2 クッキーとマドレーヌ
翌日、俺は応接室の掃除をしていた。
モンドがエキドナが「明日の昼にもう一度こちらに伺います。」と言って去ったのを思い出したからだ。
思い出したモンドは自信満々に胸を張っていたのだが、エキドナを無碍に追い払ったことを知ったダイアが激高したのは言うまでもなかった。
しこたまダイアに怒られ反省したモンドは一人建物の入り口で正座して、エキドナが来るのを今か今かと待っている。
ダイアは「ヒジリ様の命の恩人を迎えるのですから、精一杯おもてなししないといけませんね。お茶菓子の用意をします」と言って、台所に入っていった。
何やら気合を入れて、焼き菓子らしきものを作っているのだが、顔が笑っていなかった。
いや、どちらかというと、目の奥に憎悪の炎のようなものが燃え盛っていたような気がする。
まさか、モンドの愛人発言をダイアが真に受けたのだろうか?
いや、そんなことがあるはずが・・・ないことを祈ります。
◇
「御免下さい。」
正午少し前、女性の声が建物の入り口から聞こえてくる。
エキドナだ。
俺が急いで入り口に向かうと涙目で正座をしたままのモンドと作ったような笑みで出迎えるダイアを目撃する。
「エキドナ様ですね。昨日は弟のモンドが失礼いたしました。」
「いえ、お気にしないでください。」
静かに頭を下げるダイアだが、その印象は相手を観察している肉食獣のようであった。
それを察しているのかエキドナもピリピリしている。
「ヒジリさん、お久しぶりです。」
俺に気づいたエキドナが笑顔で挨拶をしてくる。
それが気に入らないのかダイアは少し顔を歪ませるが、すぐさま笑顔に戻るとモンドに応接室に案内するように指示を出す。
モンドは必死に立ち上がろうとするのだが、足が痺れているため立ち上がることすらできずに転げ落ちる。
それでも姉の指令を必死にこなそうとするモンドは流石だ。
「ダイア、罰はそれぐらいでいいだろう。」
俺はダイアを窘めると、エキドナを応接室に案内する。
ダイアはちょっと不貞腐れながらもすぐに機嫌を直し、お茶菓子を取りに台所に向かう。
モンドは足の痺れに悶絶しつつも、俺に「助かったよ、おじさん」とアイコンタクトを送ってきた。
◇
久しぶりに会ったエキドナは相変わらず綺麗であった。
以前と変わらず黒色のローブを身に纏い、お世辞にも着飾っているとは言い難いのだが、それでも惹かれるのは彼女の髪が原因だろう。
・・・俺は髪フェチではないぞ。
彼女の黒い髪はこの世界では非常に珍しいのだ。
そのため、彼女を見ていると前世の日本人を思い出すのである。
ついつい彼女の髪に見とれていると、彼女がニッコリ微笑んできたので慌てて顔を逸らしてしまう。
おそらく俺の顔は真っ赤になっていることだろう。
「ヒジリさん、連絡がないので心配をしていたんですよ。チップスさんとシードルさんからヒジリさんのお話を伺った時にはとってもビックリしましたよ。」
「す、すまない。こっちに来て、いろいろなことが急に起こったせいで連絡するのを忘れていた。」
「い、いえ、お元気そうでよかったです。」
エキドナがちょっと不貞腐れた表情で不満を言ってきたが、俺が素直に謝るとちょっと困ったような顔ではにかむ。
エキドナは誤魔化すように周囲を見渡すと大きなため息を吐く。
「それにしても、転生早々、もの凄い厄介ごとに巻き込まれましたね。これが転生者の業ってものなんでしょうか?」
「転生者の業って。いや、確かにいきなりユニークスライムと戦う羽目になったが・・・」
「いえ、それもそうですけど、ダイアちゃんとモンド君のことです。二人の処遇はフレデリカ様も頭を悩ませていた問題なんです。チップスさんは詳しく説明しなかったかもしれませんが、二人の父親はこの街の危機を救った英雄なんです。だから、この街の者たちはなんとか二人を助けたかったんですが、相手の貴族のこともありましたので、中々有効な手が打てなかったんです。」
「英雄!?」
「はい、20年前、街に持ち込まれた呪われた魔道具のため、この街は消滅の危機に瀕したんです。その時、たまたまこの街を訪れていた二人の父親、カーボンさんがその魔道具を封印することができて危機を脱することができたんだそうです。それに昨年の事故も・・・」
「昨年?」
「あっ、いえ、それは忘れてください。それよりも、例の貴族がヒジリさんに嫌がらせをしてくるかもしれませんが、ヒジリさんについては転生者ということで、フレデリカ様が全力でお守りするということですねので、ご安心ください。」
エキドナが慌てて話題を変えたため、それ以上は追及しなかったが、昨年というと、二人の父親と母親が魔道具開発の事故で死んだ時と一致する。
もしかしたら、二人の死と何か関係があるのかもしれない。
◇
ノックの音とともにダイアがモンドを引き連れて部屋に入ってきた。
ダイアはお茶とクッキーが載せられたトレーを持って自信満々の表情である。
モンドの方は足の痺れは回復したようだが、もはや精神的にも身体的にもボロボロの状態の用だ。
ダイアの後ろを力ない瞳で歩いてくる。
「粗茶ですが」
ダイアはそういってお茶とクッキーを置いていくが、その態度には謙るといったものは一切感じられなかった。
一方、クッキーを見たエキドナは何かを思い出したのか、脇に持っていた包みを机の上に置くと俺に差し出す。
「ヒジリさん。これ、お土産です。手作りでお口に合うかはわかりませんが・・・」
そういって出されたのはマドレーヌであった。
この世界でこれをマドレーヌと呼ぶのかは知らないが、明らかにマドレーヌである。
「あっ、美味しそう。」
ダイアの後ろに控えていたモンドが声を発する。
確かに、モンドの言う通り美味しそうなマドレーヌであった。
しかも、ほのかに甘い香りが鼻腔をくすぐり、食欲を大いに刺激してくる。
「それじゃあ、せっかくなんで一緒にいただこうか。」
俺の提案にモンドは喜んだのだが、ダイアは少し複雑そうな表情であったが、渡されたマドレーヌとクッキーをお皿に盛ると皆に配っていく。
お茶は安定の緑茶である。
「いただきます。」
モンドは躊躇なくエキドナの持ってきたマドレーヌを口に運ぶ。
それを見たエキドナがニッコリ微笑む。
一方のダイアは弟の裏切り行為に目を細める。
奇しくも、この場がダイアとエキドナの料理対決の場となりつつあった。
俺がお皿のお菓子に手を伸ばそうとすると、ダイアとエキドナの視線が俺に注目する。
こ、これは、もしかしてどちらを選ぶかで後に発生するイベントが変わってくるのであろうか?
そうだというなら、プレッシャーである。
・・・・・・考えすぎか。
俺はモンドがマドレーヌを先に食べたので、クッキーに手を伸ばす。
ダイアの表情がパッと明るくなる。
エキドナは・・・特に変わっていないな。
俺はクッキーを口の中に放り込み何度か咀嚼するのだが・・・?
味が薄い?
決してまずくはないのだが、なんとも微妙だ。
感想を述べるのになんとも困る味なのだが、ダイアは今か今かと目をキラキラさせて待っている。
なんて言おう。
「おじさん。無理しなくていいよ。姉ちゃんの作るクッキーはいつも何か味がないんだよね。」
モンドがしみじみとした表情で言ってくる。
どうやらこの味はいつも通りの味のようだ。
不評をされたダイアがキッと睨みつけるとモンドはビクッと体を震わせて目を伏せる。
「ダイア、決してまずくはないぞ。そうだな・・・。うん、独創的な味だな。」
俺はモンドをフォローするように味の批評をする。
独創的な味、便利の良い言葉だ。
食レポをしていた芸能人が「美味しくないお店の食事を食べた時に使う」と言っていた言葉だ。
ダイアは美味しいといってもらいたかったのか、ちょっと不満そうにしているが、モンドのように否定的に言われなかったので、文句は言ってこなかった。
その後、ダイアが自分が作ったクッキーとエキドナが作ったマドレーヌを食べ比べ、「負けた」と膝をついて屈するという一幕があったりもしたが、総じて、何事もなくエキドナの訪問というイベントは終わるのであった。




