13:嘘
「少し考えてることがあって────千紗ちんは人間じゃないんじゃないかって」
僕の女性関係をつついた後、栞ちゃんは突拍子もないことを言い出した。
「いや、どう見ても人間だけど。ああ、超能力者とか?」
存在するらしい、というのは既に聞いている。
仮に千紗ちゃんがサイキックで僕の心の中を覗けるとすると大変なことになるので、そうではないか、少なくともそういう能力はないものだと思われる。
ないよね?
そんなことができてしまうのはエリアだけで十分だ。
「そうかもしれない。私にしっかり推測できるのは少なくとも今の千紗ちんが昔から私の隣にいたわけではなかっただろうというところまで」
その人間ではない何かが最近になって千紗ちゃんとして現れたか、あるいは昔からいた千紗ちゃんとすり替わったかだと考えていると伝えたいのだろうか。
どちらにせよ栞ちゃんへの記憶の改竄があったはずだということか?
「なぜそう思う」
常日頃幼い感じの子に対してイエスマンになりがちな志木もさすがに口を挟む。
「勘」
勘。
勘ときたか。
なんとなくそう思った、ということなのだろうがこういうのは言語化が難しいだけで発言者なりに根拠を持っていることが常だ。
思い詰めたような顔で言い出したあたりも考え含めて栞ちゃんの場合も適当な発言というわけではないのだろう。
しかし、説明するのは難しい、と。
「面白いけど根拠が勘だけじゃなんとも言えないね。もうちょっとなにかない?」
「……魅力的すぎると思わない?」
「まあね」
惚気か?
百合なのか?
いや、そういう話ではないだろう。
栞ちゃんの言わんとしていることはわからないでもない。
千紗ちゃんの美しさは少々現実離れしたものなのだ。
もしかしたら彼女の美しさを客観的に見ればそこまでのものではないのかもしれないが、少なくとも僕の惹かれ方を客観的に見れば尋常ではなかったはずである。
まあそれは単にこの異常な環境によって育まれた恋愛感情からの偏執に過ぎないのかもしれない。
しかし、そうでないとしたら?
サイキックなどと言ってはぐらかしたが、つまり栞ちゃんの『人間ではない』という言葉が意図するのはこういうところなのだ。
「まあ、千紗ちゃんが異界種かもしれないって話だよね」
エリアは基本的には異界種が僕達の世界に出てくることはないと言っていたが、モノリスの生成過程を見るに結構例外がありそうだ。
根拠は薄すぎるがまああり得ない話ではない。
人間じゃないから、人間とは思えないほどに魅力的。
素敵な話だ。
志木は驚きからか口を開いている。
「……マジか」
「私はそうだと思ってるよ」
苦虫を噛み潰したような表情を作る栞ちゃん。
結構本気で悩んでいるらしい。
千紗ちゃんと栞ちゃんは長いこと友人でいるらしいので、仮にそれが真実だとするならばおぞましい話だろう。
得体の知れない生き物に自分の記憶の大部分を改竄されているのだ。全身が粟立つようなホラーである。
仮にその美しさが人間のそれを大きく逸していると認識できたとして、どうして記憶が弄られたという話にまで飛躍するのかというところがいまいちわからないのだが、長らく千紗ちゃんと過ごした記憶を持っている彼女だからこそ感じ取れた違和感があるのかもしれない。
「記憶の改竄、すり替わり……このあたりじゃ神隠しなんてものもあるそうだしな、それに関連した話かもしれない」
このあたりで起こる神隠し。
僕としては聞き覚えがないがそれはつまり────異界種によって捕食された者達の話だろう。
あの白い蛆のようなものはリード越しに接触していただけの僕達さえこの世界から覆い隠していた。
もし捕食されて体内に取り込まれなどすれば、『この世界に生きていた』という事実ごと消えてしまうかもしれない。
「いわゆる民間伝承だな。突然、そこにいたはずの人間が消えるって話だ。より正確に俺たちの立場から言うなら、消えるのではなく、痕跡が現れる」
声のトーンを落としてそれらしく語り始める志木。
変なスイッチが入ってしまったかもしれない。カルト信者みたいに語り続けている。
「気が付いたら家にあるんだ。見覚えのない小物が。誰も着られない服が。余計な家具が。そして────記憶にない部屋が」
ノリノリだ。志木にこんな趣味があったとは。
話を聞いていると、僕の頭の中で何かが引っかかった。
記憶にない部屋。
その単語だ。
「体験談?」
「まさか。しかし、大真面目にこんな話をしている大人があまりにも多い。俺としても気になってくる。ダンジョンがどうとかいう与太話を少し信じる気になったのも予備知識としてこれがあったからだ」
志木の周りには大真面目にそんな話をするヤバい奴しかいないようだ。
僕は最近のごたごたで理解が進んでいる故にその現象が実際に起こっているのだと推測できるわけだが、異界種の存在を知らない人間からしたらそれは完全にオカルトであるはずだ。
友達やめようかな。宗教絡みは本当に怖い。
教えがホラーとかそんな話じゃなくて、上のほうで欲に塗れた人間が甘い汁──言葉通りの淫靡なものも──を啜っていたりとか、弱さに付け込まれ倫理観の崩れた人間に害されたりだとか、そういうリアルな怖さがある。
中世ヨーロッパでは悪魔に取り憑かれたとか適当な言い訳をして実の娘を姦淫したりといったことが結構頻繁にあって、それが罷り通っていたらしい。
羨ましい限りだ。
話の流れからして僕も今そう言って栞ちゃんに襲いかかっても許されそうな気がする。
しかしそれはそれとして、これに関係あるのかまでは分からないが志木の言葉で一つ思い出したことがある。
「そういえばうちにもあるね、謎の部屋。親から絶対に入らないようにって言われてる。てっきり中で大麻でも栽培してるのかと思ってたけど、既に僕の家族が誰か消えていて、僕まで神隠しに遭うと困るから閉め切ってるって話だったのかな」
話が少し逸れている気がする。
なぜ栞ちゃんが千紗ちゃんを異界種だと思ったのか考えよう。
記憶。おそらくそれが鍵だ。
それと、千紗ちゃんは前回ダンジョンで起きたことをほとんど栞ちゃんに伝えているはずである。
それらから、千紗ちゃんから前回の山羊目玉の話、異界種が魂──山羊目玉の言う魂が僕の認識するものと大きく乖離していないのなら、それはすなわち記憶でもある──を操り喰らう者だという話を聞いて、栞ちゃんは『記憶の改竄が感じられるから千紗ちゃんは異界種なのだ』という結論を出したのだろうと考えられる。
なるほど筋は通っている。
しかし。
しかしだ。
「まあ結局、別に千紗ちゃんが人間かどうかなんてどうでもいいよね」
そんなことはどうでもいいのだ。
僕との間に子供が作れない、となると少々問題かも知れないが、まあその時は養子でも貰えばいいかな。
「……ええ?」
僕の知っている千紗ちゃんが異界種で、本来の千紗ちゃんとすり替わっているか、千紗ちゃんという架空の人物を栞ちゃんの脳にねじ込んで僕らの側にいる。
それが事実だとしたらそれこそ中々ショッキングだ。
ショッキングだが、さして重要なことでもない。
そもそも知ったところでどうしようもないタイプの事なのである。
仮にこのままでは麻酔を打たれて生きたまま脳味噌を吸われる運命にあるとわかったとしても、既に情が移っている僕には千紗ちゃんを殴り飛ばせる気がしない。
こういう感情も洗脳によるものだとすれば僕達はとっくに詰んでいるのだ。
だからどうしようもないしどうでもいい。
千紗ちゃんが特殊だなんてことはとっくに分かってる。今更そう聞いたところで何か変わるわけではない。
私実はエイリアンだったのってカミングアウトされても道理で可愛いと思ったぜと言ってのけるつもりだ。
宇宙人でも未来人でも超能力者でもどんと来てほしい。
「なんでそう思ったか知らないけど、今まで危害を加えてこなかったんでしょ?大丈夫大丈夫。それに僕は千紗ちゃんが人間じゃなくても受け入れられるだけの器を持ってると自負してるぜ」
「……なんか悩んでるのが馬鹿らしくなってきたよー……」
「被害がなければ問題ないというのはその通りだろうな。未知への恐怖だけを理由に迫害するなんてのは前時代的だ」
「まあそんなに気になるなら本人に聞けばいいよね。嘘発見器があるんだし」
栞ちゃんの方に目配せをしながら言う。
魔法って素晴らしい。
僕も魔法使いになっておけばよかったかな。
◯◯◯
「や、やっと合流できた……悠一郎さん、なんではぐれちゃうんですか」
森の奥から疲れ切った様子の千紗ちゃんがふらふらと出てきた。
いやはぐれたのは君の方……と言いかけたがこちらとしても元の場所から大分動いてしまったのであまり強く言えないところがある。
とりあえず話を逸らそう。
「栞さん、やっちゃってください」
「我が瞳はあらゆる偽証を赦さない────審判の瞳」
「え、何?」
杖が光り、左目が銀の炎で覆われる。
何度見ても男の子の心がくすぐられるかっこいいエフェクトだ。僕も魔法使いになればよかった。
魔法を行使したはいいものの、どうも栞ちゃんは言い淀んでいるようなので、僕が質問してしまう。
「はい、千紗ちゃんに質問。君は人間?」
「……人間ですよ?」
栞ちゃんの方に目線を送る。
「……嘘じゃない」
「じゃあもう一つ。栞ちゃんの記憶を改竄した?」
「いや、してませんよ?」
「嘘じゃない……」
そういうと栞ちゃんは俯き、少しの間静寂が場を支配した。
「あああ……疑ってごめんよお……」
涙目で栞ちゃんが千紗ちゃんに駆け寄り、抱きつく。
「えっ、何? どうしたの?」
微笑みそれを抱き返す千紗ちゃんは動揺した様子だ。
まあ白だったわけだし何が何だかわかっていないだろう。
パンツの色の話じゃないぜ。
しかし素晴らしい光景である。
僕の目の前でどこか幸せそうに抱き合う美少女二人。花と花が絡み合う。
状況がよく分かっていないながらも栞ちゃんを受け入れている千紗ちゃんは聖母のようだ。
脳内で額に入れて飾っておきたい。瞬間記憶能力を持っていないことが非常に悔やまれる。
「いや、千紗ちゃんがあんまり可愛いから実は人間じゃないんじゃないかって話になってね」
「……そ、そうなんですか」
若干顔が引き攣る千紗ちゃん。
真面目な話だったのだが口説き文句だとでも思われて引かれたのだろうか?
別に僕が言い出したわけでもないのだが。理不尽だ。
「まあいいや、解決解決。さっさとここの主を探しに行こう、お腹が減ってきちゃったよ」
「そっちでも見つからなかったんですか?私も結構歩いたんですけど、ひたすら森が続くだけで何も……」
そう。今問題なのはこちらのほうだ。
前回は迷宮の主人、もとい山羊目玉を倒すことでダンジョンから脱出できた。
ではその主人が見つからなかったら?
こんな訳の分からない場所で延々サバイバルをしたくはない。
早急に主、そうでなくとも脱出手段を見つけなければならない。