お正月になぜここにいるのか?を考察する。さみしさは、無視しろ。
このエッセイ集(?)も、約ハツカほど続いていまして。
ハツカくらい、なにさ、ってもんですが、ちょっと続いて来たものを途切れさすには、理由が欲しかったりしますよね?
たとえば、今日は、お正月だから、こんなもの書いてる暇は無い、とか、は、逆に理由にならないでしょう?お正月って、けっこう暇だったりしますし。私なんかはね。
たとえば、お正月休みを利用して、年に1度(別に2度でも3度でもいいのよ?)の海外旅行に来ているから、ちょっと、こんなもの書いている暇は無い、とか。なら、いい?でも、このエッセイ(?)、日記みたいなこと書いてもいいのなら、そんなときこそ、リアル日記を、海外旅行のご報告を、リアルタイムで行うなんて、憧れちゃうから、きっと、やっちゃう。
なら、ほかになにか、理由って、考えられます?
べつに、書かなければいけないこととか、特になくって、でも、書いちゃう?
でも、書くべきものごとも、特になくって、やっぱり、書けない?
ああ、今、ここまで書いて気づいたんですけど、今日の「この文章」、ちょっと読み易くありません?いやいや、言葉まちがってるな、「見」易くありません?
じっさい、自称でも詩人とかやってるわりに、私の文章は、異常に読みにくくって、おそらくは、小学生の頃からそうで、持って生まれたもので、ほかのほとんどの人の文章読んで、読み易いなぁ、いいなぁ、私もこんな文章を書いてみたいなぁ、なんて思っていたりしているのです。この文章も、なんか、流れないでしょ?
でも、スマホ使って音声入力するようになってから、私が今まで感じていた、変な「リズム感の悪さ」がましになって来ているように自分の中では、思えていたんです。いや、全然よしとはしてなくて、なぜなら、文章の流れは普通になって来たけれど、文章の見た目が最悪になっているのに気づいていたからです。一長一短、帯長襷短(な、なんて読まそうと?いや、見た目岳、見た目岳)(あ、みため岳って、どんな山?わかったわ、今まで誤字脱字が異常に多いのは気づいてて、それ、音声入力のせいに自分の中ではしてたけど、違ったみたい、私根本的に、集中力が欠除してるんじゃない?)なんだな、やっぱり。とか思って。
で、それはそうなんだけれど、確かにそうなんだけれど、じゃあ、今日のこの文章は、文字入力してるから、リズム感が悪いのは、ナルホドナットクで、でも、見た目は、どうなの?ちょっとは、ましなの?
ま、ましでしょう?
ましですとも。
てか、まし、を前提に、この文章半分以上書いてますからねー。い、いまさら違うといわれても、ねー?
もう、ダメですよ。
そうしときましょう?
そうしときましょうよ。
それで、押し通します。
お正月だもの、それくらい、笑ってくれてるよね?
笑って、ゆるしてよ?
ほら、笑う門には、松竹立てて、っていうでしょう?
いわないとしても、よ。
いいじゃない?お正月だもの。
あ、忘れてた。
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
あけおめッ!
のほうが、いーい?
あ、忘れてた。
寿ぎ言祝ぎ、(ことほぎことほぎ、ていってる)
今年があなた様にとって、
良いお年でありますように。(あなた様?皆様?)