一話 ようこそ異世界へ
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大地が気が付くと、そこはさっきまで歩いていたアスファルトの道路ではなく生い茂る草が生える森の中。
「こ、ここは?」
どうして自分がこんなところにいるのか疑問に思っていると、背後から誰かが落ち着いた口調で話しかけてきた。
「ここはエストリア王国です」
「エストリア王国?」
聞いたこともない国の名前を言われて大地は警戒しつつ声のした方へと振り向く。
そこにいたのは澄んだ海のように綺麗な蒼い髪の女性。整った顔立ちだが、魔術師みたいなローブを身にまといニコニコと微笑んでいるせいでどこかうさんくさい雰囲気がある。めりはりのある身体からして年齢は二〇歳ぐらいかと推測する。
「あんたは?」
大地は警戒しながら尋ねる。
「わたしはシェリル。魔導士です」
と蒼い髪の女性シェリルは穏やかな物腰で言うが、魔導師といううさんくさい言葉に大地は眉をひそめる。
「魔導士?」
「はい。わかりやすく言えば魔法を研究する人のことです」
「魔法? 何言ってるんだあんた。魔法なんてあるわけないだろ」
小バカにするように言う大地だったがシェリルはそんな大地の様子を見てクスリと笑う。
「ふふっ、それはあなたの住んでいた世界の話であってこの世界では魔法が存在するんですよ、ほら」
と言うとシェリルの右の掌に突然ボール状の水の塊が突然出現した。
「……なっ!」
信じられない光景に大地は驚きを隠せない。
――手品みたいに何か仕掛けでもあるのか……。いや、でもどうやって? 本当に魔法なのか。
シェリルはそんな大地に魔法について説明する。
「魔法はこうやって体内にあるマナを変換することで使うことができるんです。これはマナを水に変換するのと同時に薄い空気の膜も作ってボール状に形を整えているんですよ」
大地は頬っぺたをつねってみるが、痛みをちゃんと感じる。
「……どうやら夢じゃないみたいだな」
だんだんと頭が冴えて自分が黒い穴に押し込まれた時のことを思い出す。
――そういえばあの時黒い穴に押し込んだやつは異世界のゲートだとか言ってたな。
「でもいったい誰が俺をこんな不思議世界に連れてきがったんだ」
「わたしですよ」
「お前かよ!」
嬉しそうに答えるシェリルに大地は思い切り睨み付ける。
「まあまあ、そんなに怖い顔しないでくださいよ」
アハハと何でもないことのように笑うシェリルに大地が怒鳴りつける。
「ふざけるな! こっちはこれから大事な試合があるんだ。さっさと元の世界に戻せ」
「……そうですか。そこまで言うなら仕方ありませんね。まあ無理強いはできませんもんね」
シェリルは残念そうにため息を吐くと、ローブの裾から水晶玉を取り出す。
意外にもすんなり言うことを聞いてくれる様子で大地は毒気を抜かれそうになるが、
「おっと手が」
シェリルが水晶玉を木に向かって投げつけた。投げつけられた水晶玉は粉々になって砕け散ってしまった。
「あー、大変です。手が滑って水晶玉が割れてしまいましたね」
「ウソつけ! わざとだろ!」
「あれがないと大地さんを元の世界に戻すことができません。いやー、本当困りましたねぇ」
全然困った様子じゃないシェリルに大地が苛立ち混じりに言う。
「お前あれだろ。最初から俺を元の世界に帰す気なんてないだろ」
「いえいえ、そんなことありませんよ。すぐに元の世界に戻してあげたいんですが、準備に最低一か月はかかっちゃいますね。一か月は」
シェリルはやたらと一か月ということを強調して言うと、大地は観念するようにため息を吐く。
「ったく、その一か月で俺に何をしろっていうんだよ。俺をわざわざこんな世界に呼んだのに理由があるんだろ」
大地の言葉を聞いてシェリルはフフッと嬉しそうに笑う。
「察しがよくて助かります。それに、大事な試合をあっさり諦める潔さもさすがですね」
「褒めても何もでねーぞ。それに試合はあっさり諦めたわけじゃない」
「そうですね。今も虎視眈々とどうやったら元の世界に戻れるのか考えていますもんね」
「……っ」
考えていたことを言い当たられて苦虫を噛み潰したような顔をする大地。
「やはりあなたのずる賢さと抜け目のなさ、そして何より腹黒さは素晴らしいですね」
「それ褒めてねーだろ」
大地は思わず突っ込む。しかしシェリルは意に介することなく続ける。
「でも安心してください。大事な試合には間に合うように帰しますから」
「はっ? 一か月は戻れないんじゃないのか?」
「ええ。ですが時間軸をあなたがいなくなった時間にセットしてあるので一か月経っても向こうでは大事な試合前に帰れますから」
シェリルの話を聞いて大地はあきれるように頭を掻きむしる。
「ったく、なんでもありだな。これだからファンタジーってやつは。で、俺に何をやらせたいんだ? 魔王でも倒せっていうのか? 言っておくけど俺は魔法も使えないし特殊能力なんかもない。できるとしたら野球ぐらいだぞ」
その言葉を待ってましたと言わんばかりにシェリルは得意げに言う。
「その野球です」
シェリルの答えに大地はポカンと間の抜けた表情を浮かべる。
「や、野球? この世界に野球があるのか?」
「はい、幸いにもルールもそっちの世界とほとんど変わりません。違うとすればスポーツではなく、戦争ということでしょう」
「戦争?」
突然出てきた物騒な言葉に大地の表情が曇る。
「どういうことだ」
「この世界において野球の強さが力であり豊かさなんです。試合に勝てば相手の国の領土だって奪うことが可能です」
「……ってことは、野球が強ければ世界征服もできるってことか」
大地の答えにシェリルはコクリと頷く。
「ざっくりいえばそういうことです。ただここ数十年は国と国とが争うような国家試合は起きていませんでした。国との試合といえば交流試合がほとんどでしたから」
「でした、ってことはここ最近国と国とが争うような国家試合があったってことだろ。それもこのエストリアとどっかの国と」
「なぜ、そう思うのです?」
シェリルは大地を試すように聞く。
「この世界では野球が強さなんだろ? だったらこの国の野球チームだってそれなりに強いはずだしプライドだってあるはずだ。なのに異世界から俺みたいなのを呼んでくるのは普通ありえないだろ。それはつまり、助っ人を呼ばなきゃいけないほど追い込まれているってことだろ? 例えば負け続けて領土がないとか選手がいないとかな」
「お見事です。大地さんのおっしゃる通りです。たったこれだけの情報でそこまで見抜くとは、優れた洞察力をお持ちですね」
シェリルは感心して拍手を送る。
「あなたの予想通りエストリア王国の領土はメルキド帝国に奪われ、残されたのは首都のこのエストリアのみです。次の試合に負ければ国は滅びてしまいます」
「だから国の存亡をかけた次の試合を俺の力で勝たせろって言いたいのか」
「ええ。弱小校をたった一人で甲子園出場まであと一歩まで導いたあなたなら、一か月で一勝させることぐらい可能ですよね」
あきらかに挑発するような物言いのシェリルに大地は忌々しそうに言い返す。
「……ちっ! 可能不可能じゃなくて俺が元の世界に戻るにはどっちにしろ勝つしか方法はないんだろ」
「もちろん」
ニッコリと満面の笑みを浮かべるシェリル。
「俺よりもお前の方がずっと腹黒いな」
「いえいえ、大地さんほどじゃないですよ」
大地の嫌味をシェリルは笑いながらかわす。
大地はまだまだ文句を言いたがったが、時間も限られているのですぐに頭を切り替えて勝つためにどうすればいいのか情報を集めようとする。
「で、この国は何でそんなに負け続けているんだ? 相手がそんなに強いのか?」
「それは――」
シェリルは説明をしようとするが、突然顎に手を当てて考え込む。
「言うよりも直接見た方がいいかもしれませんね」
そう言うとシェリルは森の中をスタスタと歩いていく。
「おい、どこに行くんだよ」
「グラウンドです」
「グラウンド?」
異世界に野球をするようなグラウンドがあるのかよと疑念を抱きつつ大地は先を行く彼女を追いかけることにした。