【第Ⅴ話】 最初の日常
「ん……」
目を覚ますと、見たことのある天上。白色のカーテンで仕切られたその部屋は、昨夜自分が眠っていた場所と気が付くのにさほど時間はかからなかった。姫子は身体をすぐに起こし、外へ飛び出る。
「おはよう、ヒメコ」
「じ……ジークさんっ……!」
彼女はジークの顔を見ると、安心したのかジークの胸へと飛び込み号泣している。それもそうだろう。彼女が気を失うまでに、ナイトベアという凶悪なモンスターに襲われて、あんなにも怖い思いをしたのだから。ジークは姫子の頭を撫でながら、そっと口を開く。
「ヒメコ、怖い夢でも見たのかい?」
「ご、ごめんなさ……!わたっ、私はっ!」
ジークの顔を見上げ、必死に昼間起きたことを話そうとするが、うまく言葉にならない。どう伝えればいいのか分からず、ただジークの胸に顔を押し付けていた。その様子はまるで父と娘のようであり、ジークの表情も柔らかくなっている。
「じ、ジークさん……」
「どうした?」
「私、さっき……大きな熊に襲われて……」
「大きな熊?」
ジークはわざとらしく、きょとんとした表情を浮かべた。
「はい……とても強くて、お兄さんとお爺さんが殴られてて……私も痛くて……」
「……そうか、怖い夢を見たんだね」
「夢なんかじゃないです!だってあの時……」
「あの時って……ずっと昨日からヒメコは寝ていたよ?」
「寝て……私が……ですか……?」
姫子がジークを見つめると、ジークは満面の笑みを浮かべた。その裏に、一つの大きな嘘を隠しながら。
「ああ、きっと安心したんだろうね。俺が起こしてもうんともすんとも言わなかったんだよ」
「でも、でも……」
「すごく怖かったんだね……すまない、傍にいてあげられなくて」
「……そう、ですか」
少し安心したように俯く姫子。ジークは左手で、彼女の頭を優しく撫でる——
翌朝、姫子がテントから出ると、ふわりと甘い匂いが鼻を撫でた。焚火の前に座るジークを見て「おはようございます」と微笑みながら礼をする様子は、最初に出会った頃とは大違いだ。ジークも「おはよう」と伝え、先程温めていたミルクを姫子に渡す。
「——姫子、街に行ってみないか?」
朝食を食べ終わり、幸せそうにしていた姫子の表情が変わる。彼女にとって信頼できるのはこの世界でジークだけだ。知らないというのは恐怖の塊であり、彼女にとっても辛いモノだろう。
しかし姫子は強く頷くと「行きたいです!」と大きな声で返事したのだった。
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その頃、魔獣の森から帰還したボルンとアルは、街に向かう馬車の中で頭を抱えていた。
「どういうことだ、アル」
「私にも分かりませんよ、ボルン様」
彼らは森の入り口で気を失って大の字で寝ていた所を、従者たちが見つけ出した。彼らが言うには、朝になってもボルンとアルが帰ってこないから心配で探しに来た、と。しかし、ボルンとアルには前日魔獣の森に入ってからの記憶がなかったのだ。
「確か俺らは、帰ってこなくなったジーク殿を探しに……イテッ」
「無理に思い出そうとすると頭が痛くなりますよ。きっと頭を強打したのでしょう、多分ボルン様のせいで」
「なっ!もしかしたらお前のせいかもしれんだろうが!」
「いいえ、私はボルン様の忠実なる従者でございます。まさか主に暴力をふるうなどと……謝ってください」
「いい表情してんじゃねえか……」
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この世界は、3つの大陸と6つの大国で分かれている。大陸は水と自然の豊かな【ネルトリン大陸】砂原で覆われた【ヴェンドル大陸】いまだかつて誰も足を踏み入れられない【アイゼナフ大陸】この3つの大陸は大きな海で隔てられている。そして6つの大国は『ネルトリン大陸』で4つに。 『ヴェンドル大陸』で2つに分かれているのだ。そしてジーク・トーラスの活動する場所はネルトリン大陸に位置する大国『ミストリア王国』の中心街『リンドル街』冒険者ギルドである。ジークは幼い頃からその場所で育ち、その場所で生きてきた。魔獣の森や少し離れた場所には短期間顔を出したこともあったが、経験は少ない。
しかし、姫子と出会ったジーク・トーラスは『冒険者』という名の通り、これから大きな『冒険』へと足を踏み入れる——
リンドル街の入り口は、強固な衛兵によって固められている。ミストリア王国は壮大であり、その壮大さながら入り口は一つしかない。端から端まで徒歩で半日はかかってしまうほどの距離が、周りを囲む巨人ほどの大きさの壁で囲まれているのだ。しかし入り口が一つしかないというのは、責められた時どうするのか。頭のいい冒険者なら必ず一度は考える。
しかしその問題は考えるまでも無い。この王国は決して『崩れない』のだ。何重にも重ねられた強固な結界魔法は、最強の魔法すら通さない。かつて伝説として語られた勇者が、その命を代償として発動させた結界魔法『エクスカリバール』によって——
「——というのが、俺が住んでいる国についてだね」
指を立て、姫子の隣を歩きながらジークは満足げな表所を浮かべる。しかし姫子はプルプルと震えていた。口を手で押さえ、ジークから顔を反らしている。
「……ヒメコ?」
「いっ、いえっ……ぶふっ……なっ……なんでもっ……」
「どうしたんだい?何か……もしかして行きたくないのかいっ!?」
「……プッ……ブゥゥゥゥゥッ!!」
姫子は口をとがらせて豪快に吹き出したあと、大きな声で腹を抱えて笑った。目を丸くしながら、ジークは口を開いている。
「いっ、いえっ……あのっ……ププッ……あははっ」
「どうしたんだいヒメコ!?」
「もう一回……その魔法を……」
ジークは首を傾げる。
「えっと……エクスカリバール?」
「ぶふぅっ!」
「……エクスカリバール」
「ぷはぁぁっ!」
「……ヒメコ」
「ぷへえぇっ!」
ああ、これは面白い。それに気づいたジークは、街に着くまで姫子を笑い人形のように遊び続け、門の前に着く頃には、姫子はへとへとになっているのだった。
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街の中に入った姫子は、目の前の光景に目をキラキラとさせながら飛び跳ねている。この『リンドル街』はミスタニア王国の入り口であり、敷地内で最も大きな街となっている。空まで伸びる巨大な建物が連なり、人々は溢れかえっている。鎧に包まれた衛兵たち、冒険にここを躍らせる若者、獣の耳を生やした親子。姫子の世界では見れなかった光景だろう。
「どうだいヒメコ?大きいだろう?」
「すっ……!」
姫子はぐぐっと身を屈んで、それを解き放つように「すっごーい!」と叫んだ。近くを歩いていた人々がびっくりした様子で視線を向ける。彼女は感情の落差が激しいな……と、ジークは苦笑を見せた。
「すごいです!すごいですジークさん!あれなんですか!」
彼女は飛び跳ねながら、所々にある屋台や人を眺めている。そしてそのまま走り出そうとした。
「ひ、ヒメコ!?」
ジークは咄嗟に両手で姫子の脇を掴み、そのまま持ち上げる。しかし姫子の目はキラキラと前を見続けており、ジークに止められたことすら気づいていないようだ。ジークは一つため息を漏らすと、姫子を抱えてギルドへと向かった。
「ここが武具屋で、あれは……仕立屋だよ。布物を取り扱っている店のことだね」
「あれっ!あれはなんですかジークさんっ!」
「え……?確かボタンの実を使ったサンドだったと……」
「じっ、ジークさん!尻尾ですよ尻尾!」
「は、ははは……」
歩きながらいくら説明しても、姫子の興味は止まらなかった。確かにこの街を初めて見た時は、ジークも興奮しただろう。それと同時に、知らない不安も抱え、あまり動き回れていなかった。しかし今の姫子はどうだろう。この街の魅力に心惹かれ、とても楽しそうにしているだけと見える。肝が据わっているのか、それともまだ子供なのか。
ひたすら彼女の質問に答えながら、ギルド前にたどり着くことが出来た。どっと疲れを感じている気もするが、姫子の笑顔を見ると疲れが吹き飛んでしまう。
ギルドの扉を開けると、騒がしい冒険者たちの声が響き渡る。姫子も少し怖いようだ。ジークに抱っこされながら小さく丸まっている。ジークは姫子の頭を撫でながら、親しくしていたギルドのAランクカウンター前に着くと、そこに置かれている小さなベルを鳴らした。
「はーい……って、ジークさん!?」
受付嬢は驚きの余り、冒険者たちの騒ぎを凌駕するほどの声量で叫んだ。先程まで騒がしかった空間がウソのように静まり返る。ジークは額に汗を掻きつつ、彼女に営業スマイルを向けた。
「や、やあシルト……相変わらず反応がすごいね」
「あ、貴方という人は……!」
机に拳を叩きつけているのは、このギルドの看板受付嬢シルト・アイラスだ。肩まで流れる金の美しい髪、そして感情で動く尖った耳は、伝説の種族エルフと人間のハーフである証拠だ。彼女は頬を膨らませ、ジークに説教をする。この美貌と姉御肌が冒険者にはとても人気であり、どんな強面だろうと彼女の接し方は変わらないのだ。
「ど・う・し・て!あなたは1週間も連絡をしなかったんですか!」
「い、いやぁ……それには理由があるんだけど……」
「言い訳しない!まずはごめんなさ……ん?誰ですかその子」
姫子の身体がビクリと跳ねる。先程から怯えて丸くなっていた彼女の事だ。きっとこのシルトの事も怖がっているのだろう。
「あー……話は長くなるんだけど、それでもいいかい?」
「……はい、談話室へとご案内しますね」
シルトは溜息をついて、彼女の後ろにいた少女に引き継ぎを済ませる。そして指先でちょいちょいっとジーク達を呼ぶと、談話室の方向へと歩き始めた。姫子はぷるぷると震えながら「ジークさん?」と聞くと、ジークは苦笑いを浮かべながら「大丈夫大丈夫」と落ち着かせるのだった。
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談話室に入ると、ふんわりと甘い菓子の匂いが漂った。まるでセンサーでもついているのか、姫子ががばっと顔を上げ、ジークの顎に直撃する。腕の中でひたすら謝る姫子に歯を食いしばりながら痛みを耐えているジークを見て、シルトはくすくすと笑った。
席に着き、姫子を抱えたまま腰を下ろした。そして隣に座らせようと姫子を下ろそうとするが、姫子は腕の中から出ようとせず、ジークの肩を掴んでいる。困った顔を見せたジークに、シルトは何かを思いついたように手を叩き、クッキーを掴んで自分の顔の前に持っていった。それを見たジークは「あぁ……」とうなずいてクッキーを一つつまみ、胸に顔を埋めている姫子の前に持ってく。すると、姫子はピクリと反応し、猫のように鼻を上に向けてクッキーの匂いを嗅ぎ、小さな口で齧る。そして次のクッキーを姫子の顔に持っていき、そのまま隣の席まで誘導する。姫子も釣られてジークの膝元から降りて席に着き、ジークの隣で机に置かれたクッキーを食べ始めた。
「……隠し子ですか?」
「違う」
「ふぅーん?」
ニヤニヤと不快な視線を向けてくるシルトに、ジークは深いため息をつく。
「冗談ですよ、冗談。でも、訳ありなのは間違いないですね」と、シルトは姫子をちらりと見た。
「そうだね、色々と複雑なことが起きているんだ」
「時間は気にしなくてもいいですよ、私もう休みなので」
「えっ?休み取ったの?」
「そりゃそうですよ、だってジークさん行方不明で死亡扱いされてたんですよ?勇者パーティに置いて行かれて、スライムに足を引っかけて頭を強打。気を失っている間にモンスターに殺されたって」
「えぇ……誰だその噂を流した嘘吐きは……」
「まあこうやって生きて顔を見せてくれたわけですし、それに小さな女の子を抱きかかえながら荒くれ者たちのギルドに入ってきたところを見て少し安心しました」
「あ、あぁ」
「でもこの髪と瞳の色は気になりますね……黒髪で赤い虹彩を持つ少女なんて聞いたことありませんよ?」
「だよね……実は——」
それから、姫子に起きていた事からキャンプの最中まで全てをシルトに話した。しかし、彼女の過去の世界については話さず、モンスターから与えられたショックで記憶が欠如してしまっていると嘘をついた。姫子も少し驚いていたが、ちゃんと落ち着いて姿勢を正し話を聞いていた。ちなみにシルトは……
「ひぐっ……そんなことがあったなんてぇ……」
鼻水をだらだらと垂らし、姫子が本気で引くほど泣きじゃくっていた。シルトは姫子の方に視線を向けると「ヒメコちゃぁぁ!」と奇声を上げながら抱きついた。姫子は「いやぁぁ……」と最初の内は抵抗していたが、すぐに心が折れてしまったようだ。顔が、シルトの鼻水まみれになっており、目に光は指していなかった。
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シルトとの会話を終え、彼女の計らいでとりあえず仮のパーティとなったジークと姫子が次に向かったのは仕立屋だ。彼女の服装はギルド内でも特に目立っていた。ドレスのような記事なのに、上下に分かれたデザインは令嬢としては不向きであり、黒い髪色からしても彼女は珍しく感じたのだろう。相変わらず本人は気にしている様子も無く、ギルドを出た途端に元気を取り戻していた。
店の中に入ると、色とりどりの布地と服が並べられていた。姫子はあまり驚いていないようだ、じーっと店内を見回している。ジークは姫子を下ろし、手を叩いて店主を呼ぶ。店の裏から「はいはい、少々お待ちを」と中年男性の声が聞こえ、姫子はジークの後ろに隠れた。
「おぉ、ジークじゃないか!」
「やあ、ブラン」
ジークの顔を見るたび、豪快に声を上げては拳を合わせたのは、仕立屋のブラドだ。彼はジークの幼い頃からの友人で、ジークの服はいつも彼が仕立てている。
「お前、最近帰ってなかったんだろ?ギルドの嬢ちゃん……シルトだっけな、お前のこと聞きまわってたぜ」
「そうか、心配をかけたな」
「俺は心配なんかしてねえよ、お前が死ぬわけねえからな!がっはっは!」
この笑い方の通り、彼は子供の頃から豪快な男だ。能天気で楽観的なジークはいつもこの男に振り回され、よく膝をすりむいていた。
「それで今日はどうしたんだ、しゃれた礼服でも買いに来たわけじゃないだろ」
「いや、実はこの子の服を見立ててほしいんだ」
ジークは後ろに隠れた姫子の背中をトンと叩くと、彼女は少しだけ顔を出して挨拶をする。ブラドはその様子をみて困惑している。
「おいジーク……まさかお前、そんな趣味が……」
「違う、勘違いするな」
「いやでもお前がこんな可愛い嬢ちゃんを連れてくるとはな」
「可愛いことは否定しないが、あまりヒメコを怖がらせないでくれ」
「かっ……」
ジークの背中に顔を埋め、耳まで真っ赤にする姫子。
「ヒメコ?」
「……見ないでください」
「え!?」
「ダメですっ!見ないでくださいっ!」
「ど、どうしたんだいヒメコ!?」
あたふたとするジークを見ながら、ブラドは笑っている。そして膝を曲げて姫子の目線に合わせると「よし、こっちだ」と目くばせする。姫子はトテテッと素早く裏まで逃げていき、ポカンとするジークはブラドによって外に出されてしまうのだった。
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数分後、カランカランと扉が開くベルの音がした。ふてくされていたジークが振り向くとそこには——
「ど、どう……ですか?」
袖とスカートにフリルのついた白いワンピースと、腕には先程つけていた赤いリボン。そして足を痛めずに、尚且つ着こなしには合わせたベージュの大きめのブーツを履いている。ジークは口を開け、そのまま固まってしまった。
「おいジーク、なんか言うことあるんじゃねえのか?」
「……はっ!」
ジークは我を取り戻したように首を振ると、姫子の肩に手を置いた。
「似合っているよ!天使のようだ!」
「ジークさん……うれ」
「こんな美しい少女は初めて見たよ!」
「……ジ」
「このまま入れ物に収めて保存したいくらいだ!」
「ジークさん!?」
「とても綺麗になったね!ヒメコ!」
「じ、ジークさ……」
姫子は顔を赤くしながら、スカートを握りしめる。恥ずかしがっている様子にジークは気づかず、ただひらすらに褒め続けている。その様子を眺めながら、ブラドは笑いをこらえるのだった。
こんにちは、藤花しだれです。
やっと暗い話も終わり、姫子ちゃんとジークの日常が始まりましたね。
頭の中で姫子ちゃんが可愛らしく飛び跳ねる様子を想像しながら、モチベーションを保っています。
今日は仕事が終わり、帰宅後執筆作業という地獄を見ることが出来ました。
やはり、休日の時間があるうちに書き溜めておくべきですね。
それでは、また明日。