18:瞳の色
上里迦縷は超能力者だった。
そのこと自体より、それをこの子が生まれてから今まで僕に隠し通せていたということの方に驚いた。
馬鹿にするような意図はないが、カルはそんな大きな秘密を意識していたらちょっとした事で口から漏らしてしまいそうな子だと考えていた。
それにカルは昔から感情をあまり抑えられないタイプで、少なくとも隠し事をしているという事自体を親密だった僕相手に隠し通せるとは思えない。
余程強く口止めでもされていたのだろうか。
カルの親の宗教とも何か関係があるのかもしれない。
「あの、見せてみよっか?超能力」
カルがどこかそわそわした様子で提言してくる。
「お願いするよ」
僕の言葉を聞くと、カルは僕の左手に視線を向けた。意識を集中させているのだろうか、その表情が僅かに真剣なものになる。
すると間を置かず、僕の薬指を目に見えない何かが触れているかのような感覚が襲い────少しして、指輪と接触している部分に激痛が走った。
「いっ、ああああああああああッ!? 痛い痛い痛い痛い痛いッ!! ストップ、ストップだ!」
唐突な、それでいて余りに強い痛みに思わず情けない声を上げてしまう。
指を内側からズタズタにされ続けているような気がする。普通に生きていれば一生経験することがないであろう感覚だ。
「え、ええっ、ご、ごめん!」
カルが謝り、目線を切ると同時に、僕の指を襲っていた痛みが止む。
「…………ッ、ああっ、死ぬかと思った……なんなんだ、一体」
つい先程まで、地獄の釜で茹でられているかのような、信じられない程の痛みに襲われていたはずなのだが、それは全く後を引かず、今現在僕の感覚神経は何の信号も発していない。
カルの方も僕の反応に相当に驚いたようで、狼狽している様が見て取れる。
やはりカルが悪意を持っていたわけではないようなので、そうだとすれば今の激痛の原因はこの指輪に帰するわけだ。
「その、手を触れずに指輪を外してみせようとしたつもりだったんだけど……大丈夫?ほんとにごめんね」
カルは心から申し訳なさそうな顔で謝罪の言葉を告げる。
エリアは決して外さないようにと言っていたが、どうやらそれ以前にこの悪趣味な指輪は滅多なことでは外れないようにできているらしい。
先程引っ張られた時の感覚からして、恐らくだが、指の骨と指輪を何らかの形で結合させてある。
普通にしていれば痛みはないのだが、最悪内側から生えた棘が指を貫通するなどしていてもおかしくはない。
自称神様の作った指輪だ、そもそも現実に存在しなかったものであり、多少の不合理はクリアするような代物だろう。
「いや、大丈夫だ、驚かせて悪かったね。カルが悪い訳じゃないから、謝る事はない」
強いて責任の所在を挙げるとすればエリア以外にないだろう。
何食わぬ顔で身に付けている指輪が決して外れない呪いの装備だなんて、カルでなくても普通考えない。
さて、この忌々しい指輪についてはまた後々考えるとして、今はカルのことを優先したい。
「あれを動かしてみてくれないかな」
言いながら指差したのは、僕の机の上に置いてあった参考書だ。まあ何でもよかったのだが、手近なところにそれがあった。
「わかった」
カルが視線をそちらに向ける。
意識が逸れたその間に僕はちらりとカルの太腿を見る。ニーソックスから覗くその白い肉はやはり吸い込まれそうなほどに魅力的であった。
すぐに視線を勉強机のほうに戻す。
参考書が宙に浮いていた。
そしてパフォーマンスのつもりなのか、その参考書が信じられない速度で室内を旋回しだした。空気を裂くような音が鳴る。
上下から圧力がかかっているのか、それだけの動きを見せてもページが一切開かないのも驚くべき点だろうか。
少しして、参考書は元の位置に降り立った。
カルを見ると、見ているこちらまで嬉しくなってくる程の、感情をそのまま発露させたような笑顔をこちらに向けていた。
暴露してしまいたい気持ちを今まで必死に堪えていたことの反動としてこのような顔ばせを見せているのだろうか。
とにかく、カルがサイキックであるということは今のでほぼ確定だ。
「どう?すごくない?」
「ああ、驚いた。カルは凄いな」
それが望まれていたようなので、少々わざとらしいかもしれないが素直に褒めておく。目下の重要事項はこの子の好感度を上げることだ。
気を良くしてくれたのか、カルの表情は更に緩んだ。
「んふふ……これは念動力って言うんだけどねえ、他にも色々出来るんだよ。発火とか、転移とか!長い距離を移動できるわけじゃないんだけどね」
彼女が行使できるのはサイコキネシスだけではないらしい。これは僕の予想していなかったところだ。
隣に座る可愛らしい女性はどうやら今まで僕が抱いていた印象から大きく逸脱した、万能でぶっ飛んだ存在らしい。
「転移か。それも見せてもらっていいかな?」
個人的には念動力よりも転移の方が現実離れしているように感じる。
常識的にはどちらも有り得ない能力であるはずなので、それに対して比較的現実的だとか言うのもおかしな話ではあるのだが。
「うーん、ここだとちょっと難しいかなあ。出てくるときに周りのものを押しのけちゃうんだよね。そんなに精度が良いわけじゃないから、部屋を壊しちゃうかもしれない」
「なるほどね。見られないのはちょっと残念だけど、カルの言葉だ、それも信じることにするよ」
転移、念動力、発火能力。
僕が具体的に教えてもらったカルの異能はこれだけだが、彼女の口振りからして他にもまだ使えるものがあるようだ。
「読心術、って使える?」
「他の超能力者はどうなのか知らないけど、私は無理だね。念話も無理」
どうやら僕の心を読まれることはないらしい。少し安心した。
「カル以外にも超能力者がいるの?」
「知らないけど、いるんじゃない?私だけって事はないと思うんだけど」
山羊目玉から複数のサイキックの存在を聞かされている手前すっとぼけた質問だったが、聞きたい事は聞けた。
彼女の言葉から考えると、カルの身近にはカル以外の超能力者は居ないという事になる。
だとするならば、カルの親までもが超能力者ということもない。
先程生まれつきだと言っていたので超能力は遺伝するものなのかもしれないとも考えていたのだが、血によって全てが決まるわけでもないらしい。
だとするならば、なぜサイキックなどという存在が生まれるのだろう。
いつだったかエリアが言っていた、星の防衛機構という言葉が頭に浮かぶ。
カルも、エリアと同じように、この星を守る為に力を与えられたのだろうか。
カルが単身ダンジョンに潜りながらも今も無事でいるのはその能力の恩恵によるところが少なからずあるのだろうが、そもそもそんな力がなければダンジョンへと引き込まれることがなかったのではないかと考えると、不条理というものを感じずにはいられない。
力を与えられるのがこの子である必要はあったのだろうか。
「……どうしたの?やっぱり指が痛む?」
「ああ、いや、なんでもない。ちょっと考え事をしててね」
唐突に黙り込んだことで余計な心配をかけてしまったようだ。
最近柄にもなくこういった考えに耽ることが多くなったような気がする。刹那主義的なところがあった以前の僕からすれば有り得ないことだろう。
魂の変質とやらがこの思考傾向の変化に関係しているのかもしれない。
「使える超能力を全部教えてもらってもいいかな?」
「うん。他には取り寄せと、ちょっとした予知。数秒先の未来がたまに見えるんだ」
取り寄せか。また便利そうな能力だ。
それと予知能力。数秒とはいえこれも当然僕達の常識をぶち壊していく異能だ。
まあ初めてダンジョンに潜った時点で僕の抱える常識など殆ど粉々になっていたのだが。
「ありがとう、今後を考えるにあたって参考になったよ。さて、大分話が逸れたけど、今日はダンジョンについて聞きに来たんだったね。それなりに知っているはずだから、聞きたいことがあったら聞いてくれ」
僕がそう促すと、カルは斜めに視線を下ろし、僅かに目を伏せるような形で恥ずかしそうに口を開いた。
「あー、そうなんだけど、不安で、話を聞いて欲しかったっていうか、別に具体的な助言が欲しいわけじゃなかったの。久し振りにユウと会えたのも嬉しかったし、もう満足しちゃった」
言って、今度は僕を真っ直ぐに見て、少し赤くした顔で笑みを浮かべる。
好感度振り切れてるじゃないか。僕はなんで振られたんだ。
彼女のそれに呼応するように僕も少し口角を上げる。
僕の認識が間違っていないのならば、カルは昔と変わらず僕に対し溺愛と言っても過言ではないほどの並々ならぬ好意を持っていて、そんな相手と実に五年振りに再会したというわけだ。
さぞ気持ちが昂ぶっていることだろう。
少しの間見つめ合う。
カルの瞳は空色に近い青色をしている。
一般に白人が持つような碧眼よりもその色は少しだけ暗く、また、光の加減によっては翠にも見える。
それを覆う長い睫毛は髪と同じ深蒼。
僕の意識を釘付けにするのには十分すぎるほどに魅力的な大きな眼だ。
恥ずかしくなってきたのか、カルが僕から見て左へと目線を逸らす。
よく見れば薄く桃色の口紅が塗られているらしい小さな口が開こうとする。
それを止めるように、しかし緩やかに、カルの頬へと左手を伸ばす。
僕の指先がカルの肌に触れると彼女は右目を細め、小さく身じろぎをするが、それを拒むような様子はない。
そのまま頬のあたりを優しく撫ぜる。
カルはどこか心地よさそうに顔を上気させている。呼吸のペースが上がってきていることが見て取れる。
手をカルの耳へと動かす。
触れるか触れないかという力加減で置いた指先でその形のいい耳をそっとなぞる。
カルは昔からここが弱かった。
「んっ」
カルが堪え切れずに声を漏らす。いや、抑える気など元々ないのかもしれない。
ますますその呼吸が荒くなっていく。
興奮からか羞恥からか、撫でられている耳の先まで真っ赤になっている。
左手で耳を触り続けながら、右手も差し出し、その白い首筋に触れる。
これにも僅かにカルの体が跳ねる。
右手の人差し指と中指を纏めて頸動脈のあたりにあてがう。とくとくと、はっきりと脈打っており、心拍数が平時の倍ほどに速くなっている事が窺える。
僕は相手の身体の状態、特に心臓の鼓動の様子を把握するのが好きだ。今のカルの脈拍と呼吸は僕を著しく昂らせた。
体温の上がった体を撫でながら、手をカルの後頭部と腰にそれぞれ移す。
肉がついていないわけでもないだろうが、僕の手に絡め取られたその体は折れてしまいそうなほどに細い。
「カル」
名前を呼ぶと、彼女も僕の意図を理解したようで、その綺麗な二重瞼を下ろした。
手に軽く力を入れて抱き寄せ、僕の唇をカルの唇に軽くあてがう。
赤い肉同士が軽く触れ合うと、カルもこちらを抱き寄せてきた。
カルの唇は僕と同じヒトという動物であるとは思えない程に柔らかく、また、顔を寄せた時には、少し甘い、僕の中の雄を目覚めさせるような香りがした。
体の方も密着しており、柔らかいその肉体越しに激しくなったカルの鼓動がはっきりと伝わってくる。
カルとキスをするのはこれが初めてではないが、最後にしたのは確か小学校に上がるかどうかといった時分だ。
今まさにしている行為は、子供同士のそれとはまるで本質が異なる。
一度顔を離す。
はぁ、というカルの漏らした熱っぽい息が僕をまたカルへと惹きつける。
すぐにもう一度、先程よりも強く抱き寄せ、舌でカルの唇をこじ開ける。
今度もカルからの抵抗はなく、すんなりと顎を下ろし、僕の舌を迎え入れる。
カルの唾液に少し甘みを感じる。
歯の内側へと侵入した僕の舌は口蓋のほうへと伸び、歯の少し上あたりをなぞる。このあたりは口の中でも特に敏感な部分だ。
抱き合い、粘膜同士で繋がっているため、これに対するカルの反応も手に取るように伝わってくる。
感情が表に出やすいという性質はこういう場面においてはどうしようもないほどに僕を駆り立てる。
吐息が互いの顔にかかる。
カルの舌も僕の口の中へと入ってくる。
僕を抱くその手も力を強める。
僕はその柔らかい舌を吸い、甘い唾液を吸い、貪るようにキスを続けた。
それに対抗するようにカルの舌もまた艶かしく動く。
蠢くカルの口の中をねぶり、味わう。
欲望と多幸感と征服欲とが、獣のように僕を突き動かしていた。
ぴちゃぴちゃという淫靡な水音が部屋を満たす。
どれくらいの時間、舌と舌を交わらせていたのだろうか。
キスを続け、そして内にある獣の欲望を膨らませ続けていた僕は、舌を抜いてベッドから立ち上がる。
そのままカルの正面へと回り、腰に手を回して、とうとうその女らしい肢体をベッドへと押し倒し、覆い被さると────途端に頭の中がクリアになった。
僕の思考からあらゆる欲望が一度取り除かれる。
それで満たされていたはずの僕という存在は一度空っぽになった。
僕はなんでこんな事をしているんだ?
射精の快感に呆けているわけではない。そんな感覚はなかったし、僕は一度で満足するようなぬるい性欲を抱えてはいない。
そもそも僕はカルを見てから一度だって勃っていなかった。
今考えればそれも不自然だ。
僕はついさっきまで続きをするつもりでいた。
客観的に見ても、理性でもって引き下がるのであればともかく、欲望ごと消え去ってしまうというのはどう考えても異常事態だ。
自分のことであるはずなのに、何が何だかわからない。
心拍もすっかり落ち着いてしまった。
魅力的な異性と密着したままであるというのに性的な欲望の一切は未だ再び湧き出てくる様子がない。
「……どうしたの?」
急に態度を変えた僕にカルとしても違和感を覚えたのか、すっかり赤く染まった顔を心配しているように歪めながら尋ねてくる。
「いや……ごめん、続きはまた今度にしよう」
言いながら、立ち上がり、勉強机の椅子をカルの方に向けて座る。
「……なんで?私じゃダメだった?」
「そんなことはない。カルはとても魅力的な女の子だよ。ただ……僕が…………うん、どうしちゃったんだろうね……」
顔に手を当てながら、自問するような言葉を連ねる。
今までにない経験だった。
欲というものは基本的に二次曲線のような形を取って増減すると考えていたのだが、まるで定義域を出たかのように忽然とそれが消えてしまった。
熱気のやや抜けたカルは胸の辺りを押さえながら不安に苛まれていそうな表情で僕を見ている。彼女には本当に申し訳ない事をした。
不自然なほどに冴えてしまった脳味噌が導き出した原因は勿論、エリアに嵌められたこの紅い瞳の指輪だった。