関わりたくない来訪者②
炊飯器の中も冷蔵庫の中も綺麗に片付いた。散らかったままなのはシンクに置かれたままの皿の山。余程、空腹だったのかアヤメの胃袋は凛の家にあった食料のほとんどを飲み込んでしまった。
「いやーー! 満腹満腹! 持つべきものは優しい友達だわ!」
空腹を満たされご機嫌なアヤメが笑う。空の冷蔵庫と薄い財布を見比べた凛も乾いた声で笑う。同じ笑い声でも一方は南国のような陽気でもう一方は北国のような極寒。二人の笑い声にはそれくらいの温度差があった。
悩むのは止めようと財布を置いた凛はソファーでゴロゴロと寛ぐアヤメの側に座る。風呂に入って清潔感を取り戻し凛の服を着ているアヤメは可愛い。凛が思い出したのは昔のアヤメだ。毎日のように告白され、町へ出ればナンパの嵐。同性の凛ですら嫉妬なんてチッポケな感情よりも先に目を奪われてしまうほど絶世の美少女だった。そう、¨だった¨のだ。
炎のように熱い愛を語った男も、彼女に憧れた女子も、彼女のおこぼれにあやかろうとした女狐も皆、アヤメから離れていった。
それはアヤメが『縁切り神』になったあの日から――。
どんどん孤独の闇に転げ落ちていくアヤメを見て、みんな勝手な生き物なんだと凛は気づかされた。『縁切り神』という汚れ仕事に就いただけで、それだけのことで手のひらを返すのだから。
ソファーの上でゴロゴロ転がるアヤメが大きく伸びをしてボヤく。
「あーーあ、やっぱり縁切り神になんかなるんじゃなかったー!」
「なぁに、そんな信仰を得られてないの?」
「もう全然よ! 全然! 誰も彼も社に来て『あの人と縁切って』ってお願いしてくれないのよ?」
「良いことじゃない! 人の皆が、恨み辛みなしで生きてるってことの証明でしょ?」
「何言ってるの! 信仰は私達、神にとってお金のようなもの! 信仰がなければご飯を食べることだってできない。私の仕事が¨縁切り¨から¨空腹と戦う¨ことになってるのよ!」
「それはそうだけど、神の本懐は人間達の生活の手助けでしょ?」
「知らない! 人間達のことなんかどーーーーーでもいい!」
「もう、素直じゃないんだから……」
クッションに顔を埋め、アヤメが不貞腐れた。暫くの間、沈黙が続く。時計の針だけが静かに時を刻み、進む。
「………………決めた!」
アヤメがソファーから勢いよく起き上がった。
「決めたってなにを?」
「私、縁切り神を廃業する!」
「は、廃業! 廃業してどうするの! 売れない神からただのニートになるだけよ?」
「そんなこと分かっているわ! だから、大人気の『縁結びの神』になるのよ」
「なるのよ……って――」
凛の大きく開いた口が金魚のようにパクパク動く。確かに一人でいくつも司る神だっている。だから無理ではない。けれどそれには――。
「いやいやいやいや! アヤメちゃん縁結びの適正あったっけ?」
「神界学校の適正判断では¨D-¨の評価だったわ!」
「最低評価じゃないの! 縁結びはやめて他にしなよ? 何かないの? 適正の高かったの」
「そうね……縁切り以外だと、¨貧乏神¨¨疫病神¨¨祟り神¨くらいが¨S+¨だったかな?」
凛が大きく息を吸う。淑やかな彼女が荒ぶり叫ぶべく。
「ダメじゃん! 全然ダメじゃん! アヤメちゃんの天職は縁結びとはほど遠いとこにあるよ!!」
「最低評価でもなれないわけじゃないでしょ?」
「そうだけど……」
「じゃ、早速高天ヶ原にジョブチェンジの申請してくるから! あ! 電車賃も借りてくよー!」
「ジョブチェンジって、そんなRPGみたく……」
アヤメが凛の財布からお金を抜きとりポケットにしまった。高天ヶ原に向かうアヤメの背中を凛が呼び止める。
「借りるってアヤメちゃん一回も返してくれたことない……じゃなくて! 人生に関わることなんだからゲームみたく軽々しく決めないで! それに適正のない職業に就くには……って」
凛の呼び掛けもむなしく、扉の閉まる音が部屋に届いた。アヤメの奔放さに凛は拳を震わせ、ソファーの上のクッションを掴むとアヤメの消えた扉に向かって勢いよく投げつける。
「もーーーぅ! 人の話はちゃんと聞きなさぁい!」