もう1体の駒
「ク、クラウドさん………? どうしてここに……?」
チナミは動揺して思わずそう尋ねる。他の者達も同様だ。無理もない。ここがマージンの最上階に位置する司政官の執務室だとしたら、何故べータ区画のシェルターにいるはずの彼がここにいるのか。そして、何故彼の服や身体には赤い液体がベッタリと付いているのか。
最悪の推測が頭を過ぎる。有り得ない、信じたくないと思っていても今まで見たことのない無表情な彼の顔を見ているとその可能性が強くなる。
「…………なるほどな。やっぱりアンタらはグルだったってことか」
ルーカスは腕を組みながら言った。レジスタンスのメンバー全員が信じたくない、認めたくない事実を。
「ふむ、君は随分と落ち着いているね。特に動揺も無いようだ。驚いていないのかい?」
「まぁな。そもそも俺は他の奴らと違って誰も根っから完全に信用しちゃいないんだ。それにアンタは不審な点が多かったからな」
「ほぉ。参考までに聞かせてもらっても良いかな?」
ルーカスは頭をガシガシと描きながら心底面倒臭そうに答えた。
「本格的に違和感を覚えたのはディブロップメントでアンタがキョウヤの分身にやられた時だ。抵抗していたとか言っていた割には身体の損傷が少なかったからな。それに、あの時はインクに塗れていたから気付きにくかったがお前から流れていた血は…………」
そのルーカスの言葉をクラウドが遮った。
「なんとまぁ………君の推測は概ね正解だよ。しかし…………」
「グルというノは大キな誤りガあるネぇ」
キョウヤはクラウドの肩に手を置いて彼の言葉を継いだ。
「誤り……ですって…………?」
チナミが思わず尋ねると、次の瞬間目を見開いた。
クラウドの目や鼻、耳や口といった身体のあちこちから真っ黒なインクが溢れ出てきたからだ。そして、そのインクはキョウヤの身体に吸収されて1つになっていく。それと比例するようにクラウドの顔はみるみる内に血の気を引いていく。
「私は1人ダよ。最初カラナーーーーー」
クラウドはキョウヤのようなノイズの走った声で一言そう言うと、糸が切れた操り人形の如くドサリと倒れてしまった。そして、その身体はもう2度と起き上がることはない。唯の物言わぬ死体になってしまったのだ。
「な! まさか………クラウドさんは」
「ソウ。クラウドはワタシ自身ダよ。正確二は血ノ代ワリにインクで生きテいる人間ソっくり二身体を動かセル死体の人形だケどね」
「それじゃあ…… まさかアタシ達をゲームのためにここまで誘導したのもクラウドさんじゃなくて自分自身………レジスタンスを作り上げたこともアナタ自身だって言うの!?」
「クカカカ、各地にいる反逆者共を集メて一掃スるタめ、ソしてコノゲームヲ盛り上げルためトハイえ、ナカなか良いシナリオダッタダろう? キミタチがココに来た時点デ既にレジスタンスという組織はモウ必要なくナッタんダ。だから、クラウドを始め、ホカノ控えを始末シたんだヨ」
キョウヤはそう言うと、インクの身体から1つの首を取り出した。女性の首だ。目は閉じられていてもう2度と開くことはない。そして、その顔は辰姫もよく知っている人だった。
「そんな……ナタリーさん!」
キョウヤはナタリーの首をポイと足下に放り捨てると、
「そウいえバ、元々ハコノ女がオベロンを作ったンダヨナァ……… ならバこの現状ヲ作った償いをシテもらわなイとネ」
キョウヤは首を勢い良く踏み付けて骨ごと砕いた。何度も何度も、何度も何度も踏み続けてグチャアという不快な音を立てながらナタリーの首はあっと言う間にかつての面影がなくなっていってしまった。やがてキョウヤは踏むのに飽きたのか首の残骸を指先から放つインク弾で弾き飛ばした。首だったものはバシュッという音を立てて壁に強く叩きつけられてインクの海に沈んでいった。
「お前という奴は…………」
チナミは殺意を剥き出しにキョウヤを睨み付ける。チナミだけではない。レジスタンスの者全員がキョウヤを射殺さんとばかりに睨む。仲間を殺した挙句、その仲間を辱めたのだ。もう怒りでどうにかなってしまいそうだった。
今すぐにでもこの手で殺したい。
だが、チナミ以上にキョウヤに激昂し、誰よりも早く攻撃を仕掛けた者がいた。トドロキだ。
「テメエだけは絶対に許さねえ!! ぶっ殺してやるぞ!! キョウヤァアアァ!!!」
トドロキは両腕を高温にして炎を纏い、キョウヤに殴りかかる。だが、それは叶わなかった。
キョウヤは軽く腕を下から上へと大きく縦に振った。すると、足元にあったインク溜まりから突如現れた複数の鉤爪によってトドロキは無残に斬り殺されたのだ。断末魔どころか声を上げることもなく首、腕、脚、胴とバラバラにされてあっという間に唯の物言わぬ骸と化してしまった。
トドロキは仲間を殺されたことへの怒りで周りが見えていなかった。こんな時に彼の欠点である直情的な性格が仇となってしまったのである。
「トッ……………」
トドロキが動き出した時にチナミは思わずトドロキの名を呼んで止めようとするが、思わず口を塞いだ。もう彼は…………
キョウヤはバラバラになったトドロキの死体を眺めながらその死を嘲笑った。
「クカカッカカカ、まっタク。クラウドの時二よく「その直情的な性格を直せ」って言ッテやったノに。結局、最期まデ直せずに終わっタな。ツクヅク馬鹿ナ噛マセ犬だよ」
チナミ達はすぐにでも飛び掛かってキョウヤを殺したくて仕方がなかったが、それで感情のままに行動したらそれこそトドロキの二の舞だ。せめてもに殺意を剥き出しにして睨み付ける。
「そウ、ソレデいい。サて、少しはワタシヲ楽しませてクレるかな? 最後ノゲームヲ」
キョウヤはそう言って、さっきのようにインク溜まりから無数の鉤爪を作り出す。しかし、さっきと違って、今度はあちこちのインク溜まりからワサワサと蠢き、辺りを無差別に切り裂こうと動き出した。