悪役令嬢は「ボンバイエ!」と叫ぶ〜カッパのマリーの事情〜
わたしの名はマリー。
マリー・ヤウェン男爵令嬢、なのである。
けれど、明日からのわたしは『マリー・クラスト辺境伯夫人』になるのだ。
「なるほど、お前が『可憐な悪女』で有名な、マリーか」
黒眼黒髪の、隻眼のクラスト辺境伯は、目を細めた。
「悪女だなんて滅相もございません! この子は誤解されやすいだけなのです、外見の愛らしさゆえに疎まれ、いじめられがちなのでございます」
そう言いながら揉み手をするのは、父であるヤウェン男爵だ。このガスラクト国での美男子基準をばっちりと満たした、金髪の優男である。猛禽類のような雰囲気のクラスト辺境伯とは真逆のタイプだ。
そして、その横では、やはり美しい(けど、なんにも役に立たない)母がこくこくと頷いている。
このふたりの娘であるわたしは、ふんわりした金髪に青い瞳の、自分で言うのもなんだけど、大変可憐な女の子なのである。
「……ふん。なんにせよ、マリーは借金の肩代わりをする交換条件で、俺の妻にするぞ」
「ありがとうございます!」
父と母は、意味がわかっているんだかいないんだか、ホクホク顔で頭を下げている。このおめでたい両親は、わたしが身分の高い(だが、冷酷だと評判が悪い)男の元へ嫁ぐことが嬉しくてたまらないのだ。そう、結婚準備金をどっさりともらえるから。
要するに、わたしはひとまわり以上も歳上の男に売られたのだ。
この、鋭い眼光の、貴族のお姫さまが見たら震え上がるような恐ろしい迫力を持つ、30過ぎの男に。
「ヤウェン家とは縁続きになるわけだし、これ以上借金やらなんやらを重ねられても迷惑だ。故に、この者たちを置いていくからな」
「はい?」
「これからお前たちが馬鹿な真似をしないように、この家を仕切る。もちろん、財産も行動も管理するぞ」
クラスト辺境伯の後ろに立っていた1組の男女が前に進み出た。どうやら、お目付役というか、アホなヤウェン夫妻を監視するための人間を用意してくれたらしい。
「表向きは、家令とメイド長だが」
「そ、そんな、我々を見張るだなんて……」
「嫌なら、借金のかたに家も屋敷もすべて取り上げて放り出すが?」
クラスト辺境伯の視線に射竦められて、両親はぐうの音も出ないでお互いの手を握り合って震えている。
わたしは(よかったわ)と内心で呟いた。
隣の部屋では、双子の弟のケリーと妹のヤリーが「マリーお姉さま、行かないでー」と朝から泣きじゃくっている。あの子たちの世話をしたり、病気になった時に気を使ってくれる人間がいないと困るのだ。最低でも、食事だけはとらせて欲しい。身の回りのことくらいはできるように仕込んであるけれど、食べ物の調達だけは難しいので、あとであのふたりに頼んでおかなくては。
今までは、お金があるだけ使ってしまう母と、すぐに騙されてお金を巻き上げられてしまう父と、双子たちのために、わたしが身体を張ってたぶらかした(と言っても、せいぜい手を握ったくらいよ?)お金持ちのボンボンたちから贈り物を貰っては売り飛ばして、それでなんとか暮らしてきた。
けれど、あの憎たらしいシェリンダ・フォートン伯爵令嬢のせいで、わたしの悪評が広がり、逆ハーレムメンバーからも距離を置かれてしまったのだ。
まったく、いい迷惑である。
学園では勉強もがんばっていたから、あのまま卒業していい職場に就職したら双子を連れて家を出て行こうと計画していたのに、生まれながらにすべてに恵まれたシェリンダのせいですっからかんのパーになったのだ!
まったくもう、あの女ったら最悪! 頭にくるったらないわ!
しかもあの女はどさくさに紛れて、お金持ちで体格が良く、食いっぱぐれのなさそうな騎士を上手く捕まえて、その奥さんにおさまってちやほやされているらしい。
自分ばっかり幸せになって……爆発すればいいのに。
その一方でとうとう、借金の方がどうにもならなくなって、わたしはお金と引き換えに、誰もお嫁に行きたがらない、クラスト辺境伯のところに輿入れする羽目になった。
わたしは、外見だけは可憐で魅力的なのよ。
本当はお勉強も大好きだから、馬鹿なボンボンたちと関わるよりも、もっとたくさんのことを学びたかったのよ。でも、暮らしていくためにはそれどころじゃなかったわ。
でも。
ケリーとヤリーが飢えずに暮らし、なんとか自立できるまで守ってもらえるならば。
わたしはそれだけでいいの。
シェリンダみたいな温室育ちのヤワなお嬢さまとは違い、このマリーは簡単にはへこたれないのだから、どんな手段を使ってでも生き抜いて見せる。
そうね、いつか辺境伯の屋敷を乗っ取ってやるわ。
それで、どこかに留学して勉強して、お金持ちになってケリーとヤリーを迎えに行くのよ。
「クラスト辺境伯」
「なんだ、マリー。さっそく夜這いに来たのか?」
わたしが客間を訪れると、クラスト辺境伯が嫌味な感じに笑う。
部屋の中には、お目付役になる予定のふたりの男女がいたので、わたしは男の子のように「こんばんは!」と軽く会釈をした。
「女に無知な坊っちゃんたちと違って、俺の懐にはそう簡単には入れないぞ」
いちいち嫌味ったらしい男ね。
誰があんたなんかの懐に入りたいもんですか!
わたしはつんと顎を上げて言った。
「そんなことはどうでもよいのです。どうせわたしは、明日にはあなたの妻になる身ですもの、今さらご機嫌を取る必要はないでしょう?」
わたしはそう言うと、一瞬だけ『可憐な笑顔』を見せ、すぐに表情を消した。
すると、クラスト辺境伯が眉をひそめた。
「では、なんの用だ」
「クラスト辺境伯がヤウェン家に残す、お目付役のおふたりについてです」
「ああ、このエルクとダーナのことか? そうか、なるほどな。可憐なマリー殿は、今度はエルクのことが気に入ったというわけか。残念だが、この男に取り入ろうとしても……」
「そんなこともどうでもよいのです」
「……なんだと?」
「わたしが言いたいのは、ケリーとヤリーの面倒だけは見てやって欲しい、きちんと育てて、この家を出て行けるだけの教育をあの子たちに施して欲しい、そのお願いだけですわ」
「……ケリーとヤリー?」
「わたしの弟と妹ですわよ。もしかして、お聞きになっていないの? まったく、あのふたりはお金のことしか考えていないのだから……」
わたしはため息をついた。そして、クラスト辺境伯に訴える。
「わたしの下には、まだ幼いケリーとヤリーという双子の子どもたちがいて、わたしが育ててきたの。あの両親は自分のことしか考えていないので、使用人もいなくなった今では気をつけていないと食事さえもさせてもらえないんです。わたしがいないと、あの子たちがどうなるかと思うと心配で……どうぞ、あなたの妻となるわたしに免じて、これからあのふたりを健やかに育ててやってはもらえませんでしょうか。父や母と違って、利発で素直な良い子たちなんです。クラスト辺境伯、お願いします」
わたしは、できるだけ丁寧にお辞儀をして、クラスト辺境伯に頼んだ。
そして、エルクとダーナにも「お願いします」と頭を下げる。
仮にも貴族であるわたしが使用人に頭を下げたので、エルクもダーナもギョッとした顔になったけど、別にいいわ。
わたしは双子たちが飢えずに生きて行けるなら、頭くらい何度でも下げてやるんだから。
うちでは教育費さえろくに出してもらえなかったので、わたしはマナーについて充分に学べなかった。だから、学園に行ったら『自由で奔放で可憐な不思議なマリー』になってしまった。
でも、なりたくてなったわけじゃない。
わたしだって、シェリンダみたいにちゃんと家庭教師をつけてもらいたかった!
けれど、その分妙なプライドもない。
誰にでも同じように、平等に向き合うことができる。
わたしの言葉を聞いたクラスト辺境伯は、ものすごく変な顔になった。あまりに変な顔になったので、猛禽類のような鋭さがなくなってしまうほどだ。
そして彼は、しばらく黙って考えていた。
「……もしや、ヤウェン男爵夫妻は、俺が考えている以上におかしな人間なのか?」
「はい、クラスト辺境伯。雇い人はすべて逃げ出しました。中には我が家の財産をくすねて去った者もいます。でも、両親はなにも対策をせずにいて、遊んで暮らし、祖父母の財産をなくして残ったのはこの通り、借金ばかりですわ」
「そうか」
彼はまた少し考えてから「マリー、俺のことはフレッドと呼べ」と言った。
「お前が俺の妻として努力するならば、お前の弟妹の身の安全は保証しよう。エルクとダーナには、俺からよく命じておこう」
「よかったわ! ありがとうフレッド。あの子たちのことは、フレッドに任せるわね」
弟と妹の安全さえ確保できれば、わたしは旦那さまに好かれなくてもかまわないわ。
むしろ、お飾りの妻でもいいくらいだもんね。
そんなことを思ったわたしは、付け焼き刃のマナーなど無視して気楽に振る舞うことにした。
「エルクとダーナには、明日双子たちを紹介するわ。ふたりとも、可愛くてとってもいい子だから、きっと気にいると思うの。わたしのお誕生日には、歌を作って歌ってくれたのよ……ほら、プレゼントを買うお金がないから、わたしを喜ばそうといろいろ考えてくれたの。本当に優しくて良い子たちよ」
その言葉を聞いて、なぜかエルクとダーナは目を伏せた。ダーナの方は、なぜか目元を指で拭っている。
「それでは、今夜はこれで失礼するわね」
わたしは笑顔で手を振りながら、フレッド……クラスト辺境伯が滞在する客間のドアを開けて、もう一度「いろいろありがとうね、フレッド。エルクとダーナもまた明日ね。じゃあ、おやすみなさーい」と手を振ってから部屋を出た。
彼はなにも言わずに半ば口を開いたまま固まり、そんなわたしを見ていた。
その横では、フレッドの顔をチラッと見たエルクとダーナが身体を震わせていた。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
「なんだ、あの娘は? 評判とはだいぶ違うじゃないか……エルク、ダーナ、なにがそんなにおかしいんだ」
マリーが去ると、ふたりはヒーヒー言いながら身体を二つ折りにして、必死で笑いを堪えていた……いや、堪える努力をしていたが、実っていなかった。
「くそ、あの娘、只者ではないな!」
ふんふんと鼻息を荒くするクラストに、なんとか笑いを治めたエルクとダーナが言った。
「双子の子どもたちの件、了解いたしました。いやはや、たいしたお嬢さまでしたね」
「男爵夫妻の食事を抜いてでも、子どもたちはしっかりと育てていきますわ」
「そうしてくれ。俺は、あの礼儀知らずの妻を躾けなければならないからな。そこまでは手が回らん……おい」
「どっちが……躾けられるのか……」
「ものすごく……楽しみで……」
遠慮なく笑う部下たちを見て、クラスト辺境伯は「ふん!」と明後日の方を見たのであった。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
その正体は、
明るくたくましいおかん系お姉ちゃんでした。
双子にご飯を食べさせるためなら、
階段から飛び降りたり、
池に飛び込んでカッパ化したり、
なんでもやるんです。
あざといと言われて上等!
恵まれたお貴族さまから、もらえるものはむしり取ります!
そして、猛禽系男子のフレッド・クラスト辺境伯も、
マリーさんにかかっては……www