3:血
「この、スキル、って何ですかね?」
「スキル? 僕のところにはないんだけど……他に何か書いてない?」
「調合って文字がありますけど、それだけですね」
「そっか……文字をタップしてみて、何か反応があったりはしない?」
「……もう一個ウインドウが出てきました。枠が二つありますね。これを使って『調合』できるってことなんでしょうか」
「試してみようか」
足元に生える雑草を引き抜き、千紗ちゃんに手渡す。
「……?この草を、どうするんですか?」
「調合してみようよ。よっ、と」
ウインドウを操作して棍棒を出現させる。
「……今、何しました?」
「手品」
「情報は共有しておくべきだと思いますけど」
「冗談だよ。ウィンドウのアイテムって欄からこういうものを出し入れできるみたいだ」
「……なるほど…………さっきの草もしまえますね。この調合とやらは、アイテムウインドウから調合ウインドウにドラッグすることで利用できるって感じでしょうか」
「そうして何も起きないならそれに関しては割とお手上げだね」
棍棒を千紗ちゃんに手渡すと、空中に表示されたウインドウの上で指を滑らせてそれを消滅させた。なかなか近未来的な光景である。
その後も更に指を動かしていたが、少しして眉を顰める。
「ダメですね。いや、やり方は間違ってないんでしょうけど、多分組み合わせが良くないです。不可って表示されました」
「残念。まあ、進みながら色々試そうか」
にこりと微笑んでおくと、千紗ちゃんは少し怯えたようにぴくりと体を震わせた後、一応といった感じで微笑み返してきた。
不本意な反応ではあるが、この過剰な反応を見るに、もしかすると男に関連したトラウマでもあるのかもしれない。
ここまで可愛いらしい顔をしているのだ、過去に何かしらの事件があったとしても全くおかしな話じゃない。
僕は今後の振る舞いには細心の注意を払うことにした。
僕は千紗ちゃんにどんな過去があってもそれを受け入れるつもりである。
雑草以外にも色々と試してみた。具体的には、石と松明。これら全ての組み合わせで調合を試みたが、全て不可と表示され拒まれてしまった。
水はそもそもアイテム化することができなかった。容器があれば可能だろうか。
他に目ぼしいものもないので、一度検証は諦めて探索を進めることにした。
「佐藤さん、階段です」
「……階段だね。下り階段」
自然そのものみたいな作りをした洞穴の中に、人が上り下りするためだけに存在する階段なんてものがあるのにはいったいどういう理由があるのだろうか……などと少し考えたが、まあそもそも松明が点在する以上部分部分に人の手が入っているというだけの話なのだろう。あるいは先程見たゴブリンのようなものの延長、人類以外の知的生命体の手によるものか。
「うーん……まだ進まずに、この階層に留まることにしようか。レベルなんてものが存在するのなら、経験値を稼いでおきたい。ゲームなのか現実なのかも定かじゃないけど、ここが『少し手を加えられた現実』でしかない可能性がある以上、ゲームオーバーがそのまま僕達の死として処理される可能性もまた十分にある。安全マージンは十分以上に確保しておきたい」
「概ね同意しますけど……さっさと先に進まないと餓死しかねないというのは懸念すべきですね」
「それもそうだね。まあ水場はあったし、まだしばらくは大丈夫だろう。とりあえず探索を進めようか」
千紗ちゃんが頷くのを見て、僕は一度階段を後にした。
◯◯◯
「何か落ちてるね」
道中2度ほどゴブリンとの戦闘をこなし、アイテムのある小部屋を発見した。
ゴブリンの戦闘能力は最早問題にならない。レベルが上がったことによる恩恵が大き過ぎたのだ。伸ばしたSTRを活かして高速で近付いて全力で殴って終わり。最早ゴブリンなんていう人外の怪物の出現に危機感を抱くことさえなくなっていた。
そしてステータス振りの時に僕が持っていた考えも正しいものだったようだ。ゲームにおいては大抵STRに振った場合に攻撃力だけが伸びるものだが、現実この場においては力の増幅に伴い敏捷性だとか耐久力だとかも増している。脚力が増せば足が速くなるのは現実世界ならば当然の理屈だろう。既に常人と比較すれば相当な力を振るっているのだが、殴った反動で皮膚が裂け骨がバラバラになるような事態も避けられている。ただそれでもかなり痛むし最悪骨にヒビが入るくらいはしていそうなので最低限VITにポイントを振ることは考えておいたほうがいいかもしれない。
棍棒は折れたので捨てた。武器は破損するとウインドウに収めることも出来なくなるらしい。
そういえばクラスを眺めた時にSmith なんてのも目に入ったが、科学者の調合がテキスト化されたアイテムを利用するようなものであることを考えるとインベントリに収めることができない破損した武器の修理が可能かどうかは微妙なところだろう。
「本当だ……部屋の隅にゴブリンもいますね」
千紗ちゃんが鼻をつまみながら相槌を打つ。
悪臭を放つゴブリンの返り血を浴びるうちに僕もまた歩く肥溜めのような悪臭を放つようになってしまった。
しっかりした武器を握っていれば浴びる返り血の量を減らせたはずであるので、何かしらの武器は常に持っておきたいところだ。僕は既に嗅覚が麻痺してしまっているのだが、女の子からのこの冷たい視線を浴び続けるのはキツすぎる。
その視線から逃げるように僕は走って部屋に入り、思い切りゴブリンをぶん殴った。
そこに細かい駆け引きはない。
力任せに殴ったらひとつの命が絶える。
とても気持ちがいい。人間の、特に男の根底には『暴力を振るいたい』という食欲だとかとは比べ物にならないほど巨大な欲望が潜んでいるのだと思う。そう思わせるに足る快感が僕の中を走っている。
千紗ちゃんの元へと戻ると、先程よりも更に顔が険しくなった。より臭いがきつくなったのだろう。死体と一緒に臭いも消えてほしい。臭いというのもそもそも鼻が物質に反応して得られる感覚であるはずなのだが、どんな基準で消える物質が選ばれているのだろう。
またどこからかファンファーレが鳴り、僕らのレベルは3になった。
SPはLv1になった時と同じく、レベルひとつにつき5ポイント貰えているが、レベルが上がれど僕にスキルとやらが与えられるようなことはなかった。
とりあえずそれらのポイントはSTRに振っておく。
落ちていたアイテムは雑草の塊だった。
インベントリに入れようとすると面白いことに個々の雑草になる。これらの雑草は食用にもなりそうにない。
要するに僕らの探索の成果はゴミの山だということだ。
歩く弥勒菩薩とまで呼ばれた僕もそろそろキレてしまいそうだ。
ゴブリンからの成果物も何もなし。最初の一匹以外は一切何も落としていない。
初回は気絶というプロセスを踏んでいたことが関係しているのかもしれない。次は少し加減してみよう。
さて、あらゆるゲームをプレイして鍛えられた僕の脳内マッピングを信用するならばこの階層はもう全て漁り切っている。経験値を稼ぐため新たなモンスターが湧くまで待つという選択肢もあるが、そもそもこのゴブリンたちが文字通りどこからともなく湧いて出てくるような存在なのかという点も確かではないし、そもそも戦力は既に僕一人で戦い続けるにしても過剰なレベルだろう。
僕は早々に次の階層へと向かうという決断をした。
化学者はステータスにマイナス補正でもかかるのか、歩くペースを上げると千紗ちゃんが息を切らすので、談笑しながらゆっくりと階段へ向かう。
息を切らした顔を眺めていたい気持ちももちろん存在するが僕は紳士であるので女性の身のことを第一に考えている。今は何色のブラジャーを着けているのだろう、ってね。
下らないことを考えていると千紗ちゃんから質問が飛んできた。
「佐藤さんって今恋人いるんですか? 結構モテそうな感じしますけど」
「恋バナ? いいね、青春って感じがしてくる。僕の青春はちょっと寂しいものだったからね……幼なじみとちょっとだけ付き合ってたことがあるくらいかな。すぐにフラれて、それ以来誰ともそんな関係にはなれてない。はじめは結構みんな好意的に接してくれるんだけど、いざ恋人に、となると急に僕を嫌悪するような態度になるんだよね」
「そ、そうですか……佐藤さんくらいの相手で満足できないというのは、贅沢、って感じなんでしょうか。あるいは……」
あるいは僕の中身に問題がある、という推論が出てきそうだったので、適当な言葉を投げかけて遮る。
「君は僕で満足してくれる?」
「何ですか急に……ちょっと気持ち悪い口説き文句ですね。せめてその排泄物みたいな臭いをどうにかしてから言って欲しかったです」
好きでこうなっているわけでもないのだが。