優しさは「否定をしない」ということ。それが「生きる」ことに繋がるから。
ずっと考えていた「言葉」や「考え方」等を、
頭の中で整理整頓しながら書き綴りました・・・。
この世には「善」と「悪」の2つの対比する感情が存在する。
人として、「人間」として「生まれてきた」のならば、
それは避けようもない通り道である。
誰しもが「善の心」と「悪の心」を持ち合わせて生まれてくるもの。
ただ、それをどちらの方向に転ばせることが出来るかで
「その人」の人生は左右されるんだと思う。
優しい気持ち・・・。
それは誰かに対して「思いやる気持ち」を持つという事。
ただそれだけの事で人生は大きく変わる・・・。
誰かから貰った「大切な心」はきっとまた違う「誰か」に伝わる。
これは「幸福の連鎖」と呼んでいます。
希望を持って毎日を生きれたら、それは素晴らしい生き方だ。
でも同時に絶望という感情も完全否定はしてはいけない。
否定してしまえば、それは「悪感情」に繋がるからだと思っています。
誰かが絶望している時に「そこから更に追い詰める」という行為は
また、誰か傷ついて苦しんでいる人の「心を抉る」からです。
生きるって、辛いことや悲しいことの連続。
でもそれだけじゃあない。
「貴方が辛ければ、私もきっと辛いよ?」の一言で救われる人もいます。
だからと言って世の中に絶望してもがいてる人に対して、
「貴方はネガティブだ!それだからいけないんだ!」等と他人を
責めるのは「傲慢」です。「思いやりの欠如」だと思われます。
「ポジティブ」と「ネガティブ」の感情を「誤解」して「勘違い」
している人もいます。恐らく沢山。
色んな考え方の人がいて当たり前。
でも、ただ「許す」だけでは、「アメ」を与えるだけでは
良いことはありません。それも事実です。
「諭す」という「心」も大事だからです。(こちらはムチとして捉えください)
誰かが傷ついて悩んでいるのを見て平気な顔をして笑う人間も・・・
哀しい事実ですが存在しますね。
でも、そこで「気付く」事が出来るか出来ないか。
ここもポイントなのでしょう・・・。
「気付いているのに、気付かないフリをしてはいませんか?」
今、少し説教じみたお節介を焼いている自分もまた然り。
「これも傲慢」だと自覚しています・・・。
1つの「言葉」を聞いてどう捉えるのか。
ここが「運命の分かれ道」なのでしょうね。きっと・・・。
「何か」を感じるからです。
それは「本人次第」・・・。
人間が生きていく上で大切なのは「空気」や「ご飯」だけじゃありません。
「優しさ」と「厳しさ」・・・。
この2つが欠かせない心の大切な栄養源だと思います。
「幸せ」になる近道は、とにかく「気付く」ということ。
「否定ばかり」している人生は「楽しくはないでしょう?」
「受容の精神」・・・。
全てから目をそらさず、「受け入れて」生きましょう。
ほんの少しのきっかけでもいい。
「自分」で選んで、「人生の選択」です。
大丈夫です。
みんながみんな「酷くて恐ろしいもの」ばかりではありませんよ?
今いる身近な大切な人に感謝をして、大事にしましょう。
そして、過去に傷つけた相手がいるのなら、
ちゃんと「心の中」で謝りましょう・・・。
きっと、伝わります・・・。
色んな国に色んな教えがある様に、違っていても皆、
本質は同じなのです・・・。
人間が人間として生まれたのならば、
「考える事」を放棄してはいけない。
逃げてもいいから、「終わりの時には笑いましょう。」
矛盾した言葉ばかり羅列しておりますが、
人は元々矛盾で成り立っているものです。
違いますか?(違う!と思われたならそこはそれでいいんです。
貴方の考え方なのでしょう。個人の自由ですのでそこまで
押し付けません・・・。)
生きるのが辛いときには無理をせずに休みましょう。
そして、自分が心から「楽しい」、「嬉しい」と
思えることを見つけて、癒されたなら・・・。
また歩き出せばいいのです・・・。
幸福は第一歩を踏み出したときから始まるから・・・きっと・・・。
「生きる」ことについて、真夜中に考えていました。
後書き・・・。
何を書けばいいのか・・・。
もう、書いた内容が「全て自分の出した結論」でした。
偉そうな事を生意気に申してすみません・・・。
ただ、日々常々考えていることだったので
「形」にしてみました・・・。