第1章 星は神様 そして裏切り
ジャンルに関してです。
マニュアルでは殺人事件などと書かれているので勘違いさせてしまうかもしれないですが、推理でありミステリーです。
殺人事件はありません。
1
肌寒さの残る5月の夜、家族3人であるところに向かっていた。
窓から見える車や人、いろんな建物が星桜の後ろに流れていく。車で出掛けるのはすごく楽しい。遠くにも行けるし、お菓子も奮発してくれる。そしてなにより、今日は私の7歳の誕生日だ。
「パパ、ママ、これからどこに行くの?」
「それは着いてからのお楽しみだよ。絶対に星桜の喜ぶ場所だ」
「ふふふっ、楽しみね」
そう言い車を走らせている。
今日の天気は晴れ。雲1つない、いい天気だ。
パパは運転中ずっとニコニコしていた。愛しい娘を喜ばせたい。そんな感情は星桜には伝わらないが、ママはつられて笑顔になっていた。
ママはいつものよりも大きめのバッグを持ってきていた。中には星桜の大好きな駄菓子も入っている。
星桜が一番好きな駄菓子はさくらんぼ餅。正方形の小さいお餅がたくさん入っていて、楊枝でさして食べる。ママと分け合って食べるのが星桜のいつもの食べ方だった。
星桜にとって夜のお出掛けは特別なもの。すごくワクワクする。普段はあまり見られない夜の世界。昼間と違って何もかもが新鮮に見えてしまう。
後部座席では親子の他愛のない会話。運転手はいつもひとりぼっち。でもそれはもうすぐ終わりだ。
車が走り始めて1時間くらい経っただろうか。星桜とママの楽しそうな会話を黙って聞いていたパパが口を開いた。
「もうそろそろ着くぞ」
窓から外を見ると、そこには不思議な世界が広がっていた。街灯の少ない山道を走っているその車は、星に導かれどんどん進んでいく。そして見通しのいい広場に着いた。
「うわーー。すごーーい」
空を見渡すと、そこは星の海。強い光を放つ一等星を始め、弱い小さな星もたくさん見えていた。星桜の家から見る星空とは完全に別物だった。
車から降りるとパパはレジャーシートを持ち、ある場所に星桜を誘導する。ママは笑顔で後を追う。
そして、ここだここと言いレジャーシートを広げた。
「ここに来るのも7年ぶりね」
「星桜が生まれる前だもんな」
星桜はポカーンとした。そして私にナイショ話なんて!とほっぺを膨らませて怒った。そんな星桜の頭をポンポンしながらパパが話してくれた。
「ここはね、パパとママの思い出の場所なんだ」
そして、ママも続いて話してくれた。
「初めてのデートもここだったのよ」
ここは2人が何回も足を運んでいた思い出の詰まった場所だった。車の免許を取ってすぐ、ひやひやしながら来たのを覚えている。そしてここで……星を眺めた。
デートっていうのは別に会話なんて必要ない。運命というのは自然と心と心が通じあってしまうもの。それにここには後押ししてくれる星空がある。2人は目が合うと、互いの唇を重ねあわせた。
「それでね、ここでママとある約束をしたんだ」
星桜を授かった時にここに来て、当分はここに来るのは我慢しようとパパが言った。次来るときはこの子が産まれ、7歳の誕生日を迎えた時だって。
「ママ、嬉しかったな。パパはあの時の言葉、覚えてる?」
お、覚えているさ。なんてパパが照れていた。
この星空はパパとママにとって特別なもの。星桜が理解できるくらい大きくなった、7歳を迎えたその日にまた来ようって。見た時絶対驚くから。ここを3人の思い出の場所にしよう。パパはそう言ったんだ。
「ここ、私の思い出の場所にしてもいいの?」
「もちろんだよ。気に入ってもらえたかな?」
うん!と星桜は満面の笑みで答えた。
「それとね。お星様にはすごい力があるんだよ」
ママはクスッと笑った。
「あんまり信じないほうがいいわよ」
星桜はすごい力ということばに興味を惹かれ、聞きたい!とねだった。
そしてパパは少年時代に戻ったかのように興奮気味に話してくれた。
「お星様はいい子にしている子供の願いを叶えてくれるんだ」
そう言い星空を見上げた。
流れ星は星が流れている間に願い事を3回言うと願いが叶うという。でもそれとは違うんだ。
例えば、明日は算数のテストだからいい点を取りたい!とか。お小遣いもっとほしい!とかね。
「それで、パパのその願いは叶ったの?」
「もちろんさ。星空を見上げてお願いしますって言うんだ。あ、でもいい子にしてないと駄目だよ?」
「私、いい子でしょ?」
もちろん!と、パパよりも速くママが答え星桜を抱きしめた。
3人は星桜を真ん中に、川の字になって横になった。そして星空に向かって指をさした。
「星桜、あれが北斗七星だ」
どれどれ?という星桜に優しく説明をした。
北斗七星っていうのは7つの星を線で結ぶと大ひな柄杓の形になる。柄杓っていうのは大きなスプーンみたいなものだ。そして星座を探すときはこの北斗七星を基準に探すと見つけやすい。
あと、柄杓の先端にある2つの星を線で結ぶんだ。その線を柄杓の口が開いている方向に5倍伸ばす。そうすると強く輝く星が見つかる。それが北極星だ。
「へぇー、きれー」
「それとね、星空はパパにとって絵本みたいなものでもあるんだよ」
北斗七星のように、星と星を線で結ぶといろんな絵がでてくる。それを星座っていうんだ。そしてすべてではないけれど、星座1つ1つにお話がある。難しい言葉で言うと、ギリシア神話っていうんだ。
「例えば星桜は5月生まれの牡牛座。牡牛座にも神話があるんだよ」
牡牛とは大神ゼウスが化けた姿なんだ。海岸沿いで花を積んでいたフェニキア王国の王女エウロパに一目惚れしてしまった。そして牡牛が近くに行き寄り添った。
優しい瞳に真っ白で綺麗な牡牛に気を許してしまったエウロパは背中に乗ってしまう。するとそのまま牡牛は走りだし、クレタ島まで連れて行ってしまったんだ。
そして自分の正体をバラした大神ゼウスはクレタ島でエウロパと結婚した。
「なんかゼウスってすごい強引な神様なんだね」
「一番偉い神々の王って言われているくらいだからね」
星について考えたことは一度もなかった。ただ、夜空を見上げると綺麗だなって思う程度で、そんな話があるなんて驚いた。それに星座についても知ることが出来た。
もっと聞きたい。今の星桜の目は夜空で光る星のようにキラキラ輝いていた。
「星って神様なんだ」
3人はしばらくの間、静かに星空を眺めた。
「そろそろ帰ろうか」
パパがそう言うと後片付けをし、家に向かって車を走らせた。
「疲れて寝ちゃったわ」
「夢中になってたもんなぁ。でも興味を持ってくれてよかった」
車に乗って数分。星桜はママの腕にしがみつくようにして眠った。
帰りの車内は寂しさが溢れていた。元気にはしゃいでいた星桜が眠ったからか、星から遠ざかっていくからか。
行きと同じで、パパは何も喋らず運転している。ママは星桜の手を握りながら窓の外を眺めていた。
何か悲しい、切ない、寂しい。そんな感情がにじみ出ていた。
「パパぁ……」
「ふふふっ。寝言で呼んでる」
「星桜はママよりパパの方が好きなんだなぁ」
そんなことない!ってママは星桜のことを優しく抱きしめた。
そしてまた、静かな車内に戻った。
「星桜、もうお家つくわよ」
3人は我が家に帰ってきた。
星桜達の住むこの街は自然の多い田舎だ。田舎と言っても、田や畑が多いわけではない。所々に林のある緑豊かな街だ。
商店街や街の神社では年に数回お祭りが開かれる。それは盛大に行われ、隣町や離れたところからやってくる人もいる。
街の人口は多くはないが訪れる人は多い、とても良い街だ。
3人は玄関の鍵を開け家に入る。
真っ暗だった家に明かりが灯る。星桜は眠そうな顔をしたまま歯を磨き、すぐに布団に入った。
パパとママはというと、リビングで何やら深刻そうな会話をしていた。
家のこと、星桜のこと、これからのこと。それは星桜が寝たあと、数時間続いた。
そしてそれから数週間後、星桜が知ることになる。
2
「入院って……何?」
それはパパとママから知らされたショックな話だった。
パパは病気だった。その病気を治すため、しばらくの間病院で寝泊まりする。
星桜はすごく不安そうな目をしながら話しを聞いていた。元気になったらちゃんと帰ってくる。だからママといっしょにいい子にして待っていようと。
それでも星桜は離れたくない、とワガママでいた。
「星桜。パパとお別れするんじゃないんだ。少しの間だけ離れるだけなんだよ?」
星桜は黙って下を向いてしまった。
ママには星桜の気持ちが少し分かっていた。星桜はまだ7歳。パパに甘えたい年頃なんだ。
「パパは病気と戦うの。星桜の応援があればパパも頑張れると思うよ」
星桜は下を向いたままだった。
「パパが病気に負けてもいいの?」
下を向いたまま首を横に振った。
「星桜。パパ、頑張るから。元気になってまた星桜といっぱい遊びたい。だから……」
パパがしゃべり終わる前に星桜が抱きついた。
星桜だってとっくに分かっていたんだ。悪い病気は病院に行かないと治らない。病気は辛いし苦しい。だからパパは入院するんだ。
でもパパのことが大好き。分かっていても離れるのが寂しかった。
そして星桜に、応援すると言わせなければいけない理由があった。納得しないまま入院してしまうと、星桜は絶対寂しくて泣いてしまう。パパにとっての力の源は星桜の涙ではなく笑顔だ。
パパとママは星桜の言葉を待つことしか出来なかった。
星桜も星桜なりに頑張っていた。少しでも頭を撫でられたり、優しい言葉をかけられたら泣いてしまいそうなほどに。
そして、
「私、パパを応援する。だから……早く元気になってね?」
星桜の精一杯の答えだった。
「あぁ。星桜からすごいパワーを貰った。これで病気に勝てるよ」
星桜の顔に笑顔が戻った。そして寝る時も、パパから離れなかった。
「ねぇ、パパ。帰ってきたらまたお星様見に行きたい」
「よし。またママと3人で行こう」
パパとママに挟まれ、星桜は眠った。その寝顔はとても幸せそうだった。
―――次の日
パパとママは、パパの入院の準備をしていた。
着替えや日用品、一通り大きなカバンに詰めた。
星桜はというと、病院まで付いて行く!と言い一人で着替えをしていた。
「遅くなる前に帰るんだからね」
星桜は元気よく返事をした。
入院が急な話しで、星桜には可哀想なことをしたと思っている。でもこれは応援してくれた星桜の気持ちを無駄にしないためにと、パパとママが決めたことだった。
3人の準備が終わると車に乗り、病院に向かって走らせた。
今日はママが運転し、後部座席に星桜とパパが乗っていた。
病院は1時間弱かかる場所にある。それはたくさんの設備が揃った大学病院だ。この病院で精密検査をし、パパの病気が見つかった。早期発見ではあったが不安の残るものだった。
病院に着くまでのこの時間、星桜はずっと静かだった。パパが話しかけても短い返事で返されてしまう。それを見かねたママはパパに目で合図をした。
「そうだ星桜。星桜に渡したいものがあるんだ」
そういってパパはカバンからあるものを取り出した。それは卵型の小さくて可愛らしい水晶のペンダントだった。ローズクォーツといわれるその紅水晶は星桜の好きなピンク色をしている。
少しでも笑顔の明るい星桜でいてもらいたい、そう思いパパが用意していたものだ。
「うわぁー。こんな綺麗なペンダント貰っていいの?」
星桜はすごく喜んでくれた。そしてパパがそのペンダントを首にかけてあげると、笑顔でお礼を言ってくれた。
「ありがとう、パパ」
そんな2人のやり取りをママはニコニコしながら聞いていた。
そして車を走らせ数十分、パパの入院する病院が見えてきた。
大学病院には多くの診療科があり、敷地面積も広い。設備もたくさん揃っているため、小さな病気でも診察を受ける人が多く評判も良かった。
大きな病院っていうとパパが怖い病気になっているんじゃないかと不安になってしまう。星桜にはそれだけ味方が多いんだよと話し、安心させた。
車を停め受付を済ますと、すぐに病室に案内された。病室は4人部屋で、パパは入って右奥のベッドだった。
荷物を置き、服を着替えるとパパはベッドの上に座った。今日から病気が治るまで、ここでパパが生活する。
「なんか飽きちゃうね……」
星桜にとって初めて見る病室は、寂しいものだった。ベッドとテレビしかないからだ。
「そんなことないぞ?ほら」
パパがベッドに横になり、窓を指差した。
横になるとちょうど空が眺められる。夜になれば大好きな星空が見れるんだ。パパにとっては夢のような生活だ。窓際じゃなければそれこそつまらない入院生活になっていた。
「ここからも星、よく見える?」
「もちろん。それに病室の消灯時間が21時だし、街灯も比較的少ないからたくさんの星が見れると思うよ」
楽しそうに話すパパに、星桜は羨ましがった。
そして夕方までの数時間、パパと星について語った。ママは笑顔で相槌を打つだけだった。
「星桜。そろそろお家帰ろうか」
寂しそうな顔をしながらも星桜はママの言うことに従った。
パパは病院の出入り口まで見送りに来てくれた。そして笑顔で手を振った。星桜は首に下げているペンダントをパパに見せながら、笑顔で手を振り返していた。
今日1日パパはずっと笑顔だった。もちろんママも笑顔は崩さないようにと気を使っていた。そしてママは、心のなかでパパに「ありがとう」と言った。
帰りの車の中、星桜がママに話しかけた。
「なんか今日のパパ、おかしかった……」
子供って怖いほどに親を見ているんだと気付かされた。
「星桜と離れるのが寂しいからだと思うよ」
と、誤魔化すことしか出来なかった。
家に着くと、ママはすぐに晩ご飯の支度を始めた。毎日3人分作っていたご飯が、今日から2人分になる。1人減って楽と思うかもしれないが、ママに笑顔はなかった。
3
パパが入院してから数週間が経った。お見舞いに行った回数は片手で数えられるくらいだ。
やはり最初の数日間、夜になると星桜は泣いてしまった。星桜はまだ7歳。分かっていてもポロポロとこぼれてしまう。その度にママは慰め、「パパが見てる同じ星空だよ」とベランダから星を眺めた。
「ママ。パパはいつ帰ってくるの?」
星桜が思っていた以上にパパの入院期間が長かった。だけどママもいつ、パパが帰ってくるかは分からなかった。
そしてそれから1周間経った日だった。病院からママの携帯に連絡が入った。
それはパパの入院期間が伸びた、という知らせだった。星桜にもちゃんと話した。そして初めて星桜がママに逆らった。
「なんで?少しだけって言ってたのに……。パパに……会いたい」
パパに会いたがる星桜に、ママはいつもこう言っていた。
「今はお仕事が忙しいから、会いに行くのはまた今度ね」
元々共働きであったため、仕事を理由に断ることが出来た。ママは辛かったが今はこう言うしかなかった。
それと、パパは手術をしなければいけなくなった。手術とはパパの体を切るということ。星桜にとってショックが大きいんじゃないかと思い、なかなか言い出せずにいた。
――そしてまた数日。
パパから1通のメールが届いた。明日なら来ても大丈夫、ということだった。
「星桜。明日パパのところ行こうか」
すぐ星桜に話すと飛び跳ねて喜んだ。
明日ママは仕事があるが、早めに帰れるようにしてもらい午後から病院に行くことにした。
「パパ!」
「おぉ星桜。来てくれて嬉しいよ」
病室に入るやいなやパパの元に向かって走った。走っちゃ駄目!とママは思っていたが……。
当たり前だが病室は静かだ。星桜の足音だけが響く。
そして星桜がパパに一番聞きたかったことを聞いた。
「パパ。いつお家に帰ってこれるの?」
パパも予想はしていた。多分ママからは言い出せなかったんだと。ママは星桜に優しすぎる。こういうことはいつもパパの役目だ……。
「もうちょっと……かかっちゃうかなぁ……」
「まだ病気……治らない?」
星桜はとても悲しそうな目でパパを見つめた。娘のこの目はパパにとって辛い。
話すなら早めのほうがいい。パパは目でママに合図をし、星桜に話すことにした。
「星桜。聞いてほしいことがあるんだ。とっても大事な話しだ」
星桜はパパから初めて聞く声のトーンに少しの不安を感じた。そしてベッドに腰を掛け、聞く姿勢をとった。
「パパね、今度手術をしなくちゃいけないんだ。悪いものが体の中にあって、それを取り除かないと駄目なんだ」
「それって、痛いの?」
「いや、痛くはないんだよ。ただ、お家に帰れるのが遅くなっちゃうんだ」
星桜は下を向き、足をぶらんぶらんさせた。
「ごめんな星桜。パパ……」
「分かった。パパが早く良くなって帰ってくるの待ってる!」
パパはそう言ってくれた星桜の頭を撫でた。そして辛い思いをさせてごめんねと言うと、辛くないよ!と笑顔で言ってくれた。それを見ていたママの目から涙がこぼれそうだった。
一番辛いのはパパなんだ、と星桜は思ったのかもしれない。私は平気、と強がっていただけなのかもしれない。でも星桜が今まで辛い思いをしていたのは確かで、それはママしか知らないことだった。
パパとママはひとまず安心した。手術の件、星桜に納得してもらえたからだ。嫌という星桜をどう説得するかも考えていたが、いらない心配だった。
家族内の会話は星桜のことがほとんどだ。家ではいい子にしていたか。学校は楽しいか。友達はどれくらいいるかなど、入院で離れていたパパが気になっていたこと。
ママはイタズラ気味に話していたが、星桜は楽しく過ごしているようだった。
会話は絶えることなく続いていた。帰る時間まで、笑顔の溢れる楽しい家族の時間。そしてやってくるお別れの時間。
「パパ。またお見舞い来るね!」
パパはありがとう、と嬉しそうに言ってくれた。
星桜は首からさげているパパからのペンダントを大事に握りしめ、ママと一緒にお家に帰った。
その日の夜、星桜はベランダにでた。空を見上げるとあの場所ほどではないが綺麗な星がたくさん見えていた。そして星桜はその星達を見つめた。
「お星様、お願いします。パパの病気を治して元気にしてください」
そう言うと星桜は目を閉じお祈りした。
星桜が望むのは家族3人で仲良く楽しく過ごしたい、ただそれだけだった。
4
予定通り今日、パパの手術が行われる。星桜は病院に行きたいと言っていたが、長い手術になるということでママとお家で待っていることになった。
本当だったらこの祭日、家族で遊びに行っていたんだろう。学校だったら気が紛れていたかもしれない。星桜には可哀想な思いばかりさせてしまって、とママは心を痛めていた。
何かをしながら手術が無事終わるのを待っている、なんてことは出来なかった。星桜と星の本を見たり、テレビを付けたりしても集中出来ない。
それだけママは不安だった。手術が無事成功してもその後がどうなるか分からない。パパはそういう病気なんだ。
手術が始まってから何時間経っただろう。2時間……いや、3時間。
ママはずっと落ち着かなかった。星桜に話しかけられてもうまく返すことが出来ない。ママどうしたの?と星桜に怪しまれた。
今パパは頑張っているんだ。星桜のため、家族のため。ただ待って祈っていることしか出来ないのがとても辛い。
「星桜、病院行こう」
病院でも2、3時間待つかもしれないが、家で待つのはもう耐えられなかった。
病院の受付で話し、手術室前で待つことになった。
そして星桜の手を取り、握りしめた。
手術室前に来ると星桜は何も喋らなくなった。病院の雰囲気にやられた……というのもあるが、それよりも星桜に緊張感と不安を与えてくるものがあった。
それは、握りしめてきたママの手から伝わる震えだった。
静かな時間が長く続いた。誰の声も聞こえない。音さえ耳には入って来なかった。
そんな中、ある変化に目で気づくことが出来た。
『手術中』と書かれているランプが消えたのだ。
そして手術室の扉が開き、主治医の先生が出てきた。
「ご家族の方ですか?……手術は無事、成功しましたよ」
星桜は声をだして喜んだ。手術後は安静と様子を見るためすぐには退院出来ないことを伝えると、星桜はガッカリしていた。
眠ったままのパパは今までいた部屋とは違う、個室に案内された。個室のほうが周りに気を使わなくていいからと、部屋を変えてくれたのだ。
「パパはいつ目、覚ますの?」
「あと1時間くらいしたら目を覚ますと思うよ。……それと奥さん、ちょっと……」
先生とママは病室からでていった。
星桜はずっとパパの寝顔を見ていた。考えてみたらパパの寝顔なんて見たことが無かった。
朝は星桜よりも早く起きて、夜は星桜よりも遅くに寝る。
そんなパパの寝顔を見て星桜はほっこりしていた。なんか幸せそうな……そんな表情だった。
ママと先生は数分で戻ってきた。
「星桜、今日はもう帰ろ?」
星桜は何で?と思った。パパの目が覚めたら何を話そうか考えていたのに……。
「手術で体力をたくさん使ったから、今日はそっとしておいたほうがいいかもしれないって」
「そっかぁ……」
「ごめんね星桜。また明日、学校から帰ってきたら改めてお見舞いに来ましょ」
星桜は寂しげな声でうん、と返事をした。
手術が長かったため、外は暗くなっていた。寂しい気持ちがより寂しくなる。
帰りの車の中。ミラー越しに見えたママの目に、何か光るものが見えたような……そんな気がした。
次の日、星桜とママはパパのお見舞いに行った。パパは元気そうだった。笑うと傷が痛み、辛そうだったが…。
やっぱり痛いんじゃん!と星桜は頬を膨らませていたが、それは家族を一瞬で笑顔にさせた。
パパの体の中にあった悪いものは取り除いたんだ。これから退院に向かっていく。星桜はこれからが楽しみでいた。
前のように家族3人で楽しく過ごす。お星様を見る約束もした。また川の字になって星を見たい。星桜はそんなことを考えていた。
そして手術から1ヶ月と少し経った時だった。
星桜は星が……嫌いになった。
手術の次の日を含め、星桜は4回のお見舞いに行った。
お話しができた時間は2、3時間とかなり短かったが早く良くなるためには安静、と先生とママに言われていたため我慢するしかなかった。
だからこそ星桜はその短い時間を大切にしていた。星桜と話すことはパパにとっても勇気や希望、目標を持ついい時間になった。
それとパパと別れるとき、星桜は寂しい表情は一切見せなかった。そして欠かさず、「またお見舞いに来るね!」と笑顔を見せた。
順調に回復に向かっている。星桜がそう思っていた時だ。ママの携帯に病院から呼び出しがかかった。
それは学校の先生を通し、星桜の耳にも伝わった。
そして2人は急いで病院に向かった。全力で病室まで走った。
こんな姿を星桜には見せたくない。星桜だって見たくはなかった。
病室では、主治医の先生と数人の看護師がパパを囲んでいた。ここに向かっている家族のため、一言でも会話をさせたいために延命処置を施している最中だった。
「やめて!パパを……いじめないで……」
パパのもとに向かう星桜をママは抱きしめて止めた。
先生は全体重をかけてパパの胸を圧迫する。何度も。何度も。
圧迫される度に反動で暴れるパパを見て、星桜は泣き叫ぶことしか出来なかった。
ギシギシときしむベッドの音、パパに呼びかける先生達の声。ママは星桜を抱きしめながらその地獄に耐えていた。
そして数分後。先生は圧迫をやめ、現時刻を言った。
それは、パパが亡くなったことを告げるものだった。
5
星桜は泣きながらパパに抱きついた。
そんなことない。ただ眠っているだけ。疲れているんだから。もう少ししたら起きるよ。
そう言って星桜は先生たちをパパから遠ざけた。
まだ幼さの残る星桜には分からなかった。死ぬと……冷たくなるんだから。
「パパ……温かいよ?……まだ……生きてるよ?」
ママは涙を流しながら星桜と2人きりになれるよう先生に合図をした。
パパはもう目を開けない。星桜って呼んでもくれない。いずれ……冷たくなる。
星桜にはちゃんと教えなきゃいけない。それはママの義務だ。パパから無理やり剥がし、星桜を病院の外に連れだした。そしてそのまま車へ。
車に乗った瞬間から星桜は声を出して泣くようになった。パパ、パパと何度も呼んだ。星桜は家に着いても泣き止むことはなかった。
ママはリビングで星桜と向き合った。そしてもう動かないこと、それは死んでしまったということを話した。
「嘘だよ……そんなの……。だって私、お願いしたもん……」
ママが嘘を言うわけない。そんなことは分かってる。
「お星様に病気治してって……元気にしてって……お願いしたもん……」
パパが教えてくれたんだ。願いを……叶えてくれるって。
「お星様は神様だよ?パパが……死ぬはずないもん……」
「パパは死んだの。星桜……パパは……もう……」
パパだって嘘を言うわけない。
「何で?私……いい子にしてたよ?なのに何で!」
星桜は近くにあったクッションを投げた。
「お星様が……お星様がパパを裏切ったんだ!」
「星桜!そうじゃないの……そういうことじゃ……ないの」
星桜はパパのことがすごく大好きだった。もちろんママも大好きだ。そしてお星様は神様だと信じていた。大好きだったパパがそう教えてくれたから。
でもお星様はパパを助けてくれなかった。ずっといい子にしていたのに。少しは逆らったかもしれないけど、ママの言うこともちゃんと聞いた。
パパと離れるのもすごく辛かったけど泣かなかった。星桜が泣くとパパも泣く。星桜が笑えばパパも笑う。だからずっと笑顔でいたのに。
それなのに……お星様は裏切ったんだ。
「お星様なんて……お星様なんて大っ嫌い!!」
この日を境に、星桜は夜空を見上げなくなった。