7:神様
全身を覆う純白の装いと白く長い睫毛の中で映える赤い瞳、そしてゆったりとした服を内側から強く押し上げる大きな膨らみ。
見覚えがある。
ここまで特徴的な見た目をしているのだ、普通一度見たら忘れることもないと思うのだが、しかしどうしても他の情報を思い出すことが出来なかった。
こいつの外見は確かに僕の記憶の片隅にあるものなのに。
まあ思い出せない以上それは仕方ないとして、だ。
こいつは自らのことを神だと言っていた。
あの山羊目玉がそれっぽく示唆していた通り神が存在していても今更不思議でもなんでもないとは思うが、それとこいつが神であることを信じるかどうかというのは別の話だ。
山羊目玉の遺灰から出てきた以上、山羊目玉の第二の姿とでも考える方が自然だろう。
「神様……?えっと……どういう神様なんですか?」
良い質問だ。仮にこいつが神だとして、偏に神と言っても様々な宗教観に触れながら生きてきた僕らからしたら色々とある。
その一文字は広義に過ぎるのだ。
「良い質問だ。偏に神と言っても色々とあるからね、僕の場合はそうだな……星の意思、とでも表現するのがいいのかな」
「おいまて」
こいつ、僕の心を覗いていないだろうか。
「何かな、悠一郎くん?」
「……ゆういちろう?マイケルさんではなく?」
やりやがったこいつ。
偽名を使っていた事がバレた。
いや、山羊目玉と戦ってる最中も意識はあっただろうから既に千紗ちゃんにもバレていただろうか。
「そうだよ、この男の本名は望月悠一郎。君の気を引きたいがために名前を偽っていたんだ」
「……本名のほうがかっこよくないですか?」
「ハーフであることが重要だと考えていたようだね。俗というかなんというか、くだらない思考だ。自分がモテない原因を転嫁しているだけだろう」
僕は何でも知ってるよ、と言わんばかりの語り口だ。
僕が羞恥からショック死してしまう前にその口を閉じてくれ。
「……少し揶揄いすぎたかな?君に死なれても寝覚めが悪いしこのあたりにしておくよ」
ふふっ、と人の悪い笑みでこちらを見る。
神様が本当に睡眠を取るのかどうかは知らないが、その言葉に僕は今日一番の安堵を感じていた。
こいつの舌は危険すぎる。僕のメンタルはあまり頑丈にできてはいないのだ。
「さて、人と話す機会に恵まれない僕としてはずっと君達と談笑していたいところなんだけど、生憎時間がない。伝えておきたいことがいくつかある」
「最初からそれを話せ」
「まず、そうだね……君達の大きな疑問から解消していこうか。この世界はゲームなんかじゃない。少々物理法則が異なっていたりするが、基本的にはちょっと異界に近いだけの歴とした君達の世界だ」
「……このウィンドウは?ゲームそのものって感じだけど」
言いながら、ステータスウィンドウを表示する。
そういえば文字通り死ぬ思いまでしてボスを倒したのにレベルが全く上がっていない。
「そのウィンドウ──もとい、君達を強化するシステムを構築したのは、僕だ」
言葉通りであるのなら、どうやら自称神は伊達ではないらしい。
「レベルが上がらないのは一時的に僕の顕現にエネルギー……霊子としようか。それを使っているからだね。僕が消え次第君たちに入る。迷宮消滅の際のエーテルも──帰還に一部を消費するから全てではないが──同時に入るから、君達のレベルは相当上がるはずだよ」
「レベルってそもそもなんだ」
「蓄積したエーテル量の指標だよ。わかりやすくていいだろう?」
「エーテルっていうのは」
「君達の言葉で説明しようとすると少し長くなってしまうんだよね。霊的エネルギーみたいなニュアンスでふわっと認識していてくれ」
「このウィンドウだとかのシステム、本当にお前が作ったのか?迷宮自体はあの山羊目玉が作ったって言ってたけど」
「その通りだよ。この箱庭は君の言うところの山羊目玉が作ったものだ、君達の世界において唯一エーテルによって構成された『ヒトの魂』を喰らうための狩場としてね。僕はそれにヒトが抵抗するための手段として、君が見たゴブリンのような眷属が消滅する際に本来この箱庭に還元されるはずの、彼らの構築に用いられていたエーテルが全て君達に吸収されるようになる機構を用意した。ちなみについ最近完成させたものだよ」
「……わざわざゲームに寄せる必要もなかったんじゃないか?経験のない奴にとってはかえって不親切だろ」
「……まあ少々遊び心が入ったのは否定しないが、制限がある中でなかなか良いものを作ったと自負しているよ。君には結構わかりやすかったろう?」
「まあそうだけどさ……説明文くらいしっかり用意してくれたらもう少し楽だったと思うんだけど」
「そんなことまでできなかったんだよね、僕ができることの限界はかなりシビアだった。プログラムのサイズを抑えなければいけなかった、みたいなイメージだ。ちなみにクラスの方は思考を誘導・補助するために僕が用意したんだけど、スキルだとかは君達の無意識、あるいは集合無意識に反応して生成されるようになっているんだ。容量節約の知恵って感じだね。ゴブリンの棍棒に関しては君が使いたいと思ったからエーテル化がキャンセルされたんだ」
「蜘蛛の足とかは消えたけど」
「きっと心の底では嫌がっていたんだろう」
「籠手のドロップは?」
「あれは……いや、稀に集合無意識からランダムに引っ張ってきたイメージのエーテルによる顕現が起こるようにしたんだ。つまり君のそれは偶然の産物。なぜそんなまどろっこしいシステムにしたかというと、エーテルの利用における不確実性は出力の上昇に繋がりやすいから。持っていかれたエーテル量の割にはいい品を手にすることができたはずだ」
変に言い淀んだように思うが、とりあえずは追及しないことにしておく。
「……さて、君たちがこの迷宮に来る前に見たものは覚えてる?」
「あの光ってた扉ですか? 電子回路みたいな模様のある」
「そう。あれは本来飾り気のないマゼンタの石板だったんだけど、あれに、正確にはあれが出現する際のシステムに手を加えて、君たちヒトが一方的に狩られるなんて事態を防ぐ手段を用意したわけだ。恩に着せるつもりで言うが、僕の細工がなかったらこちらに飛ばされてきたところで現実と変わらない能力しか持っていなかったわけで、一切抵抗できずあの山羊目玉の餌になっていただろうね。山羊目玉は自分のことを非力だと自嘲していたが、実際のところは異界種の中でも上位の格を持つ存在だ。異能の行使については君達も見た通りだし、それを使わなくても人間の頭をリンゴみたいに砕いてみせるくらいの握力は持っている。ああ、ちなみにモノリスをサイバネティックな扉をイメージしたデザインにしたのは少しでも神秘性を削ぐための嫌がらせだ」
神秘性だとかエーテルだとか異能だとか、ますますもって胡散臭くなってきた。
「ヒトが狩られるのを嫌うならそもそもそんなものが出てこないようないじり方は出来なかったのか?」
「可能だが、スマートじゃない。奴らはすぐに別の方法でヒトを攫い、喰らうようになるだろう。こちらからも手を加えやすい今の状態がベストだ」
「そもそもお前が神様ならあいつらを直接殲滅してくれれば終わりだと思うんだけど、なんでできないの?」
「君たちの中に神は直接的に現世の物事に干渉しないものだというイメージを抱いている者が多いためだ。僕という存在は信仰と無意識をベースにして成り立った星の防衛機構だ。本来霊子体である山羊目玉らもまた同じような手段を用いて姿形を手に入れているが、彼らの場合は悪魔とか怪物だとかへの信仰あるいはイメージをベースにしているから干渉における制限が僕よりも緩い。僕は多大な力を持っているけれど同時に制限も厳しすぎて実質ろくに動けない、お飾りの守護神というところだね。ここは彼らによって拡張された本来存在しないはずの空間なんだが、地球上に位置するにもかかわらず異界の性質をも持っているから例外的に僕が干渉可能なんだ。モノリスも同様。こういう状況に対処するためだけに僕が存在していると言ってもいい」
さっきからなんとか考えようとしてはいるのだが、言葉が僕には少し難しいし、何よりでかい胸に意識が吸われて全然頭に入ってこない。
僕の目測ではGカップだ。神だけに。
でけえ。
途中からほとんど聞いてなかったがどうやら真面目な話らしいので適当に真剣な表情で頷いておいた。
「君が聞いたんだろ……まあ千紗ちゃんのほうは理解してくれているみたいだから後でしっかり聞いておくといい。少し好色が過ぎるようだね、不敬だよ」
かっこよく大物を倒して好感度うなぎ登りだったはずの千紗ちゃんからの視線の温度がどんどん下がっていくからそういうことを言うのはやめてほしい。
神様のくせにそんなおっぱいしてるほうが悪いと思う。
そもそも神様のくせにおっぱい見られるの気にするなよ。中身が器に引っ張られているとかそういう話なんだろうか?
「まあまあまあそれはそれとしてだ。あの山羊目玉って結局どういうものだったんだ?」
遮るついでに気になっていたことを聞いておく。
仮にわからなくても千紗ちゃんから咀嚼したものを聞かせてもらえるとなると気楽で良い。字面も口移しみたいでちょっとえっちだ。
「ああ、そこも重要だね。彼らは……異界よりのエーテル体であり、君たちにとって天敵である──捕食者だ」
「異界、ってどんなところなんですか……?」
異界。
ちらちら出ていた言葉だ。勢いに押されて詳しく聞けなかった。
「現在確認されている限りでこちらの世界に干渉できる唯一の異世界を異界と呼ぶことにする。向こうについての詳細は僕にもわからないが、エーテルの枯渇による食糧難が発生し、それによる共喰いを嫌った者達がこちらの世界に流れてきたのだと思われる。おそらく世界の規模自体はそこまで大きなものではないね」
「異界って名前にするって今決めたのか?」
「君達と話すにあたって決めておいた。……ヒトと話すのは初めてだからね、今まで名称を用意する必要がなかった。エーテル等も然りだ」
話す機会に恵まれないとか言っていたが、恵まれないどころかゼロじゃないか。
ちょっと言葉の羅列に辟易してきていたが、寂しそうにそう言っているのを聞くと内面もすこし可愛く見えてきた。
仕方ない、僕が話し相手になってやろうじゃないか。
こちらをちらりと見てほんの少しだけ口角を上げると続きを話しだす。
「さっきも言ったように僕でさえわかっていることは多くないんだが、可能な限り伝えておくよ。君達の存続に関わる問題だ。彼らは今からおよそ20万年前、土星の環を媒体として門を開いた」
「……あれそういうものだったのか?」
土星の輪っかにそんなメルヘンチックな由来があったとは驚きである。
「メルヘンでもないと思うし、彼らが土星の環を作ったって話じゃない。元々あったものを利用されたんだ。門が開かれて以来、彼ら──異界種が少しずつ流れ込んでくるようになった」
20万年前と言ったか、大層な歴史である。
あんなものが現れてるのによく人類は今まで絶滅しなかったものだ。
「絶対数が多くないし干渉方法も限られているからね。最近になってなぜだか爆発的に数が増えてはきたが、それでもまだ少ない。僕としては最早無視できないレベルではあるが、このままこの状況が続いても直接的な被害はそう大きくはならないだろう。まあ彼らにとっての良質な魂というものを持っている人間は大抵人類にとっても有用だから、被害者数の少なさに反して人類の進歩は大きく遅れてしまうだろうけどね」
言ってしまうと僕は悠一郎くんが選ばれたことにいまいち納得がいっていない、と付け加える。言わずに飲み込んでおいてくれ。
「今までにモノリスとか異界種とかの存在が公にならなかったのはなんでですか?」
「存在する場所がずれているということが主な理由だね。基本的に彼らは彼らのための空間でしか実体を持てず、君達と接触するためには多少のコストを消費して魂を誘引するモノリスという媒体を出現させ、ヒトをヒトと自分達双方への親和性を持たせた巣に引き込むという面倒なプロセスを経る必要がある。そしてそこへ引き込まれた人間はもれなく捕食される、結果誰も彼らの存在を外に伝えることができないというわけだ。それと、異界種が多くの魂を喰らいその存在が飽和した場合には────チッ」
言葉を止め、一つ舌打ちをした。
気付けば迷宮の壁がところどころ白い光を放ちながら、どこかへと消えていっている。
「いよいよもって時間がない。これから現実に還る君たちにとって特に必要となるであろう知識を伝える。ひとつ、現実でもこちらで得た能力は多少機能する。あくまで多少、だ。現実の空間はエーテルとの親和性に欠けているからね。肉体が変質するようなものは現実でもそのまま発動すると思うけど、例えば千紗ちゃんの『調合』だとか、そういう意識して使用する異能は使えなくなってしまう」
千紗ちゃんがホッとしたような表情を浮かべた気がしたが、その理由はわからない。腕相撲で負け越している相手でもいるのだろうか。
僕としては帰ったらすぐに友人と賭け腕相撲をするつもりだ。
「二つ目、異界種の狩場はここひとつではない、強制はしないが力を得た君達には発見次第潰してほしい。一度狩場を抜けることのできた魂は変質し二度目に誘われやすくなるし、強制誘引に対してかなり抵抗できるようになっている。君達は住んでいる場所もいい、モノリスは世界中に発生するが、特に君達の住む地域に集中している。三つ目、魂が変質した君達には今まで見えなかったものが見えるようになるが、極力関わらないこと。君達に死なれるのは惜しい。以上だ。他に何かあれば言ってくれ、まだほんの少しだけ猶予がある」
「異界種って復活したりしますか?」
「基本的には復活しない。今回の山羊目玉──ニェリリウムという個体は長きに渡って殺されず、一方的に魂を搾取し続けてきたというわけだ。被害も比較的大きい部類だった、君達には感謝している」
僕からも一つ質問しておくか。
「神様、おっぱい揉ませてもらってもいいですか?」
心からの願いだ。神の慈悲を。
「また会うことがあれば考えよう。ニェリリウムほどに強力な異界種はそういないはずだからそれに準ずる程度でいい、一定以上のエーテルを蓄えた異界種を消してくれれば僕はこの姿で顕現できる。それじゃあさようなら」
無碍に断られた。
恥をかなぐり捨ててお願いしたのにもかかわらず、千紗ちゃんの視線の温度が氷点下に突入しただけに終わってしまった。トータルで見るとかなりマイナスだ。
「ああそうだ、千紗ちゃん、悠一郎くん。僕のことは神様でなく、エリア、と呼んでくれると嬉しいね。僕も悠一郎君のことはユウ君と呼ぶことにするよ。それじゃあね」
そう言うと、彼女もまた白い光となって消えてしまった。
それら光の粒子は僕達に流れ込んでくる。
無数の光の粒が舞う幻想的な光景に心を奪われていると、『returning......』というメッセージを表示する黒いウィンドウが出てきた。
帰還システムもきっちり動作しているようだ。何から何までご苦労なことだ。
帰還を待つ間、僕は神様、もといエリアの言葉を反芻し────エリアのおっぱいを揉むため、ひたすらにダンジョンを潰して回る決意を固めた。