10 街からの脱出
「いくぞ」
ローランの号令の下、俺たちは外に向かって走り出した。
先導するローラン、一番役に立たない俺、殿のエキドナの順である。
他の牢屋からいろいろと声が聞こえてきた気がするが、すべて無視した。
先ほどの会話は聞いた限りでは、ここに捕まっていた囚人の大半は無実っぽかった。
しかし、今の俺にはそれを判断するすべはないのである。
機会があれば助けるとしよう。
俺はそう心に誓うと外に向かって走り続けるのであった。
牢屋の兵士詰め所では数人の牢番が仲良く眠りについていた。
職務怠慢もいいところである。
「こいつらは俺が眠り薬で眠らせたんだ。エキドナ、お前の荷物はそこ辺りだ。」
ロラーンが指さした先は荷物でごった返していた。
エキドナは慌ててそれに近づくと荷物を漁りだした。
いろいろなものがごったまぜになっている。
何かの書類、空き瓶、空き箱、カビの付いたパンなどいろいろなものが出てくる。
エキドナは顔をしかめながらゴミをかき分けていく。
そして、何かを見つけたのか嬉しそうにそれを取り出す。
それは先ほどセンテンスが取り上げたエキドナのローブであった。
あの胸元に金の糸で刺繍をされたローブである。
エキドナはローブの汚れを叩くと、急いでローブを羽織る。
その瞬間、悪臭がしたのか顔をしかめるが、我慢するように顔を横に振るとローランに目配せする。
ローランは静かに頷くと、おそらくこの牢屋の出口であろう扉にピタリと張り付くと外の様子を探ろうと聞き耳を立てる。
「よし。外に人はいないみたいだな。エキドナ、この扉を出たらすぐに魔道具を起動させろ。」
「ええ」
「おい、転生者。魔道具の効果範囲は使用者と使用者に触れている人物だけだ。不本意だがエキドナから離れるなよ。」
ローランからすごい目で睨みつけられながら注意を受ける。
置いていかれるわけにもいかない為、俺はエキドナが羽織ったローブの端を無言で握る。
エキドナはちょっと苦笑しつつも何も言わなかった。
ローランは渋い顔をしつつもそっと扉を開けると勢いよく外に飛び出した。
俺とエキドナもそれに続く。
エキドナはすぐに魔道具を起動しようとして、事態に気が付く。
俺たちは囲まれていた。
作戦はばれていたのだ。
「うひょひょひょひょ。吾輩の裏をかこうなど百年早いのである。」
いつもの奇声を発しながらニヤついた表情のセンテンスが取り巻きの騎士3名を引き連れて待っていたのだった。
「エキドナ、ぐずぐずするな。」
ローランはそういうと取り巻きの騎士たちに飛び掛かる。
あっという間に一人を殴り倒すと次の一人に向かっていく。
エキドナはローランに言われるまでもなく魔道具を起動していた。
俺はすぐさまエキドナの傍に控える。
「うひょー。その魔道具はなんであるか?」
魔道具に気が付いたセンテンスが奇妙な動きをしながら迫ってくる。
そして、両手を顔の位置にあげた状態で拳を開け閉めしながら飛び掛かってきた。
漫画に出てくる変態の動作だ。
ローランは最後の騎士を殴り飛ばしていて近くにはいない。
このままではエキドナが危ない、と思った瞬間、俺の体は勝手に動いていた。
エキドナの前に立ちはだかるとセンテンスの飛び掛かりをその身に受けていた。
「何やってるんだ」
ローランが慌ててこちらに走ってくるのが見える。
俺は必死にセンテンスを引きはがそうとするが、予想以上の力強さで俺にしがみついてくる。
「あと10秒」
エキドナの声が響く。
このままではやばい。
そう思った俺は思いもよらない行動を起こしていた。
センテンスの頭を鷲掴みにすると一言呟いた。
「着火」
その瞬間、センテンスの頭髪が見事に燃え上がった。
生活魔法の火を付ける魔法である。
先ほどは失敗した魔法であったが、今回は見事に成功した。
人生初の魔法である。
薪などに火を付ける生活魔法ということもあり、それほど火力のある魔法ではないらしいのだが、なぜかセンテンスの頭はボウボウと燃え上がっていた。
整髪料に良質な油でも使っていたのかもしれない。
まあ、そんなことはどうでもよい。
「ふひょーーーーー」
センテンスは奇妙な叫び声をあげると俺のことを気にもせず、どこかに走り去ってしまう。
もはや、センテンスの頭の中には俺たちを捕らえるということは片隅にも存在していなかった。
俺は呆気にとられ、その場に座り込む。
「おい、ボーとするな」
背後からローランの慌てた声がして振り向くと、右手を差し出し突っ込んできた。
俺が慌ててローランの手を取った瞬間、俺たちの体は光の中に消え去るのだった。
◇
気が付くと俺たちは草むらの上にいた。
目前には巨大な壁がそびえたっている。
俺はその巨大な壁に目を奪われる。
この街に連れてこられた時も目にしたのだが、こうしてじっくり見てみるとその巨大さに
「どうやらうまくいったようだな。」
「ええ、それにしてもヒジリさん、腕は大丈夫ですか?」
エキドナに指摘され、俺は腕の痛みに気づく。
俺の右手は焼け焦げていた。
先ほどセンテンスの頭を燃やしたときに俺の手も一緒に燃えていたのだ。
俺が痛がりだすと、エキドナは笑いながら俺の手に何やら液体を振りかける。
すると焼きただれていた皮膚があっという間に治癒する。
「こ、これは?」
「回復用のポーションです。ローランがいくつか用意してくれていたの。」
俺は先ほどまで焼きただれていた右手を呆然と見つめる。
ポーションか。すごい効果だ。
歯科医師とはいえ、医療に携わっていた身としては、この回復力には目を奪われた。
調剤というスキルはその名前からして各種のポーション作成のスキルだと考える。
今後の楽しみができたかと思うと俺は自然と笑みがこぼれた。
「おい、急いでここを離れるぞ。すぐに乗れ。」
声のした方に振り向くとローランが馬車の御者台に座って、俺たちを睨んでいた。
いい加減にしろ、と目で訴えてきている。
俺とエキドナは慌てて荷台に飛び乗る。
用意された馬車は一頭立ての幌馬車であった。
荷台にはいくつもの木箱や樽が置いてあり、輸送用の馬車にカモフラージュされていた。
積み荷は麦、酒、油など食料品が積み込まれていた。
ローランは俺たちが乗ったのを確認するとすぐに場所を出発させた。
領主の頭が炎上したことからセンテンスの側は混乱していた。
それがなければすでに追手が来ていたかもしれない。
センテンスに見つかったのは誤算であったが、俺がセンテンスの頭を炎上させたのも相手にとって誤算であったのだろう。
如何に追手が弱卒であるソウヤンの兵士であっても面倒であることには違いなかった。
ローランなら容易く倒すことは可能だろうが、俺には無理だ。
そしてローランが如何に強くても数で攻められるとどうなるか分かるものではない。
初めの内は追手が来ないかと緊迫した雰囲気が荷台を支配していたが、しばらくして追手の心配がないとわかると、空気が一気に弛緩した。
そして、エキドナのローブが臭っているのが気になってくる
それはエキドナも同様であったようだ。
羽織っていたローブを脱ぐと綺麗にたたみ、離れたところに置く。
ローブを見るエキドナの目はとても悲しそうであった。
「あっ!?」
俺はあることを思い出し、エキドナにローブを受け取ると手をかざして意識を集中する。
「洗浄」
そう、衣服を綺麗にする生活魔法である。
ファイアの時よりも魔力をごっそり抜かれていく感覚はあるが見る見るうちに汚れが落ちていく。
俺の魔力が尽きる時にはローブから悪臭は漂ってこなくなっていた。
「便利な魔法ですね。パトナムの人々は『生活魔法を使えない』といって、習得する人は少ないんですが、考えを改めるべきかもしれませんね。」
「そうなのか?」
「ええ、火を付けたり水を生み出したりする魔道が普及していますので。清掃も知られてはいますが、私が知っているより効果が高いですね。転生者特典でしょうか?」
「いや、そんな話はなかったけど。」
「だとしたらヒジリさんが特殊な使い方をしているのかもしれませんね。」
「特殊な使い方?」
「はい、同じ魔法やスキルでも人によって効果が違う場合があるんです。それは人によって微妙に使い方が違うからなんです。だから、それを研究することで効果が微量ですが増したりするんです。ヒジリさんの清掃も何か私たちとはやり方が違うのかもしれません。」
「そうなんだ。」
「見た感じヒジリさんの魔力が尽きかけているので、魔力を過剰に供給したせいかもしれないですね。」
「過剰供給?」
「はい、例えば、MPを5必要な魔法に倍の10使用すると効果が2割程アップすると言われてるんです。」
「倍で2割か。全然割に合わないな。」
「ええ、ですがMPが大量にある方もいらっしゃいますので倍どころか10倍消費して別の魔法にしてしまうなんてのもあるそうです。」
「・・・でも、俺のMPはたった15だぞ。鑑定で見ただろ」
「そ、そういえばそうでしたね。うっかりしてました。」
エキドナは誤魔化すように舌を出すとニッコリ笑う。
俺も自然に笑みをこぼす。
女性とのこのような応対はここしばらくなかったことだ。
エキドナとの初対面は取り調べの席でのことだったため、クールで寄り付き難い、という印象であった。
ところが実際に話してみると、確かに知的でクールな面もなくはないが、笑顔は素敵だし、傍にいて暖かい気持ちになった。
ヒジリはこの時、エキドナに恋心を抱きつつあったのだが、40年間童貞どころか彼女もいない、恋愛初心者のヒジリにはそれが恋心であると気づくことはなかったのである。




