対価
宣言通り日曜更新!
深夜。
イリスを送り届けた後、俺は自分の宿に戻ってベッドに横たわっていた。
日中依頼で動き回り、夜に酒を飲んだ。
ぐっすり眠る条件は揃っているというのに、俺の目は冴えていた。
いや、眠ることなど出来ないと言うべきだろうか。
俺はふと痺れる左手を見た。
「……これが対価ってやつか」
動かなくはない。
しかし、物を掴む際にちゃんと意識していなければ落としてしまいそうになる。
こんな手じゃ剣なんてとてもではないが握れないな。
俺が得た剣術には両手剣や双剣などを用いる技もいくつかあったが、使う機会なく封印することになるだろう。
何度拳を作り、開いたりを繰り返しても拭えない慢性的な左手の痺れ。
それと引き換えに得た『縮地』という移動法。
流石魔法のある世界と言うべきか、俺の知る縮地とは距離感を誤魔化す錯覚のようなものと聞いたことがあったのだが、俺の得た縮地はまさに短距離瞬間移動とでも言うべきものだった。
あの時、不意に背後から奇襲を受けた時、俺は反応が遅れてしまった。
どう足掻いても体勢が悪く、コボルトとの距離を詰めることが出来なかった。
このままでは俺の剣が届く前にイリスが襲われてしまう。
そんな状況下において、俺の頭に声が響いた。
聞き覚えのある、神の使いの声だった。
その声はこう言った。
『欲するならば力を与えよう』と。
俺はすぐさま願った。
何を対価として要求されるかなどどうでも良かった。
イリスを助ける力が手に入るなら。
そうして俺は縮地によってコボルトに接近し、倒した。
その後は先にも述べた通り、四体のコボルトを討伐して俺らは帰還した。
左手の痺れに気付いたのは街に帰ってきた頃だった。
初めは疲れから来るものかと思っていたが、今になっても痺れが残っているということはそういう事なのだろう。
あれから心の中で神に呼びかけてみたが、特に反応はない。
故に対価の詳細はイマイチ分からないが、今後はしっかりと対価について聞いてから力を欲するべきだろう、と俺は心に決めた。
翌朝。
いつの間にか眠っていた俺が目を覚ますと、まず確認したのは左手の調子であった。
寝て起きれば治っているかもしれないなんて淡い期待をしていたが、状況は俺が想像していたよりも深刻だった。
「腕一本でイリスが助かったと思えば、安いものか……っ!」
うんともすんとも言わない左腕を右手で握りしめながら、俺は込み上げて来る感情を必死に抑え込んだ。
落ち込んでいても仕方ない。
今日も俺は冒険に行くのだから。
俺は左腕が使えないという状況がどういった予測出来ない事態を引き起こすのかを確認するため、剣を持って宿の裏手にある広場に向かった。
腰に提げた剣がとても重く感じる。
今までと体自体は変わらないはずなのに、左のバランス感覚がおかしい。
無意識の内に左腕によって保たれていたバランスが取れずに体がいつもより少し傾いている気がする。
こんな状態でまともに剣など振れるのだろうか。
俺はその場で目を閉じて集中し、右手で剣の柄を握り締める。
いつも通りやればいい。
走りながら剣を抜き、首狩りをして、剣を納める。
イメージは出来た。
後は実行するのみ。
俺は目を開き、走り出す。
そして剣を抜き放つ……はずだった。
「くそっ……!」
俺は立ち止まり、右手を見る。
そこには中途半端に刀身を鞘から覗かせ、俺の悔しげな表情を映し出している剣があった。
いつもならば左手で鞘を掴み、走りながらでも抜けた剣。
しかし今では走る衝撃をもろに受け、暴れる鞘から剣を抜かなければならない。
剣を振る以前に問題が出るとは思いもしなかった俺は愕然とした。
だが、それならば背中に背負ってしまえば片手で抜くことは可能だ。
俺は腰に巻きつけていた剣帯を外し、剣を背中に背負うようにして装備し直した。
その状態でもう一度走り出し、剣を抜き放つ。
今度は上手くいったが、そこから剣術を使う事は難しかった。
背中から剣を抜いたからではないことは容易に想像出来た。
結局、体というものは五体満足な状態で十分に力を発揮出来るようになっている。
ましてや俺は昨日まで左腕があったのだ。
元から無く、それ用に訓練していたならばまだしも、急に左腕が使えなくなれば、体を動かすのに不自由するのは必然であろう。
片手あれば剣を振れるなど、思い上がりも甚だしい。
俺は剣を持ったまま、右手のみで剣を構える。
右に剣がある分、そちらに重心が寄っているのが分かる。
左腕でバランスが取れないことを念頭に置きつつ、俺は剣を振り上げ、振り下ろす。
振り下ろす際に多少体がヨロけそうになるのを体幹で抑える。
いくら怪我をしにくい頑丈な体になったからといって、筋力が飛躍的に上がったわけではない俺の体。
始めの頃など剣術を使う度に酷い筋肉痛に悩まされていたのを思い出す。
しかし二週間も経てば強化された肉体故か、ある程度筋肉が付き、剣術を多少使った程度では体は悲鳴を上げなくなった。
だがそれは急拵えの付け焼き刃。
長く剣を振り続けている者にとって、俺の筋力など赤子同然と言えるだろう。
何が言いたいかといえば、俺は剣術を使えるだけで剣士ではないのだと、改めて思い知っているということだ。
一流の剣士ならば、片腕を失ったとしても今まで染み付いた動きに支障が出ない程しっかりとした体幹、バランス感覚を持っているため、剣士としての力量は変わらないかもしれない。
だが対する俺は剣術という後付けされたソフトに任せっきりだったため、五体揃っている状態での最適な動きしか出来ない。
それ故に、俺は剣を今までのように振れなくなっている。
結論を出すのは早いかもしれないが、俺は覚悟を決めるべきだろう。
「結局、ズルして手に入れた力なんて、その程度ってことか」
剣を納めた俺はその足で冒険者ギルドへと向かった。