8 パトナムという世界
エキドナは身包みを剥がされ、俺と同じ牢屋に放り込まれた。
センテンスはニヤリと笑って「そこでその男と仲良くやっているのである」と吐き捨てると去っていった。
センテンスと護衛が去ったあと、牢屋には静寂が残される。
・・・いや、静寂は周りの囚人たちのささやく声によってすぐさま破られることとなった。
「隣の奴、上手くやったな。牢屋の中で女をあてがわれたぞ。」
「いいな。女だ。」
「ふん、これだから男どもは」
仲良くしろってそういうことなのか。40まで童貞を貫いていた俺にはこの手のことには免疫がなかった。
意識をした瞬間、心臓の鼓動が高鳴り、顔が真っ赤になるのを感じる。
エキドナは先ほど羽織っていた黒色のローブは脱がされて、短パンと薄手のシャツを着ているだけだった。
白いほっそりとした手足が俺の目に飛び込んでくる。
薄手のシャツの下には主張し過ぎないほどの胸が鎮座しているのが確認できる。
見てはいけない、と思いながらもついつい胸に視線がいってしまう。
「どうしたの。襲わないんですか?領主様のお墨付きですよ。」
俺の視線に気づいたのか、エキドナは俺を軽蔑するような視線を浴びせる。
その言葉に更に顔を赤くした俺はエキドナから顔を背ける。
エキドナはそれが予想外だったのか、「そう」と短く言うと壁を背もたれにしながら座り込む。
気まずい雰囲気が辺り一面を支配する。空気が重い。
俺は心臓の音を数えながら、必死に耐えていく。邪念を振り払おうと頬を叩き、壁の一点を凝視する。
「それで、貴方は本当に転生者なんですか?」
沈黙を破ったのはエキドナであった。
エキドナはいままで数多くの人や物を鑑定してきた鑑定のスペシャリストであった。
鑑定スキルはLv7まで上がっていた。もう少しで天才と呼ばれる領域に足を踏み入れるところまできていたのだ。
そんなエキドナにとって鑑定結果は疑いようのない事実ではあるのだが、それでも疑いたくなるほどにヒジリのステータスは低く、スキルは普通であった。
転生者の多くは高いステータスや特殊なスキル、職業により驚異的な力を発揮してきた。
彼らの多くは歴史に名を刻み、伝説を作ってきた。
それは政治、経済、文化すべての分野に及んでいたのである。
現在、世界最強の国家の1つである東の帝国エイジアの初代皇帝も転生者である。
彼はいくつもの小国を平定し、一代にして巨大な帝国の基礎を作り上げた英雄である。
神聖都市メルに現れた聖女も転生者である。
長きの戦争により多くのけが人で溢れていた都市に迷い込んだ彼女はその絶大な魔力により、一夜にしてけが人を治癒したと記録されている。
他にも史上初のS級冒険者、南の大陸の魔王、伝説の博打王と聖人、奇人、悪人問わず、多くの転移者がこの世界に影響を与えていた。
最もパトナムの人々が知りうる転生者は複数の試練を課せられ、エキストラスキルもしくは特異な職業を手に入れた一部の者たちだけであり、その他の凡庸な転生者たちはこの世界の危険から身を守るため、ひっそりと生活していたため、世間に知られることはなかっただけなのである。
エキドナやセンテンスがヒジリを執拗に疑うのはある意味もっともなことなのだ。
パトナムの人々にとって、転生者とは未知の力を持った脅威足りえる存在以外何者でもないのである。
当然のことながら、転生者を見つけ出す魔道具というものも開発されていた。
もっとも、その魔道具は転生者を見つけるものではなく、転生者のエキストラスキルに反応するものであった。
そのため、エキストラスキルを持たない転生者はその網の目から逃れることとなる。
エキストラスキル『道楽を極めし者』を所持するヒジリがセンテンスに捕獲されたのはそのためなのである。
「ねえ、どうなんですか?」
「ああ、俺は転生者だ。」
再度質問をしてきたエキドナに向かって俺は短く答えた。
すでに牢屋内で転生者であることは喋っている。
今更隠す必要がないからだ。
エキドナは俺の返答にやや不思議そうな顔をしていたが、すぐさま得心のいった表情となる。
「そう、『道楽を極めし者』ってスキルがエキストラスキルなんですね。」
「ああ」
俺はまたもや短く答える。
彼女の口から何か情報を引き出せるかと思い、会話は続けてはいるが、与える情報はなるべく少なくすべきであると判断したからだ。
「そのスキルってどんな能力なんですか?」
エキドナはまたもや聞いてくる。
これが興味本位の質問なのか裏でセンテンスの指示により聞いてきているのかは判らない。
これは心理戦だ。俺はそう判断した。
「どんな能力って、読んで字のごとくだな。道楽、つまり趣味が上手くなるってスキルだな。」
「それだけですか?」
「ああ、それだけだ。」
俺の説明に訝し気な表情をするエキドナだったが、それ以上は追及してこず、何やらいろいろと思案を始めてしまったため、ここで会話は中止となった。
◇
エキドナは20代前半といったところだろうか。
あれからずっと考え込んでいる。
真剣に考え込むその横顔はとてと凛々しく感じられた。
この何も無い牢屋に入れられてかなりの時間が経ったが、その横顔を眺めるだけで癒された。
・・・!?
おいおい、何を考えてるんだ?
彼女との年の差を考えると、彼女との関係がどうこうなると考えるのは非現実的だ。
実際、日本にいたときは新卒の衛生士の指導なども行っていたが、やましいことを感じたことは一度も無い。
周りからは枯れている揶揄されたりもしたのだが、30過ぎ辺りから性欲というものがめっきり減退していた気もする。
「枯れてる、と言われてもしかたないか」
俺は自嘲気味に呟く。
「ふふっ」
横でエキドナの笑い声が聞こえる。
何気ない一言であったのだが、その言葉はエキドナの耳にも届き、興味を持たせたらしい。
「ヒジリさんはどんな試練を課されたんです?」
エキドナの態度が少し軟化したのか親し気に聞いてきた。
センテンスも「試練を受けに来た転生者」と言っていた。
どうやらパントナの世界の人々には転生者=試練を受けに来た人という図式がなりたっているようだ。
それだけ、試練を受けに来る転生者というのは一般的なのだろう。
俺としてはエキドナがセンテンスの間者である可能性が捨てきれないので、極力情報を引き渡したくはなかった。
「あっ、ごめんなさい。別に無理に聞こうってわけじゃないです。試練はその本人の内面を映し出すんですよね。他人に知られたくはないですよね。」
俺が思考に時間を費やしていると、エキドナは言いよどんでいると勘違いしたようだ。慌てて謝ってくる。
確かにあいつは俺の資質をもとに試練を課すと言っていた。
そういう意味では試練は俺の内面を映し出しているといっても過言ではないだろう。
事実、童貞の罪って完全に俺が転生前に童貞であったことを物語っている。
「そうだな。確かに初対面の人に話すには憚られるような内容が含まれてるな。」
「そ、そうですよね。すみません。」
エキドナは申し訳なさそうに再び謝る。
しかし、この何気ない会話で、お互いの距離が少し近づいた気がする。
「あの、エキドナさん。俺はこの世界に来たばかりなんで、この世界について教えてもらっていいかな?」
「エキドナでいいですよ。この世界についてですか。別に構いませんが、ここに来られるまでに説明はなかったんですか?」
俺は首を傾げる。
あいつからもセオルグからもこの世界の説明はほとんどされていなかった。
あったのは「俺の世界で言うところの剣と魔法の世界である」ということと、スキルは自力で習得できるといったことだけであろうか。
・・・そういえば、「時間があれば」とかセオルグが言っていたな。
俺がスキル選びに無駄に時間を使ったため、この手の情報が聞けなかったのだろう。
「いいですか。この世界、パントナは神々が異世界からの転生者の試練の場として作られました。当然、この世界ある全てのものは転生者の試練のための道具です。そこには当然、私たちヒューマンも含まれます」
いきなりエキドナから伝えられた言葉に俺は息をのんだ。
道具って・・・。
それじゃあ、俺が童貞の罪の試練をクリアするためにエキドナを無理やり犯しても許されるってことか?
・・・いや、流石にそれは行き過ぎた考え方か。
危うくゲーム脳みたいな考え方をするところだった。
反省、反省。
「もちろん、私たちは転生者の奴隷というわけではありません。あくまで、場として作られたというだけで、私たちにも意思はありますし、この世界にも倫理や法はあります。私たちは転生者と持ちつ持たれつの関係を保つことでこの世界を発展させてきました。私たちは試練クリアの手助けをし、転生者はその知識や力でこの世界に貢献する、という形でです。」
そこまで言うと、エキドナの表情が少し固いものになった。
そこまで言われるとこの先の展開は聞かなくてもわかる。
どちらかが、利害関係を崩す行いを始めたのだろう。
いや、おそらくは両方が互いを一方的に利用し始めたといったところだろうか。
話を聞いた限りではこの世界の成り立ちは転生者側に非常に有利にできている。
圧倒的な力を持つ転生者側がより大きな利権を得て横暴になるのは火を見るより明らかである。
おそらく、文明が発達していなかった時代には転生者に歯向かう力もなかったため、泣き寝入りをしてきたが、対抗する力を持ち始めたため、転生者を排除しようとする存在が現れたといったところだろうか。
しかし、現実は俺の予想の上をいくものであった。
転生者の排除ではなく、一方的に利用しようとするものや、神々に反旗を翻すものまで出てきているとのことだった。
そのため、平和であったこの世界が再び戦乱とまではいかないが、乱れ始めているそうだ。
どうやら俺は時期の悪い時に転生したようだ。