17:歪な糸
閑静な住宅街にある、二階建ての一軒家。
ペンキで黄色く塗られた壁と瓦屋根のアンバランスさが独特の雰囲気を醸し出している。魅力的だと捉える人もいるのかもしれないが、僕からすれば少々奇妙であり、そこまで良い印象を持つことはできない。
僕の家、もとい僕の親の家である。
門を潜って玄関へと向かい、紺色の、鉄製の扉を開く。
「ただいま」
「あら、おかえりなさい。今日ねえ、カルちゃんが来てるのよ」
「はあ?カルが?なんで?」
リビングへと向かいながらの僕の帰宅の挨拶に返事をしたのは母だったが、同時に予想だにしなかったことを告げられた。
カルこと上里迦縷は僕の幼馴染だ。
志木ほどではないにしろ変な名前をしているが、親が何かしらの宗教にハマっていることが理由らしい。僕の宗教に対する偏見は大体ここから来ている。
世の大概の幼馴染とは異なり、それなりに大きくなっても、具体的には中学生くらいになっても僕たちは非常に仲が良かった。
親ぐるみの付き合いであり、それこそ頻繁にお互いの家に遊びに行くような関係だった上、一時期は恋人として交際をしてもいた。まあすぐに振られることになったのだが。
それ以降は一切連絡を取っておらず、親同士の付き合いもまたぱったりと絶えていたようだった。
そのカルが、今更我が家に何の用なのだろう。
「さあ、何か知らないけど思い詰めたような顔してたわねえ。あなたに話したいことがあるらしいわよ」
「話したいこと、ねえ……」
さっぱり見当がつかない。実は千紗ちゃんの事を密かに想っているレズビアンで、僕が彼女に手を出さないように脅しに来たとかだろうか。
結構筋が通っている気がする。我ながら名推理である。
大穴で復縁というところか。もしそうなのであれば、僕のコイン排出口がジャックポットで大フィーバーしてしまいそうだ。
「まあ何であれ、これを機に仲直りできると良いわねえ。あなた達、昔はあんなに仲がよかったのに、急に疎遠になっちゃって」
僕たちの関係が親にどう伝わっていたのかは知らないが、気にしてはいたらしい。
「僕としてもそうしたいね。ここにいないって事は僕の部屋かな?」
「そうよ。あ、あたしがいるのを気にしてやりたいことを控える必要はないわよ」
「完全に余計なお世話だからね」
話がどう転んだとして絶対に今日いきなりそこまでいくなんてことはないだろう。いや、普通いくのか?僕がそういうことを重く捉えすぎなのだろうか。
諸々邪な事を考えながら、階段を上がる。
すぐ右手にあるのが僕の部屋で、その奥には件の部屋があるのだが、まあ人を待たせているようなので後に回すことにしよう。
自室の扉を開くと、ベッドには僕くらいの歳の女の子が座っていた。こいつは普通にこういう事をする。
長年の付き合いがあったとは言え、結局何もせずに別れたわけで、久し振りに見るその姿には少々心臓が跳ねてしまう。
昔と変わらない特徴的な髪色、具体的には少しだけ青みがかった艶かしい黒なのだが、その髪で作られた長めのサイドポニーは実年齢に反して子供っぽくも見える。
これも昔からカルが好きだった髪型なのだが、今でもそれは変わらないようだ。
反対に、肢体の方はもう子供のそれではないようだった。
膝上のあたりまでをニーソックスで覆われた、ショートパンツからすらりと伸びた足は大人の女性のそれで、露わになっている太腿に程々についた白い肉が僕の情欲を唆る。携帯を弄る指もどこか女性の魅力を感じさせる。
何より、その胸に実った果実が、彼女の成長を如実に物語っていた。
昔は真っ平らだったはずなのだが、ここ五年ほどでパーカーを内側から露骨に押し上げるほどに大きく成長したらしい。Dくらいはあるだろうか。
彼氏に収穫された事で大きくなったのかもしれないなどという考えが僕の頭を過ると、急に目頭が熱くなってきた。
泣いてはいけない。
泣いてしまったら、負けを認めることになる。
正直な話、僕はこの幼馴染、カルのことをずっと引きずっていた。千紗ちゃんと出会ってからもそれは変わらなかった。
僕の目を離れたこの五年に何があったのかと考えると気が気でない。話があるとのことだが、僕はそれを聞いている間正気を保っていられるだろうか。
その碧眼がこちらを向く。
父親を見たことはなかったので、昔はハーフなんだろうという程度にしか考えていなかったのだが、髪の青は一体どこから来ているのだろう。
家系図が気になるところである。
「……なんか目がいやらしくない?」
「気のせいだと思うよ」
「そう……まあいいや、座ってよ」
彼女はそう言って勉強机のところにある椅子を指差した。
まるで僕が客側みたいな扱いを受けている気がするが、言われた通りにカルの隣に座る。
「いやっ、あっちに座れって言ってるの!」
本気で拒否している様子ではなく、頬を紅潮させてもいる。どうやら未だに僕を嫌っているということはないようだ。
「まあまあ、実に五年振りの再会なんだ、このくらいいいじゃないか。話をするのに支障があるわけでもないだろう。それで、今日は拒絶したはずのこの僕に何を相談しにきたんだい?」
少々意地の悪い言い回しをしながら顔を寄せる。
僕の顔を遠慮なく掴んで遠ざけるが、これにも照れてくれてはいるようだ。
なかなか好感度が高いのではないだろうか。逆転満塁サヨナラホームランもあり得そうだ。
「いや、あの時のことは悪いと思ってるんだよ、私……なんだかユウのことが怖くなってたの」
怖くなった、か。いまひとつわからないが、それでもあそこまで言うことはなかったと思う。大好きだった子にチンパンジー以下だと言われた望月少年の心にできた穴の大きさは測り知れない。
しかし、翻って、今は怖くないという話でもあるわけだ。
俄然気持ちが上を向いてきた。今日は強気で通すことにしよう。
「今はもう大丈夫って事でしょ?もうちょっと近づこうよ」
「話しにくいでしょ……とりあえず話が終わってからにして」
顔は赤く染めたままなのでいまいち説得力がないのだが、面倒ごとは先に済ませるべきだと考え、大人しく引き下がる。
話を終えた後が楽しみだ。
「突拍子もない話なんだけど、ユウなら何かわかるかと思って……昔からすごく頭良かったし、なんでも知ってたから」
「買いかぶるなあ」
確かに僕は昔、自分の事を頭の良い人間だと思っていた節があった。周りの人間より賢い自覚があったし、周りの人間より余程勉強ができた。
所詮僕などは井の中の蛙であったと知るのはカルに振られてから少し後の話だ。
なので、カルの中にはまだ僕のそういった印象が残っていたのだろう。それを頼りにわざわざ僕なんぞを訪ねてきた、と。
「買い被りなんかじゃないよ、いつだってユウの言葉は私を助けてくれた」
自分の昔を知る人間と話すというのはこうも恥ずかしくなることなのだろうか。全身がむず痒い。
というかなんでそんなに評価してる人間と別れたんだ。おかしいだろ。僕が一体何リットル涙を流したと思っているんだ。
「それで、話って何?」
手で空を払うジェスチャーをして、話を促す。さっさと終わらせて僕達のこれからの話をする所存だ。
「えっ、あの、その指輪……結婚したの?」
一瞬で話が逸れた。
あまりにも体に馴染んでいて今の今まで忘れていたのだが、僕は左手薬指にエリアの指輪を嵌めていたのだった。さすがに気になるか。
「気にしなくていいよ、事情があって外せないんだけど、特別な意味がある物でもないからね」
「そうなの……」
ホッとしたような表情を見せるカル。絶対こいつ僕のこと好きだろ。僕としてはこの指にもう一つ指輪を嵌めるのも吝かではない。
「信じてもらえないかもしれないんだけどね」
ようやく本題に入る気になったようだ。前置きからして、やはり僕にもう一度告白でもしに来たのだろうか。やっぱりユウのことが好きなのってね。
そうであるならば僕はもちろん受け入れるつもりだ。心の準備はできている。早く続きを告げるといい。
「────私、異世界に行けるみたいなの」
「なるほど」
一切予想していなかった言葉が出てきた。
どうやらカルは僕と同じ経験をしてきたらしい。僕が初めてダンジョンに潜った時は千紗ちゃんと一緒だったが、カルはどこの馬の骨かもわからない奴とペアを組まされていないだろうな。
「じゃあ、その異世界に行った時のことをもうちょっと詳しく話してくれる?」
「うん。大学から帰る時に、変な色の光が見えて────」
カルの話を要約する。
気がつくと遺跡のような場所に一人でいて、そこから出ようとするとゲームに出てくるモンスターのような生き物と遭遇した。それをなんとか倒すと、ステータスウィンドウが現れた。電子世界なのかと思って先に進み、遺跡のボスを倒して帰ってきたのだが、どうも中で取得したスキル、『視界拡張』が現実でも機能しているようだと。
「視界拡張?どんなクラス取ったんだ?」
「英語だったからよくわかんない」
カルが結構なアホの子だったことを今更ながら思い出した。頭の中身の方は五年程度ではそこまで変わらなかったらしい。
悪い男に騙されてなどいないだろうかとまた心配になってきた。
「……まあいい、僕は君の話を信じるよ。僕も同じ経験をしているからね」
「えっ!? そうなんだ! よかった、もしかしたら最初から信じてもらえないんじゃないかと思ってたの」
「まあ実際に経験してなければ信じていなかっただろうね。しかしよく一人で突破できたね、女の子一人で異界種ないしその眷属を倒すのはそう簡単なことではないと思うけど」
特にレベル0のとき、ステータスウィンドウを見ることもできない時に眷属を殺すというのは、肉体的にも精神的にもなかなか難しいことだろう。
単に僕らとは放り込まれた環境が大きく異なっていたというだけの話かも知れないが。
「あっ、それは……うーん、私ももう大人だし、ユウには……言っちゃってもいいのかな」
何を言うのか知らないが、僕にだけ教えてくれるというのは素晴らしい。
二人だけの秘密というのは、多くの場合若い男女を強く繋げる赤い糸になり得る。
逡巡があったようだが、結果としてカルはその小さな口を開く。
「生まれた時からなんだけど……私、実は……超能力者なの」
「なるほど」
帰宅後三つ目の予想だにしなかった言葉が飛び出してきた。