2:呪い
唐突に出てきたウィンドウに辟易しながら思考を巡らせた。
僕の頭に今あるのはあの蠱惑的な紫色の扉がVR空間へアクセスするための端末だったのではないかという仮説だ。
そう考えるとあのサイバネティックなデザインや突然の転移、この僕を一気に萎えさせたステータスウィンドウ、現実には存在しないはずのゴブリンなど、全ての辻褄が合う。
だがこの考えも結局は重要な一点、現代にはまだ意識ごとVR空間に持っていくなんていうSFじみた技術が存在しないということを考慮していない。
これもまた妄想に過ぎないということだ。
もしかしたら文系大学生たる僕がまだ知らないだけで一部理系の奴らの間ではパラダイムシフトが起きていたのかもしれない。数学科に進んだ知り合いの言動も日に日に訳がわからなくなっていってたし、あれは進み過ぎた技術にあてられて正気を失っていたのかもしれない……いや仮に技術革新があったとして別にそこらの大学の数学科がそこまで深く関わってるとも思えないしあれはあいつの頭がおかしいだけだな、などという下らないことを考え出したあたりで僕は僕がここにいる理由について深く考えるのをやめた。
ゴブリンの頭を潰したあの感覚は、現実のそれだった。
それを考えると、先程まで萎えていた僕の興奮は再び湧き出てきた。
もしかしたら作り物の命なのかもしれないが、たしかにゴブリンの頭を潰すという行為には快感が伴った。
脳からドバドバと汁が出てくるのを感じていた。
大事なのはそこだ。
細かい理屈ではない。
僕が気持ちいいかどうかというただ一点が重要なのだ。
「そのまま見てたら何か変な画面が出てきましたけど、佐藤さんもですか?」
美少女黒髪女子校生こと千紗ちゃんの口調にはクールながら少し興奮が見え隠れしている。どうも未知の現象に少々好奇心を刺激されたようだった。かわいい。
「ああ、出てきたよ」
死は本物であるのかもしれないが、システムは明らかによくあるゲームのそれだった。
以前悪友にすすめられて受験期にプレイしていたMMORPGに近い。
SPだなんて表示だからさっきはスキルポイントだと思っていたがどうやらこれはステータスポイントの略らしく、STR,VIT,INT,MIN,DEX,LUCと並んでいるステータスを強化できるようだ。おそらく左から力、体力、知恵、精神、器用さ、幸運といったところだろうか。
ろくな大学に入れなかったが説明がなくてもなんとなくわかるあたり僕の受験期は無駄ではなかったようだ。
他の中毒者たちとPvPから些細な口論に至るまでのくだらない争いをしていた日々が懐かしい……当時の僕の生活は完全に社会不適合者のそれだった。
初期値は一律で5だ。
あまり頭の出来が良い方ではないのでINTが低かったりするのかと思ったがそんなことはないらしい。
「うーん、佐藤さんゲームに詳しそうでしたよね?どれに点数を振るべきかとか、わかったりしませんか?」
ゲームに詳しそうだなんて思われているのは心外だ、精々ゴブリンの話をしたくらいでそんな素振りを見せた覚えはない。
多少オタクっぽい黒縁の眼鏡をかけたりしてはいるが、その程度である。この子は人をメガネの有無だけで判断してないだろうか。
まあ実際視力が落ちたのはほとんどゲームが原因であるのだが。
「……多分ステータスを振るより先にこのクラスってところから決めた方がいい。そこからステータスの方向性を決めていこう」
ウィンドウにはステータスの他にアイテム、クラスのタブがあった。
UIは英語で、スキルだとかのタブはなく、この三つだけだ。
さすがに課金ショップのようなものもなかった。
アイテムタブをちょっと開いてみると、僕がウィンドウを操作するために左手に持ち替えた先程の棍棒らしきものが表示されていた。
『檜の棍棒』というらしい。
ふと思い立ち、その表示されている武器の名をタップすると手に持っていた棍棒が消えた。
予想していた通りに起きた異常な現象に戸惑いつつもう一度タップすると今度は足元に出現してきた。
まあウィンドウなんて出てきた時点で予想は固まっていたがやはり僕達はゲームをプレイさせられている可能性が高い。
本能は否定しているが理性はそう告げていた。
まあ、どうせゲームなら楽しむのがいいだろう。
死んだらそれで終わりになりそうな雰囲気もないでもないが。
僕の今のクラスはNovice になっている。
おそらく彼女もそうだろう。
ゲームにもよるが、僕の経験では転職が早い方が有利になるものが多かった。そして少し弄ってみたところ、今すぐ転職が可能であるようでもあった。
今現在ノービスとなっている部分をタップすると、ずらっと転職先候補らしきクラス名が出てきた。
Fighter ,Thief をはじめとして、それらしい単語が40以上並んでいる。
詳しい説明などはないようだ。
これら全ての中から今選べるのだとするとステータスによって転職可能なジョブが増えるということもなさそうなので、やはり今転職してしまうのがいいのだろう。
「クラス……?ああ、色々出てきましたね。これ全部その、クラス名ってことなんですか?どれがいいのか全然わからないんですけど……」
千紗ちゃんの鈴の音のように透き通った声が洞窟内に響く。
「これを見ると多分分業MMOみたいな感じだから、特別どれがいいっていうのはないんじゃないかな? ここがダンジョンだとするなら、探索で重要なのは前衛、回復役、盗賊あたりになるかな」
「なるほど……じゃあ私回復役? やってみます。どれがいいんですかね?」
回復役。
重要さに比例せず、普通にゲームをプレイする上ではあまり好んで選ばれる役割ではない────大抵の場合単独での戦闘能力に欠けているためだ。パーティプレイにおいては引っ張りだこになるが、しかしレベリングをするにも一々パーティを組まないと効率が悪い場合が殆どであり、奇人変人の巣窟であるネットゲームにおいてコミュニケーションを取り続ける覚悟、あるいはよほどの承認欲求が必要になる。今この状況でそういった常識がどの程度機能するのかは知らないが。
「あの、どうしました?」
「あー、いや、さっきから探してるんだけど、それらしい名前がなくて……」
不自然でさえあるほどに、このリストの中には回復だとか治療を連想させる名詞が見当たらなかった。
「あー……強いて言うならこれかな。Chemist 。本当に回復技能まで手に入るかどうかは怪しいところだけど……」
普通のRPGで考えたら薬師だとかのようなまどろっこしいジョブは行動に一々リソースを要求するようなニッチなものであることが多いのだが、40職まとめて表示してくるあたりこれは普通のRPGというような代物でもないはずだ……というのはまあ希望的観測でしかないのだが、一番可能性があるのはこれで間違い無いだろう。
そうでなければきっと何を選んだところで回復は不可能になっているはずだ。
「薬を作るって感じですか?」
「そうだといいんだけどね」
僕自身のクラスはどうするか。
ピーキーな後衛職、あるいは裏方といったイメージを与えてくる化学者なんていう役割を押し付けてしまった以上、僕はある程度戦闘力に特化するべきだろう。加えて言ってしまうと先程頭を潰した時の快感が頭から離れないのでBerserker あたりが適当だろうか。
序盤に上級職っぽいのを取るとピーキーすぎるせいでまともに攻略できないという例も無くはないが、まあなるようになるだろう。
こうして僕の采配で狂戦士との化学者の二人組なんていう歪な構成が出来上がった。選択に後悔はしていない……というか無難でこそないがこれがほとんど最善手だと思っている。
前衛と後衛という部分だけ切り取ってみればなかなかバランスがいいように見えてもくる。この場所が侵入を阻むトラップだらけで斥候が居ないと詰み、なんてことさえなければ概ね問題ないだろう。
「それで、ステータス振りの話だったね。まあ僕も詳しいところはわからないけど、化学者ってくらいだからINTと、あとはDEXあたりから上げてくのが妥当じゃないかな?攻撃を防ぐのは僕の役目になってくるだろうしね。初期ステータスは君も一律で5かな?」
「えっ……そ、そうです!5ですね!全部5!」
なぜだか知らないが少し慌てた様子だ。可愛らしい。
立ち止まって話し込んでるうちに新しいゴブリンでも出てくるんじゃないかと思っていたが結局そのようなことはなかった。
もしかしたらそこも自分たちから歩かなければ敵とエンカウントしないような、非常にゲーム的な世界なのかもしれない。
僕のステータス振りはもちろんSTR極振りだ。僕はバーサーカーであるので当然の組み立て方となる。
……というのは冗談として、一つ考えがあるので、それに沿ってSTRに全て振った。
攻撃を防ぐのは僕の役目、だなんて言った手前ではあるが、とりあえずはこれでいかせてもらうことにする。
ふと千紗ちゃんの方を覗くと、不安からだろうか、どうにも芳しくない表情を作っていた。
○○○
千紗のウィンドウには、佐藤のものにはない情報が表示されていた。
『Walking lily[curse]』
歩く姿は百合の花、というのを無理矢理英単語に落とし込んだような字面だ。ご丁寧に、これは呪いである、と記してあった。
目が覚めたときから、彼女は手で触れる自分の顔に若干の違和感をおぼえていた。
彼女は昔から自分の見た目に──半ば諦めから──無頓着で、ここにくる時にも恐らく酷い身なりをしていたことだろう。
清潔にして女の子らしく髪を梳いたところで、心無い言葉をかけられることこそあれ、異性に気にかけてもらうことなど彼女が知る限りではただの一度もなかった。
特に小中学校での生活など思い出したくもない。
高校受験で少し頑張って目当ての女子校に入った理由でもある。
あそこではあまりそういった沙汰に気兼ねすることがない。
気がついたら隣で気絶していた佐藤という男の反応は、千紗にとって非常に新鮮なものだった。
余程相手が女に飢えているのならこういった態度で接してもらえることもありえなくはないのかもしれないが、佐藤はそのあたりで困りそうな見た目をしているわけでもなかった。
はじめのうちは彼が特別優しいのだと思っていたが、生まれて以来その顔と付き合ってきた千紗はそこにも違和感を捉えられた。
悲しいことだが、彼女を見る異性の目にはどうしても嫌悪が混じってしまうことを千紗は知っていた。
それが一切感じられなかったのだ。
大きな水溜りを通りかかった時、彼女は水面に映った自らの姿を見て────愕然とした。
そこに映っているのはおよそ自分とはかけ離れた、整った容姿を持った少女だった。
そして今、この言葉を目の前にして、彼女は自分に偽りの皮を被せているものがそれだと確信した。
財布と一緒に鞄に入っていた生徒手帳を確認すると、そこに貼り付けられた写真すらも美しい女の皮を被った彼女の顔だった。
言い知れぬ恐怖を感じるとともに、それ以上の、悦びのようなものが彼女の身体中を駆け巡っていた。
彼女は、これを利用することにした。強かに生きることにした。
この秘密は墓まで持っていく、私は今日から別の人間だ。
今までの醜い私はもうどこにもいない。
好きでああ生まれた訳じゃない。
私だって────
言葉を飲み込み、彼女は佐藤のほうを向いた。
彼女はこの異常な状況にあって、これまでにないほど満たされていた。
この呪いの呪いたる所以か、佐藤と異なりステータスが5を切っているものもあったが、彼女はそれも秘めておくことにした。
絶対に悟られてはいけない。
彼女は生まれた時から素敵な容姿をしていたのだ。
男ならば誰もが惹かれるような、男ならば誰もが無条件に彼女を助けるような、そんな少女が最初からここにいるのだ。
彼女はこちらに熱のこもった視線を向けている佐藤をこのまま誑かして、この迷宮を攻略させることにした。
一人でいることの多かった彼女はサブカルチャーにも造詣が深く、こういった状況について多くの仮説を立てることもできたが、一方的に守られる自分であるためにそれも一切口に出さないことにした。
自分が回復役という比較的危険に晒されることが少なそうな役回りをするといった提案も以前の容姿では通ったかどうかわからない。
唐突に与えられた、この容姿の持つ力に対し抱いている感情はとても複雑に絡み合ったものだ。
隣の男に柔和な笑みを浮かべる彼女の心はとても満たされていて、同時に今まで強い劣等感と共に生きてきた十数年の重さから、最早彼女自身にも測れないほどに濁っていた。