獣の最後
一方、セールとベスティアは互いに一歩も引かない状態で戦っていた。ベスティアは本来の作戦通り三方向に部下を襲わせて確実に始末するはずだったのに邪魔が入ってそれが出来なかったことに苛立っていた。しかも、餌風情に手こずっているのか未だに1人も来ない。セールはベスティアとの交戦の隙間にルーカス達が獣人族を全員倒したのをチラリと横目で確認するとベスティアに話しかけた。
「さてと。形勢逆転って奴だね。どうする?」
「何?」
そう言われてベスティアは一瞬怪訝な表情を浮かべるが、すぐにセール同様周囲を確認した。すると、さっきまで苛立っていたはずのベスティアの顔からは表情が消え、もう何も表情は浮かんでいなかった。怒りも動揺も無い。唯、口元に不気味な笑みを浮かべている。ルーカス達は空気が変わったことを敏感に感じて身構える。ベスティアは少しオーバーなリアクションで左手を顔に当てて笑い声を上げた。
「グルルルルル、怒りを通り越すと笑えてくるもんなんだな。もうこの際だ、裏切り者の息子だとかそんなもんはどうでもいい。獣人族である俺達を圧倒する強い存在がいるんだ。厄介だし怖え。だがなぁ……仮にも俺は獣人族のボス。部下共をぶっ殺されて尻尾巻いて逃げるつもりはねえ。だから、ここで本気でお前らをぶっ殺す。そんでお前らの腹ワタを食ってやんよ。覚悟しな」
ベスティアはそう言うと唸り声を上げた。すると、ベスティアの身体に異変が生じた。眼は真紅に染まり、人型だった肉体はベキッ、ゴキッと嫌な音を立てながら大型の紺色の狼の形へと変わっていったのだ。
「……あれってセールが使ったのと同じ奴じゃない!」
チナミが思わず叫んだ。
「グルラァァァァッァァァ!!!」
大きな唸り声を上げるとベスティアは姿を消した。そして、次の瞬間セールは強い衝撃と共に吹っ飛ばされた。吹っ飛んだセールはすぐに近くに植えてあった低木を操って生い茂った葉で自分を受け止めてもらう。
「クッ! やはりあいつらも『獣化』が出来るのか」
獣化とはその名の通り、自分の肉体を獣の姿へと変化する能力のことである。獣化を使うと身体能力だけでなく知覚能力も格段に上昇し、他の能力の性能も飛躍的に向上するというものだ。
セールはすぐに自身も獣化した。相手が獣化した以上、自分も獣化で対抗しないと勝ち目が薄いからだ。眼は紅く、身体は髪と同じ青い牡鹿の姿へと変化していく。セールは自分の頭が澄み渡っていき、身体に力が湧いてくるのを感じた。
流石のベスティアもこれには驚愕の声を洩らした。
「奴も獣化を…… 流石はアイツの息子といったところ……か」
セールは知らなかったことだが、実は獣化というものは獣人族なら誰でも使えるというわけではない。もし使えていたのなら、ルーカス達と戦っていた獣人族達も獣化を使って戦ったはずだ。
獣化は肉体を獣に変化し、全ての能力を底上げさせる。だが、使おうとしても大抵の獣人族では制御出来ない。無理に使おうとして理性を失ってしまった者も多い。
実際、獣化を使いこなせる者が獣人族のボスになれるとされている程でベスティアも獣化が使えるからボスになったのだ。だから簡単には使える者はごく僅かなのである。
セールの足元に金色の光が走る。すると、水に波紋が広がっていくが如く植物が生い茂っていった。そして、その植物がベスティアの脚に絡ませて身動きを封じる。だが、ベスティアはあっさりそれから抜け出すとセールに向かって鋭い牙を剥く。
セールはその攻撃をギリギリで躱しながら、自身の角を金色に輝かせてベスティアの腹に角を突いた。ベスティアは思わぬカウンターによろりと倒れそうになるがなんとか堪え、反撃に移ろうと牙を剥き出しにして唸り声を上げる。
「グルルラァァァァァッーーーガハァッッッ!?」
突如ベスティアは呻き声を上げて苦しみ始めた。転がったり、何度も頭を打ち付けたりしている。辰姫は突然の奇行に一体どうしたのかとベスティアをよく見てみると、その謎が解けた。
さっき角の攻撃を受けた所からベスティアの身体が徐々に別の物質に変わり始めているのだ。ベスティアは苦痛に顔を歪ませながらのたうち回る。だが、そうこうしている間に無情にもミシッバキッという音と共に紺色だった毛並みがゴツゴツとした薄茶色の木の質感へと変化を遂げているのだ。ベスティアの身体はそれはもう凄まじいスピードで木へと変化していく。既に攻撃を受けた箇所から下半身は木のそれと大差ない状態になり、両方の後脚からは根が血管のように地面に埋まっていく。
悶え苦しんだベスティアは叫ぶことはなかった。もう痛み等を感じていないのだろう。焦点の定まっていない眼でセールに憎しみの感情をこれでもかとぶつけながら、最期に小さく口を動かした。
「こ……の………化け………物………………が」
そう言うとベスティアは目を閉じる。やがて目の部分は木の皺に、口は大きな穴に、耳は太い枝に、身体を中心にあちこちから枝が生え、ベスティアの肉体は不格好な形をした木の姿へと完全に変化を遂げた。
こうして、セールと獣人族の因縁は幕を閉じた。