救生手
勇者。
そういう存在がいることを知ったのはつい最近の事だった。
そして勇者がいるということは魔王もいるのかと調べてみると、魔王もちゃんといるようだった。
何故こんなことをいきなり言い出だしたのかといえば、その勇者率いるパーティが強力な魔族を討伐したというニュースが出回ったからだ。
これはとても凄い事らしく、街中は暫くその話題で持ち切り。
それは冒険者ギルドにおいても変わらず、いや、冒険者ギルドにいたっては更なる盛り上がりを見せていた。
何故なら──
「大魔導士イリスだってよ!あいつも凄くなったもんだぜ!」
「この半年で一気に抜かれちまったな!」
「最初の頃は俺らとそう変わらなかったってのに、大した奴だ!」
「俺あいつとパーティ組んだことあるぜ!」
「はっ!俺だってあらーな!」
「「わはははははっ!!!」」
──勇者パーティにはイリスも参加しているのだ。
イリスを知るこの街の冒険者たちはその話題で持ち切りで、ギルドとしてもここで冒険者登録をし、駆け出しの頃世話をしたという事をあからさまに宣伝している。
暫く見かけないと思っていたが、まさか勇者パーティに参加しているとは俺も知らず、その知らせを聞いた時は驚いた。
驚いて、そして……辛くなった。
イリスとパーティを解散してから既に半年、もうイリスはそのまま世界を救う旅を勇者たちと共に歩んでいくだろう。
イリスは真面目で良い子だが、半年前と何ら変わらない俺なんかとパーティを組む気など起きよう筈がない。
何よりランクが違う。
俺は未だ駆け出しと同じ低級。
イリスは情報によれば既に上級であり、このままいけば超級まであり得る。
俺とは住む世界が違い過ぎるのだ。
だがそれも仕方ないこと。
イリスはあのエリスフィーナ・クロイツェン伯爵の娘。
ヴァンパイアのハーフ。
生まれながらに高い魔法適性を持つのだから、イリスのように真面目に実力を伸ばしていけばこうなる事は必然であった。
対する俺はただの日本人。
借り物の諸刃の剣しか持たない凡人。
釣り合うはずもない。
噂によれば勇者というのも転移者である可能性が高いとクロイツェン伯爵は言っていた。
イリスと手紙のやり取りをしているクロイツェン伯爵は、イリスが見聞きした勇者の情報をまとめてそう判断したらしい。
だが、クロイツェン伯爵はそのことについて良い顔をしなかった。
クロイツェン伯爵が目を付けたのは勇者の持つ聖剣。
噂によれば万物を切り裂く力を持つとされている。
これを手に入れるために払った対価をクロイツェン伯爵は精神汚染であると断定した。
武器や防具を求めた際、多くの場合肉体ではなく精神的な負荷を課せられると彼女は言った。
そして、そうした者達の末路は決まって人類の敵となり、他の転移者によって討伐されるという。
彼女の辛そうな表情から察するに、彼女もまた誰かを討伐した経験があるのだろうと俺は感じた。
彼女はイリスの身を案じ、勇者パーティから抜けるように説得を試みたようだが、それは叶わなかったようだ。
明確な理由をイリスに告げるわけにもいかず、未だ勇者の精神が安定していることから、今は何も起きない事を願うしかないらしい。
これが最近のイリスの様子であった。
対する俺はと言えば──
「ゴブリン三体の討伐、確認いたしました」
──やっとこの程度の依頼が達成出来るようになっただけ。
ゴブリン三体など駆け出しの冒険者が達成する討伐数であり、既に冒険者として半年も活動している者の討伐数ではない。
それを分かってか、最近ではギルドにいる冒険者や職員からの視線が痛い。
何より、駆け出しの頃イリスと組んでいたということを知る者にとっては酒の肴には良いネタであった。
「イリスも良い判断したよなー」
「あぁ、駆け出しにしては良い剣を振ってたが、あれが限界ってのを見極めたんだろ」
「しかも左腕が使えないときた」
「辞めりゃいいものを」
「辞めたら路頭に迷っちまうからだろ!」
「はっはっはっ!そりゃそうか!」
「片腕じゃ日雇いの仕事も出来ねぇもんな!」
そんな騒ぎ声が平然と聞こえてくるくらいには、俺の肩身は狭かった。
何よりそういった他者への誹謗中傷に関しては職員が注意するものだが、そんな事は誰もしようとしない。
使えない冒険者を庇うほど、彼らも暇ではないようだ。
職員から報酬を受け取ると、俺はそそくさと逃げるようにギルドから出ていった。
生きていくだけなら問題無い収入をこうして毎日依頼をこなす事で得ている。
先程の冒険者が言うように、冒険者を辞めれば俺に行く宛などないことは明白だから、俺は未だ冒険者を続けている。
いつまでも低級で燻っていても、冒険者は辞めさせられることはない。
冒険者は全てにおいて自己責任。
何処で死のうが、全て自分のせい。
故にいつ辞めようが自分の勝手。
これにより俺は何とか食いつなぐことが出来ているのだから、こればかりは冒険者様々だと感じていた。
そんな風に物思いに耽ながら歩いていると、不意に誰かとぶつかってしまう。
「きゃっ!?」
「おっと……だ、大丈夫か?」
ぶつかってしまったのは小さい女の子であった。
女の子は走っていたようで、俺に勢い良くぶつかってしまったためか後ろに倒れてしまい、腕を擦りむいて少し血が出ていた。
傷が痛むのかジワリと瞳が潤み始め、遂にはダムが決壊するかのように泣き出してしまった。
「ふぇえええええん!!!」
「え、ちょっと、待って待って!」
アラサーのおっさんが女の子を泣かせているというとても側から見るとヤバい状況になってしまい、俺は焦り始める。
何とか泣きやませようとしたいが、子供のあやし方なんて独身の俺には皆目見当がつかない。
せめて痛みの原因である擦り傷だけでも治してやろうと腰に提げた雑嚢に手を突っ込んでみるが、今日は治癒のポーションの在庫が無いことを思い出し、途方に暮れる。
しかしそうこうしている間にも周囲に人は集まり、女の子も泣き止まない。
こんな時に治癒の魔法でも使えればパッと治してやれるんだろうな……。
無い物ねだりをしても仕方ないと諦め、俺は古典的な手法に出る。
女の子の腕の擦り傷にそっと手を触れて、日本人なら誰でも知ってる程の呪文の言葉を紡ぐ。
「痛いの痛いの〜」
不意に女の子の腕に触れる右手が熱くなるのを感じた。
なんだ?と一瞬疑問に思ったが、女の子の体温のせいかと高を括り、俺は呪文を締め括る。
「飛んでけ〜!」
──プツン。
張り詰めた糸が切れたような音が、頭の中心で響いた。
何の音だったのかは分からない。
だが、何を引き起こしたのかは、一目瞭然。
いや、一目出来ないことが、答えとなっていた。
「うわぁ……おじさん凄い凄い!傷治っちゃった!」
目の前にいるはずの少女が嬉しそうな声を上げる。
どうやら傷は治ったらしい。
何故かはある程度察しがついたが、それにしたってこれはあんまりだろう。
「あ……あぁ、ぁああああああああああっ!!!」
「ひっ!?」
突然叫び出した俺に対して少女が怯えたような声を出す。
それはそうだろう。
優しく接して来たおっさんが、いきなり発狂すれば誰でもビックリする。
だが、そんな事を気にしていられる程、今の俺には余裕がなかった。
自分の顔を右手で覆う。
自分自身にアイアンクローをかけるように、目を覆い隠すように、右手で覆う。
気が動転し、右手に込める力がどんどん増していく。
こんなに近くにあるはずなのに、俺にはもうその右手を見ることは出来なくなっていた。
──『救生手』の使い勝手はどうですか?
狂ってしまいそうな状況で、頭の中に声が響いた。
聞き覚えのある、悪魔の囁き。
──悪魔だなんて、酷いですね。
俺は力を欲してなどいなかったのに。
──治してあげたかったんでしょう?
明確に願ってない。
俺はただ泣き止んで欲しかっただけなのに。
かすり傷一つ治すだけで目を奪われるなど、割りに合わない。
──目で『救生手』、使用に寿命、とても割りの良い力なんですけど……それがあれば、死者蘇生だって出来るんですよ?
そんな事をすれば寿命がいくら必要か分かったものじゃない。
俺は地面に膝をつき、この転移という選択をしてしまった馬鹿な自分を呪った。
年甲斐もなく泣き叫ぶが、もう俺に周りの目を気にする事など出来ない。
そう思うと自然と今まで溜め込んでいた鬱憤が吐き出される。
「なんでこんな事に!なんで俺が!なんでなんでなんで!!!俺が何をしたって言うんだ!悪い事なんてしてない!良い事をした結果がこれなのか!こんな事なら、こんな事になるくらいなら!!!!!俺は──」
「──大丈夫ですか?」
不意にかけられた声に驚き、俺の叫びは途切れた。
何処から聞こえてきたのか分からず、俺が頭を左右に動かすと、温かくて柔らかい手が俺の両頬を包み込むのを感じた。
先程の優しげな声色を持つ人物は俺の正面にいたようだ。
顔が見えなくて良かった。
もし、見えていたら、このような醜態を晒した後に差し伸べられた手を振り払ってしまっていたかもしれない。
きっと彼女は優しげな表情を浮かべているだろう。
何となく彼女の手のひらから伝わってくる温もりが、俺にそう確信させる。
「落ち着きましたか?」
「……酷いところを見せてしまった。申し訳ない……」
「こうすると、子供たちも落ち着いてくれるんです」
声の感じからして、恐らく俺よりも年下であろう彼女に子供同然の扱いをされている事に恥ずかしさを感じるが、その前の俺の行動を振り返れば、もうそんな事は些細な事だと思えた。
彼女は俺の手を取り、立ち上がらせようとしてくれたが、足に上手く力が入らず立ち上がるのに苦労した。
「貴方は目が見えないのですね」
「ついさっきからな……」
「え?」
「気にしないでくれ、独り言だ」
それから暫く、彼女は盲目の俺の手を引いて歩いた。
現状分かったことは、彼女の名がエミルということ。彼女は聖職者で、街の教会に住んでいること。そして教会は孤児院を運営していて、俺が助けた少女はその孤児院の子であること。
エミルはその子と買い出しに来ていたようだが、人混みの中で逸れてしまい探していたようだ。
そんな折、俺の叫び声が聞こえて向かったところ、丁度彼女もいたということらしい。
エミルは隣を歩いていると思われる少女から事情を聞き、お礼がしたいということで孤児院へと向かっている。
目を失い、暗闇の中を歩いていくのは途轍もない恐怖を感じる。
しかし右手から伝わってくる温もりが俺に安心感を与え、何とか歩くことが出来ている。
この先、俺はどうすれば良いんだろう。
そんな不安を抱えながら、俺たちは孤児院に辿り着いた。
年末は余裕があれば投稿します。