真夏のセーターボーイ
夕焼けが滲む大海原を独り占めできるなんて、それはそれは贅沢なことだろうなと思えた。だがそれ以上にまとまりつくような暑さが残りすぎていて駄目だった。海の向こう側からの風は未だに生ぬるい。こんなんではちっとも感傷に浸れない。
潮の匂いと共に不器用な鼻歌が聞こえてくる。顔をぐるりとさせると、6〜7才ごろの少年がテトラポッドの山に腰掛けて足をパタパタさせていた。
「ちょっ、危ないよ!」
お前がそれを言うか、と僕は自分の心にツッコミを入れつつも声を上げた。……よく見てみると、真夏日にしては奇妙な出で立ちであった。下は短パンだったが、上には厚ぼったい真っ赤な長袖のセーターを着て、ぶかぶかな袖先を持て余している。
これからだんだんと夕焼けが焦げてきて、夜になっていくだろう。こんな時間になぜ子どもが1人で……と当たり前な疑問がわいてくるものの、まずこれを聞かずにはいられなかった。
「そんな格好で暑くないの?」
「暑くないよ? ぼく寒かったもん」
「あ、そう…………」
しばらく気持ちいい風が吹いた。髪の毛とTシャツの裾を無抵抗にバタバタされながら、なんとなく僕は察した。まあ母親や祖母への土産話には悪くないネタだと思った。ありがちな話かもしれないが。
「にいちゃんも、海見にきたの?」
「うーん、まあね」
僕は向こう側を眺めたまま答えた。静かな波に響く、わんぱくな少年の声がひどく不釣り合いだ。
「じゃあさ、あのヒトデにのぼって見たほうがキレイに見えるよ! ゲンといっしょに見よ!」
恐らくテトラポッドのことだろう。別に危ないもクソもないしまあいいか。
ゴツゴツしたテトラポッドは僕の尻とは悪い意味で相性抜群だったが、まあそんなことはどうでもよくなるくらいに壮大な景色だった。隣のゲンとかいう少年は、微塵にも気にしていないのだろう。黙って風に吹かれながら、吸い込まれるようにして橙の海を見ている。
僕はなんとも大人げない質問をした。
「毎日毎日ずーっと海見てて飽きないの?」
「あきないよ。ゲンのパパとママはね、とってもいそがしくてなかなか……ヒーローショーもゆうえん地とかにもつれていってもらえなかったんだけど、ひさしぶりの休みにつれてきてくれたのがこの海なの。好きなだけおよいでいいんだよって言われた」
「そっか」
下調べで、ここは年中海開きなどしない海岸であることを知っていたし、風に煽られた短パンの裾から複数箇所のどす黒や紫の痕がちら見えして、僕はまあまあ気分が悪くなってきた。……一見大人用にも見える赤いニットは、最後に着せてやった中途半端なお情けなのか。クソが。
「可哀想に。ずっと寒かったね」
「え、にいちゃん泣いてる〜〜。どうしたの?」
思わず少年の身体を固く内包してしまった。触れているのかいないのか、真実がどこまで伝わっているのかはよく分からないが、即席の愛でもいいから目の前で与えなければと思った。今の立場の僕がこれをすることは、立派なエゴであり皮肉だと分かっていた。けれど、僕はそうせずにはいられなかったのだ。
「もう寒くないよ。だからゲン大じょうぶだよ。パパが着せてくれたこのセーターも着てるし」
身体を離すと、ゲンはニッカリ笑っている。脆い僕とは異なって、快活である。
「ここで待ってれば、パパとママがむかえにきてくれるんだ。だからゲン、ここで待ってるの」
ううん、と僕は俯きながら大きく首を横に振った。
「ねえなんで! どういうこと? なんで首よこにふるの! ねえまってーーーー」
だんだんと胸がいっぱいになり、星で黒くなりつつある海を背にして僕は立ち去った。声は遠くなってやがて聞こえなくなってしまった。
所詮、退場する僕には何もできないのだ。せめてその場で安い気休めを与えてあげる程のことしか。とりあえずあの海で死ぬのは止めておこうと思った。万が一次の場所でまた同じようなことが起こったら、その時になってからまた考える。