【第Ⅶ話】 王子
仕立屋で姫子の服を購入し、ジークと親しい他の店へと出向いて挨拶を済ませる。そろそろ日も傾いてきたため、姫子とジークは酒場へと向かった。
酒場の扉を開くと、中は酒と料理の匂いが鼻を撫でた。姫子も慣れてきたのか、ギルドのようにジークの胸で震えているということも無く、目を輝かせて「行きましょう!」と小さく跳ねながらジークの袖を引っ張っている。適当に空いていた席に座り、そわそわとしている姫子に羊皮紙のメニューを見せた。
「食べたいものはあるかい?」
「た、沢山あるんですね……すごい……」
姫子と行動して新しく分かったことが一つある。この世界とは別の世界に来てしまって、言語や文字など理解できているのか不安ではあったが、彼女はなぜか文字が読めるのだ。姫子の世界では「ニホンゴ」という言語を使っていたようで、この世界で使われているヲルト言語とはまったく発音も文字の書き方も違うようだ。しかしなぜか彼女の言葉はこちら側でも理解できるし、姫子もヲルト言語が理解できていた。
「そ、そしたらこの……」
姫子が指をさしたのは、この店で一番安い『ラット肉の野菜炒め』だった。ラット肉の肉質は固く臭みのある食材で、野菜と油でなんとか料理として成立させている。酒と一緒に流し込めば、まだ食べられないことはないだろうが、さすがに姫子はまだ子供だ。口に合うとは思えない。
「ちなみに、その料理を選んだ理由はなんだい?」
「えっ……?」
姫子が金銭的な部分で気を使っていることをジークは知っている。ここに来るまで、様々な店を回り姫子の必要なものを購入してきたが、値段が張れば張るほど姫子の表情は曇っていった。最後に購入しようとした『琥珀石の髪とき櫛』を買おうとした時なんかは、店主の前で「そんなものいりません!」と叫んでしまい、ひたすら頭を下げていた。
「そ、それは……おいしそう……だった……」
「ラット肉を?食べたことがあるのかい?」
「え……えっと……」
ジークは軽く息を吐いて、手を叩く。猫人の店員がジーク達の席に近づき、手に持った紙帳を開いて待機する。
「ジーク様、ご注文は何にするニャン?」
「麦酒とブロッサムビーフのステーキ、後この子に赤レンゴの果実水と、子供の口に合う料理を出してくれ」
「かしこまりましたニャ」
「ジークさん!?」
姫子は席から立ち上がり、声を上ずらせた。店員は姫子に向かってにこりと笑うと、そのままカウンターまで歩いていった。
「お、おいくらですか……?」
「気にしなくていいよ、ヒメコは美味しいものをお食べ」
「だめです……私なんかに」
ゆっくりと腰を下ろし、俯いてしまう姫子。
「……今日、私はジークさんにお金を沢山使わせてしまってます。申し訳ないんです、私なんか何もしていないのに」
「気にしなくていいよ」
「でも……」
「いいかい、ヒメコ。これから君は沢山の経験をする、君はこの世界でこれから生きていくんだよ。そのためにはこの世界に慣れていかなければならない。今日購入した物は全て、君にとって必要な物なんだ。この世界の一人である女の子としてね」
「……はい」
「それに、お金なら気にしなくていい。俺はこれでも少し前までは結構腕の立つ冒険者だったんだ。でも色々あって弱くなっちゃってね……つまらなくなってしまったんだよ、人生が」
「…………」
「けれど、とある少女と出会ってから変わったんだよ。何かあると新鮮な反応をするその子が可愛くて仕方がない」
「少女?」
姫子は少し考えて、咄嗟に顔が赤くなっていく。
「だからね、俺はヒメコが大人になるまで面倒を見たいと思ったんだ。ヒメコが一人で旅立つその時までね」
「ジークさん……」
「そう!ヒメコが一人で生きていけるようになるまで俺が面倒を見る!そう決めたんだよ!ちなみに彼氏はまだ許さないからね!もう少し大きくなってからだ!」
ジークは立ち上がり、目をキラキラとさせながら叫んだ。姫子は顔を真っ赤にしながら「やめてぇ……」と首をブンブンと横に振って止めようとするが、時すでに遅くジークは自分の世界へとまた入っている。
そこに注文した飲み物を持ってきた店員。彼女は溜息をついて一つ咳払いをすると、ジークは我を取り戻して席に着いた。
「すまない、ヒメコ」
「いいえ……」
「はいはい、お待たせしましたニャ。赤レンゴの果実水と“可愛い女の子に鼻を伸ばしている男”の麦酒ですニャン」
「……ん?」
「店主からの伝言ですニャン。『そこの嬢ちゃんには美味しい料理を出すが、騒がしいお前はそこら辺の雑草でも食っとけ』ということですニャン」
ジークと姫子がカウンターの方に目を向けると、そこには腹を抱えて笑うおっさん。
「相変わらずだねあの親父は……」
麦酒と果実水を丁寧に置いている店員の袖を引っ張る姫子。
「あ、あの……ジークさんのお知り合いなんですか?」
店員はピコピコと耳を動かして、ニコッと笑った。
「そうですニャン、ジーク様が新米の冒険者になった時から、エルドラット様とは仲が良いみたいですニャン」
「ラウ、仕事に戻らないとやばいんじゃないか?」
「ニャッ!」
店員は大焦りでカウンターへと戻り、店主に拳を食らっている。その様子を見てくすくすと笑っている姫子に、グラスを寄せるジーク。
「さて、乾杯でもしようか」
「……はい!ジークさん!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
青色の満月が、明かりの消えた街を照らしている夜に。ジークは宿屋の裏にある畑の近くで、一人酒を愉しんでいた。藁の香りが乗った乾いた風を浴び、今日一日の事を振り返る。思えば、パーティに置いて行かれたあの日、まるで神の思し召しのような奇跡で、自分は彼女と出会った。もしあの日、悲鳴を聞くことも無く寝ていたらと考えると、身震いが止まらない。良かった、姫子を救うことが出来て……ジークは酒を一口含み、夜空に向かって鼻で笑った。
「——かっこつけてんじゃねえよ、ジーク」
ゆっくりと振り返ると、そこには昼間世話になった仕立屋のブラドが立っていた。ブラドも干し肉と葡萄酒を持って、ここで楽しむつもりだったようだ。
「来たのかブラド」
「そりゃそうだろ、ここはお前と俺の初めて喧嘩した場所なんだからな」
「フッ……ブラドは弱かったなぁ」
「うっせえ……そういえば、あの嬢ちゃんは?」
「部屋で寝ているよ」
「……そうか、この後のお楽しみか」
「俺を変態扱いしないでくれ、あの子にそんな感情抱くわけがないだろう」
「ははっ、そりゃそうだ」
彼らは旧友であり、親友である。幼少の頃からこの街で育った彼らは、この麦畑の場所で剣を振って、殴り合いの喧嘩をし、互いに笑い合っていた。そんな彼らは、決まった夜の時間にこの場所でよく酒を交わす。それが、彼らの友情なのだ。ブラドはジークの隣に座り、お互いの持っている酒で乾杯をする。
「なあ、ジーク」
「なんだい」
「……左手もやったのか、お前」
ジークの身体は小さく痙攣したが、すぐに笑って酒を含んだ。
「まさか、気が付くとはなぁ」
「やめとけって言ったよな」
ブラドは表情を曇らせながらジークを睨んだ。ジークはその視線からそらすように、空を見上げる。
「……ヒメコが襲われたよ。俺のいない時に、異常成長したナイトベアに」
「ナイトベアか……」
ブラドは昔、ジークと共に冒険者をしていた。二人は良いタッグとなって、冒険者ギルドをよく盛り上げていた。しかしジークのとある一件により、ブラドは冒険者を辞めて仕立屋となった。
「この左手一本で姫子を守れたんだ、安いものだよ」
「……お前、どうしてそんなにもあの子に気をかける?」
「うーん、可愛いからかな。ほら、天使みたいだろう」
ジークはおちゃらけた様に言葉を遊ばせたが、ブラドの表情は曇ったままだった。
「……なあ、ジーク」
「なんだい?」
「お前があの子を気にかけるのは、やっぱり“アリシア”の——」
「黙れ」
その瞬間、ジークの影は暗く形を変える。月は雲に隠れ、冷たい眼差しがブラドに突き刺さり、焦燥した表情を浮かべていた。
「…………すまない、ブラド」
「いや、俺も悪かった。その話をするのは無しだったな……けれどよ、これ以上はその力を使うんじゃねえ。お前はもう、左の肺と筋肉の分。そして左腕の分まで“アイツ”にやっちまった。これ以上餌をやり続ければお前はやがて動けなくなる。そんな姿を見たくねえぞ俺は」
「分かっている。けれどこの力は、ヒメコを守るために使うと決めたんだ。そのためだったら、俺は死さえ喜んで受け入れるさ」
「…………そうかよ」
月夜に照らされて、ブラドが浮かべた辛い表情は、勢いよく飲み干した葡萄酒と共に消えていった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「今日は少し冒険をしようか、ヒメコ」
ジークは姫子の手を連れて、冒険者ギルドへと向かった。まず初めに、姫子はこの世界で生きていくための知識と技術をつけなければならない。そのためにはシルトに相談するのが一番だろう。冒険者ギルドに到着し、カウンターの前に立つと、ジークは姫子にベルを鳴らさせる。走り出すように迎えるシルトの表情を見て、姫子は満面の笑みを浮かべた。
「おはよう、ヒメコちゃん!」
「お、おはようございます……」
まだ姫子の挨拶はぎこちないが、シルトの事を信頼してきているようだ。ジークはシルトに事の次第を話し、冒険者ギルドに姫子をジークの仮パーティに属する冒険者として登録させた。冒険者ギルドに登録するためには、知識と技量を図らねばならないが、そこはシルトの伝手でなんとかなる。冒険者証明証を受け取った姫子は、飛び跳ねながらジークに見せびらかした。
「これでっ、ジークさんと同じっ、ですねっ!」
「ああ、そうだね。俺も嬉しいよ」
「うわぁ、本当にジークさんはヒメコちゃんの事大好きなんですね……」
「悪いかい?」
「いいえ、それならいっそ……」
シルトは引き出しの中をごそごそとかき回して、少ししわのついた一枚の羊皮紙を出した。
「これ、登録しちゃえばいいんじゃないですかぁ?」
「それは……」
彼女が提示したのは『養子冒険者登録書』だった。身寄りのない16歳までの子供たちを、冒険者の保護者として登録するものだ。そして、その効力は冒険者では収まらない。つまり家族になるということだ。姫子はジークの『娘』として登録される。ジークも登録するか悩んでいたところだ、願ったり叶ったりだろう。
「これに登録しちゃえば、ジークさんとヒメコちゃんは完全な“親子”になりますよ!そうすれば遺産相続……は早いですね。でも様々な支援なども受けられたりします。どうですか?」
「ぜひとも受けたい……が……」
ジークは姫子の方に目を向けた。彼女はどこか暗い顔を浮かべている。そうだろう、父親とは彼女にとって……
「ヒメコ、君が嫌なら俺は……」
「「そこをどけ!殿下のお通りである!」」
その声と共に、白銀の鎧を纏った兵士たちがずらりとギルドへ押し込む。冒険者たちは舌打ちをしながら道を開け、ジークも姫子を素早く抱きかかえて横に避ける。
「やあ、冒険者の諸君!いつもご苦労!」
自身に満ち溢れた言葉をかけるのは、このミスタニア王国の第一王子であり、王位継承権を持つ青年。リューベ・フォン・ミスタニアだ。情熱が具現化したような烈火の如き赤色の髪。そして対を成す様に冷たい蒼をした虹彩を持つ鋭い目。白い王族の服に身を纏った姿は、見るだけで周りを圧倒する。
「やあ、シルト」
「これはリューベ殿下、お元気そうで何よりですわ」
シルトの気品ある挨拶に、冒険者がくすくすと笑いだす。姫子は目を丸くしてジークの方を見つめるが、ジークの顔色はあまり良くなかった。
「シルト!今日はお前に話がある!」
リューベは高らかに声を上げ、兵士の一人が持っている王族の紋章のリボンで丸められた紙をシルトに渡す。シルトは「失礼いたします」といってそれを開くと、口に手を当てて「えっ……」と漏らした。そこに書かれていたのは、黒髪で赤い瞳を持つ少女——姫子の面相だった。
「こ、これは……」
「我は今、この美しい少女を探しているのだ!ここのギルドで我の従者が見つけたと言ってな……シルトよ、この少女は今どこにいる?」
シルトはジークの方に目くばせをする。それを察したかのようにジーク腰に巻いていた布を姫子に被せ、背に隠す。姫子は「ジークさん……?」と小さく呟いたが、その口はジークの手で塞がれた。
「も、申し訳ございません殿下……私はこの方を——」
シルトが隠そうと嘘を吐いたが、それは叶わなかった。瞬く間にシルトの喉元に直剣が付きつけられる。冒険者たちが騒ぎ始めるが、その騒ぎは兵士たちが剣を抜き始めたことよって抑えられる。リューベはシルトの耳元に口を近づけ、一つ囁いた。
「良いか、シルトよ。我はこの少女に会いたいのだ。これだけ聞けばお前でも分かるだろう?良いか、もう一度だけチャンスをやろう」
「で……殿下……」
シルトは顔を真っ青にして、ジークに視線を向ける。ジークは唇を噛みしめながら、姫子を後ろにあった樽の裏に隠した。そしてリューベの元へと歩き出し、膝をつけ頭を下げる。
「殿下!」
兵士たちはそれを警戒するように剣を向けたが、リューベは手を挙げてそれを収めた。
「ほう……ジークではないか。没落した貴族がなぜ我の所へ顔を出した?」
「無礼をお許しください、殿下。その少女についてお話がございます」
ジークがリューベの気を引いている内に、シルトが後ろにいたギルド嬢へと、伝達魔法「メッセージ」で伝言を飛ばした。その内容は『樽の裏に隠れている少女を逃がせ』というものだ。彼女は樽の近くまで気づかれないように隠密魔法「シーフ」で身を隠しながら歩き、怯えている姫子に睡眠魔法「スリープ」をかけた。そして音が立たないように拾い上げて、そのままギルドを出ていった。
シルトはジークに「メッセージ」で姫子を逃がしたことを伝える。そしてジークはその重い口を開いた。
「……その少女は、昨日まで私が世話をしていたものです」
「なんだと?」
ジークはポケットから数本の束になった黒髪を出し、それをリューベに手渡した。この世界で黒髪の人間は姫子しかいない。何かあった時のために、姫子が寝ている時に一束だけジークが頂いていたのだ。これがあれば、十分彼女と関係していることが証明できる。リューベは目を見開いたが、その瞬間に大きく笑い始めた。
「はは……はははっ!面白いっ!ジーク!我は面白いぞ!」
リューベは跪いているジークの髪を掴み、顔を寄せた。その眼光はジークの瞳に突き刺さり、額に汗がにじむ。
「お前がまさかこの少女の世話をしているとな……!子供を殺したお前がかっ!」
リューベの重い蹴りが、ジークの腹にめり込んだ。苦しそうに後ろへ倒れようとしたジークだったが、すくに襟をつかまれて引き戻される。
「さあ言え!この少女はどこにいる!没落したアストラス伯爵家の長男であったお前の言葉を、我が聞いてやるぞ!ジークリッヒ・アストラス!」
こんにちは、藤花しだれです。
ジークと姫子、ついに街で生活が始まるのか……と思いきや、ここでまさかの王子様が現れましたね。
没落したアストラス家、子供を殺したというジーク。
さて、ジークは一体何者なのでしょう。
昨日は、投稿をお休みしてしまいすみませんでした。
仕事で残業につかまってしまいまして、電車に乗っている時に更新しようと書いてみましたが、今よりもさらにレベルの低い語彙力になってしまったためやめておきました。
本日は午後休でしたので、今日の内に書き溜めておこうかと思っています。
それでは、また明日。