明日を夢見る少女(1)
朱雀の誤解が解けないまま、早くも四月が終わろうとしていた。朱雀のやつは、相変わらず学校を休むことが多く、会える機会が少なかったので、俺はなかなか朱雀の誤解を解くことができないでいた。それどころか、学校に来ていても相変わらず俺に警戒の眼差しを向けたままで、後ろの席だというのに話しかけることもままならなかった。
朱雀の誤解はクラスにも広がってしまったようで、俺は朱雀に交際を迫る、男好きの変態と一部でみなされているようだった。
入学式で協力し、それなりによい関係を築けていたと思う高木や城之崎も微妙に俺から距離を取るようになっていて、こちらから話しかける分にはそれなりに応対してくれるが、向こうから俺に話しかけてくるのは前の席の桜葉だけという、ずいぶん寂しい状況に陥っていた。
昼休み、桜葉が作ってきてくれた弁当を二人でつつきながら、どうしたものかと考えていたら、桜葉が俺の顔をじと目で見つめて言った。
「自業自得です」
「……何が?」
自分でも八つ当たりだとはわかっていたが、きつい口調になるのを押さえることが出来なかった。他人の内心を読むというか、察するというか、まるで人の心を読んだような桜葉の妙にタイミングのよい言動には、正直自分が悪いとわかっていても腹が立つことがある。
「わたしも被害者ですから。俊一郎の悪い癖の」
胸元を押さえて桜葉が言う。
俺は、教室をぐるりと見回した。考え事をしながらのんびり食べていたせいか、ほとんどの生徒は既に食べ終わって教室を出ていった後のようで、教室に残っているのは俺達を含めて数人だけだった。これなら、たぶん、大丈夫だろう。
「いつきさん、すまない。子供バージョンで話してくれないか。今、俺の精神状態がよろしくないので、いつきさんにまで丁寧な口調で話されると良くない言葉を返してしまいそうだ」
ため息と共に吐き出すと、桜葉は三度ほど瞬きをして、それからちょっと微笑んで、
「しゅんちろから甘えてくるのって、珍しいね?」
と子供バージョンに戻ってくれた。席についているせいでわかりにくいが、口調だけでなく身長も低くなっている。
「そうかもな。それくらい、今の状況に参っている」
もう一度ため息を吐く。
「俺はもともとあまり、人と積極的に話す方じゃなかったんだが、それでも何人か話をする友人はいたし、別にクラス中から白い目で見られていたわけじゃなかったので……」
食欲があまりないのと、話しながら食べるのは行儀が悪いので箸を置く。
「今みたいに、クラス中から腫れ物扱いというか、係わっちゃいけない人のように見られるのは正直すごく困っている」
「でもさ、わたしの見るところ、一部の女の子からは好奇の目で、ほとんどの女の子の目からは警戒の目で、ほとんどの男の子からは尊敬の眼差しで、見られてるように思うんだけど?」
桜葉も箸を置いて、俺の顔をちらりと見る。無言でうなずくと、桜葉は弁当箱をしまって、水筒から紙コップにお茶を注いで俺の前に差し出した。
「別に女にモテようなんて思ってないから、この際女子の評価はどうでもいいんだが、ほかの男子連中からさんづけで呼ばれるのはどうにかならないものだろうか。同年代だぞ? 俺留年とかしたわけでも、高校浪人したわけでもないんだぞ?」
差し出された紙カップのお茶をぐいっと一気飲みする。
「いつきさんは尊敬の眼差しといったが、敬遠の間違いだろう?」
「男の子の気持ちはよくわからないけどさ、自分がやれないことをあっさりやっちゃうひとっていうのは、尊敬の対象になるものなんじゃないかな? そこにしびれる、あこがれるーってやつ?」
桜葉は自分の紙カップに注いだお茶をずずずとすすって、はふぅ、と息を吐いた。
「女の子視点で言わせてもらうなら、男かどうか確認するためにいきなり胸を撫で回す男の子なんてのは、身の危険を感じるレベルだけどね? わたしなんか実際、目的は違ったかもしれないけどパンツまで脱がされそうになったし?」
「まさか、いつきさんも、俺のこと、警戒してる……?」
「本気でわたしを求めてくれるなら、応える用意はあるけどね?」
ちょっと、怖い笑顔で桜葉が笑う。
なんだろう、にこやかなのに妙な寒気を感じる。
「女の子なら誰でもいい、とかじゃないんだろうけど、中身に興味はないけど仕組みを知りたいみたいなちょっとずれたこと言うからね、しゅんちろは。その意味で、警戒してる。妙な誤解で、自分だけその気になっちゃったりしないか、しゅんちろが他人に妙な誤解を与えたりしないかって、いっつも警戒しているよ」
「いつきさんの、それもよくわからないんだよな。俺に好意を抱いてくれているのは正直嬉しいと思うし、ありがたくも思うんだが、その要因と言うか、原因という物が自分の中に見つからないから、不安になる。素直に好意に甘えていていいものかと」
「それもすれ違いのひとつかもね?」
桜葉が、人差し指を頬にあてて、斜め上を見上げた。
「すれ違い?」
「まずはわたしの場合で言うけれど。正確に言うと、わたしが好意をもっているのは未来において過去に来たしゅんちろであって、今現在のしゅんちろではないということ。だから、しゅんちろが今の自分の中に要因を求めても見つかるはずがないってこと」
「……」
なるほど、俺が勘違いして惚れられたと自惚れていたわけか。
「前にも言ったけれど、わたしからちゃんと告白するのは、その時期が来てから。しゅんちろが過去に行って、戻ってきてからになるよ。そのまえに、がっちりしゅんちろ捕まえるつもりだけどね?」
にこお、と桜葉が獲物を前にした蜘蛛のような無表情で微笑んだ。一瞬、自分が見えない糸でぐるぐる巻きにされている姿が脳裏に浮かび、ぶるぶるとかぶりをふる。
一ヶ月も朝おにぎりを作ってくれたり、お弁当を作ってもらったり、晩御飯を作ってもらったりと、心情的にはかなりいつきさんに傾いている。
人は、自分に好意を抱いてくれる人には、自然と好意を抱くものだ。
会ったばかりの頃はともかく、今、桜葉のことを名前で呼び捨てにしないのは、あの日から今に至るまで、呼び捨てにしてほしいと再度言われなかったから、程度の理由でしかない。
「話をもどして、もうひとつのすれ違い、しゅんちろの今の状況のことだけど」
桜葉が、俺をぴしりと指差す。
「最初に言ったように、元はしゅんちろの悪い癖が原因だよね?」
「……いや、大きな原因のひとつだとは思うが、直接的な原因はメモのやり取りだと思う」
「ああ、そうかもね。名前を呼びすてにするのは妹と恋人だけ、だから呼び捨てにするというのは恋人にしたいって意味だって朱雀くんに愛の告白しちゃったんだったっけ?」
「いつきさんまでそんな誤解を!」
「ここがすれ違いだって、わかってるんでしょ、しゅんちろ? でもって前もって朱雀くんの胸をなでまわすなんて行為をやってたもんだから、クラス中がしゅんちろのことを、へんたいさんだーと納得しちゃったと」
「いつきさんとのすれ違いは、俺が自惚れてたで済むんだが、こっちのすれ違いはどうすればいいんだ」
「……わたしの方のすれ違いについては、別に今のしゅんちろに興味ないわけでも好意を持っていないわけでもないから、自惚れだなんて思うこともないよ? でもって朱雀くんとクラスの皆と、しゅんちろのすれ違いについては、無理に誤解を解く必要はないんじゃないかな?」
「今の状況に慣れれば済むことだっていいたいのか?」
ちょっとむっとして言い返すと、桜葉は小さく首を横に振った。
「そうじゃなくって、さ。手段が目的になっちゃってない? ってこと。目的は朱雀くんの誤解を解くことじゃなくて、仲良くすることなんじゃないの? だから無理に誤解を解こうとしないでも、今のままで仲良くなろうとする努力をすればいいんじゃないかな、ってことなんだけど」
「そうなんだろうか」
「そうじゃないの?」
怪訝な顔をする桜葉。
「いや、そもそも朱雀のやつと仲良くしろと言ったのは、未来から来た水流先生であって、俺自身は朱雀と仲良くしたいと思っているんだろうか?」
自問自答する。どう見ても女の子にしか見えない男というのは、単純に男なのか女なのかと言う意味で興味深いとは思うが、所詮は外見上のことに過ぎず、あいつ自身に言われたとおり、見た目で他人を判断するのは最低なことだと思うし、あいつを男と認めた以上、外見上のことは既に興味の対象ではない。
かといって、あいつ自身の内面に興味を持てるほどあいつの事を俺は知らない。
「ただのクラスメイトなら、それなりの付き合いでかまわないと思わないか? 一方的に嫌われているというのは正直あまりいい気持ちではないが」
「誤解を解けさえすれば、仲良くしないでもいいっていうのがしゅんちろの考え?」
桜葉が、ちょっと眉を寄せて言った。
「らしくないね? しゅんちろは、縁を大切にする人だと思ってたけど?」
「俺は、基本受身なんでな。相手が寄ってくる分にはドンとこいだが、相手が俺と係わりたくないというのに、こちらから相手の心に土足で踏み込むようなマネはしたくない」
「……理由があれば、しゅんちろはそれをするよね?」
桜葉は、どこか遠くを見るような目で俺の顔を見つめた。
「相手がどんなに嫌がったって、土足で相手の心に踏み込んで、ごめんなさいって泣いて謝ったって、許してくれずに相手の心に自分を刻む。恐怖とか、暴力じゃないけれど、良い悪いに関係なくそれは相手を根本から変えてしまう行為。しゅんちろって結構ひどい人だよ?」
「……」
それは、過去において、未来の俺が桜葉にしたことなのだろうか。
一度聞かないと言ってしまった以上、今更尋ねるのも憚られて黙っていると、桜葉がふっ、と小さく笑った。
「理由がないから仲良くしないんだったら、朱雀くんと仲良くする理由、あげよっか?」
「……いつきさん、先のセリフのあとで今のそのセリフはすごく邪悪だ。それは俺に朱雀を根本から変えろと言っているように聞こえる」
「そう言ってるんだよ。で、理由、ほしい?」
頬杖をついて、桜葉が微笑む。
「朱雀が変わること、俺が朱雀と仲良くすることって、いつきさんにとってどういう意味があるんだ?」
なぜここまで桜葉が朱雀と俺を係わらせようとするのかが、よくわからない。
「今は意味はないと思う。でも、それをすることで、未来において、過去でわたしを変えてくれるんじゃないかと思ってる。これは、明日菜先生のいう選択肢なのかな。わたしにとって」
桜葉が、片手を伸ばして俺の頬に触れた。
「自己中心的だって思っていいよ。わたしは、今を、今につながる過去と未来をより強固なものにするために、出来ることはなんでもするよ?」
どうやら、ごはんつぶが付いていたらしい。
桜葉は俺の頬についていたごはんつぶを、ひょいと指で拭い取って、自らの口に入れた。
「了解した。俺自身には朱雀に係わる積極的な理由はないけれど、それがいつきさんのためになるかもしれないというのなら、それを理由にしよう」
俺が言うと、桜葉が良くできましたとでもいいたげに、にっこりと微笑んで俺の頭をなでた。
頭をなでられると言う経験がほとんどなかった俺は、その暖かな感触に、少しだけ母親というものを感じた。
子供バージョンの桜葉に頭をなでられてると言うのは、端から見たらちょっとやばそうな光景だな、と思いながら。