グッドモーニング・リビングデッド
暗闇を切り裂くヘッドライトの端にヨロヨロと歩く人影が見えたと思った瞬間、振り返ると同時に車の前に飛び出して来た。どうせ改造してある事だし、そのまま突っ走る。
鈍い衝撃と共に車体がほんの少し揺れる。ただそれだけだ。
ダンプカーに様々な衝突用バンパーを溶接した車体は、痩せた動く死体を難無く轢き倒し、タイヤで踏み潰した。ダンッ、と運転席まで衝撃が走り、乾いた感触がハンドルを介して手に這い登る。それはともかく、後で下回りを洗浄するのを考えるだけで憂鬱だが、避けて道から外れて危険な目に逢う位なら、気にせず走った方が得だ。
バックミラーの中に一瞬、ぺしゃんこになった死体が見えたがアクセルは緩めなかった。
単独で行動する連中は、環境に適応した奴が多い。ヒトを追い掛け回すなんて効率の悪い捕食より、野生化した野菜を専門に食う奴や、同じように半野生化した牧畜獣を食う奴も居る。ライトを照らしながら走る車の前に飛び出す奴なんて、そのどちらでもない死に損ないだ。
……大規模なパンデミックが起きてから三年経ち、日本って国は完全に消えた。勿論、まだ生きてる人間も居るには居るが、昔のように国家やら自治体みたいなお堅い集合体を作るより、各々の集落で自活して暮らす生活さえ平穏に続けば、動く死体なんて次第に構わなくなっていくもんだ。
動く死体がバイオテクノロジー系のトラブルで産み出されたのか、それとも感染症なのか何て、今となっては関係無い。ただ、連中は爆発的に増えて、次第に数を減らして今に至るって事だ。俺みたいに気楽な連中にしてみれば、昔みたいにあくせく働かなくても良い今の方が、断然生き易い。
(……おっ、トラックの集積所……か)
朽ちた車両の隙間を縫って走る車窓の外に、キチンと整列して停められた大型車が見える。ナビの画面に出た番地を地点登録し、いつか新しい乗り物が必要になった時に備えて記録しておく癖も、無意識の内に習慣化した。今はまだ動いているナビだって、いつまで動くか判らないし、一度壊れたら直せる技術が無ければ交換するしか手はない。
と、宵闇の向こうに小高い丘が見えてくる。そのてっぺんにポツンと座る人影に気付くが、どうせ動く死体だろう。まともな人間なら、こんな夜中に一人で歩き回る訳もないが、もし連中ならば随分と変わった奴だ。
(仕事も終わったし、寄り道位いいだろう……)
俺は好奇心に負けて車を減速し路肩に停めると、後ろの仮眠スペースに入れておいた防護服を掴んで貨物室に入り、中で着込んでライトを手に持ち外へ出た。
リビングデッド、とか誰が呼び始めたのか知らないが、連中には幾つかの法則が有る。動く物に反応し、強い光を嫌う。何でも食うが、人間が消化出来ない物は食わない。たぶん成長しない。匂いに敏感だが、視力は余り良くない。俺が知ってるのはその位だ。
以前、何かにつけて車外に出る際は防護服を着ていた時、連中の一人と鉢合わせしたが、奴は俺に見向きもしなかった。それ以来、匂いさえ出さなければ近付いても襲われないと気付き、時折こうして観察している。只の好奇心だが、実際はガラスで隔てた猛獣を、反対側の安全な空間から眺める気分に似ているかもしれない。
肩にショットガン、そしてもう片方の肩にはカバンを掛け、ゆっくりと近付いて行く。ライトは点けず、月と星の明かりを頼りに足元の草を慎重に分けながら進むと、相手が一瞬こちらを見た。
少女より歳重は有るが、まだ若い。そんなリビングデッドだった。そいつはこちらを暫く眺めていたが、そのうち視線を逸らし、ボンヤリと月を眺め始める。
ショットガンの射程距離に入ったが、構えず進んでカバンの中から弁当代わりのサンドイッチを取り出して、そのまま放り投げる。
ポサッ、と軽い音と共に密閉されたそれが地面に転がると、漸く気配を悟って落ちた袋に少しづつ近付き、バリッと音を立てながら中身を取り出した。
自衛隊の防護服は迷彩柄という事もあり、正常な人間より視力が良くないリビングデッドは、かなり近付いても気が付かない。但し、大きな音を立てて動けば流石にばれるだろう。しかし、そいつは俺の視界の中でサンドイッチを噛み千切り、無表情のまま咀嚼する。
旨いのだろうか、と考えながら眺めている内に、手の中に収まっていたサンドイッチを食べ尽くしたそいつは、再び月と星の輝く夜空を見始めた。
自分が所属する居住地に戻った俺は、物々交換で手に入れて来た物資を集積所に下ろし終え、家に帰った。
「おかえりー、早かったんじゃない?」
妻が台所で調理器と格闘しながら、背中を向けたまま話し掛けてくる。
「……ん、そうだね。天気も良かったし車もまだまだ調子良いからなぁ」
「ふーん、そっか。じゃあ、次はいつ出発すんの?」
「判んねぇ、たぶんここの物資が出せるだけ貯まってからじゃないか?」
「ん……あ、そーだ。頼んでたアレ、持って来てくれた?」
出された飯を食いながら、そんな会話を繰り返す。居住地では何か自分で出来る事をして、互いの足りない物を補うのが当たり前。妻は料理する事が好きだったので、材料を持ち込む相手から頼まれれば、何でも作るのが仕事になっている。そうして材料を貯め、仕事をこなし、電力やガスを配給される。彼女が俺の居ない間にどれだけの料理をしていたのか、冷蔵庫に貼り付けられた膨大なメモを見れば良く判る。
「……働き過ぎじゃねえの?」
「……アンタに言われたかねーよ」
お互い、口調は変わらないが、別に仲が悪い訳じゃない。まあ、こんな世の中で不仲になればどんな事になるか……考えたくもない。
俺達の間には、一人娘が居た。結婚し遠方で暮らして居たが今はどうしているか、判らない。生きていてくれればそれだけでいいが、危険を犯してまで探しに行って、自分達まで犠牲になっては元も子もない。結局俺達に出来たのは、自分達が生き延びて元居た地域から離れない、という選択だった。
まだ出発まで日が有る事もあり、久し振りに居住地の寄り合いに顔を出した。見知った面々はだいたい俺と同じ年代だが、若者なんて居ない。そして、必ず話題にされるのは、
「……なあ、ここはいつまで居られるかね……」
「……南の方に人数の多い大きな居住地が有るって話だが……」
「……限界化したら、看取りしてくれる医者も居なくなりそうじゃないか」
そんな暗い話題ばかりだ。気になるのは仕方無いが、今から悩んでも解決するとは思えない。どうせ人が沢山住んでいる居住地に行っても住めるかどうか判らないし、もしその転居が叶わなかった時、どの面下げて戻って来れるのか。
医者と医薬品もそうだ。有難い事にまだ重篤な病で死ぬような者は現れていないが、それだって何の保証もない。ただ、自分達が今は健康なだけで明日はどうなるか判らないのだから。夫婦で医者と看護師の世帯が居るから不安はないが、彼等も俺と同じように、いつまでも生き続ける訳じゃないのだ。
結局、話は次第に平凡な日常会話へと戻り、夜も更けた頃に解散となった。
酒の余韻で火照った頬に、夜風が気持ち良い。月夜に独りで家路を戻る道すがら、あのリビングデッドの事を思い出した。あいつもまた、今の俺と同じように月夜を眺めているのだろうか。
「……こんなに持って行くの?」
「ああ、今回はかなり遠回りだから……」
エンジンを掛けたまま駐車しておいたトラックによじ登り、天井に取り付けたハッチを開けて中に潜り込む。妻が不審がるのも仕方無いが、いつも何かの時の為に水と食料だけは多めに持って行く。しかし、もし車が動かなくなったら相当な距離を歩く羽目になるし、途中で運良く食料や水が手に入る可能性は年を追う毎に低くなっているのだ。
クラッチを踏んでギアを一速に入れ、ゆっくりと走り出す。
「……気をつけてねぇ!!」
「ありがとぉ!!」
お互い一言づつ交わしながら、バックミラー越しに手を振って妻と別れた。居住地で作られた様々な物資を満載したトラックが、大きな道に出るまで妻は手を振って見送ってくれた。
「……あんたの所はまだ、太陽光発電の調子は良いのかい」
最初の居住地に到着し、物資を降ろして交換リストと照らし合わせながら作業していると、荷受け係の男に尋ねられた。
「うん、まだ順調だよ。ここはどうだい」
「……かなり効率が落ちてきた。最大ピークの半分手前、って所だね……なあ、何処かで使えそうなパネルは見なかったかい」
「……さあ、ねぇ……まあ、良さげなのを見つけたら教えてあげるよ」
男にそう答えると、彼は悲しげな顔でリストにサインし、頼んだよとだけ言ってリストを差し出した。
不用な物は放置される。廃車の山に、潰れたタイヤ。壊れた家財道具の脇にリビングデッドの死骸が転がっているが、そんな物を葬るような物好きは居やしない。
何度も走った道なので、そんな光景を目にしても全く心は動じない。轢かれた動物の死骸より、連中の死骸の方が多いせいもあるのだが。タヌキやイノシシ、野生に帰った家畜なら拾って持ち帰る者も居るが、リビングデッドはどうしようもない。カラスも集らないから、いつまでも死骸が残るのだ。
以前は北関東自動車道、と呼ばれていた道を使い、日本海側まで抜けていく。幾つかの居住地で物資を交換し、積み荷も随分と質が変わってきた。出た時は食料品や衣類ばかりだったのに、今は電子機器の部品や工具、それとかなり珍しい食材や調味料といった品々に変わっている。
時々、道から遠く離れた丘陵地にバリケードで囲まれた居住地が在り、生活している証の煙が白く立ち上っている。一見平和そうに見えるが、近隣に大きな居住地が無い場所は暮らすのも大変だろう。
貨幣が意味を失い、物資が幅を利かせるこの世の中で、略奪行為が行われないのは国民性なのかは判らない。ただ、車ごと略奪されていないかまでは、俺も知らないからこそ自衛の為に銃を所持している。免許なんて知った事か。
三日程走っては降ろし、積んで走るを繰り返して復路を目指し、関東平野を南から東へとひた走る。通過した居住地の多くはそれなりに栄え、物々交換とはいえ市場や露天が軒を連ねる界隈も有り、国の骨格が無くなっても生きる為に逞しく暮らす人々の意志が垣間見えた気がする。復興なんて夢のまた夢だが、それでも……あの頃よりは断然良い。
「……ねえ! ちょっと!!」
「いいんだっ!! 気にするな!!」
妻を連れて都市部を抜ける道の途中、車を盗んで一気に脱出する事にした。車の傍で血を流して倒れていた元持ち主は、既に冷たくなっていて見開いた眼は閉ざされる事も無い。
乱暴に窓を割ってドアを開け、車のキーを捩じ込んでエンジンを掛ける。持ち主は律儀に鍵を差し込んで開けようとし、その最中に襲われたらしくドアに刺さった鍵がそのままだった。ぶつけてひしゃげたドアの内側が歪み、鍵が開けられなかったのかもしれない。
安全な所なんて、一体何処に有るのか。
走りながら考えてみたが、答えは出なかった。途中生き残った人々が乗りたそうにこちらを見ていたが、無視した。バックミラー越しに次々と餌食になる彼等の事は、考えないようにする。
漸く辿り着いた場所は、広い建築予定区画を分厚い鉄の壁で仕切り、そこを一時的なシェルターとして生き残った人々が集まっていた。車で近くまで乗り付けると、中から数人の男達が顔を覗かせて、
「車でそのまま入ってくれ! 少しだけ門を開ける!」
そう言われて待つと、団体バスがゆっくりと動いてバリケードに隙間が出来た。中に車を乗り入れるとバスが再び隙間を埋め、壁になって侵入を防ぐ狙いだと判る。
こうしてシェルターに到着した妻と俺は、そのまま居着く事になった。妻は安全な場所に辿り着いた事に安堵していたが、俺は直ぐに安全なんて自分達で作らないと有り得ない、と実感させられた。
幸か不幸か、シェルターは人口密集地の傍らに有り、生活物資を確保出来る環境ではあったが、それは逆にリビングデッドと真正面からやり合わないと存続出来ない場所でもあった。
二交代制で昼夜問わず見張りをし、近付く奴等を排除する。建築現場には資材と工具が山と有り、そうした物を使って駆除用の物々しい武器が作られた。一振りで奴等を黙らせられる重さと頑丈さを備え、耐久性と携帯性に長けたハンマー。そして槍のように先の尖ったパイプ。それを組み合わせた得物を使い、来る日も来る日も自分達に似た姿のリビングデッド達を排除する。
時には奴等に襲われて命を落とす者も現れたが、それより深刻だったのは、精神に異常をきたして夜中にバリケードの外に逃げ出したり、自刃して果てる者の方が多い事だった。
だから、俺は独りで駆除に出た。もし他人と組んで道中に錯乱されれば、こちらまで巻き添えに成りかねない。そう思い、単独で駆除を行った。
「……ねえ、アンタ……みんな心配してるよ」
妻が教えてくれて初めて、俺は自分が【快楽殺人者】だと疑われていた事を知った。他人に自分が快感に酔いしれている姿を見られたくないから、と思われていたらしい。
妻には安全な場所だからと残るよう勧めたが、彼女は俺と共にシェルターを抜けた。次第にリビングデッドの猛威も下火になり、生活の中で駆除に時間を割く事が少なくなってきた。今なら、新しい場所を探すのも可能かもしれない。そう思い独りで行かせるよりもと決心し、俺に付いて来てくれたので二人揃ってそのシェルターを後にした。
今居る居住地に辿り着いたのは、その直ぐ後だった。幸い、以前住んでいた場所と然程離れていなかった為、インフラの途絶えた元家に行き、使えそうな家財道具を運べたし、生き別れた娘の為に書き置きを残す事が出来た。
そんな昔の事を思い出したのは、物資交換先のリスト内に、そのシェルターの名が有ったからだ。過去のわだかまりなんて気にする事も無いが、出来れば行かずに済まないかと考えてみたが……結局、到着してしまった。
もう三年前の事だし覚えていないかも、と言う淡い期待は一瞬で消え失せた。
「ああ、あんた生きてたのか!」
俺の事を覚えていた男は、寄りによってネクタイとスーツ姿で現れた。明らかに苦悩が顔のシワと髪の毛に現れた相手に俺は、
「……昔話なんてするつもりはないよ。さっさと仕事を終わらせたいんだが」
素っ気なく応じ、トラックの扉を開けながら荷物を降ろし始める。
「……なぁ、もう一度戻って来ないか……◯◯君なら上手く殺せ……」「くどいんだよッ!!」
苛立つ単語に怒りながら、奴の言葉を捩じ伏せてやる。
「……戻る訳ねぇだろ、もう少し考えて物言えねぇんか」
俺の返答に顔色を変えた奴は、人殺しのクセに、と呟いてから黙り込んだ。
こちらから提供したのはありきたりな生活用品で、相手が提示してきたのは建材を繋ぎ合わせる留め具や金具だった。このシェルターには、あの頃から地元出身の有力者が多く、自分達が使わない物を切り売りしてきたのだろう。
積み降ろしの最中も手を貸す素振りすらないまま、若者が減って駆除が進まないだの、言う事を聞かない連中が増えたのと独りで喋り続けている。相変わらずお山の大将気質は抜けていず、役所の椅子がシェルターのてっぺんに変わったつもりでいる。他人が動くのが当たり前で、俺が駆除係に戻ると思い込んでいるのが手に取るように判る。
「……サインしてくれ」
「サイン? あ、ああ……それで戻る気は……」
「無い。それじゃ」
トラックに乗り込んで発車するまでしつこく俺に縋る男を、見もしないでクラッチを繋いだ。
道路を走って暫く経ってから、漸く苛立ちが影を潜める。
新参者には危険な仕事、若しくは嫌がる仕事を押し付ける場所だった。あの頃、俺には賄い切れない人々の処理までさせておきながら、自分だけのほほんと生きて楽するのが当たり前なアイツに、嫌気が差したのも事実だ。もう昔の事だが。
……ルートは違ったが、あの妙なリビングデッドを見かけた辺りに差し掛かる。まだ陽の高い時間、光を嫌う連中が歩き回る訳もない。そう思って通り過ぎようとしたが、低い屋根の建物が視界に入った瞬間、入り口の扉が閉まったように思えた。
違和感と共に車を停め、ショットガンとカバンを持ち、防護服を着ないで車内から外に出る。建物の近くに一台の車が停まっていた。足音を殺しながら近付き、タイヤとボンネットを触るとまだ温かい。
建物の扉を少し開けて中を覗くと、白い足の間に男が陣取って蠢いている。見覚えのある顔がこちらを見るが、その目に表情は全く無い。縄で雁字搦めになったアイツと、知らない男の背中。ショットガンを構えながら俺の視線は二つの間を彷徨い、次の瞬間、引き金を引いた。
衝撃と共に底部が肩を激しく叩き、銃口から火花が飛び出す。狭い室内に轟音が鳴り響くと同時に、スラグ弾が仕事を終えて真っ赤な血が飛び散った。
(……そう言えば、女のリビングデッドと寝る奴がいるって噂だぜ)
(おいおい、そんな事出来る訳ないだろ!?)
(……昼間なら連中も動きが鈍いらしくてよ……紐で縛って事を致すんだとさ)
(……そんな事しやがるから、いつまでも病気が蔓延って終わらないんじゃないか?)
寄り合いで俎上に上がった話題の一つが真実だなんて、誰が予想出来るか。全く、世の中なんて判りゃしないもんだ。
……穴を掘って死体を埋めた俺の後ろから、縄で縛られたあいつが近付いて来た。口が布切れで封じられたままだから、俺に危害を加える事は出来ない。
良く見てみると学生服のスカート姿だったそいつは、あの日から時間が止まったまま今日まで生きてきたのだろう。そう思うとリビングデッドの筈なのに、何となく可哀想に思えてくるから妙なもんだ。
作業を終えた俺はカバンからサンドイッチを取り出し、密閉袋から出して見せながら、
「……食うなら、こっちにしろよな。俺は旨くないぞ」
そう呟きながら、口に食い込んだ猿轡を外してやる。そして顔の前にサンドイッチを差し出してみると、ゆっくりと口を開けて白いパン生地に噛み付いた。
そいつは縄を切ってやるとサンドイッチを掴み、自分の手で黙々と食べ続け、満足したのか俺に向かって牙を剥くような真似はしなかった。
(……こいつ、今まで何を食べて生きてきたんだろう)
何となく気にはなったが、リビングデッドと話が出来る訳でもない。しかし、さっきの小屋の中には幾つかの食料の空き箱や容器が散乱していた。まさかとは思うが、餌付けされていた可能性もある。なら、成り行きとはいえ、俺はコイツの命脈を絶っちまったのかもしれん。
(まあ、腹空かせなきゃ噛み付かれやせんか……)
一瞬、家に連れ帰る事を思い付いたが、妻の顔が浮かんだ拍子に、綺麗サッパリ消え失せた。
結局、食い物に困らなそうな場所も思い付かず、リビングデッドの娘はそのまま小屋の中に置いて帰った。あの男から与えられる食料だけで生きてきたとは思えなかったので、きっと餌付けは身の安全を計る為の策だったのかもしれない。今となっては確かめようもないが。
そんな事を考えながら、トラックで元の居住地に戻ってみると、俺の家の前に人が集まっていた。何かあったかと急いで戻ると、人垣越しに見覚えのある背中と肩が、苦しそうに身を捩りながら揺れていた。
「もう、ホント離してったらぁ! ……あ、とうさん!!」
久し振りに見る娘が、妻の猛烈なハグからやっと解放されて、俺の方に振り向いた。
言いたい事は山のように積み重なっていたが、無事な姿を見ただけで全部感情の波に押し流されていった。三年前より少し痩せた隣の旦那の方も何か言いたげな顔だったので、手を差し出してやると両手で掴みながら、
「……お義父さん、御無沙汰して申し訳ありません……」
それだけ言うと、眼の脇に涙を溜めて俯いた。
「まあ、話の続きは中でしよう……な?」
「そうですね……判りました」
そう言い交わしながら、久々に四人で帰宅した。
娘達が戻り、幾日か過ぎた頃。
いつものように輸送ルートの最後を迎え、朝日を浴びながらトラックを走らせ続けていると、見慣れた例の丘陵地付近に差し掛かる。道路側からは丘で隠れて見えない小屋に近付くと、ほんの僅かだけ扉が開いていた。
案の定、リビングデッドの娘は餓死しなかった。何処で何を得て生きているのか判らないが、ともかく俺を襲って食うよりも、食料を貰った方が得だと覚えたようだ。
連中は日の光が苦手と言っても、浴びて溶ける訳ではない。眩しそうに眼を細めながら、扉の向こう側から半分顔を覗かせる。
勿論、いきなり近付くような事はしない。昔、野良猫にエサをやってた頃、散々与えていたにも関わらず、何の前触れ無く引っ掻かれた事がある。馴れて来たなんて思うのはこっちの勝手で、向こうは何を考えているか判らない。
けれど、リビングデッドってのは元を辿れば人間だ。何か理由が有って野生化し、喋る事も出来なくなったとしても、知性の輝きってのは有るのかもしれない。
リビングデッドの娘は、俺の顔を暫く眺めてから、
「……おはよ、ござぃます」
と、小さなか細い声で、俺に向かって確かにそう言ったのだ。
久方振りに長めの短編を書きました。御意見及び評価をお待ちしております。
【お知らせ】新作で「違う世界から(邪)神官ギャルが現れた!!【社畜青年が出会ったのはちょっと邪神系のロリ神官だったがお陰で単調な生活がハチャメチャな事になりましたが何となく幸せです】」を始めました。気軽に【邪神官娘】と検索してみてくださいませ!