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19:メール

 性衝動を搔き消す、外れない指輪。


 僕が特別な血を持った人間ではない以上、エリアが嵌めたこの指輪の、少なくともこの機能は、僕の貞操を縛る以外の意味を持たず、つまりエリアの僕への情愛が本物であることの一つの証明になるだろう。


 邪魔をされたはずだ。

 この指輪は僕がカルとの一線を超える事を妨げたはずで、僕は憤慨して然るべきなのだ。


 であるのに、今僕は言い知れぬ仄暗い悦びのようなものを感じてしまっている。


 エリアが僕を愛していると分かって喜んでいる。

 エリアの独占欲に喜んでおり、カルとの行為を邪魔された事を喜んでおり、そしてそこからエリアへの甘い感情が生まれてしまっている。



 おかしい。

 どう考えたってこれは異常な反応だ。



 精神を完全に侵されているかどうかで考えれば、今はまだ大丈夫だろう。

 エリアに気持ちが向いていることは確かだが、客観的に異常性を確認できている。


 これは洗脳だ。


 僕はエリアに洗脳されようとしている。

 この好意は普通ありえないものであるはずだ。

 洗脳が強まれば、僕はエリアを求めることしか出来ない猿になってしまうかもしれない。


 洗脳が強化される条件。

 先程の事から順当に考えれば、強い性衝動、若しくは行為に及ぼうとする意思が生まれた時にそれを打ち消し、エリアへの好意へと転化するものだろう。

 本当のところなんてわかるわけがない。ひとまずこれとして考える。


 つまり、僕が正気でいるためには、今後一切女性と関係を持ってはいけないということだ。


 あまりにも残酷な呪いだ。僕はそもそも今までに一度たりともそんな行為に及んだことがないのだ。

 僕も一端の男であるので、一度もすることのないまま死にたくはない。


 行為に及ぶ手段ならある。

 エリアを相手にすればいいのだ。


 それを選ぶのを妨げているものは、自分を洗脳しようとしてくる相手に対する嫌悪感という当たり前の物を除けば、僕の天邪鬼な部分と、それと不安だろう。

 そうあるように誘導されれば逆らいたくなってしまうのが僕であるし、ひいては多くの人間に当てはまる行動原理だと思っている。

 そして、エリアのことしか考えられないようになり、向こうが優位に立った時に、もし捨てられたらという不安が常に付き纏うのは間違いない。

 不義、不貞なんてものはごくごくありふれてはいるが、依存しきった僕の心を壊すのには十分すぎるほどのことだろう。


 奴の言動、行動からして僕を根っこから偏愛しているようではあったが、確証はない。

 考える事を放棄してエリアを選ぶような真似はしない。


「そうだ……カルは取り寄せが使えるって言ったよな?この指輪にやってみてくれないか」


「え……大丈夫なの?さっき凄く痛がってたみたいだけど」


「頼む」


 僕が目を見てそう言うと、不安を拭いきれてはいないようだったがカルは両の手で器を作り、包み込むようにそれを閉じた。


 そして、今度はそれを開くが……そこには何もなく、ただカルの手があるだけだった。


「ダメみたい。どうなってるの?その指輪」


「僕が聞きたいんだけどね」


 カルの超能力による取り外しも不可。となるともう薬指ごと切り落とすくらいしか選択肢が残っていなそうだ。


 指一本を失ってまでこの状況を解決したいとも思えないので、この問題はしばらく保留することにする。

 余程状況が差し迫ったらその時に薬指を切ろう。


 いや、ダメだ。

 そんな状況になった時に自分の指を切り落としてまでエリアを拒否するような意思が残っているはずがない。


「カルに二つ頼み事があるんだ」


「私にできる事なら聞くけど」


「一つ。もし僕が、何者かに操られているかのような、あまりにも不可解な行動を取り出したら、僕の薬指をカルの力で捩じ切ってくれ」


「……本気?」


「本気だ。自我と指なら僕は自我を取る」


 指輪を付けている間は意思を制御される、というものではなく、指輪が恒久的に脳を改造する装置であった場合には洗脳後に指輪を切り落としたところで最早手遅れではあるのだが、前者であった場合にはそれで問題が解決されるので試してみる価値はある。

 後者であった場合に僕の指を捩じ切ったカルがどうなるかという事は……考えないことにする。そうなってしまえばどうせおしまいだ。


「……わかった。そうする」


「ありがとう、本当に助かるよ。二つ。今から僕と一緒に、隣の部屋を見に行って欲しい」


「そのくらいなら改まって頼むことでもないと思うけど?何かあるの?」


「まあ、一応ね……」


 そこも恐らくは、尋常を外れた場所であるから。


 カルが了承したと取り、席を立ち、扉へと向かう。

 鉄製のノブを回し、扉を開く。カルも後ろからついて来る。


 自室を出て、隣の扉の前に立った。

 何の変哲も無い普通の扉だが、僕はこの扉を生まれてから一度も開かなかった。

 親から開くなと言われていたにもかかわらず、だ。

 カリギュラ効果というものがある。人間は禁止されればそれだけ求めてしまうのである。物心つかない子供のうちから存在していたこの扉を言いつけ通り一度も開くことのないまま成人したという事実からは異常性が垣間見える。



 おそらくは、いたはずの兄か姉が使っていた部屋。



 ノブに手をかけ、僕は無造作にその不可侵の領域への扉を開く。

 実際に開いたことはなかったが、今までに開こうとしたことは実は何度かあった。

 しかしその度に何か忌避感のようなものに襲われて開くことができずに終わり、それが続くうちに興味を失いそのまま忘れ去っていた。

 なぜだか知らないが、今の僕にはその忌避感がなかった。


 部屋が視界に入る。


 人形。

 ベッド。

 棚。机。本。

 窓。カーテン。

 傘立て。

 主な色調は白とピンク。


 それ以外に特筆すべきものはない。僕が想像するような女の子の部屋そのものといった具合だ。

 唯一傘立てだけは浮いているようにも思える。

 最悪異界種と遭遇することも考えていたので少々拍子抜けする結果となった。


「この部屋って?」


「大麻栽培室」


 少し気になったので、僕の冗談を半ば本気で信じていそうにも見えるカルを無視して傘立ての方に歩く。

 部屋の雰囲気からここにいたのは僕の姉だとする。どのくらいの歳まで育っていたのかはわからないが、部屋に傘立てを設置している女の子というのはそういないはずだ。

 何か特別な意味があるのかもしれない。ただ変わった趣味を持っていただけなのかもしれないが。


 学校とかでよく見かけるような無骨な鉄製のものではなく、やわらかい印象を与える木製の傘立てだ。

 そこに刺さっている傘は五本。色彩やデザインはバラバラだ。

 その一つ、黒い傘を手に取って観察してみる。

 触れてみると、どうもこれに使われている傘布は撥水性に欠けているように思える。日傘ということだろうか。

 他の傘も材質はおそらく同じ。

 ここにあるのは5本ともが日傘ということになる。


 日傘が5本。

 肌が弱く、他人と比べて自由のきかない病弱な少女が、せめて普段使う道具には拘ろうとして見繕ったもの、というところだろうか。

 僕の貧弱な想像力ではこの程度の推測が限界だ。


 机の上には教科書やノートが並んでいた。

 僕が使っていたものとは異なるが、高校生用のものだろう。

 表紙を確かめていると、その中に日記帳の存在を確認できたので手に取って開いてみる。


 白紙。


 もともと使用していなかったのか、あるいは記述が消えてしまったのか。

 いずれにせよ、この部屋の主についての手掛かりになるようなものではなさそうだった。


 物心ついてから今まで開かなかった、謎の部屋。

 こんなものか。

 思いの外特殊性に欠けていた。

 まるで埃が積もっていないという点が気になるといえば気になるが、あくまで僕が入っていないというだけの話であり、母が掃除に入るなりしていたのだろう。


 しかしながらやはり、僕に姉がいたということ、そしてその人が異界種に食われたのだということは確実であるように思われる。


「ありがとう。知りたいことは知れた」


「私は後ろから見てただけなんだけど……」


 礼を言って、部屋を出る。


 歩いていると携帯が鳴ったので、取り出して確認する。

 僕が昔作ったフリーメールアドレス宛てのメッセージだった。


「カルは今日は泊まってくつもり?」


「いや、泊まりはしないかな。ユウがなんか調子悪いみたいだし」


「あー、それ多分これのせいなんだよね。呪いの指輪」


 エリアに嵌められた指輪をカルに示す。


「呪い?大丈夫なの?」


「今のところ実害は女の子といちゃいちゃできないことくらいかな」


「あー、それで……」


 カルは今までの僕の行動や言動に得心のいったような、それでいてどこかほっとしたような表情を見せる。


「それで、体調が悪いわけではないんだけど、どうする?」


「んー、やっぱり泊まりはしないかな。着替えとかも持ってきてないし」


「わかった。追い出すようで悪いんだけど、そうであるなら今すぐ帰ってもらわないといけない。外出する用事ができちゃってね」


「ふーん。何するの?」


「ボランティア」


「……ほんとに?」


 訝しげに聞き返してくる。


「本当だよ。不自然?」


「不自然だよ、全然イメージと合わない……それ、私もついて行っていい?」


 心外だ。これでもモラルは人並み以上にしっかりしていると自負しているのだが。


「んー、まあカルなら構わないかな。って言っても、僕もまだ詳細は知らないんだけど」


 以前であれば拒んでいただろうが、カルが自衛能力のある超能力者だとわかった今、これといって拒否する理由はない。


「どういうこと?」


「こういうこと」


 そう言って、カルにメールを開いた僕のスマートフォンを見せる。


 僕に届いたメールの内容。


 タイトルは無し。


 高良浅葱という、おそらくは少女の名前と、その住所、そして『助けてください』という文言だけが添えられていた。

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