9 ライフエネルギー
青と白を基調とした巨大な城は遠目からでも良く見えた。
城の根元は城壁で隠れている。城壁の幅はとてつもない長さだ。おそらく通常の——ケイヴが前世で見たサイズの——城とは比べ物にならない大きさだろう。城門も巨人用なのではないかという思える程だ。遠くから見ると、距離感が狂ってくる。
「あれがリーナのダンジョンなのか?」ケイヴは馬上から、並走しているリーナに訊ねた。
「そ。綺麗でしょ?」得意げにリーナが鼻を鳴らした。
「綺麗なのはいいが、魔王の根城があんなに堂々と立ってていいのかよ」
「別に構いやしないわ。滅多に攻め込んで来ないし、来たとしても返り討ちにするだけだから」
「なんだよ。もしかしてこの世界の人間って弱いの?」
帰路で出会った3人組も全く歯応えがなかった。考えれば、寿命のない魔王と70年前後しか生きられない人間とでは、その実力に天地の差があってもおかしくはない。
返答がないため、ケイヴは振り返った。
すると、リーナが鋭い視線をケイヴに向けていた。
「人間舐めてると死ぬわよ」
「強いのか?」
「強い奴らもいる。あたしは人間が決めた区分で言えば『中立魔王』って分類だから、あまり攻め込まれることはないけれど、人間を積極的に滅ぼそうとしている魔王は何人も人間に殺られてるわ」
「へぇ。魔王も色々なんだな」
「まぁ、圧倒的に人間と対立している魔王の方が多いけれどね。あたしは攻め込まれれば人間も殺すけど、わざわざ人間の国に攻め込んだりはしない。めんどいし」
めんどいの一言で方針を決めるのはなんだかリーナらしいな、とケイヴは妙に納得した。
「人間と友好関係にある魔王もいるのか?」
リーナはぼんやりと宙を見つめながら「昔はいた」と答えた。
「とすると今はいないわけだ。皆、反人間派かぁ。魔王なだけあって、過激な奴らだな」
はんっ、とリーナは鼻で嗤った。「生まれて早々に人間3体殺害するような過激な奴が何言ってんのよ」
あれは防衛戦なんだけど、と言おうとして止めた。どうせまともに取り合ってもらえない。
城門まで来ると、門番の配下が跪いた。無論、リーナに対してである。
「お帰りなさいませ、リーナ様!」
リーナは馬上から無言で手を軽く上げて応じた。城門の前で止まると、ゆっくりと門扉が開き始める。遠目から見た通り、門扉は馬に乗ったリーナの10倍以上の高さがあった。城壁は更に高い。
門扉が開ききる前に、リーナは馬を前進させた。ケイヴも後ろをついて行く。
「本当は大扉の下部に小扉がついてるんだけど、あたしの出入り時は意地でも大扉を開けるって聞かないの」
ケイヴは「へぇ」とだけ答えた。
配下たちはきっとリーナへの忠誠心からそんな行動に出るのだとは察したが、どうして大扉を開けることが忠誠心に繋がるのかは謎だった。
城門をくぐってから内郭庭で馬を降り、メインキャッスルに入った。
まずケイヴを迎えたのは舞踏会でも開けそうな広いホールのような大間だった。左右奥にそれぞれ階段があり、吹き抜け状の2階へ繋がっていた。
「いくらサイズがでかいとはいえ、城1つ分の広さじゃダンジョンとしては狭くないか?」
「もっともな疑問ね。でもご心配なく。中は圧縮空間式よ。見た目よりもずっと広くなってるの」
「もはや何でもありだな」
ケイヴは両眉を持ち上げておどけて言った。
「これは魔王共通の技術だから、あんたのダンジョンにも使えるわよ。LEさえあればね」
「LE?」
「ライフエネルギー。魔王と魔王の配下が生き物を殺すと得られるエネルギーよ」
「物騒なエネルギーだなぁ」ケイヴが顔を顰める。
「まぁ、殺さなくてもダンジョン内に滞在しているだけでも僅かにLEは得られるけど、微々たるものよ。殺害した方が圧倒的に効率が良いわ」
「魔王の魔王たるゆえんがこれか」
魔王はダンジョンの防衛機能を拡張するためにライフエネルギーが必要だ。だから、ライフエネルギーを稼ぐために人間を殺す。そして人間に恨まれるのだ。
「あんた、既に人間3体殺ってるんだから、いくらか溜まってるはずよ」
ああ、あれのことか、とケイヴは即座に思い当たり、自分の手のひらに視線を落とした。
人間の頭を撃った瞬間、何か妙な『流れ』を感じ取ってはいた。それはライフエネルギーがケイヴに流入した感覚だった。
「人間1人で何ポイントくらい?」ケイヴが訊ねる。
「殺した人間の強さによってまちまちよ。魔王はLEを使って魔物を生み出すんだけど、ゴブリン1体を生み出すのに必要なエネルギーを1LEとして、同等のゴブリン1体を殺害すれば同じく1LEを獲得できる。人間の兵隊1体なら大体3LEってところかしら。歴戦の猛者なら1000LEくらいもらえる時もあるわ」
「個体差がえぐいな。滞在ではどのくらいのLEが稼げるんだ?」
「あたしの場合、最近はすぐ殺しちゃうことが多いから正確には分からないけれど、ゴブリンが3か月滞在して1LEくらいじゃない? あ、ちなみに自分の配下はノーカウントだから」
ケイヴは大きく頷いて理解を示した。つまり1日滞在で大体殺害時に獲得するLEの1%くらいは得られるということだ。ゴブリンが100体滞在すれば1日で1体新たにゴブリンを生み出せる。
「ダンジョンもLEを使って拡張していくのよ。空間圧縮は確か10万LEくらい必要だったかな」
『空間圧縮』はケイヴが思った以上に高額商品だったようだ。それを得るまでにリーナはいったい何人の人間を殺したのだろうか。もちろんその逆もある訳だから、お互い様ではあるが。
「ディグ」とリーナが配下を呼びつけると、3メートル程離れた位置に立っていた虎人型の配下ディグが即座に駆け付け、跪いた。
「はっ! ここに!」
「ケイヴを三の客間に案内して」
「承知しました!」
リーナは挨拶もなしに立ち去ろうとしたが、不意に身を翻してケイヴを指さした。
「言い忘れたけど、ここで魔物なんて生み出さないでね。産み出したら即座にダンジョンから追放するから」
「俺を? それとも生み出された魔物を?」
「どっちもよ!」
ケイヴの返答を待たずに、今度こそリーナは去って行った。
それを見送ってから、ケイヴはゆっくりとディグに視線を移した。そして脈絡なく声を掛ける。
「あれ? ディグのターンだけど」
「は? ターン?」ディグは不審げに顔を歪めた。
「いつものアレだよ。『リーナ様になんて無礼をォォオ!』ってやつ」
ケイヴが頭をゆらゆらと揺らしながらディグのモノマネをした。
「……貴様、そんなことばかりしていると、いつかリーナ様の逆鱗に触れるぞ」
ディグは脅しのつもりで言ったようだったが、ケイヴは却って興味を抱いた。
「逆鱗に触れるとどうなるんだ?」
睨みを利かしたディグの顔がグイっと近づいた。今にも牙を剥いてがぶりと噛みつかれそうな距離だった。
「リーナ様の怒りをかった者を見たことがある。そいつは、終いには早く殺してくれ、と何度も懇願していたよ」
ディグの残忍な笑みに、ケイヴも穏やかな微笑みを返した。
「よく分かった」とケイヴがゆっくりと大きく頷く。「試しに今度あいつの貧乳を揉みしだいてみるよ」
一瞬にして青ざめたディグは「マジでやめろ」と繰り返し、その制止はケイヴが「分かった」というまでしつこく続いた。