29 ダイア、倒れる
「おじさん。大変だよ。」
数日後、血相を変えたモンドがオレガノ商会の2階で朝食をとっていた俺の元に駆け込んできた。
今までモンドやダイアがここを訪ねてきたことはなかった。
俺が朝にギルドを訪ねていたせいもあるが、二人が他の大人を信用しきれていなかったせいもあったのだろう。
そんなモンドがバジルやタイムがいるのも構わずに俺に助けを求めてきたのだった。
『緊急事態だ』
俺の頭の中に警鐘を鳴り響いた。
「モンド、どうしたんだ?」
「姉ちゃんが倒れたんだ。すごい熱で、どうしていいか分からないんだ。」
食事中ではあったが、俺はバジルに断りを入れると食事を中断し、急いでギルドに向かう。
タイムの「ちょっと待ってください。この料理、どうするんですか?」といった声が聞こえた気がしたが、無視した。
「タイム、頑張れ」と俺は心の中で祈ることしかできなかった。
◇
ギルドに到着すると急いでダイアの部屋に向かう。
ダイアはベッドに横たわっていた。
全身が寝汗でビショビショになり、息は荒く、熱があるのか顔は赤くなっていた。
一目見ただけでも、病気であるのが見て取れる。
「モンド。俺以外に頼れる大人はいないのか?できれば女性がいいんだが?」
俺がモンドに尋ねると、モンドが嫌そうな表情をして下を向く。
いるにはいるが、できれば頼りたくないといったところだろうか?
俺は前世で歯科医であったため、少しは医学の心得はある。
ただ、ここは異世界である。
前世の知識が通じるとは限らない。
この世界の常識を知っている大人がいた方がよいのは間違いない。
それに、ダイアは女の子だ。
如何に懐かれているとはいえ、男の俺が看護するのは憚られる。
「おい、モンド。ぼさっとするな。ダイアが死んでもいいのか?」
俺が強い言葉を発すると、モンドはキッと唇をに閉じると外に駆けていく。
当てがあるのだろう。
モンドが誰かを連れてくる間に俺はダイアの診察をすることにする。
「脈は少し早いな。血圧は普通か?熱はある。・・・扁桃腺も腫れてるな。呼吸は荒いが喘鳴ではないな。」
おそらく風邪による高熱が原因で倒れたのではないかと思われるが、確信はもてない。
大学時代に内科学の授業も受けてはいるが、基本的なことだけだ。
詳しいことはわからない。
それに、この病気がこの世界特有の物であったのなら、俺にはどうしようもない。
「あ、あれ。ヒジリ様?どうして」
ダイアの弱々しい声が聞こえてくる。
ダイアが目を覚ましたのだ。
熱にうなされ、意識が混濁とした状況なのか、目の焦点がうまく合っていない。
虚ろな表情でしばらくの間、口をわずかに動かしたのだが、すぐさま意識を失う。
モンドが用意していたのか、ダイアのベッドの脇にはタオルが何枚も置かれていた。
俺はその一枚を手に取ると、顔や首筋などの汗を拭きとる。
本当は全身の汗を拭きとり清潔にした後、体温を下げ、抗生剤を服用させた方がよいのだが、今の俺にはできることはなかった。
いや、全身の汗を拭きとることはできないことはないが、帰ってきたモンドに見られた瞬間、世間的に死んでしまうので実質不可能だ。
抗生剤ももちろんこの世界には存在しない。
この世界で病気にかかると自力で治すのが一般的だそうだ。
調剤師の薬も効果があるらしいのだが、非常に高価なもので一般の人には手がでないものらしい。
俺は調剤のスキルを持ってはいるが、レシピが分からない為、その薬を作ることは不可能だった。
なんとも口惜しいものだ。
となると、体温を下げるために氷か何かがあると嬉しいのだが、中世ヨーロッパの文化レベルであるこの世界には当然、冷凍庫というものは存在しないそうだ。
初代ギルド長が冷蔵庫は開発したらしいのだが、冷凍庫の開発は何らかの理由で断念しているらしい。
もっとも、冷蔵庫も非常に高価な魔道具で一般の人では手の届かないものではあるのだが・・・。
「くそ、何かできることがないのか」
俺は自分の力の無さを呪った。
これなら、もっと役に立ちそうなエキストラスキルを貰ってきておけばよかった。
せめて、氷を作ることができれば・・・・・・。
そう願った時、俺の頭の中に一つの言葉が響き渡った。
なぜ、頭の中に言葉が響き渡ったのかは分からなかったが、その言葉の意味はすぐに理解できた。
「氷生成」
俺は生活魔法の氷生成を唱えると手の平にこぶし大の氷が一つ生成された。
俺は一人頷くと、工房に急いでいくと皮の袋を3つ持ってくる。
その中に氷を砕いて入れると急いで詰める。
こうしてできた3つの氷嚢を両脇の下と股の間に置く。
効率よく冷やすにはこの3ヶ所が一番良いのだ。
しばらくすると、熱が下がったのかダイアの呼吸が少しだが、和らいできた。
先ほどまでは胸を大きく上下に動かしていたのだが、それもなくなった。
だが、それでもまだまだきつそうだ。
熱のせいで、体力の消耗が激しいためだろう。
もっとも、峠は過ぎたといっても過言ではない。
ダイアの体調が良くなったため、俺にも少し余裕が生まれてきたのだろう。
俺は周囲を見渡して、あることに気が付いた。
この部屋には窓がないのだ。
隠れ住んでいたダイアがわざわざ窓のない部屋を選んでいたのかもしれない。
俺は部屋の外にあった、一番近い窓を開けると、換気のために生活魔法を唱える。
「送風」
緩やかに風が循環していき、淀んだ空気を新鮮な物に置き換えていく。
それと同時に俺のMPがゴリゴリと削られていく。
この世界に来て約1ヶ月。
正確な数値は分らないが、少しはLvアップしたおかげで、MPの最大値も15から上がってはいたのだが、それでも限界にきていた。
早くモンドは帰ってこないだろうか?
そう思っていると、玄関からモンドの声が聞こえた。
「こっちだよ、いそいで。」
ドタドタと走る音が聞こえたのちに、モンドが部屋に飛び込んできた。
そして、その後ろを優雅な足取りでやって来たのはシードルであった。
そう、モンドが苦手としていた冒険者ギルドのお嬢様系巨乳受付嬢のシードルだ。
◇
部屋に入ったシードルはすぐさまダイアの顔を覗き込むと「あらっ?」とした顔をする。
そいて周囲をぐるっと見渡した後、俺の顔を見ると優雅にお辞儀をする。
「ヒジリさん。お久しぶりです。」
「ああ、確かシードルさんだったよな。あなたが来るとは思わなかったよ。」
「あら、私はこの子たちのことをすごく可愛がっているんですよ。」
シードルは満面の笑みでそう宣言する横で、モンドが嫌そうな顔をするが、姉の命が掛かっているため、今日は何も言っていかない。
流石に、状況を理解しているのだろう。
「まあいい。シードルさん。よかったら、この子を診てやってくれないか?俺の見立てではただの風邪なんだが俺はこの辺の病気には詳しくないんだ。とりあえず、熱を下げるために氷で脇と股下を冷やしている。」
俺がそこまで言ったとき、遂には俺のMPは限界に来た。
送風が解除され、俺はぐったり崩れ落ちる。
いきなり崩れ落ちた俺に驚いたモンドが慌てて近づこうとするが、シードルがモンドの手を取って引き留める。
「どうやら病気ではなく、魔法の使い過ぎによる眩暈みたいですね。」
俺をじっと見ていたシードルは安心したのかフッと息を吐くとモンドの手を放す。
モンドは慌てて俺の傍までやってくるとシードルを睨みつける。
シードルは俺に病気がうつるのを危惧しての行為だったが、モンドには分からなかったのだろう。
俺はモンドの頭を撫でて落ち着かせると、あとで誤解を解いておこう心の中で思った。
今は、少しでも休みたい。
それに・・・・・・。
俺の目線の先には少し落ち着いたとは言え、疲れ切って横たわっているダイアとそれを観察するシードルがいた。
「・・・・・・。ええ、ヒジリさんの言う通りみたいですね。確かに単なる風邪ですね。これなら、すぐに良くなると思いますよ。」
シードルは俺たちの方を向くとニッコリ微笑んだ。
尚も心配そうにするモンドではあったが、それは仕方のないことであった。
「シードルさん。よければ、彼女の看護をお願いしてもいいですか?」
「・・・そうですね。本当は私も忙しい身なのでお断りしたいのですが、このメンバーだと私がするのが一番よさそうですね。」
シードルは俺とモンドを交互に眺めるとそう呟いた。
モンドは不満だったらしく、文句を言ったのだが、「では、あなたかヒジリさんが彼女の体を拭いてあげるんですか?」と尋ねるとすべてを理解したらしく、顔をブンブンと横に振って断るのだった。




