IV / 『捕獲』
彼の粘液状の身体は、はるか遠くにいる彼らの聞き取れないはずの言葉を知ることができた。
同時に遠くを見ることも可能だった。
伊藤和士火は、彼ら4人を遠くから見つめ続けた。
(でも、一体どういうことだ……勇者パーティーだと……)
限りなく永久変形し続ける彼の身体が静かになり、冷静になると、心に湧いた疑念を精査した。
それから、冷静に思考を巡らした。
彼は、天井を斜め上に見て、ひとりごとを呟いた。
彼らの会話を聞き取る限り、自分がこの世界の魔王である可能性が出てきたのだ。
彼は最初に響いた世界の声を聞いてはいない。
しかし、彼らの会話と本能によって彼は自分がモンスターで、勇者に狙われるヤバい存在だというのが確信に変わっていった。
それから、あの黄金のガキが、自分を倒そうとしていることがわかってしまった。
そうするとと彼は、恐れをなし全五感が圧迫されるように窮屈に感じた。
勇者と戦うという逃れられない運命を直感的に感じ取ったのだ。
自分の身体を鑑みると、嫌な予感と不安で埋め尽くされていく。
崩れた身体が、悲しそうに気色悪く、縦に波打つ。
彼の目の前の確かに認識しだした現実が、グニャグニャと歪んで見える。
彼の目が虚ろになって、限りなく透明な薄闇色に変化した。
彼は、隠れるように柱のちょうど真後ろの死角で、影と同化している。
――彼らには決して見つかってはならないぞ! 断じてだ!
彼は、そう強く思うと息を忍ばせた。
体は、さらにダレて潰れたように床に突っ伏していく。
影に同化しようとしているのだ。
それから伊藤和士火は、焦燥し頭が真っ白になって、なにも考えられなくなってしまった。
彼の現実のキャパシティーが、許容量を超えたのだ。
一方、〈勇者〉アアアアアに突如、如実な直感が走った。
ここで倒すべき相手に心当たりがあることを悟ったのだ。
「あっ! あいつ! さっき蹴ったあいつだァ!!」
パーティーメンバーは、顔を見合わせて、ハテナ顔を浮かべて首を傾げた。
思い立つとすぐに、〈勇者〉アアアアアは、さっき蹴飛ばしたモンスターの方向に走っていった。
永久変形する古の粘液状生物、柱の影から、それをそろりと窺っていた。
冷や汗をいっぱい流して、息を殺した。
見つかりませんようにと祈りながら柱の影にさらに同化しようとして身を隠す。
もはや、影そのものになっていた。
影に、ヘンテコな目と、永遠に流動する粘液の身体。
——あああ、ああ……、あわあわ、あわ……
スッ、と動くと、柱の影の濃い部分にさらに自分を隠す。
バレる! ここにいるのがバレる! と直感し、心が叫んでいた。
――これで息を潜めればなんとかなるかも……
微かな希望にすがった。
垂れた古の粘液状生物の可塑性と延性を持った姿態が、ぷるぷると震えた。
影が、たいまつの炎のように不自然に揺らぐ。
勇者が近付いてくる足音に、心臓が跳ね上がる。
ちぐはぐなヘンテコが、大きく驚愕した目に変化する。
(こっちに来る……!! …………!)
アアアアアは、「あ!!」と声を大きくあげた。
影に潜んで隠れていた最弱の系譜《古の粘体》を乱暴に捕まえた。
ギュンむっ、と捕まれた伊藤和士火――。
くねくねと動くことしかできないモンスターは、全く抵抗もできず、すぐ捕まってしまった。
何にもできない、抵抗も何もかもが。
崩れゼリーのような物体を左手で掴んで、〈勇者〉アアアアアは仲間の元へ走り出した。
彼の左手からデローン、と伊藤和士火が気色悪く垂れていた。
搗き立ての柔らかそうな餅を持っているみたいだ。
走った後には、ポタポタと、きれぎれのゼラチナス細胞が涙のように落ちているようだった。
——うっ、うっ、うっ、う〜。ぐすん
……オワタよ……なんか知んないけど、オワタ
古の粘液状生物を持ったままアアアアアは、仲間の場所へと勢い止まらぬまま走っていく。
そして、仲間の元に着いた。
すると他のパーティーの前に、ポイ、とゴミのように伊藤和士火は投げ飛ばされてしまった――。