『てめえのケツの穴に鉛玉をぶちこんでやる!!』
『てめぇのケツの穴に鉛玉をぶちこんでやる』
というセリフを俺は部長に言いたい。もう喉元まで出かかっている。しかし、言えない。俺は会社員であり、課長であり、部長の部下である。さらに家に帰れば妻がいて、子供もいる。家庭があるのだ、家庭が……。
俺は部長の眼の前で頭を下げている。部長は自分のミスを棚に上げ、俺にミスをなすりつけ、あろうことか俺を叱り飛ばしている。俺は今日のプロジェクト会議の資料を完璧に作った。そして、責任者である部長に最終確認をお願いした。しかし、俺が作った完璧な資料を部長は良く思わなかった。部長はプライドのかたまり。自分が資料に手を加えて、プロジェクトを成功させた、と吹聴したかったのだろう。たいして文章を考えたことも無いのに、一丁前に手を加えて、文章は支離滅裂になってしまった。会議に参加したお偉い方は資料を見て頭を傾げるばかり。その失敗の責任を俺になすりつけようとしている。俺は怒りで頭が張り裂けそうだった。
やつ(もう部長と呼称する気もない!! やつで十分だ)はいつもそうだ。部下の手柄は自分の手柄、自分の失敗は部下の責任。いつも自分のデスクに足を組んで偉そうに座り、いつも不機嫌そうな顔をしている。いつどやされるかわかったものじゃあない。やつの部下になって、もう五年。そろそろ堪忍袋の緒が切れそうだ。
今日のやつはいつにも増して饒舌だった。
「お前の作った会議資料はなんだ。俺が手直ししなければ、先方が呆れて帰る所だったぞ。あんな出来の資料を俺に渡して、どういう性分だ。ああ、会社を辞めたかったら、すぐにでも辞めていいんだぞ。お前の代わりはどこにでもいる。この出来損ないが」
あんたが資料にいじらなければ、こんなことにはならない。
「申し訳ございません」
「お前はそれしか言えないのか。出来損ない。お前の親の顔を見てみたいわ」
俺もお前の親父が、お前と同じように禿げあがっているか、見てみたいわ。
「こんな部下をもって、俺は不幸だよ……」
やつの話は終わりそうにない。こんな時は現実逃避するにかぎる。現実には一方的に罵るやつがいる。ならば、現実からほんの一瞬、逃げたっていいじゃあないか。人生、そんな時も必要ではないか。
俺は妄想を開始した。
まず、部長のデスクを思いっきりたたく。ありったけの力をこめて。ものすごい音が社内に響きわたる。他の社員が、部長の一方的な叱責に課長がついに反旗を翻した、と好奇な目を向ける。俺は部長をにらみつける。やつは俺に弱みを見せたくないのか、威勢を張ろうと肩を強張らせているが、顔が引きつっている。情けないやつだ。
「黙って聞いてりゃあ調子に乗りやがって」
俺はずずいと部長の前に歩み寄る。
「あんたの腐った脳みそで作った文章が、俺が完璧に作った会議資料に交じって、腐らせちまったんだよ。ああ、わかるか。めちゃくちゃ美味しい酢豚に腐ったパイナップルを入れたら、いくら他の食材が立派でも腐った味がするんだよ。なあ、てめぇは脳みそにも髪の毛にも栄養がいってないのか」
俺はやつの胸倉をつかんだ。
「それに脂ぎった顔しやがって。そのテカった顔を見ていると、今すぐにでもトイレ用の雑巾で皮膚がめくれるくらい擦りたくなるんだよ。あとなぁ、息がくせぇんだよ。鼻がひん曲がりそうだ。いいか。てめぇの口は数日放置した残飯入れの匂いがするんだよ。わかるか。あの生ごみを捨てる日に苦戦する、あの残飯の匂いがするんだよ」
俺はさらにやつの顔に近づき、唾を吐きながら続けた。
「それになぁ、トイレの後、グレーのチノパンにしょんべんのシミがついてんだよ。わかるか。お前は年のせいで、排尿のキレが悪くなってんだ。どでかいシミを作りやがって!! みんな気づいてるが、お前を気の毒に思って、誰も言わないんだよ」
俺はやつの胸倉を離すと、デスクに置かれたパソコンのキーボードを持った。
「お前はいつもパソコンの前でなにをやってんだ。パソコンスキルがあるわけでもないのに、いつもデスクにどっかり座って、ディスプレイを眺めやがって。キーボードなんか使う時があるのか。まったくないくせに今回、出しゃばったことをしやがって。てめぇはいつも通りマウスを動かして、右クリックだけを使って、エロサイトでも見てろよ。業務日誌を見る前にそれが日課だろう。いいか。ネットを使った時、ネット履歴はちゃんと消すんだよ。みんなにバレてんぞ。このエロ親父が!!」
俺はキーボードで部長の頭をカンカンと叩いた。
俺の妄想はさらにヒートアップしていく。まるでブレーキが壊れたレーシングカーだ。それに運転手が怒りで逆上せがっているときたもんだ。誰も止めるものはいない(そりゃあ妄想の中だもの)。次第に現実と妄想の区別がつかなくなってきた。もういいんじゃないか。このまま妄想した通りの行動を起こして、すっきりしようじゃあないか。
いや、まてまて。最近、俺は疲れている。部長には罵られ、家に帰れば妻に小言を言われ、娘には無視される。ストレスという波状攻撃が俺に押し寄せ、のしかかり、平穏という心情を奪っていく。興奮が高まり、全身に血が通っていく感じがする。拳が熱くなる。ああ、俺はこのままストレスで死ぬか、ぶち切れて暴走するか、2択に迫られているような気がする。ああ、落ち着け。そろそろ妄想をやめないと。
でも、妄想は止まらない。
「こんなくそみたいな会社の、くそみたいな上司の下で働けるか、バカ野郎。自分のケツも拭けないガキがそのまま中年になったようなやつの下でよ!! 今まで散々罵られても、会社のため、家族のため、自分の将来のためと思って、我慢してきたが、もう我慢ならない。てめぇの禿げあがった頭を思いっきり引っぱたいて、真っ赤な紅葉マークを作ってやるよ」
ビタン。俺はやつの禿げあがった頭頂部を引っぱたいた。そして、頭に大きな紅葉マークが出来上がった。やつは頭を押さえる。そして、椅子から立ち上がった。
「どうした。なに黙ってんだ。ビビってんのか。椅子だってな、てめぇのようなデカくて臭くてたるんだ尻に座って欲しくないんだよ。椅子に謝れ。俺と椅子に謝れ。くそやろう」
俺は立ち上がったやつのケツも引っぱたいた。やつはついに俺に向かってきた。
「なんだてめぇ、やんのか、こら!! 俺がいつまでもお前にペコペコ頭を下げていると思ったら大間違いだぞ。 いいか、俺はな、ハリウッド映画に登場するギャングのように『てめぇのケツの穴に鉛玉をぶち込んでやる』と言って、拳銃をぶっ放して、うめき声をあげるてめぇをギッタギッタに叩きのめしてから、東京湾に鉄アレイと一緒に沈めるのが夢なんだよ。わかってんのか、こら」
俺はやつの頬をぶん殴った。
「課長!! もうやめてください!!」
数人の部下が止めに入った。
「もう充分ですから、課長の思いは伝わりましたから」
俺を慕う部下の一人が泣きながら、俺の体にしがみついている。
これは妄想じゃあないのか。
目の前には鼻から血を流して、床に転がっている部長がいた。
「俺……なにをしたんだ」
俺は部下たちに聞いた。
「部長に『てめぇのケツの穴に鉛玉をぶちこんでやる!!』って叫んで襲い掛かっていまいた」
部下は青ざめた表情で下を向きながら言った。
「俺は……ついにやってしまったのか」
俺は息を乱しながら言った。でも、なにか晴れ晴れとした気持だった。深夜、仕事を終えて家に帰り、妻や娘が寝静まったリビングで、冷えた缶ビールを開ける。薄暗いリビングは寂しい。しかし、一口目の冷えたビールは何物にも代えがたいほど、寂しさを忘れさせるほど、うまいのだ。そのビールが喉を通り過ぎた時の爽快感と、今の晴れ晴れとした感覚は似ていた。
俺は天井をぼんやり眺めながら
「ああ……スッキリした」
と言った。次に床に転がった部長を見て、いつの間にか妄想が現実を侵食していたのだと思い、急に目の前が暗転したようだった。
妄想なら醒めなければいいのに、と俺は思った。
終わり
久々に小説を書きました。
僕はハリウッドのギャング映画に出てくるヤンキーが相手をめちゃくちゃに罵るシーンが好きなので、いつかこんな作品を作ってみたいなぁ、と思っていました。
書いていて楽しかったです。満足、満足。