四万の大軍を動かした大宰相、実は二百で戦争を終わらせていました~大宰相ホーネント戦記~
「なんだと・・・・! 犬獣人の族長の娘、イヌ姫殿が人質に取られただと!?」
報告を受けた軍議の間に、激しい動揺が走った。
例年にない大災害。
神聖ゴールド聖教国では食料が底をつき、各地に飢えが広がっていた。
やむなく王国は、長年交易関係にあった隣国へ支援を求めた。
その“誠意”として要求されたのが――
犬獣人の族長の娘、イヌ姫自らの来訪だった。
そして。
彼女は、そのまま帰ってこなかった。
「犬獣人のみならず、神聖ゴールド聖教国も従属せよ――さもなくば、命はない」
それが、突きつけられた条件だった。
場の空気が、重く沈む。
犬獣人は王国軍の中核を担う存在だ。
その象徴たるイヌ姫が人質に取られている以上、士気は大きく落ちる。
「・・・・要求を飲むべきではないか」
誰かが、そう呟いた。
多くの者が、同じ考えだった。
屈辱であっても、彼女の命には代えられない――と。
そのとき。
静かに口を開いた者がいた。
大宰相ホーネントである。
「四万の軍を動員する」
ざわめきが走った。
「人質は・・・・見捨てる、と?」
誰かの問いに、ホーネントは答えなかった。
ただ一言。
「進軍準備を整えよ」
それだけだった。
六武威の一人が、低く呟く。
「・・・・仕方あるまい。大宰相殿も、辛い決断であろう」
だが。
その言葉を信じた者は、果たしてどれだけいただろうか。
一方。
人質となったイヌ姫は、城内で鎖に繋がれていた。
「私を汚すなら汚しなさい」
その声は、誇り高く響く。
「その代わり、あなたたちの国は滅びるわ」
敵国の王子は、嘲笑した。
「勇ましいな。だが現実を見ろ」
「お前一人で、あの獣人たちを縛れるのだ。これほど価値のある人質もあるまい」
「・・・・そう思っていなさい」
イヌ姫は、静かに目を閉じた。
その頃。
神聖ゴールド聖教国軍は進軍を開始していた。
四万の大軍。
それを三つに分け、三方向から同時に進ませる。
速度を揃え、規律正しく進む軍勢は、遠目にも圧倒的だった。
さらに。
道中の村や町で、触れが出される。
「此度の戦、正義は我らにあり」
「無力な女性を人質に取るという卑劣な行い――その罪を問う!」
噂は瞬く間に広がった。
敵国内にまで。
「聞いていた話と違うではないか!!」
敵国の王城では、怒号が響いていた。
「神聖ゴールド聖教国は降伏するはずだった!戦争にはならぬと!」
「しかし現に、四万の軍が迫っております!」
「三方向より同時進軍とのこと!」
王子の顔が歪む。
「そんなバカな。こちらはイヌ姫を人質にとっているのだぞ。そもそも情報では、四万もの兵を動員できるはずがないんだ」
「くっ・・・・予備兵を回せ!前線に送れ!」
だが――
別の報告が入る。
「王子殿下・・・・予備兵が不足し、前線に送る兵がありませぬ」
「イヌ姫の監視のため、予備兵をこの城に集めているからです」
王子は歯噛みした。
時間が過ぎるほどに、戦況が悪くなる。
王子は決断した。
「・・・・この城の兵士を前線へ送れ」
「ですが、城が手薄になれば――」
「構わん!進軍を止めるのが先だ!それに、前線をこえてこの城を攻める軍がいるはずもない」
その決断が、すべてを決めた。
翌日。
「敵襲!!敵襲!!」
城内に警鐘が鳴り響く。
「な、なに!?」
「敵が城を攻めています!!」
「馬鹿な!四万の軍はまだ前線のはずだ!」
「ですが・・・・現に!」
王子が外へ飛び出す。
そこにあったのは――
わずかな兵で、城門を突破する精鋭の姿だった。
「・・・・どこの兵だ・・・・?」
王子が事態を飲み込めぬ間に、城は陥落した。
王子は捕らえられ、イヌ姫は無傷で解放された。
そのとき、王子はようやく悟った。
四万の軍は囮であったことを。
相手の狙いは、この城の兵を削り、イヌ姫を奪還することにあったことを。
そして。
その軍勢の数は――
わずか、二百。
その先頭に立っていたのは。
大宰相ホーネントその人であった。
数が少ないことも、奇襲に気づかなかった原因の一つである。
「各軍へ伝達せよ」
ホーネントは淡々と命じる。
「イヌ姫殿の奪還、完了」
その報は瞬く間に伝わった。
四万の軍勢は、一気に牙をむいた。
とくに軍内の犬獣人たちはしがらみから解放され、イヌ姫の代わりとばかりに獅子奮迅の働きを見せた。
三方向からの総攻撃。
敵国は、そのまま崩壊した。
後日。
ゴールデア女王のもとへ、戦の詳細を記した報告書が届けられた。
「実兵は一万。残る三万は非戦闘員」
「武装させ、兵に見せかけたものです」
「食料消費は通常の五分の一に抑制」
「四万の兵に意識を奪わせ、人質のいる城の兵を減らし、守りが薄くなったところを急襲。イヌ姫殿を奪還いたしました」
「加えて情報戦により、敵国内の支持を崩壊させております」
女王は、静かに目を閉じる。
「・・・・苛烈ね」
「はい。ですが、最小の犠牲で最大の成果を得ております」
そもそも大災害のため、神聖ゴールド聖教国には食料の備蓄がほとんど無かったのだ。
本来なら大軍など動員できるはずもない。
実のところ、敵国の王子の見立てはほぼ正しかった。
イヌ姫を人質に取られたことで、王国軍の中核である獣人兵たちは士気を大きく落とし、主力として使える状態ではなかったのだ。
だからこそホーネントは、一万の兵をかき集め、そこに三万の非戦闘員を混ぜ、”四万”を作った。
敵の目を前線へ向けさせ、イヌ姫のいる城から兵が減った瞬間だけを狙って、大宰相ホーネント率いる二百の精鋭で奇襲をかけ奪還する。
それが、この戦の本当の姿だった。
その上で、なるべく正面からの戦争を起こさぬよう、相手の非道を広く知らしめる情報戦を仕掛け続けたのである。
「・・・・そう」
しばしの沈黙。
「ただし」
女王の声は、冷たく響いた。
「今回の失態は、犬獣人側にもある。むざむざとイヌ姫を敵に奪われたのだから」
「責任は取らせなさい」
「御意」
その日。
神聖ゴールド聖教国は、ひとつの教訓を得た。
戦とは。
兵の数だけではなく。
剣の強さだけでもない。
――すべては、“勝つ前に終わらせる者”の手の内にある。




