る目で、俺を見つめて桜葉が言った。
「……?」
それは、未来において過去に行くという俺に係わる記憶なんだろうか。
「前に、朱雀くんに係わる理由をわたしのため、って言ってくれたのは嬉しかったけど。朱雀くんの妹さんに係わろうっていうのが、しゅんちろ自身の意思だっていうのがちょっと嫉妬しちゃうかな?」
「朱雀のことも放棄したわけじゃないぞ? 妹を変えるってことは、あいつとの関係を変えるということでもあるし」
「具体的には、何をする気なの?」
「仲良くなろうと思っている。朱雀兄妹と。詳しい事情はよく知らないんだが、生きてるって楽しいことなんだって、思わせてやる。昔、事故で死ななかったことを嬉しいと思えるように。
人生が終わってるなんて、悲しい言葉を、二度と言えないように」
「朝っぱらから仲いいなー」
うお。
いつぞやの時のように、いきなり肩をばんと叩かれ、振り返ると水流先生がにやにや笑いで立っていた。頭の上には、相変わらず妖精さんがちょこんと乗っている。
「でも、ちょっと公道でべらべらと話すような内容じゃないかなー?」
さらに、ばんばんと俺の肩を叩いて先生が唇の端を吊り上げる。
「独り身が寂しくなるから、公道で二人だけの世界を作るのは禁止!」
「いや、別に二人だけの世界とか作ってませんから」
というか先生、いつから聞いてたんだ?
「口答えも禁止!」
「先生、何か御用なのでしょうか?」
親しげに肩を叩く先生に、桜葉がやや不機嫌そうに大人モードで問いかけた。
「んー。たまたま朝、出会っただけ……って言っても納得しないかなー?」
「納得できません」
入学式で未来の先生に肩を叩かれて以来、今日まで先生と朝会ったことは無かった。単なる偶然とは考えにくい。肩を叩いたタイミングといい、たまたまではなく、俺達を待っていたと考えるのが自然だろう。
「いや、ちょっと、イベントを起こしてあげようかなって思ってねー」
先生はにやにやと笑いながら、俺の顔をじっと見つめた。
「イベント?」
「いや水無神くん。君、微妙に教室で浮いてるじゃない? ちょっと助け舟でもと思って」
「助け舟って、今頃何をする気なんですか?」
誤解の原因のひとつは、不純同性交友呼ばわりした先生にもあるような気がするんだが。
「というわけで、アスカ、頼んだ」
「あいなー」
先生が声をかけると、先生の頭の上に乗っていた妖精さんが、ひよひよと宙を漂って俺の頭の上にぽすん、と着地した。
それほど大きくはないが、思っていたよりは重い。たぶん、子猫くらいの重さはあるんじゃないだろうか。大きさと、空を飛べる点からもっと小鳥のようなずっと軽いものを想像していたのだが、いったいどういう原理で宙に浮かぶのかちょっと興味をそそられる。
「んしょんしょ」
頭の上で、妖精さんがもぞもぞと動いて、転がり落ちないように俺の髪の毛を腕に絡ませたようだ。髪が軽く引っ張られる感触があって、それから小さな吐息が頭皮をくすぐった。
「んー、ますたーとはまた違ったニオイ」
「ちゃ、ちゃんと毎日シャンプーしてるぞ?」
「今日一日、アスカをのっけときなさい。きっと教室で人気者になれるから」
慌てる俺をよそに、先生はなにやら満足げにうなずいて、俺の肩をまたバンバンと叩いた。
「いや、そういうもんじゃないでしょう?」
むしろロリコン疑惑か人形フェチ疑惑が追加されそうな気が。
「まぁ、だまされたと思って。そうそう、アスカの分もお昼お願いねー」
先生は、そう言うと、「んじゃ!」といって、駆け出そうとした。
「ちょっと、待ってください」
そこに桜葉が声をかけた。
「……なにかなー?」
先生は、駆け出そうとした体勢のままで、顔だけ桜葉の方を向いた。
「今の先生は、いつの先生ですか?」
「……ナイショ。でもたぶん、考えている通りです、と言っておきます」
先生は、小さく笑って、さささっと駆け出してあっという間に見えなくなった。
「なんなんだいったい……?」
桜葉も妙なことを聞いていたが、それにしたって今の先生は一体何なんだ。
イベント? 頭に妖精さんなんか乗っけて、何をどうしろというのだろうか?
「ますたーも、色々思うところがあるのですよ」
俺の独り言に、頭の上の妖精さんが答えた。
頭のてっぺんで、大の字になってうつぶせに俺の頭に張り付いているようだが、なんかぷにぷにと柔らかくかんじられるのは、妖精さんの胸だったりするのだろうか。
「痛っ!」
髪の毛を引っ張られて思わず叫んでしまう。
「ますたーからは、しゅんいちろうに変なことをされそうになった場合、遠慮なく攻撃を加える許可を得ていますです」
「俺なにもしてないだろう?」
「でも、今、変なこと考えたです?」
「ぐは」
想像すら許さないとか。っていうか、こいつも他人の心を読む口なのか?
それとも俺の考えてることって、そんなに顔に出てるのか?
「しゅんちろ、どゆこと?」
「いや、なんかぷにぷに柔らかいのはこいつの胸なんだろうかと」
「はぁ……もう」
桜葉がため息をついて、マイナス10℃ほどのじと目で俺を見つめてきた。
いや、そんな目で見ないで欲しい。俺は別におっぱい星人なわけではないし。
「おっぱいです。詰め物無しです。うつぶせで乗ってないと安定しないので、ちょっとくらいニヤニヤするのは許してあげるのです。でも、直接触ろうとしたら、ちょん切ってあげますので肝に命じておいてくださいです」
「しゅんちろの、胸ポケットとかに入ったらいいんじゃない?」
「とっさに翅を広げられない状態で落ち着くのはキケンなのです」
「俺が転んだら、ペチャンコだもんな」
「いえ、そうではなくて、あたしの翅は、高出力の純粋な力場なので、不用意に胸ポケットなんかで翅ひろげたりしたら、しゅんいちろうに穴あいちゃいますです」
「……なるほど。そう考えると頭のてっぺんでうつぶせになって髪の毛をつかむというのは結構理にかなっているわけなんだな」
頭の上とか結構振動でつらそうな気もするんだが。それは胸ポケットでも同じか。
「……いつも飛んでる訳には行かないの?」
桜葉が尋ねると、妖精さんは首を横に振った。
「飛ぶのって、結構疲れるのです。というわけで、ふだんはますたーの頭の上に乗っているわけなのです」
「足元とかちょろちょろしてると踏み潰されそうだしな」
「それより、急がなくていいのです?」
妖精さんに言われて気がついた。のんびり話とかしてたせいで、ちょっと時間がやばくなっている。
「いそご、しゅんちろ」
桜葉が、俺の手を取って駆け出した。
「……あ、ああ」
ちょっと恥ずかしかったが、振り払うのも違う気がして、桜葉の手を握り返す。
葉摘ちゃんの手は、握り締めると折れてしまいそうだったが、桜葉の手は小さくてほっそりとしてはいるものの、しっかりと存在感が在った。ただ手をつないだだけなのに、何かこころまでつながったような気がして、なんだか心を読まれているような落ち着かなさに、とっさに関係ないことを考える。
「と、ところで、先生に聞いてた、いつの先生ってどういうことだ?」
「入学式のときの、未来から来た先生、おぼえてる?」
目だけでこちらを見て、桜葉が言った。
「ああ」
そういや、今日みたいに突然あらわれたんだった、
「勘だけど、たぶん、さっき会った先生は、入学式の翌日に現れた、現在の先生じゃないと思う」
「根拠は?」
「普段、先生と通学路で会わないから、先生がわざわざわたし達を待ち伏せしてた、ってことは、想像がつくよね? それだけなら、現在の先生でも、そんなにおかしくは無いんだけど、イベントを起こす、って言ってたから」
「言ってたな」
「先生の、ギャルゲー的並行世界理論を、思い出さない? あの授業をしたのは、入学式に現れた未来の先生で、現在の先生からは、そんな話は全然聞いたことがないから、つまり、さっきの先生は、入学式の朝会った、未来から来た先生に、近いんじゃないかなって。少なくとも、現在の先生よりは、未来から来た可能性が高いと思う」
「なるほど。で、妖精さん、実際のところどうなんだ?」
走る俺の頭上で、ぎっちりと髪の毛を握り締めて振動に耐えている妖精さんに問いかける。
「しゅんいちろうは、攻略本を見ながらでないとゲームをやらないタイプなのです?」
「それは、教えるつもりはない、ってことなのかな?」
桜葉が横から口を挟んだが、妖精さんは桜葉の問いには答えずに、俺の髪の毛をくいくいと引っ張った。
「……俺は、そもそも、ゲームそのものを、あまりやったことがない。それに、先生が過去と未来を何度も行き来して、情報与えたり、イベントを起こしたりしてるんだとしたら、プレイヤーにあたるのは、水流先生の方なんじゃないのか?」
先生は俺のことを主人公だとか言っていたが。
「……ますたーが何を言って、何をしたとしても、世界を変えることは出来ないのです。仮に、ますたーが何か影響を与えたように見えたとしても、それはこの世界にとって最初から織り込み済みの設定であって、何もしなかったとしても、同じようなイベントが発生して同じような流れになるのです。それでも、ますたーがぷれいやーだと言えるです?」
「そうなのか?」
「ちなみに、ますたーは変えられないということを知ってから積極的に事象に介入するようになりましたです」
「プレイヤーじゃないとしても、それは、少なくとも、傍観者じゃないよな? 今みたいに、イベント起こすって言ったり、入学式の時みたいに、自分が未来から来た、なんて、言ったりする、のは、ゲームの登場人物が、攻略本片手に、ゲームを進めるようなものじゃないのか?」
「現実は、ゲームと違って、選択肢が出るわけじゃないのです。攻略本が出版されてるわけでもないのです。何をすれば何がどうなるなんて、ますたーにだってわかってないのです」
「なら、それをする意味はあるのか?」
「意味が無ければやっちゃいけないのです?」
「それは、他人の人生を弄んでいるのと何が違うんだ?」
「……何も知らないくせに、そういうことを言わないで欲しいのです!」
「ふたりともそこまで」
黙って聞いていた桜葉が、不意に足を止めて言った。いつのまにか大人バージョンになっている。
「周りに人が多くなってきましたから、そういう話はここではよしましょう」
桜葉に止められて、頭に上っていた血が少し下がった。
もう校門の近くまで来ていて、見回すと、不審げに周りの生徒がこちらをちらちら見やっているようだった。端から見ると、俺はわけのわからない言葉を桜葉にぶつけているように見えていたのだろうか。
水流先生の目的がわからない。この妖精さんの言うことを鵜呑みにするなら、先生は俺の、俺達の人生をまるでゲームのように何度も繰り返し訪れて、こうすればこうなる、ああすればああなる、と、自分の楽しみのために好き勝手やっているように聞こえる。
だがまてよ、何をやっても変わらないのに、積極的に介入するというのは何の意味があるんだ……? 妖精さんが言うように、俺が何も知らないことも確かだ。
くい、と不意に髪の毛が引っ張られた。
「なんだ?」
頭上に目を向けるが、妖精さんの顔は見えない。
また、くい、くい、と髪の毛が引っ張られる。
「……」
右手で、ひょいと妖精さんの腰の辺りをつまみあげて顔の前に持ってくると、妖精さんは、子猫のようにぶら下がったまま、「べ~っ、だ!」と俺に向かって舌をだした。
「お互いに言いたいことはあるんだろうが、後でな」
俺は言いながら、妖精さんを左の胸ポケットに入れた。
「……あ」
妖精さんは、その意味を理解してくれたようで、小さくうなずいて大人しくポケットの中で丸くなった。こちらを気遣ってくれたのか、背中を外側に向けている。
「こんなことであたしのルートに入れると思ったら、大間違いなのですよ?」
なんだかツンデレっぽいことを妖精さんが言って、桜葉がじと目で俺の袖を引いた。
「……俊一郎?」
まさか、こんなちっちゃいのをどうこうしようとか考えていないですよね? とその目が語っていた。
「遅刻するぞ?」
んなことするか、と目で返して下駄箱に靴をつっこむ。
ほんとうに? とさらに眼差しで問いかけられた気がしたが、気付かなかったふりをした。
「言葉と並行で、別の会話を目でするとか……やりますです。おふたりとも」
ポケットの妖精さんが、なんだか感心したようにつぶやいた。
どいつもこいつも、なんで人の心を読みやがるんだろう……。