9:蛆
「モノリス、全く見つからないんだけど」
「そうですね……」
「あいつさあ、二度目はすぐ見つかるよーって言ってたよね?」
「そうですね……」
「埼玉に集中してるとも言ってたよね」
「そうですね……」
「あいつさあ、20万年前のこと知ってたわけだからそれ以上生きてるわけだろ?とっくに時間感覚狂ってるんじゃないのか?」
「そうですね……」
三日。僕達がダンジョンを探し歩いた時間だ。
志木の家を出た後、コミュニケーションアプリでお互いに連絡先を交換し、僕達は四時間ほど近所を歩き回った。
ひたすらに歩いた。
しかし何も見つからなかった。
その次の日、僕らは休日を返上して丸一日中ダンジョンを探し歩いた。
前日とは別の場所に集合し、ひたすらに歩いた。
効率を上げるため、僕と志木、千紗ちゃんと栞ちゃんの二組に別れて歩き回った。
僕と千紗ちゃんは発見率と誘引耐性のために分けなきゃいけないわけなんだけど、この組分けは一体誰が得するんだろうか。
そして昨日。
朝一にミーティングから入った。
場所の選び方が悪いんじゃないかという考えを誰もが持っていたし、僕は頻度が上がると言っても週一回くらいのペースでたまたま見つかる程度のものなんじゃないかとも思い始めていた。
志木と栞ちゃんは前回当事者でなかったためまだダンジョンの存在を信じきれていない様子で、僕達と比べるとモチベーションが低いように見える。
話し合った結果、人の多いところの方が獲物を選びやすく彼らに好まれるのではないかという仮説が出たので、僕達は大宮に向かった。
前にモノリスが立っていたような、路地などに意識を割くという話もされた。
千紗ちゃんと栞ちゃんの二人でいると男に絡まれて面倒であるそうなので僕と栞ちゃん、志木と千紗ちゃんというペアにすることになった。
散々脅しておいたのでこっそり千紗ちゃんに手を出すなんてことはしないはずだが、万が一そうされていたら男性器を引きちぎるくらいの処分はするつもりだった。
まあ僕としてもでかい男と二人でいるより栞ちゃんと行動できた方が嬉しくはある。
話を聞いてダンジョンに潜りたいだなんて言うくらいだから大方予想はついていたが、僕と栞ちゃんは趣味が結構被っていて、また、千紗ちゃんの前では控えていた女性との会話においては相応しくない話題にも栞ちゃんはついて来られるようだった。
存外に話が弾み、今度個人的に僕の家に遊びに来てもらうことになった。
千紗ちゃんとの関係より進んでいる。
しかし栞ちゃんとの関係は良好でもダンジョン発見の旅の経過は全くもって良好ではなかった。
半日それに費やしたというのに成果はゼロだ。
志木のクソ野郎が千紗ちゃんと二人でクレープを食べてる写真を送ってきやがったので僕は奴の男性器を引きちぎる事に決めた。
写真は千紗ちゃんだけが写るようにトリミングして保存しておいた。
さて、以上が昨日までの経緯である。
今日は平日だ。
大学生である志木は一限から講義があり、高校生の栞ちゃんにも当然学校がある。
僕も大学生ではあるのだが、講義をサボってモノリスを探しに行くことにした。そのことを告げると、千紗ちゃんが『じゃあ私も』と発言し、晴れて僕達二人でデートをすることになったわけだ。
千紗ちゃんの発言の前に一応志木にも授業なんてサボって来るようにと声をかけたのだが、もう足がパンパンに張っていてとても歩き回る気になれないと言って断られた。
あんな面をしていながらインドア派であるなんて許されるのだろうか?
千紗ちゃんに勉強はしなくていいのかと聞くと、もう高3までの内容は全て頭に入っているから自分の判断で学校を休むことにしたと返された。
頭が良さそうだとは思っていたがここまでだとは考えていなかったよ。
山羊目玉やエリアの言う事にも頷けるというものだ。
僕らは前回モノリスが出現した場所のそばで待ち合わせて探索を開始した。
最初はそばと言わずその場所に行くつもりだったのだが、不思議なことにこの前は続いていたはずの道がなく、行き止まりになっていた。
三時間ほど歩き回ったがやはり何も見つからず、千紗ちゃんも連日歩いて疲労困憊といった状態になっていた。
それでも諦められなかった僕は『多分良い魂が二つまとまってたほうが見つかりやすいです』という特にはっきりした根拠のないらしい提言から千紗ちゃんを背負い、更に歩き回ることにした。
千紗ちゃんの柔らかい体が僕に覆い被さり、その果実が僕の背中で潰れるような感覚を得て、興奮から少々歩きにくくなったが悟られないようにして動き回る。
道中暇なのでエリアへの愚痴などを千紗ちゃんと話しながら歩いていたのだが、やはり疲れているのか千紗ちゃんは適当な相槌を返すのみだった、というわけだ。
「……だからダンジョンを潰してほしいなんて頼むくらいならあいつはもうちょっと僕らを積極的にサポートすべきなんだよね。揃えると願いが叶う玉をレーダーもなしに探してるようなものだよこれ」
「……ッ!悠一郎さん!あれ!」
さっきまでそうですねえとしか返してくれなかった千紗ちゃんが突然叫び出した。
その柔らかそうな指が示す方向を見ると、少し遠く、人気のない小道で白く蠢く巨大なナメクジのようなものが目に入る。
その見た目から抱く生理的な嫌悪感、恐怖心、そして畏れのような感覚が僕を襲った。
「あれ……異界種か? いや、ゴブリンみたいな、なんて言ったっけな、眷属? 現実に? ……今まで見たのとは大分趣が違うみたいだけど」
「追いましょう!」
「えっ、あれ捕まえるの?ちょ、待って!千紗ちゃん!」
千紗ちゃんは僕の背から降りるとすぐに駆け出した。案外元気だったようだ。僕もそれを追いかけるようにして走り出す。
僕はすぐに千紗ちゃんを追い越すと素手でその白いナメクジを掴み上げた。ぐにゅ、という感覚が手に張り付いた。
ギィ、と無機質な鳴き声を発し僕の手の中で暴れる白ナメクジを観察する。
体長は40cmほど、太さは僕の腕くらいでそこそこ重い、8キロは下らないだろう。
体表はざらざらとしていて滑り気はなく、他の一切の器官が見当たらない代わりにその大きな円状の口とその中のサメのような歯だけが目立っていた。
気の弱い女性が見たら卒倒するような気持ち悪さだ。
潰してしまおうか悩んでいると千紗ちゃんが駆け寄ってきていた。
「捕まえられたんですね!よかった、これ以上無為に歩くのはごめんですからね……エリア様に危険だと言われていてもこうせずにはいられなかったです」
そういえばあの女が本来見えないものには関わらないようにとか言ってたな、この蟲がそれか。
異界種あるいはその眷属という括りにはなるのかもしれないが、どうにも山羊目玉のような知性やゴブリンのような筋力はなさそうだし、せいぜい噛まれたら痛そうだというくらいでこれが僕達の脅威になるとは思えなかった。
ピンキリってことなんだろうか。
「それで、こいつをどうするの?」
千紗ちゃんは青い顔でこの気持ち悪い生き物を観察している。やはり女の子らしくこういうものは苦手らしい。
「そうですね……縛って先導させてみましょうか」
「マジで言ってる?」
「マジで言ってます」
千紗ちゃんの目は真剣だった。
この蟲の生態もなにもわからない以上誰にだって的確な指示が出来るはずはないのだが、それにしたって雑な手段のように思える。度胸があるとも言えるだろう。
なんだかなあと呟きながら僕はペットショップに首輪とリードを買いに走った。
〇〇〇
「……こんなもんか」
蠢く白い大きなナメクジのその伸縮性のある胴体を締め、きつく首輪を嵌める。
「おい下等生物。僕たちをモノリスまで案内しろ。出来なければ雑巾のように捻り殺す」
「脅しですか?言葉は通じそうにないですけど……」
豚にトリュフを探させるくらいのノリでこいつを利用しようとした割にはリアリスティックな言葉だ。
見た目は畜生だが同時にどうみても今までの僕らの常識には当てはまらないようなモノだ、推測する発生の原因からしても、ヒトの魂とやらと同じ要素が含まれているなら人語を解してもなんら不思議なことはないだろう。
まあ深海を探せば普通に見つかってもおかしくなさそうな容貌でもある。
「やってみなきゃわかんないもんだよ。ああ、人に襲いかかろうとすれば殺すし、千紗ちゃんに襲いかかろうとしても殺す。千紗ちゃんもそれでいいね?」
「もちろんです、お願いします」
言葉が届いたのかはわからないが、放たれた白い蟲は蛇のように地面を這い出した。
◯◯◯
案の定と言うべきかこの蟲の姿は僕達以外には認識されないようで、こんなグロテスクなペットを連れている美形カップルが街を闊歩していても一切人目を集めることがなかった。
それどころか僕が千紗ちゃんを背負って歩いた時よりも意識されていないように感じる。
先程信号を渡るときに向こう側から歩いてきた男とぶつかりそうになると避けるような動きを見せたことから完全に僕達の存在が無視されているわけではないようだが、あらゆる視線が僕達に向けられなくなっているように感じられるのだ。
もしかするとこいつはリードで結ばれただけの僕達のことまでこの世界から覆い隠してしまうのかもしれない。
この生物とは思えない鳴き声を発する蟲はやはり僕達が認識できなかっただけでずっと以前から存在していたのだろうか?
不自然に人気のない場所にいくらでもいたのかもしれないし、下手をしたら僕の家に何食わぬ顔をして蔓延っていたのかもしれない。
不気味な感覚だ、怖気が走る。
蟲に付き添うように歩き始めて数分ほど経った頃だろうか。
突然蟲が暴れ出した。
今までより一際大きく鳴き声を上げ、金属がいくつも擦れ合っているかのような不快な音を発した。
頭に鈍い痛みが走る。
「ひぃっ!?な、何!?」
千紗ちゃんが小さく悲鳴をあげる。
僕も驚きはしたが、リードは放さない。
急に力の強くなったその蟲に引き摺られるようにしながら脇道へと入っていった。
千紗ちゃんも苦痛に顔を歪めながら小走りで後を追ってくる。道の先は昼間だというのに暗くて先が見通せない。
僕は言葉では言い表せない類の強い不安を感じていた。
「これ以上ついていって大丈夫かな?ちょっと怖くなってきたんだけど」
「行きましょう。私だって怖いですけど……ここで引き返しちゃいけない気がするんです。もし何かあったら私を置いて逃げてください」
「……それだけはあり得ないね。たとえ千紗ちゃんが死体になったとしても連れて帰るよ、冷たくなっても抱き心地が良さそうだ」
軽口を叩くと少しだけ精神が安定した。
得体の知れない恐怖に逃げ腰になった僕に対して、千紗ちゃんからは強い意志が感じられる。
僕は自分の不安に対処するのでいっぱいいっぱいで、まともにものを考えられていない。
決断こそ下したが、彼女も僕と同じように、この先に進むことを怖がっているはずだ。
今の僕を苛むこの感覚は、山羊目玉のダンジョンに連れていかれた時には感じなかったものだ。
生物を害するために誂えたであろう武器を持った醜悪なゴブリンと相対した時も、巨大な蜘蛛や鮹に襲われたときにも、今考えればあの不気味なデザインの山羊目玉と遭遇した時でさえほとんど感じていなかったと言える。
あの時とのメンタルの差異。
恐らくそれは、ここが紛れもなく現実だとわかっているから生まれるものなのだろう。
洞窟の中は、僕にとってはファンタジーの世界だった。
リアルな感覚があったがどこかで現実ではないのだろうと考えていた。
レベルアップなんてした後は確信にまでは至らなかったがゲームであるとさえ思っていたのだ、そこにリアルな恐怖はなかった。
いざ現実に小さな異物が現れると、それは人間と比べてとても小さなものであるのに、ここまで僕の心の安寧を脅かすのだ。
僕という人間の精神が特に脆弱なのだろうか? そんなはずはない。心の強さに関しては自信があった。
志木がついてきていたら尋常でない怯え方をしていたことだろう、あれはあんな見た目をしているが少し臆病なところがある。
千紗ちゃんの手を握り、細い道を蟲に引かれながら歩いていく。
一体どうなっているのか、5m先が見えない。
何に引っ掛けたのか、僕の足からは少量の血が流れていた。気にしないようにして更に進む。
人の気配は既に感じられなくなっていた。
どのくらい歩いたのだろうか、そこまで長い時間ではなかったようにも思えるが時間感覚を狂わされているような不思議な感覚がある。
僕達は袋小路に辿り着いていた。
僕達が連れてきた蟲はまだ奥にまで動けていないのだが、どんどんその力が強くなってきていて、その道の奥の光景が目に入って呆けていた僕はリードを離してしまう。
蟲がもぞもぞと奥へと這っていく。
「……なん、ですか、これ…………」
そこにあるのは人間の死体だった。
それが奥で横たわり、数匹の蛆のような蟲、サイズこそ小さいが恐らく僕達が捕えて連れてきた蟲と同じようなものに貪られていた。
その皮膚を。
脂肪を。
筋肉を。
骨を。
内臓を。
脳を。
顔や体は既に大部分がなくなっていて判別がつきにくいが黒いハイヒールとスカートから察するにこの死体は女性だったのだろう。
死んでからあまり時間が経っていないのか腐敗臭こそしないが、医者でもなければそう嗅ぐ機会がないであろう人間の内臓と血の臭いがあたりに立ち込めていた。
僕らの連れてきた蟲が死体の元まで辿り着くと、当然のようにそれを喰らい始めた。
僕らにそれを止める気力はなく、止める意味も探せず、ただぐちゃぐちゃと音を立てながら死体が蟲の中に収まっていくのを見ていた。
どういう仕組みになっているのか、蟲の体積が増えている様子はないのに死体がどんどん小さくなっていく。
「……これ、どう思う?千紗ちゃん」
「わかりません、わかりませんよ、こんなの……考えてなかった、こんな……エリア様も、捕食には面倒なプロセスが要る、って」
あの時は時間が限られていて、エリアには説明できていないことが多くあるようだったが、これもその一つなのだろうか。
現実に蔓延り、ヒトを貪る異界の蟲。
真っ先に説明すべきことのようにも思えたが、彼女には彼女なりの優先順位があったのだろう。もしくはこの事を知らなかった、という可能性もなくはない。
異界について全てを知っているというわけではない様子だった。
とうとう死体が全て蟲の腹に収まった。
ギィ、とどこか満足気に聞こえる声を上げると、蟲達は体を寄せ合い、溶けるようにまた蠢き──地球上の生き物ではあり得ない変態を遂げた。
蟲達が寄り集まっていたはずのそこには紫色の厚い板が存在していた。
モノリスだ。
キィン、という音がして、その紫の板に回路のような模様が浮かび上がってきた。
その板は扉となり、妖しい、蠱惑的な光を放つ。
「……ああ、そういうことかよ……」
僕は携帯を取り出し、志木に連絡を入れた。
僕達のような人間を増やさないとダメだという考えがあった。
目を逸らし、口を抑えていた千紗ちゃんに声をかける。
「千紗ちゃん、栞ちゃんに連絡を入れてくれ────ダンジョンに入る。こいつらは、異界種は、根絶やしにしなくちゃダメなものみたいだ」
今度こそ本心からの言葉だった。
僕を動かしているものは義憤なのか?
否、そんな綺麗なものではないのだろう。
自分はそんな素敵なことを考えて動くタイプではないという自覚がある。
おそらくは、恐怖か嫌悪感。
そうでなければ、理不尽な捕食者に対しての、人間としての意地だ。